奈良大和路の旅(その8)世界遺産・吉野山の桜 [奈良大和路]
奈良大和路の旅(Part8)
<世界遺産・吉野山>
全国の桜を集めた写真誌にはトップで紹介される・・・日本一の桜の名所!!
吉野の山の尾根や谷を覆い尽くすように咲く、ダイナミックな美しさは比類がない
また、吉野山は山岳信仰の聖地として、そして歴史の舞台として知られている
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PCのダウンにより、皆さまへの訪問と記事の更新が途絶えていましたが、お陰さまで復旧しました!!
(撮影 2010年4月9日)
吉野の桜(1)
吉野の地に金峯山寺を開いた「役行者」が、桜の木に蔵王権現を刻んだことから
桜は神木となり、そして信者からの献木により、日本一の桜の名所になった!!
桜は、下千本、中千本、上千本、そして奥千本へと、約ひと月かけて咲き継いで行く
桜の写真は、この記事の後半でも紹介します!!
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金峯山寺(蔵王堂)
三体の金剛蔵王権現を本尊とする、修験本宗の総本山!!
安土桃山時代に建立された伽藍は、東大寺に次ぐ規模の木造建造物です
<仁王門&蔵王堂>
何れの建造物も、国宝の指定を受けている
本尊は平城遷都1300年を記念し、9月1日から100日間の特別開帳が行われる
<南朝妙法殿>
後醍醐天皇が吉野に逃れ、この地に吉野朝(南朝)4代57年の行宮が置かれた
金輪王寺跡に建立された吉野朝宮址
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吉水神社
金峯山寺の僧坊で有ったが、明治維新の神仏分離により神社になった
この吉水神社は、後醍醐天皇の行宮など、数多の歴史の舞台でも有る
①天武天皇(壬申の乱の挙兵) ②源義経(静御前との別れ)
③後醍醐天皇(南朝行宮と崩御) ④豊臣秀吉(吉野の花見)
源義経、静御前・・・別れの地!!
『吉野山 峯の白雪踏み分けて 入りにし人の跡ぞ悲しき』・・静御前
義経は、兄頼朝の追手を逃れ潜伏していたが、奥州へと落ち延びて行った!!
(写真左):豊臣秀吉が大名を従え「吉野の花見」をした時に本陣とした
(写真右):後醍醐天皇が詠んだ歌・・・無念と気概が伝わって来ます!!
『ここにても 雲居の桜さきにけ ただかりそめの宿と思うに』
<竹林院>
聖徳太子の創建の寺院・・・池泉回遊式庭園(群芳園)が有る
太閤秀吉が花見をした庭園・・・秀吉は1万本の桜を献木したそうだ!!
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吉野の桜(2)
吉野の桜は約3万本と数えられているが、殆どが白山桜(シロヤマザクラ)
この桜は、葉の芽吹きと同時に花が咲き、青、茶などの色をした葉と花が混じり合う
中千本、上千本が同時に見える・・・撮影スポットです!!
中央は如意輪堂・・・写真を撮った場所からは、一度谷まで降りてまた登ります!!
この谷を下り、先に進むと如意輪堂に行ける
上千本の桜です・・・最上部の近くまで歩いて行った!!
上千本から見た眺めです!!
帰り道から、蔵王堂を望む
午後、厚い雲もようやく晴れ日光がさし始める!!
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帰 り 道
朝と比べ観光客が激増・・・バッジを付けたツアー団体客が次々に登って来る!!
<お土産は>
(左):くず餅です・・・家族の評判も上々でした
(右):そうめんのふし(竿に干すときに曲がった部分)・関西では味噌汁に入れます
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<吉野の桜で思うこと>
吉野の桜も、長い歳月のなか傷つき痛んだ木が増え、大きな問題になっているそうです
この膨大な桜の数、また嶮しい斜面に有る桜を、保護保存するのは容易なことではないでしょう
また、手入れに携わる人たちの、高齢化も進んでいるようです
国や自治体、そして多くの国民や企業などが、手を差し延べ支援の輪を広げる必要が有ります
パフォーマンスばかり目立つ事業仕訳だけではなく、この素晴らしい世界自然遺産の保護に
国も予算を惜しまず!、民間の力も借り!・・・真剣に取り組んで欲しいと思う!!
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奈良大和路の旅・・・思い出の多い旅になりましたが、これで終わります
最後までご覧頂き・・・有り難うございました!!
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奈良大和路の旅(その7)長谷寺&桜の名所を巡る [奈良大和路]
奈良大和路の旅(Part7)
<長谷寺&桜の名所>
午前中は、飛鳥(明日香村)の古寺・古墳を僅か4時間で急いで巡り
午後は長谷寺、安部文殊院、そして又兵衛桜など、古寺と桜の名所を見て回った
この日は好天気に恵まれ、絶好の歴史散歩(実は車)を楽しむことができた!!
