美濃名所旅行記(1)<岐阜城公園> [中部地方の旅]
旧東海道由比宿<ぶらり散策> [中部地方の旅]
奥浜名湖旅行<舘山寺散策> [中部地方の旅]
奥浜名湖旅行<女城主ゆかりの寺> [中部地方の旅]
伊勢志摩旅行記⑦<英虞湾観光> [中部地方の旅]
伊勢志摩旅行記(7)
<英虞湾観光>
今回の伊勢志摩旅行も、この記事の英虞湾観光が終章です、
旅行会社のツアーは、伊勢神宮内宮に参拝し、おはらい町、おかげ横丁を散策
そして、鳥羽湾のホテルに宿泊し、英虞湾などは素通りで南紀熊野に向かう
前記事の大王崎もそうだが、英虞湾で出会ったのも個人客のみであった
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(撮影:4月25日:26日)
英虞湾観光
<桐垣展望台>
英虞湾の西の展望台、右は賢島、左は前島半島、手前には間崎島が見える
夕陽の染まる英虞湾の絶景を撮りに、多くのカメラマンが訪れるという
<横山展望台>
英虞湾を見下ろす標高200mの展望台、志摩を代表する美しい景色だが
この日は春霞と黄砂の影響で視界不良、中ほどの建物が見える島が賢島です
<賢島大橋>
橋の上から英虞湾の一部を見る、橋を渡った右側が賢島
海に浮かぶ筏は、真珠養殖用の基地筏だと教えられた
<英虞湾クルーズ>
エスペランサ号に乗船し、英虞湾を約50分のクルージング
スペイン大航海時代のカラック船と呼ぶ船をモチーフにしているそうだ
大型連休前のウイークデーとは言え、乗客は私たち5人を入れても11名
上の写真、橋の上の二人は外国人の夫婦
かって賑わったであろう志摩半島も、観光客の減少で寂しく感じた
真珠養殖用はえ縄
真珠養殖いかだ
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ホテルにて
<海辺のホテルはな>
赤い線は4姉妹が泊った広い部屋、私はその下です
本館の福寿荘を避けたのは、4姉妹には使い難い一つの洗面トイレ事情
2日目の朝(1)、ホテルの部屋から撮影
2日目の朝(1)、ホテルの前で撮影、南国のようです
<本館(福寿荘)>
2日目の夕方に本館の温泉へ、1,300mボーリングし温泉を掘り当てたという
奥に見えるのは姉妹館、岩壁の船は福寿荘の専用船です
<1泊目の料理>
地元志摩の海鮮料理、写真撮影はこの2枚のみ
<2泊目の料理>
海の幸を中心にしたバーベキュー、アコヤガイ(阿古屋貝)もあった
<3日目の朝>
ホテルのロビーで記念撮影
妻は少し胃が痛み前夜の食事も控えめ、この頃から容体を悪くしていた
最終日は「二見浦」を予定していたが降雨で中止
年を重ねた4姉妹、元気なうちにと、次の旅行先の相談を受けた結果
秋口に、大町温泉~黒部アルペンルート~宇奈月温泉行きを候補に選んだ
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伊勢志摩旅行記、長くなりましたがご覧頂き有り難うございました
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伊勢志摩旅行記⑥<大王崎を歩く(2)> [中部地方の旅]
伊勢志摩旅行記(6)
<大王崎を歩く(2)>
大王崎の目的は、灯台、石段の坂、二つの寺院(一つは堂)、そして土産物
この記事では、大王崎の寺院と、是非歩きたかった帯屋坂を紹介します
最近は観光客が減少しているが、志摩観光で一番の好印象はここ大王崎
予定時間を超えたが、巨人伝説(ダンダラボウシ)の波切神社には行けなかった
