隅田川橋めぐり<深川浜町辺りの橋> [東京下町散歩]
隅田川橋めぐり(2)
<深川浜町辺りの橋>
戦前は隅田川で白魚が獲れ、その場で食べる事ができたと先輩に聞かされたが
私が知る限りでは、高度成長期の河川汚染期に比べ水質はかなり良くなった
またウオーターフロント開発が進み都市景観は大きく変貌したが、その中でも
移り変わる景色が楽しめる隅田川テラスは、絶好の水辺の散歩コースである
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両国橋西詰
明暦の大火の教訓で、延焼防止のため橋の西側一帯は火除け地(空き地)とし
上野広小路、浅草広小路(雷門辺り)と共に、江戸三大広小路として発展したが
両国広小路は、歌舞伎小屋、見世物小屋、茶店、屋台が集まり特に賑わったという
今では中央区側には両国の名はなく、この旧跡碑と郵便局名が両国の名を残すのみ
東京江戸博物館では、隅田川や両国広小路の賑わいを再現させている
浜町河岸通り
両国橋までは、隅田川の東側のテラスを歩いてきたが
次は西側テラスを歩き新大橋へ、真冬とは言え浜町河岸の柳は青葉が美しい
浜町河岸と言えば、この歌「明治一代女」を思い出す
浮いた浮いたと浜町河岸に 浮かれ柳のはずかしや・・たまには日本調もいいですね!
神楽坂浮子さんが歌う、明治一代女・・どうぞお聞きください
⇨⇨⇨ https://www.youtube.com/watch?v=F9dLt-vBQ5w
<首都高速両国JCT>
首都高速6号線は、隅田川の西側から橋を渡り7号線(小松川線)に分岐
高速道路の立体的な曲線が良い、前方は両国橋です
下流側から撮影
新 大 橋
昭和51年に、旧橋の老朽化に伴い架け替えられた新しい橋
橋の中央に、二つの大きな主塔を配した2スパンの斜張橋である
旧橋はデザインの優れた貴重な橋として、岐阜県の明治村に移築されている
新大橋を渡り深川森下地区へ
<煉 瓦 亭>
新大橋を渡ると正午、近くに煉瓦亭があるのを思い出しランチタイムにした
6年ほど前、妻と深川を歩き煉瓦亭を訪ねた時は生憎の休日でした
注文したのは、海老と白身魚のフライ、カニクリームコロッケ
食後のコーヒーと共に美味しく頂いた
松尾芭蕉と深川
<芭蕉記念館>
深川には松尾芭蕉が足跡を残した場所が多い、その中の一部を辿ってみた
記念館の門前には芭蕉の大きな葉、通り抜ける裏側に隅田川のテラスがある
<大川端芭蕉句碑>
「名月や 池をめぐりて 夜もすがら」、このような句碑が幾つもあった
<芭蕉庵史跡展望庭園>
小名木川が隅田川と合流する河口に、芭蕉翁の像と庭園が有る
清洲橋など隅田川の眺めが美しい場所です
芭蕉翁像と清洲橋
<芭蕉稲荷神社>
松尾芭蕉が奥の細道へ旅立つまで、門人の杉山杉風の家を借り住んでいた場所
江東区はこの地を芭蕉翁古池の跡と認定し「古池や蛙飛び込む水の音」の碑がある
<釣り人たち>
何が釣れるのかと聞くとハゼ、12月より釣果は悪いという
深川萬年橋
小名木川に架かる一番目の橋、葛飾北斎が描いた「深川萬年橋」は太鼓橋
その当時の萬年橋をイメージしたのか、円形の優美な橋になっている
萬年橋の北詰から撮影
葛飾北斎「富嶽三十六景 深川萬年橋下」
江戸時代は、ここからも富士山が眺められたようだ(江東区所蔵)
<芭蕉史跡展望台>
小名木川の対岸から撮影、萬年橋は右に約100mの位置に有る
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次回は、隅田川橋巡り(3)<清洲橋・永代橋>を紹介します
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隅田川橋巡り<両国橋辺り> [東京下町散歩]
隅田川 橋めぐり(1)
<両国橋辺り>
毎月定例の麹町の診療所通い、その途中に皇居の内堀や、四谷・赤坂周辺の
坂道散歩を続けているが、何度も歩いた場所ばかりでコースを決めるのに迷う
この日は麻布・広尾の坂道散歩を検討したが、暖かい時期までお預けにして
今回は、隅田川の橋めぐりを選択、両国橋から永代橋まで歩く事にした
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両 国 駅
