地元史跡&湧水探訪(2)<武蔵国分寺跡> [地元にて]
地元史跡&湧水探訪(2)
<武蔵国分寺跡>
奈良時代(741年)聖武天皇は仏の力で国を安定させようと全国60か所余りに
国分寺の建立を命じた、奈良東大寺は国分寺の大本山、同時期に大仏が開眼した
武蔵国の国分寺は国府(府中)近くに造営され、全国の国分寺の中でも最大級の規模
面積は東西2km、南北1.5km、約20年かけて建立された
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<撮影日:10月13日>
<武蔵国分寺(跡)>
国分寺には、金堂、講堂、僧房、鐘楼、中門、七重の塔、尼寺(前記事)など
壮大な伽藍が並んでが、鎌倉幕府軍と新田義貞の軍勢が分倍河原で合戦をした
元弘3年(1333年)に焼失した、現在も建造物跡が発掘作業が続いている
武蔵国分寺・尼寺マップ
金堂跡
全国に国分寺跡は30か所近く在るが、建物は一つも残っていない
市の名称で国分寺が使われているのは国分寺市のみ、町名は全国各地で確認できる
金堂跡へ
金堂須弥壇
金堂イメージ図
金堂前面に幡を掲げて儀礼を行っている様子を描いている
金堂・講堂間の遺構
講堂跡
講堂は経典の講義が行われた建物、8世紀の中頃に創建された
9世紀の後半に大規模な工事が行われ、金堂と同等規模の入母屋造の建物になった
講堂イメージ図(右上)
瓦積み遺構
北面で発見された再建期の瓦積み基壇の外装
北側から金堂の方向
<国分寺(現)>
現在の国分寺は、武蔵国分寺の後継寺で真言宗豊山派の寺院
国分寺崖線(次回の記事)の斜面を利用し建っている
国分寺楼門
東久留米市に在った米津寺の門を移築した
国分寺本堂
本堂の西側に、新田義貞が寄進した薬師堂(重要文化財)が在るが
約50段の石段を上り下りするため、皆さんの案内を取りやめた
境内の湧水
武蔵国分寺がこの地に建立されたのは、国分寺崖線の豊富な湧水が要因です
万葉公園
境内は万葉公園になっている、武蔵国分寺が建立された奈良時代
万葉集で歌われている草花が、現在160種ほど和歌とともに展示されている
記念撮影
シャッターを押すときマスクを外すよう指示(私は左端、妻は隣りです)
この日から2週間過ぎたが、感染者は一人も発生していない
次回は、地元史跡&湧水探訪(3)<お鷹の道湧水群>を紹介します
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近くに歴史の勉強ができるところがあっていいですね。
脳を活性化させて楽しい集まりだったでしょう。
by 斗夢 (2020-10-25 06:36)
イメージ図があると当時がよくわかって良いですねぇ^^
湧水、とても豊富な量で綺麗です( ^ω^ )
by ニッキー (2020-10-25 10:20)
歴史探訪ですか……良いですね(^-^)
色々発見があって楽しかったでしょう♬
今も湧き水の豊富なところがあるなんて嬉しいね。
by せつこ (2020-10-25 17:54)
歴史の時間を
さかのぼられましたね
by kazu-kun2626 (2020-10-26 07:24)
国分寺という地名は当地にもあります。
30箇所近くあった寺が何故消えたんでしょう?
歴史を辿って発掘作業は有意義ですね。
by 旅爺さん (2020-10-27 17:08)
父上、母上、お元気そうな姿に安心しました
そうですね、記念写真はマスク無しで撮りたいですよね
私の今年の旅の主人とのショットは全て~マスク付きです(:_;)
by viviane (2020-10-28 16:53)