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汗かき地蔵
波切漁港にほど近い所に、地元の人々が「堂の山」と呼ぶ丘がある
ここは薬師如来堂を中心に小さなお堂が集まる、寺院ではなく信仰の山
地元の人たちが管理し、祭事には大慈寺などの住職が法事を勤めるという
<薬師如来堂>
境内の奥が薬師如来堂、正面の扉を明け堂内に入って自由に拝観できる
堂内には、薬師三尊像、十二神将などが安置されていた
<汗かき地蔵>
天文年間(1532~54)、漁師の網にかかっとされる地蔵尊
この地蔵様、吉事には白い汗、凶事には黒い汗をかくと言い伝えられている
海上安全、大漁満足、家内安全、家業繁盛などを祈願した祭りが行われる
地蔵堂の堂内も拝観自由、畳に座り参拝をする
正面奥に「汗かき地蔵」が安置されていたが、写真撮影は控えた
<思案地蔵堂>
江戸時代末に起きた「波切騒動」で亡くなった人々を供養するため安置
大王町史に由来の説明しているが、事件の顛末が長くなるので省略します
境内には、他にも庚申堂、大日如来堂、馬頭観音堂などが有った
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法雨山 大慈寺
九鬼氏が城主になる以前に、当地を支配した権力者が庵を結んだのが
大慈寺の開基のようだが、その詳細はよく分からない
臨済宗妙心寺派の寺院、桜、紫陽花が美しい花の寺として知られている
<石垣と練塀>
大慈寺に訪れた目的の一つは、波切石工代表作のこの土塀
石垣は万延年間に積まれ、石垣の上の練塀は明治期に構築されたもの、
これだけ見事な土塀がある寺院は少ない、大王崎を訪れた甲斐があった
<花 の 寺>
早春には「てんれい桜(河津桜)」が咲き、6月には1,500株の紫陽花が咲く
「花の寺」「志摩のあじさい寺」と呼ばれているそうだ
<本 堂>
山門から境内を見ていると、住職が姿を見せ境内を案内して頂いた
そして、本堂に上がり拝観するようにと勧められる
<十一面観世音菩薩>
ご本尊に参拝、写真もOKで遠慮なく撮影させて貰った
<足腰弱り止め祈願草鞋>
皆さん全員は足腰が弱る高齢者、堂内の隅にあった「お守り」を求めると
住職が祈願をしてくれた、後ろの席に並び一緒にお願いをする
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帯屋坂(おびや坂)
波切は石工の町、前記事で伝三坂を紹介したが、見たかったのはこの帯屋坂
大慈寺の土塀も素晴らしいが、この坂の石壁、石段には圧倒される
ひとつ一つ石を運び、そして積み上げて造った人たちの努力に敬意を表したい
女性4人を食事処へ案内し、私は坂道を散策
大王崎は絵かきの町、この石段も好んで描く人が多いそうだ
(左):この住宅専用の石段、他にも多数見かけた
(左):坂を見下ろす (右):廃工場の煙突には蔦がぎっしり
<食事処・田中料理店>
タクシードライバーの紹介の店、海の幸を使った美味しい店でした
写真は2日間チャーターしたワゴン車、料理が出る前に慌ただしく坂を歩いた
次回は、英虞湾観光を紹介します
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男やもめ・失敗談
歳を重ねて初めてのチョンガー生活、失敗続きですが、その中から二つ・・
味噌汁に・・味が無い?
夕食にインスタントの味噌汁を用意したが、まったく「味がない」
不良品が紛れ込んだのかと思い醤油をかけて飲んでしまい、翌日娘に聞くと
味噌の袋が有ったでしょと言う、具と味噌が別々だとは知る由もない
風呂に・・お湯が無い?