<両国駅ホーム>
両国駅は総武本線の旧ターミナル駅、当時のホームが残っている
ホームの先に見える建造物は、東京江戸博物館です
<両国国技館>
何年、何場所、日本人の優勝者が出ていないのか、国技館の名が虚しい
館内の優勝力士額はすべて外国人、今は大相撲に関心がない
隅田川テラス
<JR総武線鉄橋>
両国橋、新大橋、清洲橋、そして永代橋へ、隅田川のテラスを歩く
<蔵 前 橋>
白色の構造物は水道管、その奥に見える黄色の橋が蔵前橋です
幕府の米蔵があった事に由来し、稲の籾殻に合わせ橋全体を黄色にしている
隅田川テラス案内図
大相撲勝負手のレリーフが並ぶ
<赤穂浪士の絵>
泉岳寺に引きあげる赤穂浪士は、両国橋で阻止(左の絵)され永代橋へ向かった
討ち入りの絵も撮ったが割愛しました、旧吉良邸跡は両国橋から近い
<葛飾北斎の絵>
〖富嶽三十六景 御厨河岸より両国橋夕陽見〗(江戸東京博物館所蔵)
3畳ほどの大きさの絵をテラスの堤防に幾つも掲示、その一部を撮影した
〖絵本隅田川より 首尾松の釣舟・椎木の夕蝉〗(墨田区所蔵)
〖絵本隅田川より 新柳橋の白雨・御竹蔵の虹〗(墨田区所蔵)
対岸の柳橋の様子を手前に大きく表現したようだが、その発想が珍しい
両 国 橋
江戸初期、隅田川に架かる橋は江戸の守りのため千住大橋のみであった
市街地の大半を焼失した明暦の大火(1657)で、逃げ場を失った多くの人々が
この辺りで焼死、事態を重く見た幕府は万治2年(1659)に両国橋を架橋した
<橋名の由来>
当時の隅田川は武蔵国と下総国の境界、二つの国を結ぶ橋で両国橋と呼ばれた
江戸の町は橋と共に本所、深川を開き東に拡大する、右前方は柳橋です(後述)
<両国橋東詰の親柱>
この親柱は、江戸期の「両国の花火」をモチーフにしたものであろうか?
両国橋は水害や火災に遭い度々修復、明治37年(1904)に鉄橋に架け替えたが
関東大震災後の昭和7年(1932)に、この橋を大改修し現在に至っている
<JR総武線の鉄橋>
両国橋の上から撮影、東京スカイツリーは近い
柳 橋
<神 田 川>
柳橋は神田川に架かる最後の橋、50mほど先で隅田川に合流する
元禄11年(1698)に初架橋、明治20年に鉄橋に変えたが関東大震災で焼失
この橋は震災復興事業として昭和4年に再建、永代橋のデザインを取り入れた
<柳橋と花柳界>
柳橋の一帯は、江戸、明治、そして昭和初期にかけて花街として栄えた町
80数軒の料亭が軒を連ねたが、平成11年に最後の料亭が廃業した
<簪(かんざし)>
柳橋の芸者は、遊女と違い「芸」で立つことを誇りとしプライドが高かったと言う
<柳橋南詰のパネル>
正岡子規は、次のような句を詠んでいる
<小 松 屋>
柳橋の北詰にある昔の風情が残る江戸前の佃煮店、船宿もある
花柳界が盛んなころは、柳橋の料亭がお土産に使っていたと言う
お土産に「生あみの佃煮」「かつお小町」を購入したが、中々美味しい
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次回は、隅田川橋巡り(2)<深川浜町辺りの橋>を紹介します
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東京下町散歩(73)<しばられ地蔵> [東京下町散歩]
東京下町散歩(73)
<しばられ地蔵>
友人たちとの下町散歩、この日1回の散歩で記事の数を5回も引っ張ったが
葛飾には「柴又帝釈天と門前町」、そして「しばられ地蔵」など見どころも多い
江戸川を歩き葛西神社などに立ち寄を繰り返しながら、目指したゴールは水元公園
その後に散歩コースを追加し金町駅まで歩き通したので、距離は約9km以上でした
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<撮影日:10月23日>
<南蔵院しばられ地蔵>
正式寺名:業平山南蔵院東泉寺 宗派:天台宗(比叡山延暦寺の末寺)
前回(2011年6月)は、閉門真近かで左の通用門から境内に入れて貰ったが
今回は余裕をもって3時半に到着、先ずは「しばられ地蔵尊」へ
「江戸名所 縛られ地蔵尊」の石柱
