奈良大和路の旅(1)<興福寺・東大寺戒壇院> [奈良大和路]
奈良大和路の旅(1)
<興福寺・東大寺戒壇院>
新聞広告 『いにしえの奈良・大和路めぐり』を見て、妻が行きたいと言い出した
奈良の世界遺産、国宝の建造物及び仏像を拝観して回る・・ツアー旅行
3月15日から3日間、多くの寺院、神社を過密なスケジュールで駆け巡る旅だが
予想以上の好天気に恵まれ無事に終了、先ずは初日の訪問先から紹介します
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興 福 寺
<法相宗大本山 興福寺>
藤原鎌足の子である不比等の創建、藤原氏の氏神である春日大社と共に栄え
平安時代は比叡山延暦寺と共に、南都北領と呼ばれ強大な勢力を誇っていたが
平重衡の南都焼討ちにより焼失、現在の東金堂・五重塔は鎌倉時代に再建
<国宝 東金堂・拝観>
中尊は、薬師如来立像(重文)、脇侍の日光・月光菩薩(重文)
文殊菩薩坐像(国宝)、四天王立像(国宝)、十二神将立像(国宝)など
<国宝館・拝観>
本尊の千手観音立像(高さ5.2メートルの巨像)を中央に安置
白鳳時代の銅造仏頭(国宝)、金剛力士像(国宝)、天燈鬼・龍燈鬼像(国宝)など
特に知られているのは、三面六臂(手が6本)の「阿修羅像(国宝)」
阿修羅像(拝観券をコピー)
<重文 南円堂>
西国三十三所の九番札所、堂内に不空羂索観音坐像(国宝)を安置
南円堂創建1200年を記念し、4月12日から6月2日まで特別公開される
<中金堂 再建工事>
平成30年の落慶に向けて再建工事中
上の写真(南円堂)でもよく分かるが、回廊の礎石が埋め込まれている
<国宝 五重塔>
明治初期の廃仏毀釈の嵐により、興福寺は衰退し廃寺同然になり
東寺五重塔に次ぎ高い(50.1m)、この五重塔は250円で売りに出されたという
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東大寺ミュージアム
<ミュージアム正面>
常設展示に加え、東大寺金堂(大仏殿)の鎮壇具(大刀など)を特別展示
三月堂(法華堂)の工事着工により、日光・月光菩薩も移設展示
<日光菩薩(右)・月光菩薩(左)>
柔和な表情で合掌する姿、衣が異なっている、出会えてよかった仏像でした
『はるか千三百年ちかくの昔から、ずっと手を合わせ、微笑と慈しみの心で祈ってくださっている』
<お松明>
東大寺修二会(お水取り)に使われる松明が門前に置かれていた
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東大寺戒壇堂
<戒壇院へ>
大仏殿から戒壇院に向かう途中で見た石仏群
西日が差し込む松林、石仏の背後で草を食む鹿の群れを撮影する
戒壇院への道、前を歩くのはツアーの人たちです
<戒 壇 院>
唐から招いた鑑真和上が、聖武天皇を始め百官公卿400人に戒を授けた場所
戒壇とは受戒が行われるところ、僧侶が受戒を仏前に誓う儀式である
<国宝・四天王像>
多宝塔を中心に、仏法の守護神である四天王像を安置 (2010.11撮影)
四天王とは「持国天・増長天・廣目天・多聞天」、何れも等身大の塑像
境内の砂利石は、鑑真和上が航海した波を表している
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次回は、奈良大和路の旅(2)<東大寺大仏殿、二月堂>を紹介します
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奈良大和路の旅(12)<平城宮跡&美貌の仏像> [奈良大和路]
奈良大和路の旅(12)
<平城宮跡&美貌の仏像>
奈良大和路の旅もこの記事が終章、夕刻には大阪駅で姉に会い会食の予定
平城京跡と薬師寺は、写真撮影のため急ぎ巡回になってしまったが
この日の大きな目的は、海龍王寺に安置されている十一面観音立像の拝観
光明皇后ゆかりのこの美しい仏像は、期待にたがわず感動を与えてくれた
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(撮影は11月26日)
平城宮跡 大極殿
大極殿の大きさは、正面約44m、側面約20m、地面からの高さは約27m
直径70cmの朱色の柱44本、屋根瓦約10万枚を使用した大きな宮殿
