京都名所案内(5)<仁和寺~嵯峨野> [京都の秋]
京都名所案内(5)
<仁和寺~嵯峨野>
前記事では、御室仁和寺の金堂、五重塔など境内の伽藍を紹介したが
仁和寺は、歴代の門跡が住まいした御殿(宸殿)の拝観も見逃せない
そして今回の旅行の締めは、嵐山・嵯峨野の名所めぐり、先ずは
ひと月半前の豪雨で桂川が氾濫し大きな被害を受けた渡月橋に向かった
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<旅行日:11月2日>
仁和寺 御殿
<本坊表門>
二王門から中門に続く長い参道、その左側に仁和寺の御殿がある
本坊から、渡り廊下を通り白書院、宸殿、黒書院に向かう
<大きな黒松>
表門を一歩入ると、地面を這うように枝を伸ばした黒松に驚かされる
<御室流華道>
本坊の玄関を飾る豪華な生け花、門跡寺院の格式を感じる
宇多天皇を流祖とする御室流華道、歴代の門跡が家元を務めてきた
<宸殿から南庭>
白川砂を敷き詰めた清楚な庭園、勅使門(右)の正面には白書院がある
勅使門は唐破風、檜皮葺き入母屋造の四脚門、天皇家ゆかりの訪問者のみに開門される
<宸殿から北庭園>
白川砂に池泉を配した庭園、池の奥は茶室「飛怒濤亭」、背後に五重塔が望める
<宸殿 上段の間>
雀を描いた極彩色の襖絵が飾られている、右に見える床、違い棚も美しい
<宸殿 次の間>
左の襖絵、川に浮かぶ屋形船を描いているように見える
右の襖絵、天皇の行幸を描いているのであろうか
<白書院の襖絵>
昭和12年(1937)に、福永晴帆が松を主題にして四季おりおりの景色を描いている
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嵐山~嵯峨野を巡る
<嵐電 嵐山駅>
嵯峨野巡りはこの駅からスタートです、先ずは渡月橋に向かう
<渡月橋>
台風18号による豪雨で桂川が氾濫し、大きな被害を出した渡月橋の周辺地域
今は何事もなかったように穏やかな流れである、前方のお椀を伏せたような山は小倉山です
大堰川から桂川、天龍寺の伽藍が見える
桂川は保津川・大堰川・桂川と名が変わるが、堰の下流から桂川になると理解をしている
渡月橋を超える氾濫で橋の倒壊を心配したが、橋脚はコンクリートで無事であった
橋を渡った正面の旅館「渡月亭」に宿泊したことが有るが、被害を乗り越え営業していた
嵐山嵯峨野に訪れる観光客は年間800万人と言う
観光客の数も戻りご覧のような混雑です、外国人が非常に多い
<京の和菓子「老松」>
嫁の実家とわが家の土産に京菓子、北野天満宮の東門前「花街上七軒」に本店が有る
途中にある「美空ひばり記念館」は廃館、テナント募集の案内が出ていた
嵯峨野を巡る(1)
<野宮神社>
伊勢神宮に奉仕する斎王(未婚の皇女)が、伊勢に向う前に潔斎をした神社
正面の鳥居は、木の皮がついたままの「黒木の鳥居」、古代の形式を伝えているという
本殿の祭神は、野宮大神(天照皇大神)であるが
本殿横の野宮大黒天が縁結びの神として知られ、若者たちの参拝が多い
絵馬は、招福、財運、学力向上、合格、一願成就なども有ったが
奉納していたのは、「良縁」 「子宝安産」が多いようだ
<外国人観光客>
記念写真を撮る外国人親子が微笑ましい、アジア系の観光客が非常に多くなった
<竹やぶの道>
嵯峨野を実感できる美しい小路、次男たちの願いで案内したがご覧のような混雑です
この日は天龍寺を拝観せず、この道を大河内山荘の方向に歩き次に向かう
撮ったのは、上の1点のみ
この写真は 2011.04.12の撮影です・・・観光客が極端に少ない
<おぐら茶屋>
常寂光寺の門前にある風情のある店で昼食、この日もうどんでした
常寂光寺の紅葉が見ごろを迎えるのは半月以上も先、拝観をせず通り過ぎた
次回も、嵯峨野巡りを続けます
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次回は、京都名所案内(6)<祇王手~大覚寺>を紹介します
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京都名所案内(4)<西本願寺~仁和寺> [京都の秋]
京都名所案内(4)
<西本願寺~仁和寺>
大阪・神戸・京都、三都旅行の最終日は、次男夫婦を嵐山・嵯峨野に案内
京都駅からJR山陰本線で嵯峨嵐山駅に向かうのが最も早いコースだが
西本願寺の参拝を先に済ませ、更に遠回りをして北野白梅町で嵐電に乗車
それは、宮門跡の格式をもつ御室仁和寺へ家族を伴うことが目的であった
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<旅行日:11月2日>
西本願寺