正面は:地蔵堂としばられ地蔵、 左:聖徳太子堂、本堂 右:鐘楼
南蔵院は関東大震災のあと当地に移ったが、本所中の郷にあった時の話です・・⇓⇓
しばられ地蔵の由来
<大岡政談の一説です・・どうぞ読んでください>
享保年間8代将軍徳川吉宗の治世、 ある夏の昼下がり日本橋のさる呉服問屋の手代が荷車に反物を満載して南倉院の門前と通りかかった。ここらで一服と門前に車を止め境内の銀杏の木陰に涼をとる中についうとうととひと眠りしてしまった。目が覚めてみるとさあ大変、門前に置いた車がない、青くなって番所へ・・・ そこで当時名奉行と聞こえの高い大岡越前守忠相の直々の取り調べとなった。
『寺の門前に立ちながら泥棒の所業を黙って見ているとは地蔵も同罪なり直ちに縄打って召捕って参れ』 地蔵はぐるぐるに縛られ車に乗せられ、与力、同心に守られて江戸市中を引き回しのうえ南町奉行所へ・・ 物見高い江戸市中のやじ馬連中、どんなお裁きが始まるかと奉行所へなだれ込んだ。 頃を見計った越前守は門を閉めさせて「天下のお白洲に乱入するとは不届き至極。その罪として反物一反の過料を申付ける」と 鶴の一声、奉行所にはその日の中に反物の山ができた。
手代に調べさせるとその中から盗品が出て、調べると当時江戸市中を荒らした大盗賊団が一網打尽となった。 越前守は地蔵堂の霊験に感謝し立派なお堂を建立し盛大な縄解き供養を行った。 以来 「しばられ地蔵」と呼ばれ、盗難除け、厄除け、縁結びまで、あらゆる願い事を聞いて下さる地蔵尊として
お願いするときは縛り、願いが叶えば縄解きする風習が生まれた。
願かけ縄(二つ上の写真の矢印)、年末にすべて解くようです
私たちも・・願いごと
友人たちと共に「健康、家内安全など」を願い、縄を求め肩の周りに縛った
境内のお休み処
しばられ地蔵の袋に入ったドラアイス、食べながら小休止をする
<水元公園>
東京唯一の水郷「水元公園」、花菖蒲を見に来ているが秋は初めてです
この時期は日暮れが早い、西日を受けた湖畔の景色が美しい
水元公園内溜
水元公園から内溜(大きな池)を通り金町駅へ、今回の散歩も終着地に近い
内溜まりの水を循環させ2段の滝を造っている
内溜まりは、釣り人の天国のようです(ヘラブナ、鯉など)
池に張り出した道は釣り人専用、トイレと洗い場も設けられしかも無料です
循環シャトルバスの停留所、運転は休日のみでした
金町駅まで約1.5kmを歩け、歩け!・・路線スが3台追い抜いて行った
<上野で会食>
上野公園(右)に近いビルの6階、ロング散歩の締めはいつものように会食です
先ずはビールで乾杯、撮った写真は1枚のみ
会食場所は前回と同じ、この店でした
見どころが多い今回の下町散歩、2人とも大満足でした
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友人との東京散歩も10回以上、いつも案内役でしたが、次回は2人の地元へ
春は大宮「鉄道博物館、盆栽村、氷川神社」、秋は「三浦半島か鎌倉」に決定した
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東京下町散歩(72)<江戸川を歩く> [東京下町散歩]
東京下町散歩(72)
<柴又から江戸川>
毎日1万歩、ゴルフ、家庭菜園などで鍛えている友人二人は共に健脚です
葛飾柴又の参道商店街、帝釈天などで過ごした時間は長いが歩いた距離は短い
山本亭の日本庭園の見学を済ませ、次の行き先は「しばられ地蔵と水元公園」へ
江戸川の堤防を歩き、途中の寺社に立ち寄りを続けながらのロング散歩です
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<撮影日:10月23日>
<山本亭>
山本亭は、合資会社山本工場(カメラ部品メーカ)の創立者山本栄之助氏の自宅
大正末期から昭和初期まで増改築を重ね、昭和63年まで居住していた
現在は葛飾区が保存し、平成3年4月から一般公開をしている
居宅の広間
書院造りと洋風建築を融合した和洋折衷の建物、洋室を撮り忘れる
前回訪れた時はテレビ番組の撮影中で、この部屋に入れなかった
主庭園
縁先の近くに池泉を、背後には植え込みと築山を設け滝を落とすという