天皇の即位式、外国使節との接見など、国の重要な儀式に使われていた
高御座(たかみくら)の見学、そして上層の回廊にも上がりたかったが
時間は午後4時前、閉門時間も迫っていたので諦めた
内裏跡の柘植の木
平城京が有った当時の内裏の柱跡には、柘植の木が植えられている
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朱 雀 門
平城京正面の門、外国使節の送迎、歌垣や新年の行事が行われた
大極殿までの直線距離は800mもあり、その間は広大な庭になっている
(この写真は、タクシーの車窓からの撮影です)
(これは、2010年4月6日に訪れた時の撮影)
この日から18日後に、平城遷都1300年祭が行われた
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東院庭園
皇太子宮殿があった場所の東南の端に、約60m四方の池が有り
この池を中心にして東院庭園が構成されていたという
東院庭園を一周する
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薬 師 寺
2018年12月までの長い年月をかける東塔の大修復工事が始まった
工事が本格化すると、東塔は工事用の建造物(右)で覆われ見えなくなる
完成は7年先、その前に大池からの薬師寺を見に行った
左から金堂、西塔、東塔、そして工事建造物、背後は若草山と春日山(右)
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海龍王寺
<中 門>
天平3年(731)、光明皇后の創建、開基は唐から帰国した玄ぼう僧正が
遣唐使たちの渡航安全祈願を営み、聖武天皇から海龍王寺の寺号を受けた
<築地塀(練塀)>
室町時代に造られた築地塀が、年代を感じさせる
この寺院も廃仏毀釈の嵐に呑み込まれ、東金堂や多数の什器を失ったという
<西 金 堂>
堂内には奈良時代に造られた、高さが僅か4mの五重小塔(国宝)がある
この五重塔は、薬師寺の塔と似ており当時の建築を知る貴重なものという
<本 堂>
光明皇后が自ら刻んだ十一面観音像をもとに、鎌倉時代に慶派の仏師が
造立した、「十一面観世音菩薩立像(座高94cm)」が安置されている
厨子内の斗張(とばり)で姿を隠していたが、隙間から拝観する事ができた
<十一面観音立像>
約800年前の作とは思えない保存状態の良さは、秘仏であった為であろうか
(左):JTBパブリック社のガイドブックより (右):海龍王寺で購入した写真
JTBガイドブックに書かれている・・「神々しさあふれる黄金の美貌」が頷ける
今回の旅で最も大きい収穫であった、特別公開の時に是非見に行きたい
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残念な出来ごと
明治新政府が発令した神仏分離令は、廃仏毀釈運動のうねりとなり
ここ奈良でも、内山永久寺では58も有った堂塔がことごとく破壊され
私が訪れた正暦寺、長岳寺、円成寺、海龍王寺でも歴史的な建造物を失い
同時に、多くの寺宝、仏像もその難を避けられず破壊分散したという
当然その中には国宝、重文が含まれていたであろう、思えば残念でならない
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奈良大和路の旅(11)<ならまち&元興寺> [奈良大和路]
奈良大和路の旅(11)
<奈良町&元興寺>
奈良大和路の旅、一旦中断していましたが残りの記事を再開します
昨年末、運慶仏の円成寺、当尾の岩船寺と浄瑠璃寺の拝観記はアップしたが
ここでは、世界遺産に登録されている元興寺(がんごうじ)の極楽堂を
そして旧元興寺の跡地にできた、歴史的な街並みが残る奈良町を紹介します
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(撮影は11月26日)
元 興 寺
日本最古の寺、飛鳥寺が平城遷都によりこの地に移された元興寺
南都七大寺の一つとして隆盛したが、金堂、講堂など多くの伽藍を火災で焼失
現在残る、本堂(極楽堂)、禅堂は、かつて元興寺の僧坊であったもの
本堂(極楽坊)と禅室は、天平時代の寄棟造瓦葺の建造物で共に国宝
天平時代(1400年前)と奈良時代の瓦が混じっている
