美瑛の丘<雪景色 追憶> [北海道の旅]
北海道・美瑛の丘
<雪景色 追憶>
首都圏は2週間続けて大雪、立川市の積雪は2月8日が約30センチ
また14日は45センチ以上、東京生活は54年になるが初めての経験です
1度目は昭和記念公園の雪景色を見に行ったが、2度目は雪かきで疲労大
思い出すのは3年前に見た美瑛の雪景色、そのときの追憶記事を作成した
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<旅行日:2011.2.9>
美瑛の雪景色
<パッチワークの丘>
美瑛を代表する景色はパッチワークの畑ですが、雪に覆われた波状丘陵もまた美しい
快晴に恵まれた美瑛の丘めぐり、日中の気温は氷点下だが寒さを感じない
妻は・・雪を握っても固まらないと言いキラキラ光る雪を空に向かって撒いていた
<セブンスターの木(カシワ)>
白樺の右端に見える木がセブンスターの木、観光客の多い場所だが誰もいない
<親子の木(カシワ)>
親子が歩く姿を想像して名付けられたという、お母さん(左)、お父さん(右)か?
<マイルドセブンの丘(カラマツ)>
雪の丘に密集したカラマツ林、この眺めが好きで撮った写真は多い
<美瑛駅構内>
旭川駅と富良野間で最も大きい駅、駅員さんに断り線路の雪景色を撮影した
<クリスマスツリーの木(カラマツ)>
丘の上には遮るものがない白い稜線、この丘でジャガイモの花を撮影した事がある
<かみふらの八景>
波状丘陵の先に十勝連峰が望める景勝地、ジェットコースターの道の最高地点です
<ジェットコースターの道>
美馬牛から真っすぐ南西に続く高低差の激しい坂、 転ぶと大変・・どこまで滑るのか
<トンガリ帽子の校舎>
写真家の前田真三さんが、好んで風景の中に入れ撮影した美馬牛小学校です
<十勝岳を展望>
赤い屋根の小屋にポプラの木、ここも美瑛の撮影ポイントでカメラマンが多い
<拓真館>
前田真三さんの写真館(冬は休館)、キタキツネに出会ったが撮れずに残念
<白樺の小路>
拓真館の裏庭にある白樺の散歩道、この道を歩きたくなり訪れた・・後ろ姿は妻です
<哲学の木(ポプラ)>
少し首を傾けているように見えるのが名の由来、近寄ると大きい木です
<白樺街道(北海道自然100選の道)>
十勝岳噴火の泥流跡に自生した白樺が白金温泉まで約4km続く、前方は十勝岳です
<美瑛川と十勝連峰>
雄大な景観のビュースポット、近くに工事の副産物で出来た「青い池」がある
<白樺模範牧場>
牧場の背後の山は・(左)ポプタテシケ山、(中央)美瑛富士、(右)美瑛岳 です
<防災道路>
十勝岳の噴火に備え白金温泉(奥の右下)からの避難専用道路、整備されている
<赤い屋根の家>
幸い雪が少なく赤い屋根を撮ることが出来た、旭川空港に向かうジェット機が見える
<丘の夕景>
夕陽が雪原を箒(ほうき)で掃いたような紋様を描き美しい
<丘に続く足跡>
太陽の光を浴び輝く雪原、キタキツネと思える動物の足跡がふた筋続いていた
<丘の夕焼け>
夕焼けが進むにつれ深い青色に変わる雪原、この時間になるとさすがに寒い
上の夕景写真を最後に旭川駅に向かう、翌朝の旭川の気温は氷点下14℃でした
ドライバーの話では冬季数回の好天気・・忘れられない美瑛の雪景色でした
7月中旬に 【美瑛の丘】と【富良野のラベンダー】を見に行く予定です
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次回は、南の島「八重山旅行記」に戻します
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函館ゆとり旅(10)<ハイカラ電車&修道院> [北海道の旅]
函館ゆとり旅(10)
<ハイカラ電車&修道院>
函館の見どころを巡り大沼公園にも足を伸ばした、今回の函館旅行
初日を除き天気に恵まれなかったが、計画通りの工程をこなし先ずは満足
この記事では懐かしいチンチン電車「函館ハイカラ号」の乗車体験を、そして
トラピスチヌ修道院を紹介し、長く続けた旅行記を締めさせていただく
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<4日目:7月26日>
朝の散歩
<はこだて明治館>
明治44年に建設された赤レンガの旧函館郵便局、今はショッピングモールです
ラビスタ函館ベイから、ベイエリアを通らず二十間坂に向かう
<高田屋嘉兵衛資料館>
択捉航路を開いた高田屋の資料を展示、入館する機会がなかった
<二十間坂>
道路の幅が二十間(約36m)、大火が多い函館の町を守るため
防火帯として拡張された坂、函館の名坂の一つである
<花の手入れをする女性>
聞くと60鉢ほど受け持ち、2日に1回は花柄積みをしているそうだ
ホテルの部屋から見ていると、雨の中でも花柄を積む男性がいた
<昆布問屋>
妻が散歩途中に見つけて立ち寄った昆布問屋
初めてガゴメ昆布を買って帰ったが、味がよく電話で追加を注文していた
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懐かしい・チンチン電車
<函館ハイカラ号>
旅行前に観光スポットを調べていると、路面電車の利用が便利だと分かった
元町、ベイエリア、函館駅、五稜郭に近く、うまく使えば移動手段に適している
そして昔懐かしいチンチン電車が、1日に数回運行している事も分かった
<函館駅前停留所>
妻が携帯電話で撮影中、市電開業百年記念「花電車」です
<ハイカラ号の前と乗り口>
私が幼児のころ、路面電車の前に付いている網に掬われたことが有る
運転席の後ろにある扉を明け車内に入るので、運転手は吹きさらしである