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(撮影 2010年4月8日)
長 谷 寺
<真言宗豊山派 総本山>
本堂では、本尊「十一面観世音菩薩(日本最大級12.4m)」の特別拝観ができた
通常日は、腰から上の姿だけだが、特別拝観中のこの日は足元の近くまで入り
本尊の足に手を触れる事ができた、妻はいつ来ても観音像の姿に癒され感動するが
この日は、観世音菩薩に直接手を触れ・・・それこそ大感動でした!!
<登 廊>
長谷寺は花の寺で有名ですが、登廊の途中に有る牡丹は、少し時期が早いようでした
途中で振り返り撮影した写真です・・・われながら良いアングルでした!!
左:登廊の途中で撮影した写真です
右:大悲閣の前から五重塔の方向を撮影
<絶景の長谷寺>
本堂(大悲閣)前の舞台で撮影・・・本坊や宿坊などの間に咲く桜が美しい
天狗杉が舞台の前まで迫り景観を遮っている・・・良いのか! 良くないのか!!
長谷寺のHPはこちらです・・http://www.hasedera.or.jp/
<大講堂(本坊)>
特別開帳が有り、十一面観音御影大画軸がと公開されていたので拝観
高さ16.5mの大画軸は、斜面に寝かせるように掛けられていた・・・大きい!!
本坊を一周しながら西国三十三所の観音霊場の全てを巡る、お砂踏みも行えた
(下の写真、桜が風に吹かれて花弁が舞う様子を撮影しました)
<本堂を望む>
本坊前の庭から、満開の桜に囲まれた本堂を撮影
長谷寺の本坊に入ったのは初めて・・・素晴らしい眺めに大満足でした!!
<長谷寺の参道>
石を敷き詰めた階段の道・・・長谷寺の景観に溶け込んでいます!!
<結縁と守護>
本尊を特別拝観すると、結縁の五色線と守護符が頂けた
五色線は大悲閣の五色幕と同じ色です・・・御守りとして手に巻くと良いそうです
また円形の花絵札は僧侶が、読経しながら蒔いたのを頂いてきました!!
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又兵衛桜
奈良県大宇陀の奥深い山里に有る、樹齢300年の滝桜
戦国武将の後藤又兵衛の屋敷跡とされる、石垣の上に残る豪壮な桜です!!
NHKの大河ドラマ「葵徳川三代」のオープニング画面に登場し有名になった
<後藤又兵衛>
黒田如水に仕え高禄を得ていたが、如水息の長政との不和により天下の浪人となる
定説では、大阪夏の陣で豊臣方に加わり討死した、豪傑として知られている
地元に残る伝説では、大和国宇陀に逃れ再起を願いながら、この地で生涯を終えた
<散り始め>
見頃は過ぎていると予想をしていたが、長谷寺に向う途中に寄り道をした
半分ほど散ったように見受けられたが・・・写真の通りの状態でした!!
桜は、宇陀川の対岸に有り、橋を渡るのに協力金200円が必要でした
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安部文殊院
<安部山崇敬寺文殊院>
大化の改新時に、左大臣にまで出生した安部倉梯麻呂が、氏寺として建立した寺院
獅子から下りた文殊菩薩の特別公開を拝観・・・堂内で僧侶から説明をして頂いた
文殊の知恵を授かるようにと合格祈願者が多い、私はボケ封じのお願いをする!!
<陰陽師 安部清明>
信田の森の白狐伝説・・『恋しくば 訪ね来て見よ和泉なる 信田の森のうらみ葛の葉』
父「安部保名」と「葛の葉」との間に生まれた童子丸が、後の陰陽師「安部清明」
保名に助けられた白狐が葛の葉・・・清明は生まれながらに霊力を持っていたそうだ
上の写真・・・桜ともみじの花が一緒に咲いています!!)
下の写真は、安部清明が天文占いをしたと伝わる、展望台からの撮影です!!
<安部仲麻呂>
大変な秀才で留学生として中国に渡り、時の玄宗皇帝に長く仕えたが帰国を果たせず
玄宗皇帝と楊貴妃に・・・当然、仲麻呂も接していたでしょう
望郷の想いで読んだ歌が、右の写真です・・・奈良大和路の旅(その2)でも紹介!!
<ジャンボ花絵>
今年の干支(寅)を表した花絵(縦20m×横25m)、パンジーを8000株使用
寺院の経営も参拝者が頼りですが・・・こんなサービスは初めて見ました!!