ぼつぼつ湯が沸いたかなと思い、裸になって風呂の蓋を開けるとお湯が無い
よく見ると、排出口の栓が開いたまま、冬ではなく良かった
翌日も入ろうとすると湯が冷たい、電源はONしたが追い焚きをしていなかった
皆さんから、奥さんの有り難さが分かったでしょ、と言われそうですね
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伊勢志摩旅行記(5)<大王崎を歩く> [中部地方の旅]
伊勢志摩旅行記(5)
<大王崎を歩く>
志摩といえば、リアス式海岸の内海と穏やかな英虞湾が思い浮かぶが
大王崎は遠州灘と熊野灘の分界にあたる海の難所、太平洋に突き出た断崖に
白亜の大王崎灯台が聳え、海触台地の狭い石段の坂道には家々が建ち並ぶ
ここは、絶好の画材を提供する、「絵かきの町」としても知らていれる
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(旅行日:4月25日)
波切漁港と坂道
古くから御食つ国(みけつくに)と言われ、志摩は海の幸が豊かやところ
そして、波切港は志摩を代表する漁港で多くの魚が水揚げされる
御食つ国は、朝廷(内宮)に食糧(魚介類)を献上する猟場、御生贄所を言う
波切漁港は、志摩半島の海触台地に囲まれた天然の入江である
<伝 三 坂>
大王町の魅力の一つは、石垣と石段で覆われた要塞を思わせる坂の町
女性4人を波切漁港近くの干物の店に案内し、私は坂道を散歩した
(左):石畳の坂道 (右):石段の坂道
坂の上は石塀に囲まれ、波切漁港と家々が見下ろせる
(左):石で造られた秋葉山の祠 (右):海岸に降りる坂道、犬が覗いていた(矢印)
<干物の店>
坂道歩きから戻って来ると、女性たちはまだ買物の真っ最中
自家製の干物をその場で買え、しかも安いので土産物にと買い込んでいた
このような店が2軒あったが、皆さんが買ったのは魚武商店
(左):焼き立ての試食を頂いた (右):手前の価格を見ると安いそうです
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絵かきの町と灯台
<灯台に続く商店街>
妻は、この土産物店 で「あおさ」と「ひじき」を買っていたが
かつて賑わっていた大王崎も、今は観光客が大きく減少し寂れていた
<波切九鬼城址>
戦国時代、織田信長の水軍として毛利方の村上水軍と戦った九鬼一族
大王の岬の地形を利用した自然の要塞「波切城」がここにあったという
波切漁港の近くにある仙遊寺には、九鬼一族の五輪塔が残されている
<絵かきの公園>
断崖の上に建つ白亜の灯台と波しぶき、そして石畳の坂道などを描きに
昭和初期から多くの画家が訪れる、「絵かきの町」として知られた所
公園には「古き絵かきの銅像」が有り、この日も3人の人が絵を描いていた
<大王崎灯台>
3人の人たちが描いていたのは・・この景色です
日本に14か所ある参観灯台の一つ、日本の灯台50選にも選ばれている
初日の出を見るために、毎年大勢の観光客がやってくると言う
暗礁、岩礁が多く「伊勢の神前、国崎の鎧、波切大王なけりゃよい」と唄われ
船乗りたち恐れられた大王崎、沖を航海する船舶の守りになっている
灯台最上部から見ると、絵かきの公園台地)が下に見える
遠州灘、熊野灘の荒波が断崖に砕け散る景観は志摩第一と言われている
次回に続く
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妻と私の病気
皆さまからお見舞いを頂き有り難うございました、
妻のこと
胆のう摘出手術をして昨日(23日)で1週間、本来なら抜糸を終え
今週末には退院の予定でしたが、流動食を食べ始めた後に激しい痛みに
2度襲われ(1度は手術以外の場所)加療を継続、退院日は少し遅れそうです
私のこと
昨日、日大病院でレザー治療を受けました、網膜に出来たポリープに
レザーを152回(数えていた)照射し、ポリープを焼き出血を食い止める治療です