典型的な書院庭園という、庭園の面積は約990㎡で約400本の樹木がある
米国の日本庭園専門誌が、日本庭園ランキングの5位にランクインしている
玄関には人力車、そして両側には菊
外庭の東屋は、菊花壇になっていた
外庭の池
<江戸川を歩く>
寅さん記念館、山本亭のすぐ東側は江戸川、のどかな風景が広がる
映画「男はつらいよ」のオープニングシーンとテーマ曲が聞こえてきそうです
矢切の渡し
江戸川を渡ると千葉県松戸市、友人は「矢切の渡し」で対岸に渡り
次の目的地へ行きたいと言っていたが、この茂みと潮が引いた川床を見て断念した
伊藤左千夫の小説「野菊の墓」は対岸の松戸が舞台、少年のころに映画を見た
政夫と民子が最後に別れた所は「矢切の渡し」です
江戸川の堤防を歩く
江戸川の建物は金町浄水場の取水搭、下流方向の眺めです
上流方向、国道6号線の新葛西橋、その先にJR常磐線の鉄橋が有る
<金町の寺社>
葛西神社
新葛西橋、JR常磐線の下を通り抜けると江戸川のすぐ近くにある
葛西三郎清重が1185年に創建した神社
祭神は、経津主尊、香取大神、日本武尊、東照大権現の4体です
金 蓮 院
正式名:法護山金剛宝寺 宗派:真言宗豊山派 本尊:大日如来
本堂の周囲には、大師堂、十一面観音堂、鐘楼が立ち並ぶ
本堂の前に、樹齢450年の槇の大木が有ったが撮影できず
この後も歩き続け、しばられ地蔵尊へ
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次回は、東京下町散歩<しばられ地蔵・水元公園>を紹介します
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東京下町散歩(71)<寅さん記念館> [東京下町散歩]
東京下町散歩(71)
<寅さん記念館>
帝釈天の土塀の道を江戸川に向かって歩くと、山本亭と寅さん記念館がある
互いに隣接しているので、葛飾柴又へ行くとセットで巡ることができる
今回は友人たちとの下町散歩、寅さんを取り巻く人々との下町人情にあふれた
映画「男はつらいよ」の世界、そのシーンを思い浮かべながら館内を回った
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<撮影日:10月23日>
<映画 男はつらいよ>
寅さん記念館のパンフレットから抜粋
山田洋二監督とスタッフは、ドラマの設定にピッタリの場所をもとめ東京近郷の
あらゆる候補地をロケハンしたが、イメージとおりの場所が中々見つからず
半ば諦めかけていたある日、やっと辿り着いたのが葛飾柴又でした
寅さん記念館入口
上の矢印は寅さんが館名の看板文字を取付中、下は雪駄の片方です
「館の字」が逆さま・・
係りの女性にその理由を聞くと 、寅さんは字が読めないからと言っていた
「男はつらいよ」の世界
館内に入ると、山田監督、撮影、照明、録音などスタッフの撮影風景
松竹映画のポスター(撮影風景の上)
私は母親の背負われ愛染かつらを見たそうだが、勿論幼児で覚えていない
柴又帝釈天参道
「草だんご」の旗のぼりから店内へ、入館者は高齢者が多い
撮影スタジオ「くるまや」
実際の撮影に使用した「くるまや」のセットを大船撮影所から移設した
寅さんの昼寝
奥の座敷は、おいちゃん、おばちゃん、さくらなどが、集まる茶の間
後で気が付いたが、さくらなど家族の写真を撮っていなかった
茶の間のテレビ
寅さんが語るシーンになると、周囲の人たちから笑い声が聞こえる
撮影スタジオ「朝日印刷」
寅さんと博、タコ社長や労働者諸君との場面が思い起こされる
印刷所の内部
本物の活版印刷機が展示され、簡単な印刷体験ができるという
寅さんの後ろ姿
見つめているのは、マドンナとの名場面です
浅丘ルリ子さん
売れな歌手のリリーさんとツーショット、いい写真でした
寅さんのマドンナたち
光本幸子(初代)、新珠三千代、栗原小巻、長山藍子、大原麗子、桃井かおりなど
私が好きなマドンナさん
十朱幸代、八千草薫・・この二人のフアンです
寅さんのポスターと口上
帝釈天参道コーナー
昭和30年代の参道の街並みを再現したミニセットです
寅さんではありません
友人たちと、記念写真を撮りあった時の1枚で(胸のポケットは入館券です)
寅さん記念館の出口