<運転席(前後に有る)>
事前に運行時間を調べ、函館駅前から谷地頭停留所の間を往復する
毎週(火、水)は点検日、前日は雨で運行停止、この日が最後のチャンスでした
<函館ハイカラ号の車内>
製造当初(100歳以上)の姿に改修し、函館ハイカラ号として復元している
つり革の上を通っている白い紐を引くとチンチンと鳴る
<若い運転手と車掌さん>
ブログ用に使うからと写真撮影を頼むと、二人とも快く応じてくれた
谷地頭停留所(終点)で撮影、車掌さんは「函館へようこそ」のサービス
<護国神社坂>
北洋漁業の基礎を築き函館に貢献した高田屋嘉兵衛の像が坂下にある
車内からその像を撮影したが写っていない、正面に赤い鳥居が見える
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トラチスピヌ修道院
<聖母マリアの像>
フランスから派遣された8人の修道女によって、明治31年(1898)に創立された
日本最初の女子修道院、前庭の中央には白亜の聖母マリア像
すべての人を優しく迎え入れる姿から「慈しみの聖母マリア」と呼ばれている
聖堂に向かう正面の階段
40人を超える修道女が、祈り・労働・読書を日課として共同生活をしている
<赤レンガの司祭館と聖堂>
聖堂は祈りの場所、司祭館との間に煉瓦塀があり立ち入れない
聖テレシア(右)、ジャンヌダルク(聖堂)の像が見える、尖塔は鐘楼です
(左):ジャンヌダルクの像(聖堂の前) (右):聖テレシアの像
いずれもフランスから送られた聖像である
<ルルドの聖母>
南フランにあるルルドの洞窟を模して作られたという
<修道院の前庭>
(左):天使園 (右):旅人の聖堂(松の木に隠れている)
<天使園(資料館・売店)>
資料館内で・・この冊子を購入する
売店で・・クッキーとバター飴を購入
昔は、北海道の土産と言えば麻袋に入ったバター飴が主であった
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タクシードライバーとの会話
函館は空の青さが映える街である、元町の教会・美しい坂道・ベイエリア・五稜郭タワー
そして函館山からみる美しい夜景、どこを切り取っても絵になる風景になる、しかし
函館では働く場所が少なく、若者は大都会に出て行くため街の活力が失われている
観光客が多く活況に見えるが実態は違う、ドライバーは毎月10万円を稼ぐのが大変だと言う
NHKなどマスコミ各社の月収の1/10ほど、観光の街函館の真の姿がここに有った
函館駅から修道院、函館空港まで乗車したが、今の世相に対し鋭い感覚の持ち主であった
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函館旅行記はこの記事で終章です、ご覧頂き有難うございました
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函館ゆとり旅(9)<函館朝市&ホテル朝食> [北海道の旅]
函館ゆとり旅(9)
<函館朝市&ホテル朝食>
旅行4日目、同じホテルに3連泊し函館市内や大沼公園を観光したが
この日の夕方の便で帰京する、この記事ではラビスタ函館ベイの二つの特長と
そして函館観光の見どころの一つ、朝市で見聞きした印象を簡単に触れ
トラピヌチヌ修道院、チンチン電車の乗車体験は最終の記事で紹介します
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<4日目:7月26日>
ラビスタ函館ベイ
私たちの部屋は函館山側、この景色を見ることはできない
函館港には青函連絡船「摩周丸」を係留、撮影場所は次の写真です
上の写真は、この場所の右奥で撮影
お分かりと思うが、ホテル最上階(13階)に有る露天風呂(温泉)です
内湯からは函館山とベイエリアが展望できる
毎晩、就眠前に入湯し朝風呂も2度、人が少ない朝に撮影をした
休み処では、アイスキャンデー(5種)を自由に選べるサービスが有る
子供たちは大喜び、私たちもこの場所から夜景を見ながら毎晩頂いた
本館1階の向かいには、和食、中華、ラーメン、回転寿司の店舗など
その中央に足湯がり、若い女性たちが楽しんでいた (1日目の撮影です)
<日本一・・朝食の美味しいホテル>
2年連続、朝食が美味しいホテルの日本一に選ばれた
朝食会場「北の番屋」に入ると正面に、鮭、ホッケ、イカなどの海鮮あぶり焼き
刺身(イカ・マグロ・甘エビ)、イクラ、明太子など
右隣には、小鉢が沢山並んでいた
私の朝食は・・・1日目(和食)、2日目(洋食)、3日目(和食)
3日目は、温泉玉子、刺身、イカの塩辛、冷奴、玉子焼き、イクラのミニ丼
朝からビールが欲しくなる、 食前食後に牛乳、コーヒー、果物を頂いた
若い人たちは、丼めしにイクラ、イカ、明太子などを盛り付け食べていた
妻は3日間とも洋食メニュー、 毎朝お汁粉を食べご機嫌でした
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函館朝市
前回(10年ほど前)は、この朝市の前を通り抜けグランドホテルへ
初めて来た20年前は、建物奥のカウンターだけの小さな食事処で昼食をした
「活イカの刺身」に妻は驚き、私は「ウニ・イクラ丼」を食べたのを覚えている
朝市に入ると、いきなり海産物の店
20年前に食事をした店は、この奥に有ったと思うが場所が変わったようだ
隣りはカニ専門の店、テレビの旅番組でレポーターが通ると
カニの味見のサービスをしているが、私たち観光客は・・お呼びじゃない
建物を通り抜けると両側に店が並ぶ、昔は有ったのか?