このような小さな寺院だが、ユネスコの世界文化遺産に登録されている
本堂横の収蔵庫(宝物庫)には、五重小塔(国宝)のほかに
阿弥陀如来像(重文)、聖徳太子立像と2歳像(重文)など、多くの仏像を安置
逆光で分かり難いが、本堂極楽坊(右)と禅室(左)の屋根には
天平時代(1400年前)と奈良時代の瓦が混在している
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ならまち
<奈良町資料館>
ここは、旧元興寺の本堂跡、奈良町で使用されていた江戸時代の器具用品
などが展示されているが、目的は「身代り猿」の購入
身代り猿が入口に沢山並んでいる
庚申堂の項で紹介するが、私にも少し「身代り猿」が必要のようです
<漢方薬菊岡>
奈良町は、旧元興寺の境内に広がる奈良で一番古い町だという
格子が美しい町屋や古い店が、狭い路地に並び風情が有る
<庚 申 堂>
奈良町の庚申信仰の中心である小さなお堂
内陣には、青面金剛立象(庚申)を祭っている
庚申の日、寝ている間に体内から三尺(さんし)の虫が抜け出し天帝に悪行を
報告する、身代り猿は天帝の怒りを代わりに引き受けてくれるという
<砂 糖 傳>
創業150年以上の老舗の砂糖専門店
看板製品は、伝統的な製法で米と麦芽を糖化した御門米飴
赤い壺の飴を二つ購入し、その日の夕方大阪で会う姉の土産に一つ
箸の先に丸めた飴を試食させて貰ったが、まろやかで美味しい味であった
「早起きは三文の得」の由来
江戸時代、神の使いとされる鹿が家の前で倒れていると三文の罰金を課せられた、そのため早起きをし
このような鹿を見つけると隣りの家に押しやり、最後には朝寝坊していた家が罰金を支払った事に由来する
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次回は、奈良大和路の旅(終章)「平城京と美貌の仏像」を紹介します
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奈良大和路の旅(10)<当尾の古刹&石仏> [奈良大和路]
奈良大和路の旅(10)
<当尾の古刹と石仏>
当尾(とうの)は、京都と奈良の県境に位置する丘陵地(京都府加茂町)
歴史的にも地理的にも奈良とつながりが深く、仏たちの浄土と呼ばれていた
20年ほど前、岩船寺から浄瑠璃寺へ、当尾の石仏の道を歩いたが
今回は、同じコースのリトライ散策をした、記事が少し長いがご容赦ください
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(撮影は11月26日)
岩 船 寺
<山門下から三重塔>
天平元年(729年)、聖武天皇の勅願により行基菩薩が創建した寺院
承久の変などで多くの坊舎を失い、本堂、塔などを残すのみに荒廃していたが
徳川家康、秀忠の寄進により、本堂、仏像が修復されたという
<本 堂>
本尊は、天慶9年(946年)造立の阿弥陀如来座像(重文)で丈六の巨像
堂内には、阿弥陀如来像を守る四天王像、普賢菩薩像(何れも重文)など
多くの仏像が安置され、真近かで拝観することが出来た
<三重塔(重文)>
現存する塔は、室町時代の嘉吉2年(1442)に再建されたもの
20年ほど前、初めて訪れた時は、古塔の風格と重量感に感動を覚えたが
今回は8年前に修復工事を終え、朱色も鮮やかな三重塔に変身してした
(左):隅鬼「天邪鬼(あまのじゃく)」(重文)
三重塔の四隅の垂木を支えるユーモラスな木彫り (お守りのストラップを購入)
(右):手を合わせ神妙に鐘をつく私です
岩船寺の山門を後に、石仏の道のミニハイキングに出発
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当尾路を歩く
ドライバーさんとは、浄瑠璃寺に近い場所で待合わせ、約40分のハイクです
岩船寺から歩きはじめると、竹やぶや樹木に覆われた山道が続く
この日は土曜日(11月26日)、多くの人たちが山道歩きを楽しんでいた
山道は整備され所々に無人の売店があった、妻は柿を購入(重いのに)
里山の風景を楽しみながら小道を歩き続ける
笑い仏・・・少し傾いた岩に彫られた阿弥陀三尊像
当尾で最も親しまれている石仏、表情をアップした写真を撮ったがボツ
(左):眠り仏・・長い間土の中で休んでいたので名が付いた、分かり難い!