1週間、重い物を持つ、走る事は厳禁、今朝は天眼鏡を使うと活字が見え易い
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伊勢志摩旅行記④<伊勢から志摩へ> [中部地方の旅]
伊勢志摩旅行記(4)
<伊勢から志摩へ>
豊受大神宮(外宮)、皇大神宮(内宮)、門前のおはらい町を散策した後は
契約をしていたワゴンタクシーで、伊勢志摩スカイラインを通り朝熊山展望台へ
伊勢神宮のパワースポット、奥の院の金剛證寺と別宮の伊雑宮へ参拝し
そして志摩観光の拠点に選んだホテルが有る、渡鹿野島へと向かった
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(旅行日:4月24日)
伊勢志摩スカイライン
<朝熊山展望台>
内宮から、伊勢志摩スカイライン(有料)を約25分ほど走ると展望台
近鉄鳥羽駅(水族館)との中間、朝熊山の山頂の近く(標高約500m)にある
石碑には、「天皇 皇后両陛下 御立寄処」と記されていた
鳥羽市街、鳥羽湾、神島、答志島、伊勢湾が一望できる景勝地
遠くに知多半島、渥美半島、そして一年に数回は富士山も見えるそうだが
この日は、春霞と黄砂の影響で視界不良、ご覧の通りです
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金剛證寺
伊勢神宮の丑寅(北東)にあり、昔から「伊勢神宮の鬼門を守る寺」として
また神宮の奥の院とも呼ばれ、多くの人々から信仰を受けてきた
『伊勢を参らば朝熊かけよ、朝熊かけねば片参り』 と、伊勢音頭に唄われた
<仁 王 門>
朝熊山展望台にも近いが、高齢者が多いので境内の駐車場に着ける
年末年始などには臨時バスが運行されるが、通常は定期バスはなく不便
<連間の池と連珠橋>
此岸(迷いの世界)と、彼岸(悟りの世界)を、表わしているそうだ
5月中旬から9月にかけて、数百の睡蓮の花が咲き続き美しいという
<金剛證寺本堂(重要文化財)>
正式名は、長峰山 兜率院 金剛證寺、 臨済宗南禅寺派の別格本山
本尊は福威智満虚空蔵大菩薩、その奥に天照大御神を祀っている
本尊は秘仏、伊勢神宮式年遷宮の翌年に20年に1度のご開帳をしている
<牛・虎の像>
虚空蔵菩薩の守り本尊は、うし年(丑年)、とら年(寅年)
本堂前の両側にこの像があった、伊勢神宮の鬼門(北東)とも一致する
『伊勢は津でもつ、津は伊勢でもつ、尾張名古屋は城でもつ』 も伊勢音頭の一節
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伊雑宮(いざわのみや)
皇大神宮(内宮)の別宮14社のひとつ、内宮から遠く離れた志摩国において
天照大神の御魂を祀ることから、遥宮(とおのみや)とも呼ばれている
伊勢神宮の中で御神田を持つ唯一の別宮、隣りに御神田があったが撮影忘れ
皇大神宮の鎮座後、倭姫命が御贄地(みにえどころ)を定めるため志摩を巡行中
伊佐波登美命が奉迎しこの地に当宮を創建、皇大御神の魂を祀ったという
御贄地とは内宮への御供物を採る所、重要無形民族文化財の御田植式がある
平成25年、皇大神宮とともに式年遷宮が行われる
現在建っている所と手前の敷地との間を、20年ごとに交互に遷宮する
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渡鹿野島
伊勢志摩国立公園の志摩地区、的矢湾に浮かぶ周囲約7kmの小島
的矢湾は、大阪と江戸を往復する菱垣船などの風待ちの港として栄えた所
ホテルからの迎えの船に乗り、約3分ほどで渡鹿野島に到着する
<海辺のホテル はな>
この島に三つの宿を持つ福寿荘の別館、4月24日、25日に2連泊
最上階の広い部屋が女性4人(お婆さんたち)、私はその下の洋室です
ホテルの前は堤防に囲まれた砂浜、海水浴の更衣施設もある
対岸は志摩安乗地区、湾に浮かぶのは「真珠養殖ブイ」と「海釣りの筏」です
この記事はほぼ下書きを終えていた、以下は追加です