寅さんに見送られて・・次へ
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次回は、東京下町散歩<江戸川を歩く>を紹介します
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東京下町散歩(70)<柴又帝釈天> [東京下町散歩]
東京下町散歩(70)
<柴又帝釈天>
散歩相手の友人たち二人は、葛飾柴又と帝釈天に訪れたのは今回が初めて
3度目の私はガイド役です、帝釈天で見逃せないのは内殿外側の壁彫刻と庭園です
散歩を計画した時点から、下町風情が残る葛飾柴又を楽しみにしていた友人は
思いがけず帝釈天の彫刻を見て驚くとともに感動、案内をした甲斐があった
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<撮影日:10月23日>
<帝釈堂から大客殿>
拝殿と奥の内殿の二つからなり、入母屋造瓦葺でともに唐破風屋根が有る
ご神木であろうか、拝殿前の枝ぶりの良い松が見事である
帝釈堂の本尊は、日蓮上人が自ら帝釈天王を板に彫ったと伝えられる板本尊です
大客殿の庭園・彫刻の観賞
帝釈堂の回廊を通り、庭園「邃渓園」と彫刻「内殿の外壁」の鑑賞に向かう
訪れる人は帝釈天に参拝した人の1割もない・・実に勿体ない(料金400円)
大客殿の屏風絵
横山大観筆の「群猿遊戯図」
邃渓園(すいけいえん)
大客殿の前に広がる池泉回遊式庭園、廊下を巡りながら見れる
向島の庭師永井楽山が、昭和40年に設計したという
屋根付きの廊下、庭に下りることはできない
ハゼノキの紅葉が美しい
<彫刻ギャラリー>
帝釈天で見逃せないのは、帝釈堂内殿の外側3面を覆う数々の彫刻
法華経説話を浮き彫りにした見事な彫刻を、真近かで鑑賞することができる
見学者用の通路を巡回
熱心に見入る友人たち、連れてきてもらって良かったと感動をしていた
撮った写真の羅列ですが、ご覧下さい
常不軽菩薩受難の図/法華経功徳の図
三車火宅の図
多宝塔出現の図
法師修行の図
法師守護の図
台座の彫刻(下層階)
内殿を覆うガラス壁
見学通路は上下2層に設けられている、彫刻の保存にもよい
帝釈堂(左)と本堂(祖師堂)
柴又帝釈天の通称で呼ばれていることから、帝釈天が本尊と思われがちだが
寺院としての本尊は、祖師堂(右)に安置された大曼荼羅です
本堂と釈迦堂
南大門を出て、次は寅さん記念館、そして山本亭へ向かう
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次回は、東京下町散歩<寅さん記念館>を紹介します
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東京下町散歩(69)<葛飾柴又を歩く> [東京下町散歩]
東京下町散歩(69)
<葛飾柴又を歩く>
現役時代に親しくなった顧客の上級技術職の二人と、東京の見どころを巡りを
続けているが、今年は5月に田端~谷中~上野を歩いてから2度目の散歩です
今回は柴又帝釈天から江戸川を歩き水元公園まで、約8kmのウオーキングを計画
先ずは下町風情を色濃く残す葛飾柴又へ、この日は秋晴れの好天気でした
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<撮影日:10月23日>
<帝釈天参道商店街>
京成柴又駅
電車から降りた人たちが、寅さんの像の前で次々に記念撮影をし途切れない
交代する瞬間を捉えて撮影、このアングルは2Kさんの記事を参考にさせて頂いた
帝釈天参道の入口
京成柴又駅の駅前から続く参道、帝釈天までは僅か200mほどです
右側の囲いの中に、山田洋二監督が書いた寅さんの口上碑がある
寅さんの口上(参道入口)
私(わたくし)、生まれも育ちの葛飾柴又です、帝釈天で産湯をつかい
姓は車、名は寅次郎、人呼んでフーテンの寅と発します
帝釈天門前の商店街は、昔ながらの風情を今も残している
年6回の庚申の日には、特に賑わいが増すと言う
高木屋老舗
映画「とらや」のモデルになった菓子店舗
向かい合わせ店があり、左の店内では食事ができる、以前もそうであったかは?