(右):カラスの壺・・唐臼に似ているので名づけられたが、中心の穴は?
カラスの壺の前に有る二尊像
二尊の姿です (左):阿弥陀如来座像 (右):地蔵菩薩立像
(左):岩船不動明王磨崖仏 (右):あたご灯篭、これは何なのか?
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浄瑠璃寺
<山 門>
風情のある細い参道を進むと正面に山門が有る
寺伝によれば、永承2年(1047年)の創建と伝えられ、平安貴族が憧れた
浄土を形にした寺だという、浄土式庭園を挟んで本堂と三重塔が向かい合う
<三重塔(国宝)>
浄瑠璃寺の参拝は、現世の苦しみを除く薬師如来(秘仏)を祀る三重塔を
そして西方極楽浄土の来迎仏である、本堂の阿弥陀如来の参拝が順序
彼岸の中日には、本堂中央の阿弥陀如来仏の背後に太陽が沈むそうだ
此岸(しがん)「東岸に薬師如来」・・・宝池・・・彼岸「西岸に阿弥陀如来」
此岸から、中央の宝池を挟んで彼岸の本堂を臨む
<本堂(国宝)>
本堂には、九体の阿弥陀如来坐像(何れも国宝)を祀っている
また、四天王像(国宝)、不動明王像(重文)など多くの仏像が安置されており
秘仏の吉祥天女像(重文)は、厨子の扉を開放し特別公開をしていた
彼岸から、中央の宝池を挟んで此岸の三重塔を臨む
三重塔を近くから
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奈良大和路の旅、残り2回分の記事は年明けにアップします
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奈良大和路の旅⑨<運慶仏の円成寺> [奈良大和路]
奈良大和路の旅(9)
<運慶仏の円成寺>
旅の3日目、この日は古寺の仏像拝観を中心に奈良市内から北部郊外へ
先ず向かったのは柳生街道の中ほどにある円成寺、鎌倉時代の仏師運慶が
青年期に彫った、国宝大日如来座像が安置され、是非行きたかった寺院
浄土式庭園の苑池から見た紅葉も見ごろで、拝観に訪れた甲斐があった
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(撮影は11月26日)
忍辱山 円成寺
真言宗御室派の寺院 本尊は阿弥陀如来座像(重文)
寺伝によれば、開創、開基には諸説があるようだが、天永3年(1112)に
迎接上人が阿弥陀如来を祀り寺門が繁栄、江戸時代には23寺を有していたが
明治の廃仏毀釈により寺領を失い、今の境内と建造物を残すのみになった
<寝殿造りの本堂(重文)>
本堂には、阿弥陀如来座像、四天王像、聖徳太子2歳像などを安置
本堂の階段の両側には、一段高い高床式の舞台が設けられていた
<国宝 大日如来座像>
楼門の奥に見えるのは、1002年に完成した多宝塔
わが国最高の仏師と評される運慶が、25歳の時に彫った大日如来座像
塔の外からの拝観になるが、ガラス張りのため光を反射して見難い
<JTBパブリッシング社発行・ガイドブックより>
ドライバーさんが用意していた携帯電灯の光のお陰でよく見る事ができた
大日如来は宝冠装飾などをつけていないが、菩薩と同じ飾りをつけている
(仏像の評価は差し控えるが、素人目にも素晴らしさが実感できた)
楼門から庭園を眺める
<最小の国宝建造物>
(左):春日堂と白山堂・・現存する最古の春日造り社殿
(右):宇賀神堂・・春日堂、白山堂に隣接し唐破風が付いた古い社殿
<名勝庭園>
円成寺庭園は、藤原期につくられた浄土舟遊式の名園
苑池から見た彼岸には、桧皮葺き楼門(重文)が建つ
苑池に写る紅葉が素晴らしい
運慶仏と紅葉の庭園、何れも見応えが有った
苑池沿いにある参道の小路