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私の眼病「加齢黄斑変性症」
日大病院で検査を受けた結果、 7年前の発病と同じ「黄斑変性」と診断された
これは、眼底の黄斑部(網膜まど)に出血し視力を著しく低下させる病気で
前回よりかなり軽いようだが、それでも天眼鏡の助けが無ければ新聞が読ない
治療は眼球に注射(1カ月ごとに3回)する新方法、完治まで長期戦になりそうだ
発病要因は「加齢」が主で、パソコンなど目を使う仕事とは関係が少ないと言う
(日大病院の治療手帳からその一部を掲載させて頂いた)
私のブログ記事に大きな字を使っているのは、視力が弱いためです
日大病院には、「加齢黄斑変性症」治療の第一人者の教授がおられる
7年前、老人性が原因と言う先生の説明に抵抗し加齢性に変えて貰ったが、ささやかな抵抗です
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次回は、伊勢志摩旅行記(5)「大王崎を歩く(1)」を紹介します
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伊勢志摩旅行記③<伊勢神宮 門前町> [中部地方の旅]
伊勢志摩旅行記(3)
<伊勢神宮 門前町>
江戸時代、庶民の夢は一生一度のお伊勢参り、仲間と伊勢講をつくり「お陰参り」
そして、雇用主に告げず無一文でも道中の家々に助けられて行ける「抜け参り」
雇用主は、伊勢まいりについては責めることが出来なかったという
お伊勢参りの熱狂的な参拝客を、伊勢の人々は「おかげの心」で迎えたという
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(旅行日:4月24日)
おはらい町
<おはらい町通り>
伊勢神宮の内宮前、五十鈴川に沿って門前町が約1kmほど続く石畳の道
江戸、明治期から、お伊勢さまへの参拝客を迎えた「おはらい町」です
伊勢地方では、この正月飾り「しめ縄」を玄関に飾り家族の「笑門」を招くという
無病息災と家内安泰を呼び込むため、正月前から年末まで飾るそうだ
五十鈴川郵便局 、明治期に造られた郵便局で有ろうか
中に入ると、記念切手は有ったが欲しかった伊勢のハガキは無かった
明治4年、郵便操業にあたり製作された郵便ポストに模して造られたもの
当時のポストは、江戸時代の目安箱に似た角型木製であったと記されている
赤福本店で、伊勢名物の赤福餅を頂く
この建物は、明治以来130年を経過しているそうだ
写す前に食べてしまい隣りの人に拝借して撮影、ドジな話です
赤福の庭園から川岸に降り、五十鈴川と新橋を撮影
新橋から「おかげ横丁」の方向を撮影、右の建物は赤福本店
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おかげ横丁
<横丁の入口>
江戸、明治時代の門前町の賑わいを、今に再現させた「おかげ横丁」
若い人のような感心も薄く、横丁をひと回り5分ほどで通り抜けた
射的場、土産物店が並ぶ奥には「芝居小屋」がある
伊勢うどんの店、食事を済ませていたのでスルー
おかげ横丁の中央辺り
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再び、おはらい町
<伊勢神宮 内宮へ>
お伊勢さん特有の、切妻・入母屋・妻入り様式の古い建物が建つ通り
食事処や土産物店が並ぶ、おかげ横丁と内宮の間は観光客で賑わっている
伊勢うどんの店が並ぶ
手打ちの太いうどんに、きざみネギをのせるそうだが、まだ食べた事が無い
土産に買ったのは、昔懐かしい剣先形の生姜糖
見つけたのはこの店一軒だけ、今では観光客の人気は低いようだ
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お知らせ
3日前から眼病が再発(網膜出血)し、すべての物が霞んで見え新聞を読むにも
天眼鏡を使っています、妻の入院に続いて私の病気、誠に災難続きです