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飛鳥から吉野は近い、折角ここまで来たのだから「吉野の桜」を見てから帰ろうと
急遽予定を変更し、橿原ロイヤルホテルに連泊交渉をしたが、全館満室で駄目
やむを得ず、予約をしていた京都のホテルに泊まり、翌朝、引き返すことにした!!
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奈良大和路の旅(その6)古代史の里・飛鳥②! [奈良大和路]
奈良大和路の旅(Part6)
<古代史の里・・飛鳥②>
1956年に飛鳥村など三つの村が合併し・・・新しく『明日香村』が誕生した
ここは周囲を山や丘に囲まれた小さな盆地で、面積は山手線内側の約1/3程度
この小さな村が律令国家誕生の地となり、約100年続く飛鳥時代の中心地で有った
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(撮影 2010年4月8日)
高松塚古墳
1972年の発掘調査で極彩色の美しい壁画古墳を発見、国宝の指定を受ける
今は埋め戻され見る事ができないが、壁画の復元図が高松塚記念館に有る
2007年から10年かけて保存修理中で、完成した後は元の古墳に戻すそうだ!!
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都塚古墳
横穴式石室に家形石棺を収めた代表的な古墳で、6世紀後半の築造
のどかな田園の一画に有った!・・・古墳の上の木は??
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明日香村の風景
明日香村は、日本で唯一全域が古都保存対象地域に指定されている
また、村全体を世界遺産の登録に向けた計画が進んでいるそうだ
のどかな田園風景です・・・ここはレンタル自転車でのんびり周るのが良いようです!!
<国営飛鳥公園の碑>
<飛鳥歴史公園・高松塚周辺地区>
<高松塚古墳に向う道>
<石舞台古墳の近く>
<稲渕棚田・・・日本棚田百選>
<棚田を走る>
<岡寺付近>
<稲渕勧請縄>
五穀豊穣、子孫繁栄を願って「勧請縄掛神事」と呼ばれる神事が毎年行われる
飛鳥川の上に「勧請縄」を張り渡し、悪疫の侵入を防ぎ住民を守護するそうだ
縄と下がっている束が分かるでしょうか・・・まだ有りますが説明を省略します!!
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天 皇 陵
<天武天皇、持統天皇陵>
持統天皇は天武天皇の皇后、大化の改新の中大兄皇子(天智天皇)の皇女
天武天皇は壬申の乱で、天智天皇の皇子を破り皇位を継承・・・複雑ですね!!
天武天皇は、中央集権国家、律令制度や公地公民制度の導入など業績が多い
<欽明天皇陵>
この写真の左に、猿石が置かれている吉備姫王の墓が有る(前の記事)
欽明天皇は聖徳太子の祖父・・・飛鳥時代に入る少し前の天皇!!
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岡寺(龍蓋寺)
<仁王門>
天武天皇の御子草壁皇子の住まい「岡の宮」を、開祖義淵僧正に下賜された
義淵僧正は仏教の指導者で、東大寺を開いた良弁僧上や行基菩薩などの師!!
岡寺のHPはこちらです・・・http://www4.kcn.ne.jp/~balance/
<本堂下の境内>
<本 堂>
如意輪観音像(塑像観音像)を祀る・・・日本最初の厄除け霊場!!
日本最大の塑像で、インド、中国、日本三国の土を使い弘法大使が造られたそうだ
現在は、長谷寺を総本山とする真言宗豊山派に属する寺院にたっている
<境内より三重塔>
西国三十三ヵ所観音霊場の第七番札所
住民を困らす悪龍を、義淵僧正の法力で閉じ込め蓋をしたと伝わる池が残っている
龍蓋寺名の由来になる・・・また厄除けもここから来ているそうだ!!
<三重塔の近くで撮影>
<明日香村を望む>
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坂乃茶屋
<茶店の前>
岡寺参道の急坂の途中に有る、明日香村に相応しい歴史を感じる茶店
年老いたご夫婦が営まれる心のこもった店・・・しかし奥さんはお休みでした!!
<茶店で一服>
この店の名物・・・「にゅうめん」と「かやくご飯」をいただく・・・美味しかった!!
タクシードライバーさんの顔で「くずきり」がサービス・・・妻は大喜びでした
お土産は「きゃらぶき」と「ちりめん山椒」・・・奈良の観光誌(写真右)に紹介された
<店内の様子>
お客さんが残していった寄せ書きが、店の中に隙間なく貼られていた
ご主人も日本画を画かれるが・・・その絵と文字は、玄人同然でした!!
橿原ロイヤルホテルを出発して、約4時間の飛鳥巡り
時間不足で周れなかった史跡も多い・・・次回は一日かけてのんびり周りたい!!