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次回は、奈良大和路の旅(10)「当尾の古刹&石仏」を紹介します
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奈良大和路の旅⑧<山の辺の道(3)> [奈良大和路]
奈良大和路の旅(8)
<山の辺の道(3)>
山の辺の道は、その大部分が東海自然歩道に指定されており
桜井から奈良までの総延長距離は約26km、天理駅で公共の乗り物を利用し
石上神社から大神神社に近い三輪駅まで、約11kmを歩くのが一般的
今回は、車と歩きの手抜き旅であったが、機会が有ればもう一度歩きたい
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(撮影は11月25日)
箸墓古墳
孝霊天皇の息女、崇神天皇の叔母(やまとととひもおそひめ)の墓
魏志倭人伝の邪馬台国の女王卑弥呼の墓という説もあるそうだ
奈良には川が少なく灌漑池が6000ヵ所もある、この濠も灌漑池になっている
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崇神天皇陵
実在した最初の天皇と言われている、第10代崇神天皇の御陵
大和朝廷の実質的な最初の統治者とも言われ、天皇陵として最も古い古墳
4世紀全半に築造された、全長242mの巨大な前方後円墳
御陵の周囲は高い堤が巡らされ、このような濠で囲まれている
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景行天皇陵
第10代崇神天皇の孫、第12代景行天皇の御陵
この一帯にある柳本古墳群の中では、最大の全長300mの前方後円墳
山の辺の道
山の辺の道の最初の記事(1)にも掲載した、この写真の場所
ベテラン・ドライバーも、ここが分からず地元の人に訪ねてようやく分かった
景行天皇陵(上)の濠に沿った農道を、数百㍍ほど東に向かった所にあった
ご神体の三輪山を見ながら、砂利道を更に1kmほど歩いたが
ドライバーさんとの待ち合せ場所を間違え、時間を大幅にロスした
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檜原神社
大神神社の摂社のひとつで、三輪山山中にある磐座を神体としている
そのため、本殿はなく拝殿のみが設けられている
中央に大きな鳥居、そして左右に小さな鳥居を配した「三ツ鳥居」が珍しい
二本の柱に縄を渡した鳥居
鳥居の中央に見える山は、大和朝廷に謂れがある二上山(ふたかみやま)
ここから眺める景色は有名だが日没目前、車は乗車したタクシーです
檜原神社の鳥居前を横切る「山の辺の道」
談山神社の追加などで予定時間を大幅に越え、ついに日が暮れてしまった
大和の青垣の説明板
『倭(やまと)は国のまほろば たたなづく青垣 山ごもれる倭し美わし』
古事記には、倭建命(ヤマトタケルノミコト)が、故郷を懐かしみ詠んだ歌とされる
川端康成は、この歌に相応しい場所を探し求めこの地に歌碑を残している
「まほろば」とは、「素晴らしい場所」「住みよい場所」を意味する言葉だという
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追加の画像
大和三山のシルエット
手前は「耳成山」、奥は「畝傍山」、黒塚古墳から撮影した
残る一つの天香久山は、左方向にあるが同じ画像に収まらない
開化天皇陵
宿泊した、ホテルフジタ奈良の隣りに第9代開化天皇陵があった
ここはJR奈良駅と猿沢の池を結ぶ、奈良一番の賑やかな三条通りの中間
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クリスマスイブは・・・チリメンジャコ!