正式寺号は龍谷山本願寺、東本願jと区別をするため西本願寺と呼ばれている
古都京都の文化財として世界遺産に登録され、唐門、飛雲閣など国宝も多い
わが家の宗旨は浄土真宗本願寺派、車を待たせ次男夫婦と参拝に立ち寄った
堀川に架かる橋を渡り境内へ、御影堂と阿弥陀堂の大伽藍が建ち並ぶ
渡り廊下を通り、御影堂から阿弥陀堂の順に参拝をした
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嵐電(京福電鉄)
<北野白梅町駅>
嵐電で嵐山に行くには、四条大宮と北野白梅町の二つの駅を利用するルートがある
遠い駅の北野白梅町から乗車したのは、妻がこの路線を好むため家族で乗ることにした
そして、御室駅から近い門跡寺院「御室仁和寺」に訪れるのも理由の一つであった
途中駅は等持院、竜安寺、妙心寺など、沿線の寺名を付けた駅が続き
春には美しい桜のトンネルを徐行してくれる、四つ目の駅が御室仁和寺である
仁和寺の二王門前は「きぬかけの路」、左に行くと嵯峨野、右には金閣寺がある
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御室仁和寺
<二 王 門>
仁和4年(888)宇多天皇の創建であるが、天皇退位後に出家し30年間も住坊にされ
以来、明治維新まで皇子皇孫が門跡となり、御室御所とも呼ばれていた
二王門は、知恩院、南禅寺の三門とともに、京都三大門の一つに数えられている
<二王門から中門>
応仁の乱の戦火で伽藍はことごとく焼失したが、江戸幕府3代将軍家光の寄進により
嘉永年間に伽藍を再建、諸伽藍は重要文化財(金堂を除く)に指定されている
<中門から本堂(金堂)>
門を入った正面は金堂、右に五重塔、左に御室桜の花園がある
御室桜(御室有明)
御室桜は約200株が植栽されている、 背が低い遅咲きの桜である
桟敷で飲食させていたのが不愉快で見に行くのを止めていたが、2年前から中止になった
これは八重桜(開山)の紅葉です
<五 重 塔>
塔の高さは32.7m、各層の大きさはほぼ同じでスマートな形状である
五重塔の邪鬼
初層の垂木上で隅木を支える邪鬼 ↓、五重塔を見ると四隅の邪鬼を探している
<国宝 金堂(本堂)>
金堂は慶長18年(1613)に創建された旧皇居のの正殿(紫宸殿)を嘉永年間に移築
宮殿から仏殿への変更により、檜皮葺きから瓦葺き屋根に改められた
真言宗御室派総本山、本尊は阿弥陀如来(国宝)、脇侍は観音、勢至菩薩の三尊を祀る
経 蔵
仁和寺には珍しい禅宗様式の建造物、中には経典「一切経」が収められてる
鐘 楼
観音堂の前から桜の紅葉を入れて撮影、鐘楼は塗り替えられ明るくなった
<水かけ不動>
仁和寺の裏山より湧き出る水を不動明王に掛けながら祈願すると願いが叶うと言う
不動明王の足下の岩は、「菅原道真公腰掛石」と呼ばれている
妻が願い事をつぶやきながら、長い柄杓で水を掛けている
<亀の上に乗る仙人>
境内を掃除していた男性が、指を差し親切に教えてくれたのは・・・
珍しい「亀に乗った仙人の瓦」、その場所は白丸で囲んだ2ヶ所です
亀は長寿の象徴、3000~4000年に一度、水面に顔を出すと言われる亀を
黄石公という仙人は3~4回も見たので永遠の象徴と言うが、何とも話が大きい
<御殿 勅使門>
御殿の中には仁和寺本坊、寝殿、黒書院、庭園があるが次回の記事で紹介します
外国の観光客が御殿へ、ガイドさんが赤い唐傘を差しているが、これは目だって分かりやすい
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次回は、京都名所案内(5)<仁和寺~嵯峨野>を紹介します
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京都名所案内(3)<東山 見どころ巡り> [京都の秋]
京都名所案内(3)
<東山 見どころ巡り>
京都東山の知恩院から清水寺へ、この辺りは観光客が最も多いところ
二年坂、三年坂、石塀小路、そして八坂の塔など京都らしい風情に事欠かない
そして鴨川の両側には、祇園花見小路、先斗町など花街が集まっている
この記事では、家族で歩いた日暮れ前後の定番観光コースを紹介します
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<旅行日:11月1日>
知 恩 院
日本一の三門
正式寺号は華頂山知恩教院大谷寺 浄土宗総本山である
三門とは・・空・無相・無頼の悟りに通じる三つの解脱の境地を表す門という
清水寺に向かう途中に立ち寄ったが、外国人男性が交代で石段に座り写真を撮っていた
私たちは、今年4月に参拝しているので三門の下で待機していたが