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次回は、長谷寺を・・・紹介します!!
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奈良大和路の旅(その5)古代史の里・飛鳥①! [奈良大和路]
奈良大和路を歩く(Part5)
<古代史の里・・飛鳥①>
今回の旅は、ここ飛鳥の古代遺産を訪ねることが、最も大きな目的です
飛鳥時代の約100年間、歴代の天皇のほとんどが、ここ飛鳥で宮殿を営んでいた
その歴史の中で今に残る史跡遺産を訪ね、山と丘に囲まれたのどかな里を歩いた
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(撮影 2010年4月8日)
石舞台古墳
古墳の築造は7世紀の初めごろと推定され、曽我馬子の墓ではないかと言われている
古墳上部の封土が失われ、巨大な天井石が露出し、このような姿になったそうだ
石舞台古墳は桜の名所として有名・・・期待した通りの景観を楽しめた!!
写真 (左):古墳の入口 (右):石棺が有った所から外を撮影
玄室の・・・長さ(7.8m)×幅(3.4m)×高さ(4.8m)です
古墳を造る工程を書した説明パネル
(天井石の重量は「64トン」と「77トン」の2枚、全ての石の合計重量は2300トン)
道路から石舞台古墳を撮影
古墳の周囲は生垣を巡らせ、内周には花木(桜と花桃)が植えられている
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橘 寺
聖徳太子の生誕の地、太子自身が創建したと伝わる、七ヵ大寺のひとつ
背後に仏頭山を控え、飛鳥の自然に囲まれた美しい寺です!!
時期にも恵まれたが・・・人を引き付ける良い寺院です
秋になると、彼岸花が段々畑の畝に咲き綺麗だそうです
今度は、9月20日頃に行きたくなりました・・・見ていない古墳なども有るので!!
正面は本堂(太子堂)です・・・満開の桜がとても綺麗です
本尊は、聖徳太子35歳の像が安置されている(重文:太子の像では最も古い)
五重塔跡の場所・・・境内にはスイセンなどの花がが咲いていた!!
多くの伝説が残る寺院です
「蓮華塚」の伝説
太子が仏典の講義をしていると、蓮の花が1mも降り積もり、その花を埋めた場所
大化の改新で、埋めた場所の広さを一畝と定めた・・一畝は36坪(約100㎡)
「田道間守(たじまもり)」の伝説
天皇の勅命を受け不老長寿の薬を求め海を渡り、10年の歳月を経て秘薬を探し
持ち帰ったが天皇はすでに亡く、その種を蒔くと芽を出したのが「橘」であった!!
子供のころに聞いた「たじまもりの伝説と歌」を思い出したのには・・・正直驚きました!!
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川原寺跡
天智天皇が、母の斎明天皇の川原宮跡を寺に改めたと伝わっている
二つの金堂、塔を持つ大寺院で有ったが衰退した
道路の先の弘福寺(白い土塀の建物)は川原寺の一部・・・橘寺の境内で撮影!!
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板蓋宮跡
大化の改新の舞台になったところで、皇極天皇の宮殿跡
中大兄皇子と中臣鎌足が曽我入鹿を暗殺し、大化の改新の幕が開いたところ
橘寺、川原寺跡からは、北の方向500mぐらいの至近距離に有る!!
(左):宮殿跡 (右):大井戸跡
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石造遺物
<亀 石>
花崗岩の自然石で、長さ3.6m、幅2.1m、高さ1.2m
彫刻をした顔が亀の目と鼻に似ているので、俗に亀石の名で通っている!!
<二面石>
椿寺の境内に有る、飛鳥時代の石像遺物で左右に人物の顔が彫られている
善(右面)と悪(左面)の、善悪二業一心所造を現しているといわれている!!
<猿 石>
吉備姫王(皇極天皇の母)墓の正面に置かれている
石像には1体に、2~4の顔が彫られ、猿、男、女、法師とする説が有るそうだ!!
飛鳥には、他にも、鬼の俎、鬼の雪隠、酒船石など、多くの石像が有るが省略した
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飛 鳥 寺
飛鳥時代に、曽我馬子が発願し建立されたた、日本で最初の本格的な寺院
本尊は、聖徳太子が仏師に作らせた、釈迦如来座像が安置されている
一般的には、飛鳥大仏と呼ばれている・・・日本最古の仏像である!!
この日は、お釈迦様生誕の日・・・境内では花会式の準備が行われていた
飛鳥大仏に・・・合掌!!
右の写真は、曽我入鹿の首塚
飛鳥寺の全体写真・・・田園の中に有った!!