わが家は高齢者の二人生活、買っても余るので魚介類は購入せず
<私の見方>
ツアー旅行の1日目は函館が多く、朝市訪問が初日では土産には買えない
観光客の半数近くは外国人、持ち帰れないので見てるだけと思われる
観光客の関心は朝市の雰囲気、この男の子はタラバガニの大きさにビックリ
焼きタラバは生の蟹に限るが、前日夕食をした店には置いていなかった
<イカの釣り堀>
建物の中央にこのような釣り堀、観光客に人気が有った
台湾人らしい男性が、イカを釣り上げた
エサに食いつくのではなく、大きな針がイカに頭などに引っかかる
釣ったイカをその場で刺身にして・・1匹750円也
食べているのは台湾の人たち、水槽の前では日本の家族がスタンバイ↓↓
日本人の家族(兄、弟、妹)が次々に・・微笑ましい光景です
横にいたお婆ちゃんは、3人公平にさせないと納得しないと言っていた
この家族で3匹の刺身、残さず食べることが出来たであろうか?
<メロン専門店>
この店でメロン(2個入)を買い、友人、親戚、子供たち、そしてわが家へ発送
着いたメロンは食べごろになるまで5日間ほど待ち、美味しく頂いた
<朝市から離れた・・小さな店>
妻は曲がっていても味は一緒よと、1袋100円のモロッコインゲンを二つ注文
高山の朝市では、トマトが美味しそうだと買って帰った事があるので驚かない
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次回は、函館ゆるり旅(10)<トラピスチヌ修道院>を紹介します
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函館ゆとり旅(8)<五稜郭公園> [北海道の旅]
函館ゆとり旅(8)
<五稜郭公園>
20年ほど前、初めて妻と一緒に行った6泊7日の北海道ツアー旅行
東京、名古屋、大阪から函館空港に集合し、最初の向かった所は五稜郭タワー
私たちは2時間以上も早く着き、タクシーで函館朝市、金森赤レンガ倉庫へ
函館の夜景を見た帰りはベイエリアを単独散策、五稜郭は印象に残っていない
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<3日目:7月25日>
五稜郭辺り・・夕~夜
<五稜郭公園前>
大町停留所(前記事)で乗車した市電は、約30分で五稜郭公園前に到着
終着駅は「湯の川温泉」、北海道ツアー旅行の時に泊まったことがある
この辺りは函館の商業の中心地、駅前には丸井今井百貨店、飲食店も多い
<五稜郭タワー展望台>
星型五角形の形状から五稜郭とよばれるようになった
展望台2階(90m)から見た五稜郭、タワーに来て初めて知ったが
2006年4月にオープンした新タワー、前回は旧タワーの時であった
黒の円内は函館空港、赤い円は湯の川温泉です
矢印は、函館港、函館山に続く高砂通り
土方歳三は、単騎敵陣に駆け新政府軍の鉄砲隊に撃たれ戦死
その場所は一本木関門付近・・矢印の先の函館駅に近い若松緑地である
武士よりも武士らしく生きた土方歳三は、35歳でその生涯を終えた
今は・・ご婦人たちが土方歳三の像と次々に記念撮影です
若いカップルの後ろ姿
<五稜郭公園>
函館山麓(元町公園)にあった奉行所は、港湾から近く防御に不利のため
元治元年(1857)に、内陸のこの地に城塞を築き奉行所を移した
濠に架かる橋を渡り城門へ
石垣を近くで見ると想像したよりも高い
しかし時は砲弾が飛び交う時代、西郷軍が攻めた熊本城とは違い守りに弱い
<函館奉行所>
蝦夷地の統治や開拓、開港地函館での諸外国との交渉など
幕府の北方政策の拠点となったが、函館戦争後は開拓使によって解体された
神仏分離令(廃仏毀釈)、各地の天守閣破壊など、明治新政府の暴挙である
函館市では、古写真、文献資料、古図面を基に奉行所の復元を始め
平成22年に、140年の時を超えて函館奉行所を復元させた
鬼瓦など屋根の瓦は、徳川の家紋「三つ葉葵」になっている
大広間、正面の奥は奉行の執務室
函館戦争の歴史や戦争にかかわった人物を紹介するコーナーも有った
奉行所の出口から五稜郭タワー
石垣に上がり五稜郭タワーを撮影
展望台は五稜郭の形状に合わせて五角形になっている
武田斐三郎・顕彰碑
ヨーロッパの城塞都市を参考にして、五角形の西洋式土塁を考案した
武田斐三郎は、函館奉行所諸術調役で蘭学者であったと言う
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料理処「開陽亭」
函館らしい店にしようと、3日目の夜も旬の魚介類が美味しいこの店へ
市電の停留所「五稜郭公園前」から近く、ネットの口コミで調べた
ビールのつまみは・・大きな枝豆
函館に近い森町で栽培、普段食べる枝豆の1.5倍ほどの大きさで旨い
妻に聞くと、この日もイカの刺身が良いと言う、げそは塩焼きにしてもらった
前夜は毛蟹を食べたので、焼タラバを頼むと天麩羅のみでガッカリ
ビールの後は焼酎に切り替えた
妻はアルコールを一切受け付けないので、手酌で飲むことが多い