次男たちは段差の高い石段を初めて上がって行った、上から見すと急段がよく分かる
着物姿の外国人女性たち
妻が車の中から手を振ると・・笑顔で応えてくれた
欧米系の人たちは表情が明るい、日本の着物に憧れを持っていたのであろう
男女合わせて15名ほどのグループでしたが、皆さんは着物が似合い微笑ましい
場所は知恩院から東大路通りの交差点に向かう途中です (写真はトリミングしました)
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八坂の塔
臨済宗建仁寺派の寺院、正式寺号は霊応山法観禅寺
本尊は大日如来を中心にした五智如来、夜の特別拝観のときに入ったことがある
東山のシンボル五重塔は高さ46m、八坂の塔は寺自体を指す通称になっている
電線が地下に埋設され景観が良くなった、家族3人が坂を上がってくる
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二寧坂(二年坂)
八坂の塔から坂道を歩き、清水寺に行く前に二年坂へ立ち寄る
目的は階段の横にある店(次の写真)、この場所はいつも混雑するがこの時間は少ない
二年坂「甘党かさぎ屋」
少し遅いが午後のティータイムは・・この店の「京ぜんざい」です
私たちは先代の頃から馴染みの店で、妻が嫁に食べさせたかったようだ
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清 水 寺
正式寺号は音羽山清水寺、宝亀9年(778)平安遷都以前に創建した古刹
宗派は南都六宗の一つ法相宗から独立した北法相宗大本山である
西日を受けた仁王門、西門の背後に見える三重塔は、何れも重要文化財である
清水寺本堂(国宝)
本尊の十一面観音は、秘仏特別公開(約4年前)をしたときに拝観している
正面左右の入母屋造りの建物が山の斜面に張り出し、懸造(かけづくり)になっている
「清水の舞台」で知られ、奈良長谷寺、石山寺の本堂も同様の懸造りである
西の山並みに夕日が沈む
音羽の滝
東山に連なる音羽山からの地下水が、3本の筧(かけい)を伝って滝壺に落ちてくる
三本の水は、「延命長寿」、「恋愛成就」、「学問上達」に霊験があると信じられ
その黄金水を一口飲むために、若者たちが列を作り並んでいた
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清水坂~石塀小路
清 水 坂
いつも賑わう清水坂、時間は5時過ぎで修学旅行生は少ないが外国人は多い
石塀横丁
高台寺道から入った風情のある小路、ここも好きな通りだが、見事に手振れです
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祇園~先斗町
祇園花見小路
ここは外国人の定番観光コースであろうか、欧米系の人たちが舞子さん芸者さんが通ると
カメラを持って追いかけていた、撮り忘れのため3年前の写真で失礼します
辰巳橋から祇園白川
町家が連なる白川の流れ、石畳の道に辰巳大明神、京都情緒を感じるスポットです
宵桜のころは華やかで美しく、京都に泊まると欠かさず歩きに行っている
先 斗 町
四条通りから三条まで続く細い路地道、風情のあるこの道にも新しい店が増えた
歩き疲れた後は、先斗町の「おばんざい店」で家族4人の会食です
酒と味どころ「たばこや」
京都で宿泊すると時々利用するこの店、予めカウンター席を予約しておいた
お互いが好きな料理を頼むのがわが家流、ビール・日本酒とともに美味しくいただいた
夕食の後は高瀬川の畔を少し歩き、四条通りからタクシーでホテルに戻った
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次回は、京都名所案内(4)<西本願寺~仁和寺>を紹介します
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京都名所案内(2)<法然院~南禅寺> [京都の秋]
京都名所案内(2)
<法然院~南禅寺>
関西出身の私たちは京都に行く機会が多く、市内の地理はほぼ承知している
ここ数年間は、観光客が非常に多い金閣寺、清水寺などは避けていたが
今回は次男夫婦を連れての京都名所案内、銀閣寺(前記事)を出た後は
哲学の道、南禅寺、八坂の塔、そして定番観光コースの清水寺へ向かった
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<旅行日:11月1日>
法 然 院
哲学の道の一筋山側にある、静かな佇まいのこの寺が好きで家族を案内した
ここは、法然上人が法難に遭い讃岐国に流されるまで庵を結んだところ
江戸初期に上人の弟子たちによって、この地に念仏道場が築かれたのが始まりと言う
