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福島旅行記2<裏磐梯・会津若松> [みちのくの旅]
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牡鹿半島を支援する会2<大震災の被災地女川> [みちのくの旅]
牡鹿半島を支援する会1<春わかめ収穫ボランティア> [みちのくの旅]
牡鹿半島を支援する会<春わかめ収穫ボランティア> [みちのくの旅]
七寿会旅行(3)<塩屋岬~小名浜> [みちのくの旅]
七寿会旅行(3)
<塩屋岬~小名浜>
老人会(七寿会)の旅行2日目は、福島県の中通りから浜通りへ
津波で町が消えた薄磯地区の視察と、美空ひばりの歌碑がある塩屋岬、そして
いわき市の観光物産センターです、今回の旅行は観光地巡りと言うより
小峰城を含めた福島県の震災被災地と、道の駅など買い物が中心のバス旅でした
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<旅行日:9月30日>
<母畑温泉 出発>
玄関から伸びる長い屋根、何故?と思っていたが観光バス3台が横づけでき
雨の日も、濡れずにバスに乗り降りができるためでしょう
若い仲居さんが見送りの挨拶
女将さんを始め従業員の人たちが並んで見送り、道路まで続いていた
<津波で消えた町>
塩屋﨑薄磯地区(車窓)
薄磯地区は、266所帯(760人)の集落でしたが、町の大半が津波で流され
死亡・行方不明者は130名です、この写真は高台に移転した家屋です
バスの車窓から被災地
工事は進んでいるが、大震災後5年半が過ぎてもこの程状態です
津波の状態
津波は数回押し寄せ、2度目の高さは8m以上で約1km先まで駆け上った
薄磯地区の海岸
薄磯は遠浅の海水浴場、地震発生後は波が引き約1km先の海底が見えたという
大震災の被災説明 (美空ひばりの歌碑前の売店)
バスが着くと観光土産店の2階に案内され、50枚ほどの写真の前で震災時の説明、そして1階に降りて買い物です(韓国産の海苔も販売)、理解に苦しむのは。写真と祝儀袋をパネルに掲示した部屋の中は、カメラ・スマホ・ビデオ撮影、そして音声録音は一切禁止
大震災の1年半後に岩手県久慈から気仙沼まで被災地を見て回ったが、陸前高田、北山崎の語り部さんたちは写真OK、全国に発信してほしい、忘れないでと、力説していた
<塩屋岬>
美空ひばり「みだれ髪」
作詞家「星野哲郎」は、塩屋﨑に数日滞在し「みだれ髪の歌詞」を書き上げたと聞く
灯台以外に観光場所が乏しい塩屋﨑、私がこの場所に立つのは2度目です
みだれ髪・歌碑
美空ひばり遺影碑
遺影碑に近づくと、美空ひばりが歌うみだれ髪の歌が流れてくる
私の姿が写り込んでいます
清酒「みだれ髪」
ご婦人たちはここでも熱心に買い物、私は歌碑近くの売店で清酒を購入した
<いわき・ら・ら・ミュウ>
今回の旅行で最後に立ち寄ったのは、いわき市の観光物産センター
目的は、海の幸の昼食と、いわき市の物産・新鮮な海産物などの買い物です
2日の昼食
瓶ビールを飲みながら海鮮料理の昼食、美味しく頂いた
岸壁にて
買い物をするご婦人たちから離れ、一人岸壁をぶらぶら歩いて時間つぶし
宇都宮からオートバイで来た男性と立ち話
高速道が拡がったので、横浜・箱根・仙台・青森が近くなったと言う
利用した観光バス
常磐自動車道、外環道を走り立川へ、僅か500mの間で3か所も停車してくれた
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次回は、地元の運動会)<町民運動会&老人会>を紹介します
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