飛鳥寺の直ぐ近くに有った・・・遺跡発掘の現場
左:発掘を終え埋め直している 右:発掘中で立ち入り禁止
桜が咲く時期に奈良を訪れたいと、花の開花に合わせた旅行
幸い前日の寒波も去り、春の日差しと満開の桜を楽しめる、絶好の日和でした!!
次回は、「古代遺産の里・飛鳥②」を紹介します
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奈良大和路の旅(その4) 斑鳩の里・法隆寺など! [奈良大和路]
奈良大和路の旅(Part4)
<斑鳩の里・法隆寺>
この日の朝は、前回の記事で紹介した、西の京の薬師寺、唐招提寺などへ
そして、午後は聖徳太子ゆかりの、斑鳩の里の法隆寺、中宮寺など古寺を巡った
子供のころ法隆寺に行っているが、殆ど記憶がないく初心に戻って拝観をした!!
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(撮影 2010年4月7日)
法 起 寺
<国宝 三重塔>
法隆寺、四天王寺、中宮寺などと共に、聖徳太子が建立した七カ寺の一つ
太子の宮殿「岡本宮」が有ったが、遺命により寺社に改められた
写真 (左):講堂 (中央):三重塔 (右):聖天堂
法起寺の塔は、飛鳥時代の建造された、現存する日本最古の三重搭です
法隆寺と共に、日本で最初に世界文化遺産に登録された
<手紙の木>
境内に有った「貝多羅葉樹」と言う木の葉・・・古の時代には手紙に使用されたそうだ
早速、妻が試しに書いたのがこの見本です・・・1分ほど待つとご覧のようになる
ペン代わりに使っのは、これも妻が境内で偶然拾った、古建造物に使用する釘でした!
<菩提樹の実>
風に吹かれて飛んで行くようです・・・竹トンボに似た形をしています!!
二つの写真、ホテルの菓子皿に置いて撮影・・・いい記念になりました!!
(タクシードライバーが教えてくれた)
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法 輪 寺
<眺めが美しい古寺>
聖徳太子の御子山背大兄王が、太子の病気平癒を願って建立したと伝えられている
境内には、金堂、講堂、三重塔、妙見堂、地蔵堂が有る
三重塔は1944年に落雷で焼失、1975年に再建されたが国宝の指定は解除された
門前から見た眺めが美しい・・・斑鳩の里の田園風景に溶け込んだ古寺
絵を描く年配のグループの人たちが、熱心に絵筆を使っていた!!
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法 隆 寺
<南大門>
聖徳太子が、推古5年(607年)に建立した、世界最古の木造建築
1400年におよぶ飛鳥時代の姿を、今に伝える歴史的建造物と、多くの宝物が残る
(南大門は法隆寺の総門・・・奥には中門と五重塔が見える)
<中 門>
法隆寺 西院伽藍の重厚な門・・・日本最古の木造建造物の一つです!!
<金堂・五重塔>
何れも、飛鳥時代の建造物で日本最古の建造物
金堂には、釈迦三尊像、薬師如来座像、阿弥陀如来座像など数多の国宝を安置
法隆寺は仏教美術の宝庫です、国宝・重要文化財が2300点以上も有るそうだ!!
<法隆寺の句碑>
「柿くえば 鐘が鳴るなり 法隆寺」・・・正岡子規
<東西の大路1>
中門の前から東大門の方向を撮る・・・右の建物は護摩堂です
荘大なスケールが実感できる通りですね!!
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<大宝蔵院>
夢違観音像(白鳳時代)、玉虫の厨子(飛鳥時代)など、多くの宝物を拝観
(大宝蔵院の写真は、撮っていない)
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<東西の大路2>
東大門から大路を撮る・・・この門の後ろの方向に、夢殿と中宮寺が有る
東大門は三棟作りで、奈良時代を代表する建物です(写真は撮らず)
<夢 殿>
聖徳太子の遺徳を偲んで建てられた、東院伽藍中心のハ角円堂
太子の等身像と伝わる、救世観音像(飛鳥時代)が安置されているが拝観できず
夢殿回廊の隅に咲く・・・枝垂れ桜!!
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中 宮 寺
聖徳太子の母・穴穂部間人皇后ゆかりの尼寺
堂内には、首をかしげ笑みを浮かべた・・「木造弥勒菩薩半跏像」が安置されていた!!
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藤ノ木古墳
法隆寺の直ぐ西側に有る、出土した装飾品から相当な貴人と見られるそうだが不明
古墳の周囲は、公園として整備されている
古墳の中は、ガラス張りで奥が覗けるようになっている
見ると・・・このようなな感じでした!!