家族(妻、娘、孫)4人で買物へ、孫へのクリスマスプレゼントは済ませているので今日は別の物
そのあと、わが家でチリメンジャコをおやつ代わりに食べ、父ちゃんが喜ぶからとチリメンジャコをお土産に
これには、皆が大笑い!、娘は今夜はトリの唐揚げ用意しているそうだが、僕はお魚の方が良いと言い張っていた
いまどき珍しい魚が大好きな孫です、私たち老夫婦はクリスマスイブとはいえ何時もと変わらない夜を過ごします
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次回は、奈良大和路の旅(9)「次回は運慶仏の円成寺」を紹介します
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奈良大和路の旅⑦<山の辺の道(2)> [奈良大和路]
奈良大和路の旅(7)
<山の辺の道(2)>
奈良盆地の東には、青垣と呼ばれている美しい山並みが続いている
そして青垣の山裾を縫うように、古代のロマンを残す山の辺の道が通っている
ここでは、山の辺の道の中ほどにある、真言宗の古刹長岳寺と
多くの三角縁神獣鏡が発掘され、一躍脚光を浴びた黒塚古墳を紹介します
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(撮影は11月25日)
山の辺の道
このような案内板や道しるべが立てられているので迷う事はない
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釜ノ口山 長岳寺
<大 門>
天長元年(824)、淳和天皇の勅願で弘法大師空海が開いたと伝わる古刹
盛時には42の堂宇が建つ大寺院であったが、兵火と廃仏毀釈で衰えた
門前を「山の辺の道」が横切っている、この縄の由来は分からない
<参 道>
大門を入ると、石塀に挟まれた参道が楼門まで続く
<鐘楼門(重文)>
平安時代の端正な鐘楼門は創建当初の唯一の遺構
かつては、上層に鐘楼が吊られていたので鐘楼門という、日本最古の楼門
<本堂と放生池>
本尊は、平安末期の仁平元年(1151)作と伝わる阿弥陀三尊像
三尊像は、藤原時代末期の作で玉眼(水晶をはめ込む)を用いた最古の仏像
脇侍の観世音菩薩、勢至菩薩は、台座から片足を踏み出した珍しい半跏像
本堂では、大きな地獄絵を特別公開していた
<大 師 堂>
正保2年(1645)の建立、弘法大師像と藤原時代の不動明王を祀る
<大石棺仏>
石棺の蓋の裏側に彫られた、高さ2mの石仏
<五智堂(重文)>
長岳寺の飛び地境内(約1kmの西)にある小さな構造物
心柱の上部に四仏を表し、心柱を大日如来に見立て、全体で五智如来を表す
<伊勢街道>
五智堂の前を南北に通る昔の街道、一ツ道とも言われていた
山の辺の道の西には、飛鳥と平城京を結ぶ三本の古道があった(一、二、三ツ道)
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黒塚古墳
平成10年(1998)の発掘で、卑弥呼が魏から贈られた鏡ともいわれる
三角縁神獣鏡33枚が出土し、邪馬台国の所在地として一躍脚光を浴びた
しかし、その後の調査によれば、大和政権の有力者の墓とみられている
ドライバーさんの話では、子供たちの遊び場であったそうだ
(右):発掘した石室の大きさを表しているようだ
古墳の横にあった発掘作業の説明パネル
隣接する黒塚古墳展示館には、原寸大の石室が復元され
鏡や鉄製品のレプリカなどが展示されていた
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昨日は冬至、これから少しずつ昼の時間が長くなると思うと気持も明るくなる
次回は、奈良大和路の旅(8)「山の辺の道(2)」を紹介します
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奈良大和路の旅⑥<山の辺の道(1)> [奈良大和路]
奈良大和路の旅(6)
<山の辺の道(1)>
一度は歩きたいと思っていた日本最古の道、天理から三輪山の麓の桜井まで
山の辺の道を辿る事にしたが、このコースを歩くと約16kmで1日の工程
途中には、神社や古寺、そして天皇陵に古墳など歴史的な見どころも多い
そこで、少し歩きを入れ、そして要所は車で回る省エネ(手抜き)巡りをした
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(撮影は11月25日)
山の辺の道
JTBパブリッシング発行の、奈良観光ガイドブックに掲載されているのは