名物は草だんご
友人たちと共に、早速土産に1箱購入したが旨いだんごでした
矢切の渡しもなか
この店は、寅さんのほかに「矢切の渡し」も宣伝文句に使っている
商店街を振り返る(柴又駅の方向)
川魚料理「三千家」
歩き始めて僅かでしたが時間は正午前、予め予定したこの店で昼食です
うなぎは高額食材だが、来客が次々に訪れ満席状態でした
注文したのは「うな重」
うな重の種類は「松 竹 梅」、梅を注文したが、それでも2,800円でした
参道商店街
食事を終え、通りに出ると帝釈天は目前です
<柴又帝釈天>
帝釈天ニ天門
正式寺名:経栄山題経寺 宗派:日蓮宗
入母屋造り瓦葺の2階建ての楼門、四天王のうち増長天と広目天を安置している
ニ天門から参道を振り返る
帝釈堂
ニ天門を通り帝釈堂へ、先ずは参拝です
四天王の残り二体(多聞天・持国天)は、帝釈堂の板本尊の左右に安置している
境内からニ天門、大鐘楼
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次回は、東京下町散歩<柴又帝釈天>を紹介します
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東京下町散歩(68)<雨の谷中を歩く> [東京下町散歩]
東京下町散歩(68)
<雨の谷中を歩く>
全生庵の幽霊画を見た後は、日暮里駅の一つ先の西日暮里駅まで歩く事にした
幸い雨は小康状態で時々小雨が降る程度、自宅を午後に出たので早や夕時
初音通り(諏方道)を中心に谷中の町をぶらり散歩、朝から天気が悪く
人出は少ないが谷中は寺町、秋の彼岸には墓参りの人たちで混雑するであろう
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<散歩日:8月28日>
谷中を歩く
<谷中霊園 中央通り>
谷中霊園には、都立谷中霊園と寛永寺霊園、天王寺霊園の3ヶ所が有る
霊園内(前記事)に迷い込み、この通りに出てようやく方向感覚が戻った
前方は天王寺から日暮里駅、右には五重塔跡と谷中交番が有る
花屋「花重」
谷中霊園の入口に有る老舗の花屋、国指定有形文化財です
<観音寺築地塀>
谷中を歩くと必ず見に行くのは観音寺の築地塀、長さは約33m
瓦と土を重ね合わせて造った、谷中を代表する風情のある建造物です
景観形成に貢献したとして、台東区が「まちかど賞」に指定している
築地塀の隣に夾竹桃が咲いていた
<谷中の建物>
建物と柳のコラボが気に入り撮影、茶道具の店「東寿堂」でした
杉玉がかかりガラス戸に酒の文字、今は商売替えのようです
香隣舎、まちかど賞のパネルが有った
錻力店(ブリキ)、今は珍しいがガラス戸の文字は新しい
フクロウ暖簾の店、コーヒータイムで休息した喫茶店です
<谷中ぎんざ>
谷根千(谷中・根津・千駄木)、観光スポットの商店街
夕焼けだんだんから撮影、天気が優れず猫の姿はない
:真言宗
<養福寺>
寺号:補陀落山観音寺養福寺 宗派:真言宗豊山派
朱塗りの仁王門前にサルスベリ、二つの紅色に誘われ境内に入る
サルスベリと仁王門
<谷中富士見坂>
東京に約20ヵ所ある富士見坂の一つ、夕日の美しい坂で知られていたが
今はマンションの建設で富士山を見ることはできなくなった
<諏訪神社>
元久2年(1202)、豊島左衛門尉経泰雅が信州諏訪神社から勧請して創建
江戸時代には日暮里(新堀村)谷中町の総鎮守府として崇敬集めた
祭神は建御名方命(大国主命の子)
「諏訪」とせず「諏方」にしたのは古来の表記、信州諏訪神社も元は諏方であった
<西日暮里駅>
諏方神社の東側は西日暮里駅、江戸時代は隅田川を一望できる景勝地