山門下の両側にある、白い盛り砂(白砂壇)は水を表している
白砂壇の間を通ることは、身を清めて浄域に入ることを意味しているそうだ
白砂壇の模様は、水に浮かぶモミジとイチョウを表現
10年ほど前のこと、山門の下で弁当を食べていた数人の中年女性には正直驚いた
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哲学の道
哲学者・西田幾太郎が、物思いにふけりながらこの道を歩いたのが名の由来という
若いころに読んだが理解するに至らなかった、法然院から哲学の道に戻り南禅寺の方向へ
桜が咲く頃に歩く人は多いが、この日は静かな道でした (隣の国の観光客は多い)
近くにある安楽寺に行きたかったが一般公開日ではないので断念
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月の出うどん
哲学の道の一筋西にある鹿ヶ谷通り、永観堂の少し北側にこの店が有る
昼食はこの店と決め辿り着いたのは午後1時半だが、店の前には行列が出来ていた
待つことが苦手だが約30分ほど大人しく順番待ち、欧米系の外国人が多いのに驚いた
大阪から8回も来たという夫妻は、この店は「カレーうどん」がお勧めだという
私は「普通のカレーうどん」、 次男夫婦は「中辛カレーうどん」、 妻は「きつねうどん」
カレーうどんを初めて食べたが実に旨かった、カレーを注文すると紙のエプロンが出る
妻が「ちい散歩」を思い出し萬田久子さんの事を聞くと、この写真を持ってきた
専用の鉢を用意 『九条ネギ、牛肉、油揚げ、玉子入り、辛口』・・あの細い身体でよく食べる
南禅寺からも近く、また食べに行きたい「月の出うどん」でした、丼物もある
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南 禅 寺
南禅寺は京都五山(禅宗の五大官寺)、その最上位別格に置かれている臨済宗大本山
(1位)天龍寺 (2位)相国寺 (3位)建長寺 (4位)東福寺 (5位)万寿寺
三門から境内
今頃は紅葉が見ごろを迎えているであろう (これは11月1日の撮影です)
三門の上で手を振る次男夫婦 ・・ 『絶景かな、絶景かな~』
あとに 『春の眺めは価(あたい)千金とは小せえ小せえ、この五右衛門には価万両』と続く
歌舞伎で盗賊石川五右衛門が三門の上から満開の桜を愛でて言う台詞(せりふ)です
境内北側の坂道
坂の傾斜に合わせた白い土塀、そして砂利を敷き詰めた石段の坂道
この美しい坂が南禅寺で最も好きな場所、桜の季節は絶好の撮影ポイントです
唐破風玄関
特別行事が行われるときに使用される玄関、国宝方丈に続く
方丈は、大方丈と小方丈の二つがあり、小堀遠州の作庭で知られている
南禅寺水路閣
琵琶湖疏水分流の水路橋、周囲の景観を配慮した美しいレンガ造りのアーチ橋である
私が写真(上の2点)を撮っていると、妻が先に二人を案内し携帯電話で知らせてきた
南禅寺 天授庵
光厳天皇の勅許により、南禅寺開山の大明国師の塔所とし建立した塔頭寺院
JR東海のキャンペーン『そうだ 京都 行うこ』、今年の秋は天授庵を紹介している
妻が以前に見た天授庵の庭園を思い出し、次男たちに見せたいと誘い入庵をした
白砂の庭を、苔に縁取られた菱形の畳石が横切る枯山水庭園
切石を組み合わせた直線的な構成は小堀遠州の発案と言われている
ここは本堂前庭の枯山水庭園です
今頃は 『そうだ 京都 行こう』の宣伝効果で、多くの観光客が訪れているであろう
書院南庭の、池泉回遊式庭園を散策
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次回は、京都名所案内(3)<東山見どころ巡り>を紹介します
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京都名所案内(1)<三十三間堂~銀閣寺> [京都の秋]
京都名所案内(1)
<三十三間堂~銀閣寺>
大阪・神戸・京都、三都旅行の3日目は、次男夫婦を京都の名所に案内
二人は共に修学旅行以来、今回の主目的は親戚への結婚挨拶であったが
結婚年齢になると風物に対する見方も変わり、古の都への関心も増してくる
二人の希望で実現した京都観光、先ずは東山の名所からスタートです
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<旅行日:11月1日>
京都名所案内・1日目
ホテル・セントノーム京都
京都駅の新幹線側に近いこのホテルを予約、大阪から移動し荷物を預け京都観光へ
部屋が広くアクセスがよいのが選んだ理由だが、宿泊費もまずまずでした
三十三間堂
