川越七福神巡り(4)<見立寺・蓮馨寺など> [東京近県散歩]
川越七福神めぐり(4)
<見立寺・妙昌寺・蓮馨寺>
毎年に続けている七福神巡り、今まで隅田川七福神(2回)、浅草七福神
青梅七福神、そして昨年は谷中七福神を巡っているが、何れも東京都内
今年初めて埼玉県の川越七福神巡りをした、この日は私の誕生日でもあり
川越は祖先に繋がるルーツ、寒い日でしたが記憶に残る七福神巡りになった
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第六番 布袋尊「大量」
<見立寺(けんりゅうじ)>
寺号:寿昌山了心院見立寺 宗派:浄土宗 本尊:阿弥陀如来
永禄元年(1558)、小田原北条氏の重臣大道寺政重繁が感誉存貞上人を請じ開山
新河岸川に面した石垣と植え込みの参道、坂を上がると見立寺の境である
布袋尊は本堂に遷座
扉を開いた正面(金色に見える)に布袋尊を安置、皆さんと拝観する
布袋尊像
万歳をするように両手を上に挙げている、写真が悪いがご容赦ください
布袋尊小堂
本来はこの堂に安置、本堂内に御遷座と記されていた
「六地蔵」と「赤穂浪士・矢頭右衛七の妹の墓」(左)
母と共に奥州白河藩の叔母を頼り移住し結婚、白河藩の国替えで川越で没したという
旅立ちの法然さま
13歳の時の法然上人が美作国(岡山県)から比叡山に向かう時の姿である
<新河岸川(今は水量が少ない)>
江戸初期から約300年間、川越と江戸を結ぶ重要な舟運としてこの川が使用された
寛永の大火のあと、喜多院、仙波東照宮の再建用の資材を運び込んだのが舟運の始まり
新河岸川(内川)、荒川、隅田川を通じ江戸との間を、物資、農産物、旅人の輸送をしていた
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第七番 弁財天「愛敬」
<妙昌寺(みょうしょうじ)>
日蓮宗大本山池上本門寺の末寺、永和元年(1375)に池上本門寺の第四世
大鷲妙泉阿者利白山聖人の開創、開山は法真院日意上人という
道に迷いようやく辿り着いたが、七福神の旗幟は山門には無く本堂の前にあった
弁天堂と弁財天
本堂左の坂を下ると砂利を敷いた駐車場、その片隅に弁天堂がある
堂内を覗くと弁財天が見当たらない、左手の仮社務所の女性(色紙の捺印係り)に聞くと
1の日の縁日のみ弁財天が拝観できるいう、七福神巡りは正月7日までのはずだが?
代わりに・・弁財天像の版画
川越七福神霊場会の現会長は妙昌寺の住職、この寺院のみ拝観できなかった
大いに不満と疑問を感じながら、次の蓮馨寺に向かった
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第五番 福禄寿神「人望」
<蓮馨寺(れんけいじ)>
寺号:孤峰山宝池院蓮馨寺 宗派:浄土宗 本尊:阿弥陀如来
天文18年(1549)、川越城主大道寺政繁(北条)の母堂蓮馨大姉の発願により創建
開山は感誉存貞上人、第6番見立寺「布袋尊」の創建も大道寺政繁である
浄土宗 壇林
開山の感誉存貞上人は学徳に優れ、関東十八壇林の一つとなり葵の紋所が許されている
壇林とは、幕府公認の僧侶の養成機関(僧侶の大学)で多くの学僧を育てた
子育て呑龍上人(山門の右に刻む)
上人は困窮する人々を救い、子供たちを預かり勉学の機会を与えるなど
生き仏として崇められた高僧、社会事業の先駆者として境内の呑龍堂に祀られている
厨子に納まった福禄寿神
普段の安置場所は不明だが、本堂の右に遷座し拝観ができる
子育・水子地蔵菩薩
呑龍上人にあやかり地蔵菩薩には花や果物など供え物が多い
<七福神めぐり色紙>
西武本川越駅に戻る順路の都合で、5番の蓮馨寺が最後になった
駅前でコーヒータイム、疲れを癒し次男夫婦と待ち合わせの立川駅に向かった
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誕生日会食
築地玉寿司(立川ルミネ店)