時代小説に登場する「根岸の里」はこの一帯です、西日暮里駅から帰路につく
この記事を作成段階で誤って公開していました、ご訪問頂いた皆様
niceを頂いた、sarusanさん、ma2ma2さん、ご迷惑をお掛けしました
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次回は、横田基地日米友好祭<賑わうフェスティバル>を紹介します
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東京下町散歩(67)<谷中の幽霊画> [東京下町散歩]
東京下町散歩(67)
<谷中の幽霊画>
散歩仲間の友人から、全生庵の幽霊画を見てきたとメールを受け、早速谷中へ
子供の頃は、お盆になると怪談話を聞かされ、墓地で肝試しが有ったのを思い出す
幽霊展の開催は8月31日まで、小雨が降るなか鶯谷駅から近道をしたはずだが
人の姿もない谷中墓地に迷い込み四苦八苦、幽霊画に導かれたような体験でした
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<散歩日:8月28日>
鶯谷~谷中
<JR鶯谷駅>
谷中を歩くときは上野駅から日暮里駅へ、またはその逆コース
この日は散歩に不向きな小雨が降り、距離を短縮し鶯谷駅からスタートした
(
小雨が降る道を、国立博物館の方向へ
(左):忍岡中学校 右):寛永寺第一墓地
<東京芸術大学>
何時もなら上野公園、国立博物館、東京芸大前を通り上野桜木に向かうが
この日は違う道を歩こうと右方向へ、これが道に迷う発端になった
<東叡山寛永寺>
行き止まりの道に迷い込み、Uターンをして出てきた道はこの通り
瓦屋根の土塀は寛永寺です、レトロなバスが通過する
寛永寺 根本中堂
この場所に寛永寺の根本中堂があることを初めて知った
本堂で参拝、境内で見かけた人は誰もいない
寛永寺を描いた錦絵と縁起
幕末の上野戦争で寛永寺は堂塔の大半を消失、明治新政府の命により
江戸時代の約1/10に縮小された、かつては上野公園一帯も寛永寺の境内です
<雨の墓地をさまよう>
何時もなら、土地勘の良い私だが、幽霊画に誘われたのか・・突然方向音痴!
墓地に迷い込み出口が判らずウロウロするばかり、何かの因縁であろうか
約10分ほど歩き回り、目的とは方向が違う日暮里駅付近でようやく墓地から脱出
<谷中三崎坂>
谷中霊園の中央通りに出てようやく場所を把握、谷中三崎坂へ
この坂を下ると千駄木の団子坂下、右の白い土塀が目指す全生庵です
初音六地蔵
三崎坂の途中にある真言宗豊山派の初音山観智院、手を合わせ通過する
臨済宗全生庵
山岡鉄舟が明治維新で国事に準じた人々の菩提を弔うために建立した寺院
本尊:葵正観世音菩薩 宗派:臨済宗国泰寺派 創建:明治16年(1883)
門前には「円朝まつり」の旗幟と「幽霊画展」の縦看板が立つ
平井住職との縁で安倍首相が度々座禅を組みに訪れていた
寺名「全生庵」の由来
山岡鉄舟が、鎌倉建長寺の開山蘭渓道隆禅師直筆の全生庵という額を
明治7年に人から譲り受け書斎にかけていたのが由来という
幽霊画展
本堂左の室内に幽霊画を37点展示(8月1日~31日まで)
室内では10人ほどが熱心に見ていたが、その半数は女性(若い人も)でした
円朝 幽霊画コレクション
三遊亭円朝は、幕末から明治にかけて落語界の大看板
怪談牡丹燈篭などの原作者、山岡鉄舟の導きにより禅を修めたと言う
幽霊画3点<絵葉書を3枚並べた>(右の2枚は美人です)
左から、蚊帳の前の幽霊「鯖崎英明」 幽霊画「円山応挙」 雨中幽霊画「兵藤林静」
小雨が降る谷中墓地で道に迷ったのは「雨中の幽霊画」に誘われたのであろうか?