皆さまの記事は極力拝見しますが、不行き届きの点はご容赦をお願い致します
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伊勢志摩旅行記②<伊勢神宮 内宮参拝> [中部地方の旅]
伊勢志摩旅行記(2)
<伊勢神宮 内宮参拝>
伊勢神宮という名は通称で、皇大神宮(内宮)、豊受大神宮(外宮)の正宮と
この二つの正宮に所属する、別宮、摂社、末社などを総称し神宮という
内宮の御祭神は八百万の神々のなかで中心をなす「天照大御神」を祀っている
空も晴れ渡り清々しい風を身に受けながら、8年ぶりに内宮の参拝に向かう
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(旅行日:4月24日)
皇大神宮(内宮)
<宇 治 橋>
宇治橋は五十鈴川に架かる橋、長さ約102m、幅約8.5mの檜造り
俗界と聖界とを結ぶかけ橋で、この橋を渡ると神域に入る
宇治橋の外側と内側の2か所には、高さ7.4mの大鳥居が立っている
橋の欄干から覗くと五十鈴川に木の杭が立っている
これは、宇治橋を流木から守るための「木除杭(きよけぐい)」です
宇治橋の上から五十鈴川の上流域を見る、橋の上は右側通行
遠くに御手洗場が、そして右には国旗が見える(気が付く人は少ない)
神域の外に掲げられている国旗を、表参道からズームアップして撮影
<神 苑>
宇治橋を渡り、直角に右に回ると表参道の神苑にでる
玉砂利を敷き詰めた参道を静かに進む、若い人たちの参拝が意外に多い
神苑を更に進むと、その先には火除橋と手水舎がある
前方を歩く女性の後ろ姿は4姉妹、妻は左端 (この時は元気でした)
<御手洗場(みたらし)>
緩やかな石段の斜面を降りると、五十鈴川の清流が流れている
この御手洗場は禊(みそぎ)のため身を清めたところ、参拝の前に手を洗う
前回より流れが早くなったと思えるのは、堆積した土砂(矢印)の為であろうか
五十鈴川の清流と若葉
<第二鳥居>
御手洗場からは、参道がほぼ直角に曲がりしばらく進むと第二鳥居がある
皇族の方は、ここで御車から降り修祓(お祓い)をし参拝に向かわれる
<神宮鎮座>
垂仁天皇の時代、皇女倭姫命が各地を巡幸し五十鈴川のほとりを
鎮座の地として選び、以来2000年間深い信仰を集めている
<御正殿(正宮)>
御正殿は南に面して立てられ、唯一神明造りと呼ばれる建築様式で
一般神社の神明造りと区別をして呼ぶために唯一という名が付けられている
御正殿前の約30段の石段を上がり、板垣南御門に進み参拝に向かう
<神宮祭主について>
天皇家の長女清子さんが、高齢の神宮祭主の池田厚子さんを補佐するため
臨時神宮祭主に就任され、式年遷宮など一連の行事に当たられる事になった
前回の参拝では、新嘗祭の祭主を務めておられた池田厚子さんに出会った
<外玉垣南御門前>
板垣南御門前で参拝、御門には生絹の御幌(みとばり)が掛けられているが
御幌が風に煽られ正宮の中が拝観できた、南御門内は撮影禁止
<式年遷宮>
平成25年に、この敷地内に建造される新正殿に御神体が移される
遷宮は20年に一度、現在の御正殿の左隣り白の幕で囲まれた内側に造営
上の写真の矢印です
<神 楽 殿>
神楽殿・御饌殿・御札授与所があり、内宮・荒祭宮・風日祈宮の御札やお守り
御神楽の奉奏、参拝記念の御朱印などを受け取ることができる
<御 酒 殿>
火除橋を渡ると正面に御酒殿が有る、昔はここで神酒の醸造をしていたそうだ
御酒殿祭では、神酒の醸造祈願と共に酒造業の繁栄を祈念している
高齢の二人の姉は、伊勢神宮の参拝は今回が納めになるとの思いが強い
内宮、外宮の参拝を無事に終え目的を達成する事ができた
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次回は、伊勢志摩旅行記(3)「内宮の門前町」を紹介します
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