この場所から見た山の辺の道、背後は山そのものがご神体の三輪山
ここから写真が撮りたくて探すのに時間を要した、路傍の石碑は万葉歌碑
山の辺の道は車が入れない砂利道が多く、ここは景行天皇陵の裏側
この日のコースの終りに近い場所だが、あえて先にアップした
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石上神社
天理教本部、天理大学から一つ道を隔てた布留山の山裾に入ると
そこは鬱蒼とした樹木に覆われた、神域の雰囲気が漂ってくる森
石上神社は、「いそのかみじんじゃ」と読む
<神社の境内>
この神社は「山の辺の道」の中ほどに位置し、飛鳥時代の豪族物部氏の氏神
日本最古の神社として知られ、大和朝廷の武器庫で物部氏が守っていた
<楼門(重文)>
重層入母屋造檜皮葺で、鎌倉後期に建立された建造物
楼門を挟んで左右に並ぶ西回廊と東回廊、調和された形状が素晴らしい
楼門をくぐると神庭、正面の拝殿で参拝
石上神社の記事は、マチャさんが詳しく紹介されていますので参照下さい ⇓
http://narapenguin.blog.so-net.ne.jp/2011-11-22#favorite
<拝殿(国宝)>
祭神は、神剣の布都御魂(フツノミタマ)
本殿はなく、拝殿奥の禁足地が祭祀の対象であったが、大正2年に禁足地に
本殿が建立された、神庫には有名な「七支刀(国宝)」が収められている
<出雲建雄神社拝殿(国宝)>
明治の廃仏毀釈で廃寺となった、内山永久寺の住吉社の拝殿を移築
明治政府の神仏分離令による廃仏毀釈運動で、浄土式回遊庭園を中心にした
50以上の堂宇が破壊され、今は池の傍に芭蕉句碑などを残るのみという
<山の辺の道>
石上神社の参道を通り抜ける山の辺の道
(左):楼門の前を通り南の方向へ (右):境内から夜都妓神社の方向へ行く
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夜都妓神社
春日大社と縁故が深く、春日の4神を祀る神社
この鳥居は、嘉永元年(1848)に春日大社の若宮から下されたものという
夜都妓神社は、たいこ山と呼ばれる前方後円墳の境内にある
この前も、山の辺の道、鳥居を上がると神社がある
拝殿は、神社としては珍しい春日造り檜皮葺きの屋根
拝殿の後方に、朱の垣に囲まれた四つの社殿と琴平社が鎮座している
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環濠集落
<竹之内環濠集落>
南北朝時代から筒井順慶による統一まで、戦国乱世が続いた自衛の集落
外敵から防ぐため周囲に用水池を兼ねる濠を、内部には竹藪を植えていた
右は集落の中の道、写真を撮っていないが
山の辺の道を歩く、ご夫婦、グループ、そして外人さんに何度も出会った
<萱生環濠集落>
竹之内集落から、約1km南に下がると萱生(かよう)の集落が有る
環濠に沿った、この道も山の辺の道です
<西山塚古墳>
環濠の対岸には、小さな古墳があったが上はみかん畑になっていた
この辺りには古墳が多いが、竹やぶや柿畑になっていた古墳も見かけた
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三輪そーめん
三輪山の麓には、有名な三輪そーめんの里
大神神社の参道に近い、そーめん処森正で昼食をした
店内の様子です、左奥で注文をしているのは妻
にゅーめんと柿の葉ずし(二人分)を頂いた、右は店奥の庭園
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次回は、奈良大和路の旅(7)「山の辺の道(2)」を紹介します
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奈良大和路の旅⑤<錦秋の談山神社> [奈良大和路]
奈良大和路の旅(5)
<錦秋の談山神社>
山の辺の道にある、石上神社、夜都妓神社などを巡っていた途中
談山神社の紅葉も見ごろと聞いたので、ドライバーさんに相談をすると
それじゃ~行って見よう太陽が西に傾く前にと、行き先を追加して多武峰へ
そのあと、山の辺の道めぐりを再開させたが、最後は日が暮れてしまった
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(撮影は11月25日)
談山神社
談山神社は、多武峰にある、藤原鎌足を祭神とする神社
名の由来は、中臣鎌足(藤原鎌足)と中大兄皇子(天智天皇)が大化の改新の
談合をここ多武峰で行ったことに由来し、談い(かたらい)山と呼んだいた
創建当初は仏教寺院で有ったが、明治の廃仏毀釈で神社にあらためた