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次回は、函館ゆとり旅(9)<函館朝市&ホテル朝食>を紹介します
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函館ゆとり旅(7)<雨の日も散歩> [北海道の旅]
函館ゆとり旅(7)
<函館の歴史と建造物>
3日目は朝から雨、予報が外れ好天気になることを願ったが止むを得ない
急ぐ必要もないので朝食を遅い時間にして、この日の工程を思案
五稜郭公園には雨でも行くと決めていたが、事前に調べていた海岸地区の
函館の歴史を伝える遺構や建物を見に、朝10時半過ぎに出発をした
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<3日目:7月25日>
雨の日の散歩
<倉庫から西波止場>
散歩の最初は、妻の希望を入れて金森赤レンガ倉庫のショッピングエリアへ
雨の観光地を避けたのか外国の若者も多いが、私たちは見て通るだけの高齢者
西波止場から金森赤レンガ倉庫
雨のベイエリアも趣がある(前方はホテル)・・やせ我慢ではありません
<はこだて西波止場美術館>
蔦の葉に覆われた美術館、ライトアップする夜間は熊の顔になる
雨に濡れた右の坂は、観光客に人気が高い八幡坂です
<雨の 函館旧桟橋>
明治維新後、北海道の入口になった旧桟橋
本州から来る人々はこの桟橋から上陸し北海道への第一歩を記した
<北海道第一歩の地碑>
函館開港100年を記念して建立された、錨と熊をモチーフにしたモニュメント
海辺を吹きぬける風は強く、傘を煽られながら片手で撮影を続けた
<函館博物館・郷土資料館>
明治13年(1889)に渡邊熊四郎によって建造された旧金森洋物店
レンガ積み漆喰塗りの土蔵造り、明治40年(1907)の大火で唯一焼け残った
店先の看板は、舶来小物類、西洋酒類、羅紗・・などと記している
樽に描かれた紋章でお分かりと思うが、金森赤レンガ倉庫と同じである
館内展示品の一部、後日収集品などをアップしたいと思っている
<函館市文学館>
旧第一銀行函館支店の建物、平成5年に文学館に改修し開館
石川啄木や函館ゆかりの作家の原稿、作品などを展示していると言う
<日和坂 (ひよりざか)>
昔は、天気の良い日に港や空を眺めるのに適していたのでこの名が付いた
<相馬株式会社>
文久3年(1863)、相馬哲平氏が米穀業を創業した北海道屈指の老舗企業
社屋は大正2年(1913)の建築で現在も活躍中、写真等でよく紹介されている
旧函館公会堂の建設では多額の金銭を寄贈、写真が暗く残念で有る
<喫茶JOE>
明治18年(1885)に建築された、かつての廻船問屋遠藤商店の店舗
今は洒落たカフェレストラン「喫茶JOE」、ランチタイムはこの店と決めていた
店の名は新島襄の名からとったと言う(新島襄の渡航地は近い)
この建物もレンガ積み漆喰塗り、雰囲気のいい佇まいです
私は 「ガゴメ昆布とイカ入りのカレー」と「コーヒー」 美味しく頂いた
美人の奥さんと話が弾み、のんびりと小一時間を過ごす(写真がなく残念)
妻は、「ガレットコンプレッソト」と「ホットミルク」
そば粉のクレープの中に、玉ねぎ、卵、ハムなどが入っている
<新島襄海外渡航の地碑>
同志社大学の創始者「新島襄」は、江戸後期(1864年)に国禁を犯し
ここからアメリカに渡航し、10年後に無事に帰国を果たした
<函館市臨海研究所>
北海道最古の警察庁舎、映画居酒屋兆治の撮影に使われた
新撰組が拠点として使用、ペリー提督が上陸した沖之口役所跡に建つ
<太刀川家住宅店舗>
明治34年(1901)、海運業で財を成した豪商太刀川善吉が建てた商家
レンガ壁を漆喰で塗りこんだ防火建築、国の重要文化財に指定されている
邸内は木組み、カフェとして開放されている
<土蔵造りの店舗>
この建物もレンガ積み漆喰塗りのようだが閉鎖、右は常磐坂です
<市電大町停留所>
函館ドッグの一つ手前の停留所、湯の川行きの市電が到着
市電に向かう妻、運転手さんは待ってくれていた
この市電で五稜郭公園前の停留所へ直行です
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次回は、函館ゆとり旅(8)<五稜郭公園>を紹介します
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函館ゆとり旅(6)<大沼湖畔 散策> [北海道の旅]
函館ゆとり旅(6)
<大沼湖畔 散策>
旅行2日目は、「大沼湖畔散策」と「函館坂道散歩」を計画していたが
予定していた特急列車が運休となり、順序を入れ替え大沼散策を後にした
この日の天気は一日中曇りの予報、湖畔のスイレンを楽しみに出発したが
島めぐりの途中から駒ヶ岳の山頂が見え始め、順序を変えたのが幸いした
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<2日目:7月24日>
大沼 島めぐり
<JR函館駅ホーム>