次男夫婦が私の誕生日を祝い会食に招待してくれた、嬉しいことである
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次回は、お薬師様に初詣<新井薬師梅照院>を紹介します
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川越七福神巡り(番外)<小江戸川越散策> [東京近県散歩]
川越七福神めぐり(番外)
<小江戸川越 散策>
江戸文化の影響を大きく受け、城下町、商人の町として栄えてきた川越には
江戸町家形式の蔵造りの建物が軒を連ね、江戸の面影を今に残している
喜多院、成田山から次の見立寺に向かう途中に蔵造りの町並みがある
この記事では七福神巡りの記事をひと休みし、小江戸散策記を紹介します
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大正浪漫夢通り
明治の面影を残す蔵造りの町並みから、一筋東側に大正浪漫夢通りがある
アーケードのある銀座通り商店街で有ったが、買物客の減少でアーケードを撤去
当時の建物を活かすなど町興しを行い、大正浪漫夢通りへと生まれ変わった
蔵造り風の店舗
左はコーヒー店「大正館」、右は和菓子「いせや」です
うなぎ「小川菊」
川越には鰻の店が多い、行列に並び昼食する気にならず・・次へ
川越商工会議所
大正浪漫夢通りの北の端から振り返って撮影、商工会議所は元武州銀行川越支店です
うなぎ「深井屋」
ぴったんこカンカンの安住アナ、吉行和子さん、富士真奈美さんがサインした色紙
そして日野正平さんの色紙もあり、正平フアンの妻は喜んでいた
大正浪漫夢通りの北端(T字路)を左に行くと、蔵造りの町並み(下の建物)がある
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蔵造りの町並み
<町並み散策>
川越の蔵造りの建物は、一般の倉ではなく町家全体を蔵造りにしているのが特長
明治26年の大火で焼失した教訓から蔵造りの家屋が多く造られた
この家屋、川越散策マップによれば松嶋家と記されているが、今はスポーツ店です
破風屋根に乗る巨大な鬼瓦
蔵造りの町並みは、仲町交差点から札の辻まで南北430m、70軒の商店が並ぶ
「重要伝統的建造物群保存地区」「美しい日本の歴史的風土100選」に選定されている
陶舗やまわ
風格のある入母屋造りに黒壁土蔵の町家、蔵造り町の代表的な建造物です
平成19年に天皇皇后両陛下がスウェーデン国王夫妻と訪れたという
NHK朝ドラ「つばさ」のヒロインの実家に使用、妻は言葉に品がないと見るのを中止した
やまわの特長のある屋根瓦、専門的な呼び方は不詳
かつおぶし中市本店
蔵の町に長い行列・・皆さんの狙いは「ねこまんま、焼きおにぎり」のようです
和菓子の老舗「亀屋」
喜多院北参道の店で和菓子を買ったが、ここが本店でした
富士屋「志まんやき」
今川焼き、小倉アイスの店・・季節限定なのか?中華そばの暖簾が出ていた
<時の鐘>
川越のシンボル時の鐘、寛永時代の創建されたが明治26年の大火で焼失
翌年に再建され、今も1日に4回(6時、正午、15時、18時)に鐘の音を響かせている
時の鐘を東側から、妻の記憶(3年前)では
荒物屋さんが管理していたと覚えていたが、その店は見当たらない
通りの正月飾り
それぞれの店舗で飾っているのであろうか、一つひとつ趣向が違う正月飾りでした
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菓子屋横丁
蔵の町の北、札の辻の手前を西に入ると菓子屋横丁
私たちには欲しい菓子も無い、早々に通り抜け次の目的地に向かった
あめ細工の店
昔は、トリやイヌ細工あったが、中を覗くとキャラクターのような可愛い動物でした
着物姿の女性
髪飾りも付け美しい女性とすれ違う、振り返り後ろ姿を撮影させて貰った
菓子屋横丁を通り抜け、新河岸川に向かうと目的の見立寺がある