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飛鳥の夕景
<橿原ロイヤルホテル>
1週間前に電話をすると全館満室、HPを検索すると2部屋空・・・幸い予約が出来た
ホテル8階のレストランで撮影、手前の黒い山影は大和三山の一つ畝傍山です!!
このホテルには天然温泉が有り、食事はフランス料理、飛鳥に来て複雑な気分でした
前日の20度を超える初夏のような陽気から一転して・・・寒さが厳しい一日でした!!
次回は、奈良大和路の旅のハイライト・・・飛鳥の古寺・古墳を紹介します!!
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前の記事「薬師寺」に、金堂「薬師如来像」を追加しました・・・ご覧ください!!
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奈良大和路の旅(その3)西の京・唐招提寺、薬師寺など [奈良大和路]
奈良大和路の旅(Part3)
<西の京・唐招提寺、薬師寺>
奈良大和路の旅、2日目は法隆寺など世界遺産の古寺を中心に巡り
そして、3日目には飛鳥の遺跡と古寺を訪ね、足を延ばして長谷寺へと向いました
先ずは、2日目前半、奈良西の京の唐招提寺、薬師寺などを紹介します
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(撮影 2010年4月7日)
唐招提寺
<金 堂>
井上靖の小説「天平の甍(いらか)」の舞台となった唐招提寺
南大門を入ると、正面に平成の大修理を終えた金堂が目前に迫る!!
4年前に訪れた時は改修中で、工事現場の巡回路を回りながらの見学で有った
<金堂と講堂>
金堂には、盧舎那仏座像、千手観音立像、薬師如来立像など9体の国宝が並ぶ
圧倒的な存在感が有る仏像の姿に・・・合掌!!
<鑑真和上御廟>
左の土塀を入ると、御廟が有る
<瓊花について>
瓊花(けいか)の花は、鑑真和上の故郷揚州の名花だそうです
絵はがき (左)御影堂と瓊花 (右)瓊花の葉書
招提寺の拝観記念に・・・瓊花で作った天平香も買い求めた!
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薬 師 寺
<南門と東塔>
天武天皇が発願、持統天皇により本尊開眼、文武天皇の御代に飛鳥の地で完成
その後、平城遷都で現在地に移された、当時その伽藍はわが国随一の荘美を誇ったが
度重なる兵火や災害によって・・・東塔を除くすべては灰燼に帰していた!!
高田好胤管主の発願と説法努力により、白鳳伽藍が復興し見事に甦った
(左):白鳳時代の東塔 (中央):中門・両側に回廊が有る (右):金堂
東塔(次の西塔も)六重に見えるが、三重の塔です!!
<国宝 薬師三尊像(白鳳時代)>
一昨年、上野の国立博物館で脇侍の日光、月光菩薩を拝観、その美しい姿に感動
この日は、薬師如来座像、日光・月光菩薩像を、揃って拝観する事ができた
また大講堂では、弥勒菩薩三尊像、仏足石なども拝観・・・合掌!!
<薬師如来像・合掌>
金堂の外から撮影しました、日光菩薩(右)と月光菩薩(左)が少し見えています
日光・月光菩薩を、国立博物館で展示していた時には、写真を掛けけていたそうだ
<玄奘三蔵院伽藍>
玄奘三蔵塔を中央に、奥には大唐西域壁画殿が有る
平山郁夫画伯が、30年の歳月をかけ完成させた壁画が掛けられている!!
画伯は仏教伝来の道、シルクロードの絵画を、多く残されている
「奈良観光のポスター」・・薬師寺の搭と大池、その奥に若草山を配した写真
この写真を撮りたいが、30倍程度の望遠が必要であきらめた!!
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元 興 寺
<元興寺 塔址>
曽我馬子が飛鳥に建立した日本最古の本格寺院、平城遷都に伴いこの地に移転
当時は東大寺、興福寺に匹敵する規模で、面積は南北440m、東西220mも有ったが
寺運の衰退と伽藍の焼失により、現在では奈良町に飲み込まれている!!
五重塔の跡地
<世界遺産・・国宝 極楽堂・禅堂>
金堂、講堂など多くの伽藍は失われたが、極楽堂、禅堂はかろうじて残った
寄棟造、瓦葺の建物で、飛鳥時代(1400年前)の瓦と奈良時代の瓦が混じっている
この、写真はインターネットから拝借しました
時間の都合で極楽堂、禅堂を拝観できなかった・・・次回には予定したい
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帯 解 寺
<本尊 子安地蔵尊>
約1000年前、文徳天皇が染殿皇后懐妊の祈願をされ惟仁親王が誕生
天皇は大変喜ばれ「帯解寺」と勅命された・・・惟仁親王は後の清和天皇です
徳川三代将軍家光公室「お楽の方」が祈願し、四代将軍家綱公を安産されたそうだ
拝観を願うと、住職から本堂の案内と説明を頂いた・・・子安地蔵尊に合掌!!