グリーンの車両は新青森行、ブルーは「北斗9号」12時30分発札幌行き
自由席に乗車し、早速函館駅で求めたおにぎり弁当を広げた
<大沼公園駅舎>
函館駅から大沼公園までは特急で二駅、僅か20分で到着
私の忘れられない風景・・・夜明けの大沼
初めて札幌へ出張したのは50年ほど前、寝不足状態で青函連絡船から
SL特急「おおぞら」に乗り換え、大沼湖畔を通過するころに夜が明ける
駒ヶ岳の麓に広がる大沼には朝霧が漂い、小島はまるで浮島のように見えた
<島巡りに出発>
10年ほど前、札幌から函館に向かう途中、駒ヶ岳が見えたので急遽下車し
島巡りをしたので今回で2度目、ゆっくり一周しても約1時間ほどです
<島の間を奥まで続くスイレン>
どれだけのスイレンがあるのか?、驚くほど多いのは確かである
<スイレンの花>
説明パネルには、白・赤・黄・橙の4種類が有ると記されていた
<ネムロコーホネ>
水面に映る花を入れて撮影、午後になり花弁は閉じたのか
<小島をつなぐ太鼓橋>
島巡りのコースには、このよな太鼓橋が5ヶ所有った
<写生をする妻>
場所を変え2箇所で「スイレンとコーホネ」を写生していた
<樹木の間に駒ヶ岳>
見えないだろうと半ば諦めていた駒ヶ岳、山頂が見え始め・・感動!
<場所を変え駒ヶ岳を撮影>
山頂には雲がかかりまた消えて行く、しばらく待ちシャッターを押した
<大沼湖畔で小休止>
湖月橋の傍らにあるカフェレストラン「ターブル・ドゥ・リイバージュ」
喉の渇きを癒すためコーラーを注文、久しぶりに飲んだが爽やかで旨かった
<モーターボートに乗船>
大沼・小沼を巡るレジャーボート、僅か10分乗船で呆気ない
観光船(30分)に乗りたかったが、特急の運休でモーターボートに変更した
駒ヶ岳に向かい高速運転、ハンドルを切ると大きく傾く
運転席なのか?、操舵席と言うべきか?
大沼から小沼を走り帰還、前方はJR北海道の線路橋
<特急北斗12号の車内>
これは小沼、奥に駒ヶ岳が言える、小沼というが大きい湖である
<北海道新幹線>
函館周辺では、函館新駅を含め新幹線工事が進んでいた
妻に大きな湖なのに沼と呼ぶのは何故?、と質問されたが答えられない
大沼、小沼は駒ヶ岳の噴火でできた「せき止め湖」である
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海鮮料理 「いか清」
妻はイカの刺身やイカソーメンが大好物、鮨屋でもイカの握りを注文する
タクシードライバーや駅の案内所でイカの旨い店を聞くと、何れもこの店を紹介
湯の川行の市電に乗り市民病院前で降りると、目の前にこの店があった
店の前にも大きなイカのモニュメント?
箸袋も小鉢もイカで徹底している、店の名もいか清
先ず注文したのは「イカの刺身」
足は少し動き光っていたがコリコリして旨い、げそは唐揚げにして貰った
イカソーメンを頼んだが活イカは調理できない、妻の締めはイカの握りでした
帰りも市電を利用しホテルへ、2日目の予定を終了したが
この日は、函館坂道散歩、大沼の島巡りなどで歩数計は22,600歩でした
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次回は、函館ゆとり旅(7)<雨の日も散歩>を紹介します
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函館ゆとり旅(5)<函館の坂道と古寺> [北海道の旅]
函館ゆとり旅(5)
<函館の坂道と古寺>
函館には元町の「基坂」「八幡坂」を中心に、函館山と市街地との間を結ぶ
名の知られた坂が18ヵ所も有る、すべての坂道の上り下りは困難であるため
旧函館公会堂から坂の上の道をひたすら西に歩く 「省エネ散歩」を計画
そして、もう一つ目的は 「高龍寺の山門と本堂の見事な彫刻」の観賞で有った
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長い記事になりましたが、どうぞご覧ください
<2日目:7月24日>
函館旅行・・1日目
<大三坂 (だいさんざか)>
旅行1日目に歩いた坂道を再度アップします、三つの坂は石畳が美しい
この坂は、カトリック元町教会、函館ハリストス正教会、聖ヨハネ教会に近い
<八幡坂 (はちまんざか)>
テレビCM「チャーミーグリーン」で有名になった函館の名坂
函館湾に向かって一直線に続く美しい坂、外国人観光客も多い
<基坂 (もといざか)>
元町公園・旧函館公会堂と函館湾岸を結ぶ美しい坂
かつて函館奉行所、開拓使、渡島支庁が置かれた行政の中心地であった
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函館旅行・・2日目
<基坂 (もといざか)>
この坂をスタートして、西端の魚見坂に向かって歩く
一つ上の写真と同じ場所で撮影、天気で明らかに違います
<東坂 (あずまざか)>
この坂の東側に、浄玄寺(現・東本願寺別院)が有ったのが名の由来
大火で被災した東本願寺別院は日本最古のコンクリート寺院として元町に再建
<坂の上の道>