天台宗蓮華王院三十三間堂、妙法寺の別院です
入母屋本瓦葺き総檜造り、柱間が33あり「三十三間堂」と呼ばれている(全長約120m)
近づいて撮りたかったが、中年男性が柱にもたれ女性はメールに夢中、残念だが諦めた
本尊:1001体の観音菩薩像に合唱
堂中央の千手観音坐像(国宝)を挟み、その左右に等身大の千手観音が並ぶ
堂の両端の風神雷神像、そして千手観音を守る仏像はすべて国宝である
堂裏の廊下では、大名家の武士たちが「通し矢」を競っていたが、今は・・・
毎年1月15日に、成人を向かえた女性たちが晴れ着で競技を競うことでも知られている
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白川の流れと柳
ここは知恩院の華頂通りと白川が交わる所、柳が芽を吹く新緑のころが最も美しい
テレビドラマに使われる場所へ次男夫婦を案内、家族三人は椅子に掛け手を振っている
この一本橋(石橋)は、比叡山で阿じゃ梨の千日修行を終えた行者が
京の町に入洛するときに最初に渡る橋だと言う、橋の上の二人は次男夫婦です
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平安神宮
明治28年(1895)に、平安遷都1100年を記念して創建された
祭神、桓武天皇(平安遷都)、光明天皇(平安京の有終)の2神を祀っている
應天門(神門)から拝殿(大極殿)
平安京遷都の日(10月22日)には時代祭りが行われる
白虎楼の下から見た拝殿、大極殿を模している
拝殿の前には「右近の橘」、そして「左近の桜」が右隅に少し見える
「右近の橘」は天皇が即位する紫宸殿に植えてある
田島守(たじまもり)の逸話を知る人は少ない 唱歌・・「香りの高い橘を積んだお船が今帰る~」
初めて「紅しだれ」の美しさを知ったの神苑、また見に行きたい(何度でも)
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銀 閣 寺
正式寺名は東山慈照寺、金閣寺と共に臨済宗相国寺派に属する
足利8代将軍「義政」が延徳2年(1490)に、山荘東山殿を造営したのが銀閣寺の発祥
応仁の乱の荒廃をよそに風雅のために建てた山荘は、今は国宝に指定されている
銀閣寺垣の参道
両側の刈り込まれた大きな生け垣には数輪の山茶花が咲き始めていた
花頭窓から銀砂灘
私の好きな撮影ポイント、11月下旬には銀砂灘の奥は真っ赤に紅葉する
銀砂灘と銀閣
3代将軍義満が造営した金閣寺より100年後に造られているが
往時の観音殿(銀閣)、東求堂は国宝に指定され現存、見事な庭園と調和し美しい
池の奥に東求堂が見える
東求堂は一層入母屋造りの檜皮葺き、現存する最古の書院造りである
展望所からの眺め
正面の小高い丘は吉田山、丘には真如堂、金戒光明寺がある
銀閣、銀砂灘、東求堂が真下に見える、いい眺めです
観音殿(銀閣)
錦鏡池と銀閣、落ち着きを感じる眺めである
余談だが、相国寺は金と銀を持っているので財政が豊かである(金閣寺と銀閣寺のこと)
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在庫写真が多いため記事を毎日更新します
次回は、京都名所案内(2)<法然院~南禅寺>を紹介します
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京都ひとり旅(5)<光明寺もみじ参道> [京都の秋]
京都ひとり旅(5)
<光明寺もみじ参道>
今回の京都旅行で最も見たかったのは、ここ光明寺のもみじ参道でした
前記事にも書いたが、開門時間を知らず長岡天満宮で時間調整のために寄り道
さすがに紅葉の名所、アクセスが不便で駐車場もないが訪れる人は多い
時々時雨が降っていたが総門に入る頃には止み、願っていた紅葉を観賞できた
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<撮影:12月1日>
光 明 寺
<総 門>
正式寺名は西山浄土宗総本山光明寺、建久9年(1198年)創建
法然上人が念仏の教えを最初に説いた「浄土門根元地」と言われている
総門の前は混雑し撮影をせず、この写真は今年4月に撮った写真です
<表 参 道>
この参道は表参道(通称女人坂)、もみじ参道は左にある
この写真は帰る時(10時過ぎ)に撮影、観光客が少し途切れる時間帯です
<もみじ参道>
ツアー観光客は表参道に向かったので、もみじ参道は一時的に空いていた
光明寺の紅葉は、JR東海のCM「そうだ 京都 行こう」でも紹介している
モミジのトンネルとして知られているが、落ちモミジも美しい
<薬 医 門>
もみじ参道の途中にある薬医門、日が差し始めた紅葉は鮮やかで美しい