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次回は、川越七福神巡り(終章)<見立寺・妙昌寺・蓮馨寺>を紹介します
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川越七福神巡り(2)<喜多院・成田山別院> [東京近県散歩]
川越七福神めぐり(2)
<喜多院・成田山別院>
川越は鎌倉・室町時代から武蔵国支配の拠点で、河越城は太田道灌彫が築城
江戸時代には武蔵国一の大藩として、酒井忠勝、松平信綱、柳沢吉保など
幕府の大老、老中、御家門が配されるなど、関東を治める重要な地域であった
この記事では、江戸幕府との縁が深い仙波東照宮、喜多院、成田山を紹介します
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仙波東照宮
随身門(国重要文化財)
仙波東照宮は、徳川家康を祭神とする、久能山、日光山と並ぶ三大東照宮の一つ
徳川家康の遺骸を久能山から日光へ移す途中、喜多院に4日間逗留し法要を行った縁で
天海僧正が寛永10年(1533)に創建、川越大火で焼失したが将軍家光の命で再建した
石鳥居(重要文化財)
仙波東照宮の造営奉行、老中堀田正盛(川越藩主)が寛永15年(1638)に奉納した
拝殿・幣殿(国重要文化財)
川越大火の後、寛永17年(1640)に再建
拝殿の背後に、唐門・瑞垣・本殿(国重要文化財)が有るが撮影せず
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第三番 大黒天「有福」
<喜 多 院>
寺号:星野山無量寿寺喜多院 宗派:天台宗 本尊:阿弥陀如来
天長7年(830)、慈覚大師円仁により創建された星野山無量寿寺が始まりの古刹
山門は寛永9年(1632)創建、喜多院で最も古い建造物で重要文化財である
本堂(慈恵堂)・参拝
慈恵大師良源(元三大師)を祀り、川越大師の別名で知られている
寛永15年(1638)の川越大火で焼失した後、三代将軍家光の命で江戸城別殿を移築
客殿に「家光誕生の間」、書院に「春日の局化粧の間」が残っている、共に重要文化財
多宝塔と境内
本堂参拝のあと七福神「大黒天」の仮堂に向かう
売店(右奥)の背後には五百羅漢が鎮座しているが、今回は時間不足で断念
大黒天・仮堂
大黒天に参拝する人たち、右の窓口で色紙に捺印をしてもらう
大黒天
厨子と共にこの仮堂に移された、本来安置している場所を係りの女性に聞くと・・
慈恵堂の右側に建つ、この立派な堂に安置していると言う
初詣の期間中は、堂の前方を板囲いしお札や絵馬を求める人たちから隔離している
だるま市(この日の出店は3店)
正月3日は厄除元三大師の縁日で初大師、だるま市も賑わった事であろう
入学祈願なのか、母と娘が熱心に合格達磨の品定めをしていた
喜多院北参道
北参道の菓子店亀屋、妻は母親の命日にと菓子を送ってた
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第四番恵比寿天「清廉」
<成田山川越別院>
成田山本行院の開祖石川照温上人(一心坊)は失明し何度も自殺を試みたが
成田山新勝寺で苦行の末、両目が見えるようになり、諸国巡礼の途中
川越に立ち寄り不動堂を建立、新勝寺の不動尊の分霊を安置したのが始まりと言う
山門(↑)の正面から撮りたかったが自動車が並び撮影を断念
成田山は交通安全の祈願所、この日も多くの車が祈祷を受けにきていた
宗派:真言宗智山派 本尊:不動明王
恵比寿天(左)
福寿殿の厨子内に大黒天と共に二体の像が安置されていた
開山堂の絵馬
開祖石川照温上人の徳にあやかる「眼病平癒、視力回復」の絵馬奉納
私は網膜出血を患い視力が弱い、開祖像に神妙に参拝
成田山北門
喜多院不動通りを西に歩き蔵造りの町に向かう