旧函館区公会堂を過ぎると閑静な住宅街
ひたすら前方(西)に向かったが、この道の右側に坂が並んでいる
<弥生坂 (やよいざか)>
坂の名の由来は、町の発展を願い弥生坂と付けられたもの
坂の途中にある弥生小学校には、石川啄木が代用教員として勤務していた
<常磐坂 (ときわざか)>
坂の上の屋敷に松があったことから、常盤の松に因みこの名が付いた
常盤の松(ときわのまつ)は、常緑で不老長寿の象徴とされている
<姿見坂 (すがたみざか)>
かつて遊郭がこの辺りにあり、遊女たちの艶姿を眺められたので名が付いた
遊郭は明治4年(1871)の大火で焼失し他に移転した
<幸坂 (さいわいざか)>
明治8年(1875)に坂下の海岸を埋め立て幸町としたのが名の由来
函館湾を見下ろす美しい坂だが、ここまで坂を見に来る人はいないと言う
<千歳坂 (ちとせざか)>
明治11年・12年(1898・1879)の大火の後にできた坂
坂の東側に有った、神明社(現・山上大神宮)の松に因み千歳の名が付いた
<東本願寺 船見支院>
日本最古のコンクリート寺院である東本願寺函館別院の支院
レンガ造りの門柱に鐘楼門が乗っているように見えるが、門柱は前にある
<浄土宗 称名寺>
正保元年(1644)に創建された高龍寺に次ぐ古寺である
函館開港当初はイギリス、フランスの領事館ととして利用されたと言う
明治12年(1879)の大火で本堂が焼失し明治14年にこの地に移転
その後も大火を受け、現在の建物は昭和4年完成の鉄筋コンクリートである
<魚見坂 (うおみざか)>
坂下の海岸に押し寄せる魚群を見つけるのに適したことからこの名が付いた
今は函館ドッグがある、この坂は寺町通りと呼ばれ花屋さんが多い
坂めぐり案内標識
それぞれの坂に標識が立っている、黒円で囲んだのは次の写真です
ご覧のように18ヵ所の坂がある、灰色の斜線は市電のルート
船見坂は一筋下の道から坂道が始るため見ていない
<曹洞宗 高龍寺>
寛永10年(1633)松前の法源寺の末寺として亀田村(現・万代町)に創建
市内では最も古い寺院、函館開港時はロシア領事館に使用された
函館大火のあと、明治12年(1879)にこの地に移転した
山門の扁額「国華山」
山門に施された彫刻は必見、遠くまで見に来た価値はある
高龍寺本堂
明治33年(1900)に本堂、明治43年(1910)には山門が完成
彫刻は越後出身の名工たちの作で、明治末期の貴重な木造寺院である
本堂の扁額「高龍寺」
象と獅子の彫刻
若い女子が二人、熱心に彫刻を撮影していた
鎮護道場
この建物にも見事な彫刻が施されていた
魚見坂を下り、市電「函館ドッグ停留所」へ
坂の途中にあった床屋さん、 交通安全・火の用心・防犯の旗が珍しい
函館の坂道散歩と古寺の彫刻観賞、遠くから来る人は少ないと言う
東本願寺と称名寺の間に実行寺(日蓮宗)があったが写真を撮り忘れる
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次回は、函館ゆとり旅(6)<大沼・湖岸散策>を紹介します
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函館ゆとり旅(4)<函館駅へ・再び元町へ> [北海道の旅]
函館ゆとり旅(4)
<函館駅へ・再び元町へ>
函館旅行2日目は、駒ヶ岳山麓の大沼散策と函館山手の坂道散歩を予定
前日の好天気から一転し曇り空であるが雨の心配はないとの予報
函館駅から特急「北斗5号」で大沼公園に行く予定が、想定外の運休で誤算
次の特急まで1時間40分待ちのため順序を変え坂道散歩を優先した
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<2日目:7月24日>
ホテル~函館駅
<二十間坂>
ホテルから函館駅までは徒歩約20分、タクシーを利用するには近い距離
それでは函館の市電に乗ってみようと、十字街停留所へ向かったが
その途中、日本最古のコンクリート電柱に興味を持ち少し回り道をした
<日本最古のコンクリート電柱>
大正12年(1923)に建立した現存するコンクリート電柱では最古のもの
近くに有るもう1本と共に現在も活躍している、大火が多いことから作られた
<函館市地域交流まちづくりセンター>
大正12年(1923)創建の丸井今井百貨店の建物を外観を残し再生
東北以北で最古の手動式エレベータが現存していると言う
<北海道坂本竜馬記念館>
北海道開拓の夢を持ち行動していた竜馬、直筆の手紙などを展示している
記念館は十字街停留所前にある、坂本竜馬の写真に女性の姿が被さっている
<市電・十字街停留所>
十字街から函館駅前の停留所駅までは5分弱、市電の本数も多い
昔懐かしいチンチンが運行しているが、この日は整備点検日で休みでした
<市電の車内>
今回の旅行では何度も市電に乗車したが、乗客のマナーは素晴らしい
東京では若者が優先席を占有しているが、高齢者に席を譲り座る人はいない
函館駅前で下車、乗車したのは赤色の市電、湯も川へ向かう
<函館駅前>
前回、函館駅に下りたときは古い駅舎で有ったがリニューアル