数人のカメラマンがこの場所に陣取り撮影中、私も仲間入りをした
薬医門から振り返って撮影
<勅 使 門>
石段の両側からモミジの枝が伸び、古寺らしい風情を感じる
<御 影 堂>
光明寺の開基は蓮生法師、平家物語や謡曲「敦盛」で知られる熊谷次郎直実
一の谷の源平合戦で一騎打ちをし、討ち取った相手は若干16歳の公達敦盛
この世の無常を感じた直実は、法然上人に導かれて仏門に入った
御影堂の外陣を巡る参拝者
<境内の紅葉>
阿弥陀堂(奥)に向かう参道のモミジがも見ごろを迎えていた
<オレンジ色のモミジ>
光を浴びて彩りが美しい、上の写真のモミジを撮影した
<紅色のモミジ>
御影堂の横のモミジ、落ち葉の色も鮮やかでした
<もみじ参道>
もみじ参道の上から撮影、見事な眺めでした
<再び・総門>
帰る頃には、また時雨が降り始め運に恵まれたとようだ
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次回は、御堂筋ひと駅散歩<イチョウ並木>を紹介します
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京都ひとり旅(4)<長岡京の寺社> [京都の秋]
京都ひとり旅(4)
<長岡京の寺社>
この日は、友人の快気祝いを兼ねた集いが伊丹市の友人宅で午後1時から
それまでの時間を使い、前日に続いて京都の紅葉を見に行くことにした
今回の旅で最も見たかったのは光明寺のもみじ参道、阪急の長岡京駅から
タクシーを利用したが光明寺の開門は9時と知り、長岡天満宮に寄り道をした
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<撮影:12月1日>
長岡天満宮
<大 鳥 居>
天満宮の一帯は菅原道真の所領で、道真公が大宰府に左遷されたときに
長岡に立ち寄り、名残を惜しんだという縁故により、後に天満宮が創立された
<社 殿>
この社殿は、昭和14年に平安神宮の旧社殿を移築したもの
「わが魂長くこの地に留まるべし」と名残を惜しみ手彫りの像を祀ったのが始まり
<牛の銅像>
道真公と牛像とは、誕生が丑の日、刺客から身を守ったなど諸説がある
受験生が頭をなでる牛像もある、この牛には梅の紋様がついている
絵馬殿の横のモミジ
<錦 景 苑>
紅葉庭園として昭和19年に造られた新しい庭園
イチョウは葉を落としていたが、モミジはまだ見ごろが続いていた
朝8時30分、境内では落ち葉を掃く人の姿があった
<池に建つ建物>
水辺の建物は、たけのこ料理で有名な料亭「錦水亭」
水に浮かぶ紅殻壁の建物は情緒がある、時代劇の撮影に使われている
<八条ヶ池の水上橋>
寛永15年(1638)に、当時の領主八条宮の命で造られた灌漑用の溜め池
外周約1kmの池は、長岡京市の観光名所になっている
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光明寺
<総門前の駐車場>
朝8時50分、光明寺に到着すると拝観者の行列が長く続いていた
時雨が降り始めるなか、皆さんの後に並び開門を待つ
観光バスが次々に到着し右側にも列ができた
開門すると、もみじ参道に行き撮影を始めたが
観光バスの乗客などは表参道に向かったので、幸いこの時点では人が少ない
薬医門に近づくと日が差し始め、紅葉が一段と美しい
光明寺の各所で撮った写真は、次回の記事で改めてアップします
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次回は、京都ひとり歩き(4)<光明寺もみじ参道>を紹介します
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京都ひとり旅(3)<祇王寺&壇林時> [京都の秋]
京都ひとり旅(3)
<祇王寺&壇林寺>
常寂光寺もモミジを観賞した後は、嵯峨野の道をさらに北に向かって歩く
途中、二尊院の門前を通ったが山内に向かう人の多さに驚き素通り
向かった先は紅葉が美しい祇王寺です、右隣の壇林寺にも入山したが
二つの寺は、その人気を反映し拝観者数が大きく違い明暗を分けていた
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<撮影:11月30日>
壇 林 寺
<山 門>
平安初期に、嵯峨天皇の皇后橘嘉智子が創建したと伝えられる壇林寺
嵯峨野に広大な敷地を持ち十二坊を数えたが後に衰退
現在の壇林寺は、昭和39年に往時を偲びこの地に再建されたもの
<立派な築地塀>
塀には門跡寺院の格式を表す横線が5本入っている
ここは皇后橘嘉智子ゆかりの寺だが、門跡寺院と呼べるのかは?