昭和34年7月美智子妃殿下がご解任、また平成3年5月に秋篠宮紀子妃殿下にも
岩田帯、御守を献納・・・そのときに御所から受けた礼状が展示されていた!!
HPを添付します・・・はら帯を捲いている子安地蔵尊の姿がご覧頂けます
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崇道天皇陵
<早良親王(桓武天皇 弟)・・・没後天皇を追称>
ある事件の疑いを受け淡路島に配流される途中、無実を訴え絶食し憤死された
その後、桓武天皇妃を含む近親者の死亡や、天変地異などが相次いで起こり
朝廷では、早良親王の祟りだと鎮魂の儀式と移葬を行い・・・崇道天皇と追称した!!
<道路の中央に石>
早良親王は死の間際に、落ちた所にわが墓を建てよと、言いおいて石を投げた
その石が落ちた所が、ここ八嶋だと言う伝えが残ってる
石は道の中央に有るが・・・祟りを恐れ撤去する事ができないでいる!!
最近パソコンの調子が悪く・・・早良親王の記事がメモリできず2回も消えた!!
祟りなんでしょうか? 皆さんもお気をつけ下さい
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大和郡山城
<石垣とさくら>
寺社の紹介が続きましたので・・・ここでお花見をどうぞ!!
近鉄橿原線と並行する国道沿いに有ったので少し立ち寄り、写真撮影で済ます
折から「お城まつり」が行われていたので、混雑を避け入城は控えた
奈良大和路の旅、2日~3日目は、近鉄観光タクシーを使用
ベテランドライバーを要請・・・中々詳しい人で2日間を有意義に回る事ができた!!
次回は、斑鳩の里、法隆寺などを紹介します
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奈良大和路の旅(その2)奈良公園~奈良町を歩く [奈良大和路]
奈良大和路の旅(Part2)
<奈良公園~奈良町を歩く>
早朝自宅を出発し、JR奈良駅に近いホテルに着いたのが午後1時過ぎ
チェックインを済ませ、直ぐに平城京など(記事前回、)奈良市内の観光に出かけた
この日は20度を超える暖かい日、午後の限られた時間を有効に楽しんだ!!
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(撮影 2010年4月6日)
<奈良公園 >
浮 見 堂
奈良公園の鷺池に浮かぶ、檜皮葺きの六角形のお堂
満開の桜と松の緑を背景に・・・美しい姿を浮かび上がらせていた!!
公園の鹿
奈良公園の鹿は・・・神の使いとして大事に保護されている
現在、約1200頭位いるそうだが、飼育しているのではなく全てが野生!!
外国人観光客
公園で楽しむ外国人の家族・・・南大門の近くです!!
小倉百人一首の碑
「天のはら ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に 出でし月かも」・・・安部仲麻呂
佐保川から若草山を望む
興福寺 五重塔
興福寺の阿修羅像などの仏像は、4年前に拝観している
また上野の国立博物館でも阿修羅展を見ているので今回は省略した!!
この写真は、翌朝の撮影(4月7日)です
朝から生憎の小雨・・・前の写真とは画像の色が違って見える!!
猿沢池の七不思議
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<ならまち>
伝統建築群地域・・奈良町
江戸以降は、筆、墨、蚊帳など産業の町、また戦争の被害を受けていないので
昔の町屋や街路が残っている・・・ここは静かに散策できる良い所です!!
(奈良町に着いたのが遅く、庚申堂など観光施設は閉まっていた)
格子の家
奈良町の生活様式を、今に残す伝統的な町屋
時間が遅く入館は終了・・・しかし4年前に見ているので了とした!!
格子戸のポスター
こんな言葉が・・・手書きされていた
奈良は朝がいいですよ~凛と澄んだ朝の空気がとっても美味しいんです!!
庚 申 堂
「身代わり猿」・・・魔除けとして町内の家々の軒先に吊るされている!!
大人(大)、子供(小)で家族構成に合わせて吊るされるそうだ
奈良町資料館
旧元興寺の本堂跡に建つ私設資料館
元興寺は東大寺に匹敵する大寺院だったが衰退し・・・その跡地に町屋が出来た!!