駅前は広く花壇の花が美しい、星型の花壇は函館市旗をかたどっている
9時30分発、特急「北斗5号」に乗車する予定が運休
やむを得ず坂道散歩を優先したが結果的には幸いした(大沼の記事で紹介)
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元町公園&旧公会堂
正面は旧函館区公会堂、背後の函館山は山麓まで雲が下がっている
前日も元町公園を歩いたが、函館山に向かう途中のため素通り
再び立ち寄り、元町公園から旧函館区公会堂の見学へ
<函館奉行所跡の碑>
この場所から五稜郭に奉行所を移転させた
<
<旧北海道庁函館支庁庁舎>
明治42年(1909)建造のルネッサンス風の洋館、元町公園に移転復元
現在は、函館市写真記念館として使用されている
<教会に向かう石畳の道>
右の店でソフトクリームを食べしばし休息
前日も教会から元町公園までこの道を歩いたが、再度訪れたのは・・・↓ ↓
妻が興味を持った・・・昆布無人販売所です!!
前日はタクシーを待たせていたので、再び立ち寄り昆布を買っていた
<旧函館区公会堂>
明治43年に、当時の洋風建築の粋を集めて造られた木造建造物
淡いブルーとイエローの明るい色調が美しい、国指定重要文化財
公会堂2階の大広間、床に窓とカーテンが写り込み美しい
館内にはハイカラ衣装館があり、ゴージャスなドレスを着て記念撮影ができる
明治44年に皇太子時代の大正天皇が、そして大正11年には摂政宮であった
昭和天皇が行啓されたときの御座所、隣には寝室が有った
大広間からバルコニー
バルコニーから函館港を展望
前方の山並みは雲に覆われているが、見た目は写真よりも美しい
<基 坂>
坂道散歩(次回の記事)はこの坂からスタートです
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次回は、函館ゆるり旅(5)<函館・坂道散歩>を紹介します
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函館ゆとり旅(3)<金森赤レンガ倉庫・朝と夜> [北海道の旅]
函館ゆとり旅(3)
<金森赤レンガ倉庫・朝と夜>
金森赤レンガ倉庫は、洋物店、廻船業など数々の事業を起こし成功した
実業家の渡邊熊四郎が建てた倉庫、明治40年の大火で大被害を受けたが
明治42年に不燃質倉庫として現在の赤レンガ倉庫を建て復興させた
ホテル「ラビスタ函館ベイ」から近く、朝夕の散策で撮った写真をアップします
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<2日目:7月24日>
朝の赤レンガ倉庫
<2日目の朝の函館山>
前日の景観から一転し雲が山頂一体を覆っている
天気予報通りだが、このような日は良い方に外れて欲しいものだ
<ベイエリア散歩>
ラビスタ函館ベイを出て朝の散歩に向かう
ホテルを一歩出るとウオーターフロント、金森赤レンガ倉庫は直ぐ近くにある
ホテル前の道路を渡ると「はこだて明治館(旧函館郵便局)」
館内はショッピングモールになっている
はこだて明治館の浦を通り抜けて金森赤レンガ倉庫へ
<金森倉庫の運河>
金森赤レンガ倉庫を建てた渡邊熊四郎が最初に創業した店は「金森洋物店」
当時の店舗は「郷土資料館」として一般公開、その記事は別途アップします
この写真は「はこだて明治館」側から撮影、ベイクルーズ船が係留されている
<金森倉庫の広い通り>
金森倉庫のレンガの積み方は、レンガの小口を一段、長手を一段と
交互に並べて積み重ねるイギリス式を用い建造されている
<少女の銅像>
(左):夏の記憶 (右):おしゃま 函館には少女の像が多い
<金森倉庫の運河>
七財橋の上から撮影、この場所から夜景を撮影している
<金森倉庫の全景>
ここは函館ベイエリアの観光スポット、金森洋物店(ショッピングモール)や
函館ヒストリー、ビアホール・レストラン、金森ホール、美術館などがある
朝8時半の金森赤レンガ倉庫は開店前で、乗用車が通り抜けるのみである
<いか釣り船団>
七財橋の湾側に「いか釣り船団」の波止場が有った
この日の操業を終えたのか漁船を係留、函館水産物卸売市場はここから近い
いか釣り船の電球、その下に赤レンガ倉庫を入れ撮影
我ながら面白いアングルだと思っている
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夜の赤レンガ倉庫
<金森赤レンガ倉庫のゲート>
駐車場のゲートですが、ライトアップが美しい
<金森倉庫の運河>
明るいときに撮った写真とは違い、より異国情緒を感じる
5枚上の写真と同じ七財橋から撮影、見比べてください
<夜の赤レンガ倉庫>
時間は8時半過ぎ、ショッピングモールなどは店じまいを始めていたが
ビヤホール・レストランは営業をしていた
<西波止場の観光船>
金森倉庫の向かい側にある波止場 (これは2日目の夜の撮影です)
ホテルに戻りベイエリアの夜景を撮影
右上は部屋の照明です (この写真も2日目の撮影です)