<本堂前から境内>
本堂の内陣には、本尊の観世音菩薩など多数の仏像を安置
隣接する霊宝館には飛鳥時代の美術品、皇后ゆかりの品が収められていた
展示品を見て、骨董品寺と酷評する人もいるようだが論評は控えたい
境内は、拝観者が少なくひっそりしている
<ひょうたん池>
係の人が紅葉の写り込みを見せるため、落ち葉を取っていると言っていた
この池には、モリアオガエルが棲息しているそうだ
石灯篭を二体
築地塀の右端にあったもう一つの門
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祇 王 寺
<山 門>
平清盛の寵愛を受けた、白拍子の祇王と仏御前が出家し仏門入りをする
平家物語の一節で悲恋を伝える寺、さすがに拝観者は多く混雑をしていた
<境 内>
祇王寺は、法然上人の弟子良鎮が創建した往生院の跡を引き継いだもの
明治初期には一時廃寺になっていたが、白拍子祇王らの悲恋を知った
当時の京都府知事が、嵯峨にあった茶室(庵)を寄進し本堂として復興した
祇王寺は苔が美しい寺として知られている
赤い葉は散り急ぎ縮んでしまったのか、落ち葉は黄色系が多い
多くのモミジが葉を落とし境内を覆っていた
<手 水 鉢>
祇王寺で撮りたかったのは、手水鉢の落ちモミジでしたが
筧(かけい)の水量が多く落ち葉が流されてしまう、猫の石(矢印)も新しい
4年前(2008.11、25)に撮った手水鉢 ↓↓ と比べてください
境内の落ち葉は少ないが、手水鉢にはモミジが多く残っています
茅葺屋根の門と嵯峨菊
この後、小倉山(最初の記事)を通り、阪急嵐山駅から大阪に向かった
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次回は、京都ひとり歩き(4)<長岡天満宮>を紹介します
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京都ひとり旅(2)<常寂光寺の紅葉> [京都の秋]
京都ひとり旅(2)
<常寂光寺の紅葉>
今回の嵯峨野散策は、常寂光寺の紅葉を観賞するのが目的の一つ
今年の紅葉は見ごろが少し遅れているというが、それでも晩秋の11月30日
境内のモミジは葉を落とし、境内は絨毯を敷き詰めたようになっていた
気がついたことだが、赤い葉は散り急ぎ橙色のモミジが境内を飾っていた
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<撮影:11月30日>
紅葉をめでる
<山 門>
平安時代、藤原定家の山荘「時雨亭」があったと伝わる地、慶長元年(1596)に
日蓮宗本圀寺16世日偵が開山、百人一首で詠まれる小倉山の中腹にあり
秋は全山が紅葉に包まれ、常寂光土のような風情から寺号がつけられたという
山門から仁王門に続く参道
仁王門から本堂に向かう石段のモミジは美しいが、殆ど葉を落としていた
仁王門から右に上がる参道
緩やかな石段を登った上は鐘楼と本堂が建つ境内です
斜面の紅葉(1)
斜面のモミジは、まだ葉が残り美しい紅葉を保っていた
斜面の紅葉(2)
一瞬の陽光は、モミジを美しい色に引き立てくれる
鐘楼横の落ちモミジ
目前の立ち木はイチョウ、モミジの上に黄色の葉が重なっていた
本殿前の落ちモミジ
この辺り落ちモミジは、赤い葉が多くしかも厚く積もっている
多宝塔と紅葉
もう少し上まで行けば嵯峨野の景色が撮れたはず、後で思い返し反省
多宝塔の近くで見た赤いモミジ
石灯篭の奥のイチョウ
灯篭の枠を額縁にして撮影、私が好きな構図です
紅色に染まりきれないイチョウ
常寂光寺出口
案内ではこの道行き止まり、それを知ってか知らずか人が行く
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嵯 峨 菊
<嵯峨野に似合う菊>
嵯峨天皇が愛した菊で嵯峨御所(大覚寺)の大沢池に植えたのが始まりという
糸のように細い花弁が下がって咲く様子が好きで、この菊のフアンになった
見ごろからは少し遅いようだが、数年前に大覚寺で見た嵯峨菊の展示では
高さと色が違う菊を寄せ植えにした鉢が美しく、今もよく覚えている
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次回は、京都ひとり歩き(3)<祇王寺&壇林寺>を紹介します