怪談牡丹燈篭、皿屋敷、生首を抱く幽霊、蚊帳の上からのぞく幽霊などがあった
全生庵の墓地から本堂
山岡鉄舟居士の墓
三遊亭円朝の墓も有ったがここは墓地、写真撮影を控えた
国事殉難志士慕
私の印象は、京都曼殊院の「掛け軸の幽霊」の方が不気味さを感じる
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東京下町散歩(68)<雨の谷中を歩く>を紹介します
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孫とソラマチへ(2)<東京ソラマチ&浅草> [東京下町散歩]
孫とソラマチへ
<東京ソラマチ&浅草>
東京スカイツリーが開業し2年3ヶ月、建設中は隅田川や下町の撮影ポイントへ
写真を撮り歩いていたが開業後は興味が薄らぎ、訪れる機会もなく過ぎていた
今回は孫と一緒にソラマチの水族館へ、スカイツリーの展望台に上がる予定でいたが
当日券を買うにも整理券が必要のため断念、代わりに大昆虫展へ孫を連れて行った
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すみだ水族館・続き
<恐竜とコラボ開催>
福井県立恐竜博物館とコラボレーション開催
この恐竜は、約1億4000年館内にイギリスで発掘されたスピノザウルス科
恐竜が3体展示されていたが
孫は恐竜やダイオウイカなど大きな生物が大好きです
<ペンギン水槽>
館内の中央に大きなペンギンの水槽
近くから、ペンギンが歩く姿や泳ぐ様子を観察できる水槽になっている
アシカの身体チェックをしているのか?、子供たちが取り囲んでいた
イーストタワー
<ランチタイム>
孫が好きな食べ物の店が良い、と思ってレストラン街に向かったが
どの店も12時前には長い行列ができ、店を選ぶどころではない
やむを得ず入ったのは、行列が少なく席数の多いこの店「ビール博物館」です
ドイツ、ベルギー、イギリス、アメリカなど世界のビールが150種以上
注文したのは、ソーセージとポテトの炒め物、パスタなど、中々いい味でした
飲み物は、私はドイツビール、孫はオレンジジュース、妻は冷えた水です
<大昆虫展>
館内で昆虫展が開催されていた、妻は一人ウインドショッピングへ
孫と私は親子セット料金で展示室へ、子供を対象とした夏休み限定の催しです
世界の蝶の標本などもあったが、子供たちの関心はやはりカブトムシ
放された、約200匹のカブトムシに手を触れ捕獲ができる、孫も嬉しそうです
カブトムシを捕まえる子供たち
孫の家(立川)には時々カブトムシやクワガタが飛来するので慣れている
頭の上の角を持ち捕まえる、無理に引っ張ると足が折れ死ぬそうだ
孫が捕まえたカブトムシ
持ち帰りはできず戻すのがルールです、孫も聞き分けをし放していた
係りの男性に注目
金龍山浅草寺
<宝蔵門と五重塔>
孫とジジババ三人が初めて寺院参拝、東京ソラマチからの帰りに立ち寄ったが
もう一つの目的は冷たい飲み物、この近くでかき氷をアイスキャンデーを頂いた
宝蔵門から本堂
参拝を終えて
何度行っても外国人が多い浅草寺、この日も半数近くは外国人でした
帰りは、東京メトロとJR中央線を利用し真っ直ぐ自宅へ
孫は元気そのものだが、私たちは年を重ねた高齢者、疲れが残るようになった
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次回は、夏の北海道(15)<支笏湖>を紹介します
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