奈良町の道
街路は清掃が行き届いていて綺麗でした
奈良町の店
(左)蚊帳のれん・・・蚊帳の生地で作った、布巾、スカーフなど土産物を販売
(右)砂糖伝・・・・大和茶を商う老舗、その後当時貴重で有った砂糖を扱った
(左)ならどっとFM・・・奈良町の小さなラジオ放送局(以前中の喫茶室で小休止をした)
(右)格子の酒屋「京勘」・・・奈良の地酒、果実酒などを扱っている
漢方薬の店 「菊 岡」
お土産に・・・「しょうが飴」を購入した!!
大和茶の店
お土産に・・・「抹茶」を購入、4年前にもこの店に立ち寄った!!
天ぷらの店 「飛 鳥」
カウンター席で揚げたての天ぷら料理・・・思いのほか美味しいお店でした
テーブル席に外人さんが二組・・・女将に聞くと外人さんばかりの日も有るそうです
宿泊も奈良町の旅館・・・HPで調べて来るようです!!
奈良町の夜
奈良町は、猿沢池から南側に入って直ぐの通りです
食事を済ませて一歩外に出ると・・・すっかり夜の景色に変わっていた!!
猿沢池と五重塔
ここから三条通りを歩き、この日の宿のワシントンホテルに向かう
出発の1週間前にホテルの手配したが、奈良はホテルが少なく部屋の確保が難しい
以前泊った奈良ホテルも全館満室、このホテルは楽天の枠でやっと取れた!!
次回は、唐招提寺、薬師寺など・・・寺院巡りを紹介します!!
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奈良大和路の旅(その1)平城遷都1300年 古都奈良 [奈良大和路]
奈良大和路の旅(Part1)
<平城遷都1300年 古都奈良>
京都には毎年2度以上行っているが、何故か奈良を訪れることは少ない
そこで、奈良大和路の古寺を拝観し、さらに石舞台など遺跡にも巡りたい
それも、桜が咲く季節が良いと贅沢な計画を立て・・・古の都を歩いた!!
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(撮影 2010年4月6日)
<平城京>
朱 雀 門
再現された、古の都大路の玄関口・・・朱雀門!!
今年は、「平城遷都1300年」 4月24日から祝賀行事が行われる
朱雀門より大極殿を望む・・・見えますでしょうか
幅70mの道が南から北に約1km続く・・朱雀大路!!
朱雀門と大極殿の間には・・・近鉄奈良線が走っている
祝賀行事の準備なのか、花壇のようなものを並べでいた!!
大 極 殿
即位の大礼や宮中の儀式などが行われる、平城京の中心の建物
平城遷都1300年祭が行われると・・・近くまで見に行けるでしょう!!
『あをによし 奈良の京は咲く花の 匂うがごとく 今盛りなり』
大宰府長官「大伴旅人」に従い赴任した「小野老」が、奈良に帰って詠んだ古歌
平城宮の再建が始まっている
運転手の話では100年もかかるそうだ・・じゃあ~100年後に来るから案内してよ
と頼むと、真面目な運転手さん・・・えぇ~生きていませんよ! 冗談が通じないよ~!
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<東大寺>
大 仏 殿
開基は聖武天皇、盧舎那仏座像を祀る金堂(大仏殿)
さすがは「世界文化遺産」です・・・外国人観光客の姿をよく見かける!!
4月3日・10日に、NHKで大仏開眼が放映されていた
吉備真備の役を吉岡秀隆さんが熱演、聖武天皇役は国村隼さん
国宝盧舎那仏座像に・・・合掌!!
聖武天皇は大仏と共に、全国に国分寺、尼国分寺の建立を命じた
大仏殿前の鏡池・・・池に写る影を狙ったが、曇り空で写りが悪い!!
大仏殿の裏道から二月堂に上がる石畳の坂道・・・前方が二月堂です
私は正面の自動車道より、この坂が好きなんです!!
同じ坂道を上から撮影しました
二 月 堂
お水取り・・・大松明を抱えて走り回り、火の粉を撒き散らす松明加持は有名
関西では、この行事(3月12日深夜)が終わると・・・春がやって来ると言う!!
妻は、右側の緩やかな石段が趣が有って好きだそうな!!
二月堂の上から・・・回廊と満開の桜を撮影!!
大仏殿の大屋根と奈良市内を望む
二月堂から見るこの眺め・・・奈良の代表的な景色です!!
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<法華寺>
聖武天皇の妃「光明皇后」ゆかりの門跡尼寺
丁度、光明皇后の12500年大遠忌法要が行われていた
NHKが放映した大仏開眼では、浅野温子さんが光明皇后役を演じていた
護摩堂(手前の建物)と重要文化財の本堂(奥の伽藍)
国宝本尊十一面観音像を特別拝観できました・・・合掌!!
護摩堂(手前)と重要文化財の鐘楼(奥の建物)
次回は、奈良公園とならまち(奈良町)の散策記をアップします
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