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京都ひとり旅(1)<晩秋の嵯峨野> [京都の秋]
京都ひとり旅(1)
<晩秋の嵯峨野>
比叡山延暦寺の巡拝してから22日後、今回も友人との再会が目的で大阪へ
歳を重ねると友と逢う機会が多くなる、この日は夕刻に大阪天満で待ち合わせ
それまでの時間を利用し、晩秋の嵯峨野を一人で巡ることにした
ここでは常寂光寺、祇王寺の紹介は後回しにし、その先に記事を進めます
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<撮影:11月30日>
嵯峨野めぐり
JR嵯峨嵐山駅から歩き始めたが、午後からの散策では残り時間に限りがある
大覚寺、清涼寺などは次の機会とし、主に小倉山の山麓をめぐった
<野宮神社>
鳥居は木の皮がついたままの「黒木の鳥居」、古代の形式を伝えているという
本殿左側の野宮大黒天は、縁結びの神として知られ参拝者は若者が多い
<山陰本線踏切>
野宮神社から竹林の道を通り抜け小倉山の方向に歩く
<小倉山二尊院>
今秋の、JR東海のテレビCN「そうだ京都行こう」は・・二尊院
ツアー客がガイドさんに先導され次々に入山、混雑を避け門前を通過した
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<嵯峨野の寺院>
常寂光寺、壇林寺、祇王寺の記事は、次にアップします
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<嵯峨野竹林の道>
常寂光寺などの拝観と紅葉を観賞した後は
竹林の前を横切り、大河内山荘の下を通り、トロッコ嵐山駅を左に見て
真っすぐに向かった先は、保津峡を見下ろす小倉山です
<保津川渓谷>
小倉山の展望台から見た保津峡、桜の季節にここから眺めたことがるが
ここは紅葉の時期が最も美しい、雲が厚い夕方で少し残念であった
トロッコ列車の案内板に通過時間を表示、多くの人たちが列車を待っていたが
車両故障で運転中止だと教えると、がっかりして引き上げて行った
青い矢印はトロッコ列車が亀岡に向けて走る線路
白い矢印は嵐山温泉「星のや京都」(元嵐峡館)、白丸は宿泊客を運ぶ屋形船
<保津川の河畔>
小倉山の展望台から、万葉集の石碑が並ぶ公園を通り坂道を下ると
保津川(桂川)の河畔に着く、前方から保津川下りの舟(右側)が近づいてくる
妻と二人でボートに乗り、嵐山温泉の近くまで行ったことが有るが
それは15年ほど前のこと、今はそのような無理はできない
渡月橋に向かう、人力車の乗客は可愛い子供を乗せた親子でした
<河畔から見た嵐山>
対岸に向けてライトアップの照明灯が用意されていた、右は鳥ヶ岳でしょうか
<渡月橋から見た小倉山>
保津峡の写真を撮った展望台は、右前方の小倉山の中腹辺りです
<阪急電車嵐山駅>
午後4時を過ぎ、友人と待ち合わせの大阪天満に向かった
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友人夫妻と会食
<天神橋筋>
大阪天満宮の東側に、約600店の店が並ぶ日本一長い商店街
天神橋筋1丁目から7丁目まで全長2.6kmもあるが
友人夫妻と3丁目から2丁目へ、予約をしていた小料理屋に向かった
<繁 盛 亭>
天神橋2丁目にある上方落語唯一の寄席、漫才なども行っている
午後6時30分の夜席が始まる時間、次々に観客が入って行った
<大阪天満宮>
北野天満宮、大宰府天満宮とともに日本三大天満宮の一つ
表門は午後6時に閉じていた、天神祭りの神事行列はこの門から出発する
天満宮の周辺は、Brogger orangeさんのテリトリーですね
<ご馳走家・箸の音>
友人夫妻に案内されたのは、大阪天満宮の一本東の通りにある小料理屋
一品一品、板前さんがつくった料理はどれも美味しく、ご馳走になった
昨年の秋、安曇野へりんご狩りに行って以来の再開
次回は、どこかで妻を交えての会食を約束し地下鉄の梅田駅で別れた
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次回は、京都ひとり旅(2)<常寂光寺の紅葉>を紹介します
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