十三重塔と神廟拝所
建物は寺院建築を使用しているので、仏教伽藍の雰囲気がj残っている
十三重塔の全景、左奥の建造物は権殿
本殿が工事中のため、御神体は権殿に移されていた
本殿前の石段から紅葉を入れて撮影
参道の石段を上がった所から拝殿を見上げる
拝殿の外廊から釣灯篭と紅葉を撮影
拝殿の柱を額縁にして釣灯篭と背後の景色を撮影
拝殿の廊下から眼前に広がる景観を眺める
神廟拝殿前から見た祓戸社の背後の眺め
祓戸社を囲む、ドウダンツツジと楓の紅葉
権殿前から神廟拝殿を見る
神廟拝所の前庭は、「てまり庭」として使用されている
談山神社と対面する高台から見た神社と紅葉
ドライバーさん自身もカメラマン、撮影ポイントを次々に教えてくれる
さすがに紅葉の名所「談山神社」、素晴らしい紅葉を満喫する事ができた
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次回は、奈良大和路の旅(6)「山の辺の道(1)」を紹介します
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奈良大和路の旅④<錦の里・正暦寺> [奈良大和路]
奈良大和路の旅(4)
<錦の里・正暦寺>
旅の2日目、目的は「山の辺の道」と周辺の神社古寺と天皇陵などへ
その案内役を「奈良まほろばソムリエ」の資格を持つ、個人観光タクシーの
吉田利明さんに依頼した、山の辺の道に向かう前に案内された所は
奈良市と天理市のほぼ中間にある、紅葉の名所「菩提山正暦寺」でした
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(撮影は11月25日)
興福寺五重塔
ホテルを出発した車が猿沢の池の横を通ったので早速一時停車
古都奈良の代表する風景、興福寺の五重塔を撮影
前日の夕方、ホテルに戻る途中、同じ場所で撮った写真です
差し込んだ夕日が斜面や木々を赤く染め、上の写真とは対照的です
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浮 見 堂
奈良公園の鷺池に浮かぶ檜皮葺き屋根の六角堂、ここでも一時停車
春の桜、秋の楓、四季を通じて美しい奈良を代表する景勝地です
ここはカメラマンの撮影スポット、水面に写る浮見堂の姿が美しい
背後の山は春日山、その奥に見えるのは春日山の原生林だろうか?
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菩提山 正暦寺
一条天皇の発願で、関白九条兼家の子兼俊が正暦3年(992)に創建した寺院
堂塔、伽藍が86坊も建ち並んでいたが、平重衡の南都焼き打ちで全山焼失
その後、再興されたが、寛永6年の火災、明治の廃仏毀釈で衰退し
現在では、本堂、客殿、そして坊舎の跡を偲ばせる石垣が延々と続くのみ
<本 殿>
本尊は薬師如来像(秘仏)、台座に腰をかけ蓮華の上に足を置く椅像形という
菩提仙川の渓流を覆う紅葉は見事で、昔から「錦の里」と呼ばれていた
<鐘 楼>
石段を登り切った上に本殿が建つ
境内の各所には、寄進された南天2000本が植えられ赤い実が目立つ
<千体地蔵尊>
正暦寺の本堂下にある、僧侶の供養塔と墓石群
<客殿 福寿院>
1681年建立の数寄屋造りの建造物、菩提仙川を挟んだ場所から撮影
福寿院の庭園から、この紅葉樹を眺める趣向になっている
<福寿院庭園からの眺め>
白い土塀越しに見る、紅葉(前の写真の楓)と庭園が美しい
客殿には孔雀の背に乗った孔雀明王像が安置され、テープで真言が流れる
狩野永納の襖絵、そして欄間にも多数の絵が架けてあり
庭園に興を添えているが、写真は撮らなかった
<菩提仙川の紅葉>
正暦寺の山号からとった菩提仙川、その清流に沿って参道が続く
<泣き笑い地蔵>
身替地蔵(左)は船形光背を、水子地蔵(右)は円光光背を背負っている
地元では泣き笑い地蔵として親しまれている、お顔を見れば分かりますね
正暦寺は日本清酒発祥の地、客殿や参道で地元の酒を販売していた
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個人タクシーの吉田さんは、奈良の歴史から仏像の説明まで実に詳しい
参考までに、携帯電話は090-3050-8900です
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次回は、奈良大和路の旅(5)「錦秋の談山神社」を紹介します
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