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次回は、函館ゆとり旅(4)<函館駅へ・再び元町エリアへ>を紹介します
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函館ゆとり旅(2)<函館山&元町エリア> [北海道の旅]
函館ゆとり旅(2)
<函館山&元町エリア>
青森県の下北半島から函館までは津軽海峡を挟み直線距離で約40km
梅雨が明けない東北地域の影響を少し受けると思っていたが今年は特に悪い
週間天気予報(4日間)は 「曇り・曇り時々晴れ」であったが2日前に急変し
1日目(晴)・2日目(曇)・3日目(雨)・4日目(曇)、行ける時が吉日と出発
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<初日:7月23日>
元町エリアの中心
<基坂(もといさか)>
江戸時代は函館奉行所、明治以降は開拓使、その後は渡島支庁が置かれ
行政の中心で有った地域、住民からは「お役所坂」「御殿坂」と呼ばれていたが
明治時代に里数を測る基点の「道路元標」が置かれ、基坂の名が付いた
<元町公園&旧函館区公会堂>
坂の上には函館観光のスポットが集まっている、教会は左側に有る
正面は函館山、この日は晴れ間の多い好天気でした
<元町公園から基坂>
この坂の左に「ペリー提督来航記念碑」、右に旧イギリス領事館が有る
<旧イギリス領事館>
大正2年(1913)の建造で、昭和9年(1934)まで領事館として使用した
現在は開港記念館となり一般公開、ティールームも有る
領事館の建物の周囲は美しい庭園、薔薇は時期が過ぎていた
(この写真は、2日目の朝の撮影です)
<ペリー提督来航記念碑>
安政元年(1854)、5隻の艦船(黒船)を率いて函館に来航した
(この写真もイギリス領事館の庭園と同様に2日目の朝の撮影です)
<旧函館区公会堂>
明治40年の大火で焼失した町会所を、明治43年に地元有志の寄贈で建設
夕刻のため、内部見学は翌日とし函館山の展望台を優先した
<元町公園・・17時01分>
函館市街を見下ろす高台にある公園、見晴らしが良い
ズームアップし駒ヶ岳を撮影
函館ドッグも真近に見えるが、翌日の天気予報は下り坂である
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函 館 山
<ドライブコースにて・・17時16分>
ドライブコースへの一般車の乗り入れは禁止、タクシーを途中下車し撮影
中央左のビル(茶色)はホテル、函館山が雲に覆われ夜景が見えない翌日の夜
この場所は雲から外れ、夜景観賞で停車したバスの明りがホテルから見えた
<函館山・・17時28分>
駐車場に近い展望台、夜景を見るポイントは右上にある
山の稜線の上に駒ヶ岳が見える、翌日は大沼公園に行く予定である
<展望台にて・・17時48分>
明るい時間帯と夜景、函館山から二つの景色を見る予定で展望台へ
西日が射しはじめ市街地に濃淡が見えラッキーであったが、夜景は?・・・
<三つの教会>
展望台の真下には教会が三つ、後でライトアップを見に行く事にする
<立待岬&下北半島>
展望台の右端から見下ろすと立待岬
津軽海峡の奥に霞んで見える陸地は下北半島(大間)です
<展望台下のレストラン・・18時15分>
夜景が見える時間まで、ビールを飲みピザを食べ時間待ちをしたが
津軽海峡(右)からの風は、山頂付近で雲をつくりまた消えることを繰り返す
<函館の夜景・・19時34分>
レストランから展望台に上ると大勢の人たち
皆さんの頭越しに撮影したが、手振れのため撮った写真はすべてボツ!!
函館3泊で夜景が見えたのはこの日のみ、皆さんはラッキーでした
私たちは3度目であるが、すべて夜景を見ることができた
六甲、長崎と共に日本三大夜景とドライバーに言うと、世界一と自慢していた
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ライトアップ
<函館聖ヨハネ教会>
早々に展望台からロープウエイで下山し、教会のライトアップを観賞
2時間半前に歩いたチャチャ登りからヨハネ教会を撮影した
<函館ハリストス正教会>
ライトアップを見に来る人は意外に少なく、函館山の混雑とは好対照
静かな環境のなか元町エリアからベイエリアをゆっくり散策しホテルに戻った
<カトリック元町教会>
ハリストス正教会の庭園から撮影、ロケットの打上げ台のように見える
<再び・八幡坂>
坂の途中で洒落た看板を見つけた
坂の街・函館を代表する美しい坂
函館湾に浮かぶ白い灯りは、保存されている青函連絡船「摩周丸」です
ベイエリアの夜景は次回にアップします
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次回は、函館ゆとり旅(3)<金森レンガ倉庫・朝と夜>を紹介します
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