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全国的な寒波襲来で立川の予想気温は-6℃(都心は0℃)、体調管理にお気をつけください
次回は、川越七福神めぐり(番外)<小江戸川越散策>を紹介します
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川越七福神巡り(1)<妙善寺・天然寺> [東京近県散歩]
川越七福神めぐり(1)
<妙善寺・天然寺>
私の祖父(母方)は川越の出身、誕生日(1月5日)に川越七福神を巡るのも
祖先に繋がる縁であろうか、祖母から川越藩松平家の御殿医の家系だと聞いた
この日は、正月三が日とは一転し最高気温は6℃の肌寒い日で有ったが
小江戸川越は七福神巡りのほかにも、観光客や初詣の人たちで賑わっていた
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小江戸川越七福神
<西武鉄道本川越駅>
誕生日散歩のスタートとゴール地点は西武本川越駅
「七福神めぐり」と「蔵造りの町散策」を兼ねゆっくり歩いても約4時間(10km)ほどだが
寒い中を歩く妻の体力にも配慮し最初の2寺院はタクシーを利用した
<七福神色紙>
川越のランドマーク「時の鐘」をモチーフにした色紙
七つの寺院を巡り朱印を捺してもらう、色紙300円、捺印100円です
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第一番 毘沙門天「威光」
<妙 善 寺>
寺号:道入山妙善寺 宗派:天台宗 本尊:不動明王
開山尊能法印が寛永元年(1624)に建立、現在の堂宇は昭和53年に再建です
毘沙門天(仏教の守護神)
小さな厨子に納められた、高さ30cmほどの毘沙門天
七福神巡り期間は本堂奥から正面に移し拝観できる、撮影可否を問うとOKでした
慈母観音菩薩
左手に薬壷を持ち足元で遊ぶ童子を優しく見守る慈母観音
さつまいも地蔵尊
川越は江戸期からサツマイモの産地、飢餓や食糧難の時代をサツマイモが救った
右の写真を見ると、地蔵尊が胸に抱いているのはサツマイモであろう
境内の・・焼いも屋
七福神巡りの女性グループが買っていた、私たちも幼い女の子と一緒に購入
タクシードライバーにお裾分けし、早速焼き立てを頂いたが美味しい
飛地境内?、駐車場前に石仏群
左にも並んでいたが写真には入っていない、往時は寺領が広かったのであろう
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第二番 寿老人{寿命」
<天 然 寺>
寺号:自然山大日院天然寺 宗派:天台宗 本尊:大日如来
天文23年(1554)に開山、栄海上人により創建された
一隅を照らす(右の石柱)は、比叡山延暦寺を開いた伝教大師最澄の言葉です
天然寺本堂
本尊大日如来(金剛界)を安置、先ずは本堂に進み参拝をする
この写真では分からないが、夫妻連れやグループなど七福神巡りをする人たちが多い
寿老人の堂
独立した小さな堂に寿老人像を安置、健康と長寿を願い参拝する
ガラス窓にカメラを押し当て尊像を撮影、次の写真です
大きな木に彫り込んだ・・寿老人像
長い頭、長い髭、右手に杖を持ち、左手には長寿のしるしの桃を持っている
願掛観音菩薩
左手に蓮の花を持ち、右手は願いを聞き入れるようと手を差し伸べている
妻は、何かを呟きながら熱心にお参りをしていた
慈母観音菩薩
左手に童子を抱き、右手の薬壷は下で遊ぶ童子に向けられている
優しい尊顔の慈母観音に雲をあしらった光背、本堂背後の墓地の上に安置してあった
六地蔵菩薩
天然寺の七福神パネル
地図が描かれているので分かり易い、次に向かうのは中央上部の喜多院です
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次回は、川越七福神めぐり(2)<喜多院・成田山>を紹介します
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