なら大和路の旅(3)<東大寺大仏殿> [奈良大和路]
奈良大和路の旅(2)<東大寺二月堂> [奈良大和路]
奈良大和路の旅(1)<美しい仏像> [奈良大和路]
春の旅行計画<奈良大和路> [奈良大和路]
奈良大和路の旅(9)<室生寺> [奈良大和路]
奈良大和路の旅(9)
<室 生 寺>
東大寺、法隆寺、薬師寺、春日大社など、古寺古社を3日間で巡拝した
今回のツアー旅行『いにしえの奈良大和路めぐり』は、この記事で終章です
乗用車の運転ができないため、何時もは電車、観光タクシーを利用するが
添乗員に案内され観光バスで巡るのも便利、脱線もしたが良い旅で有った
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
女人高野・室生寺
<太 鼓 橋>
室生寺は、奈良県宇陀市にある真言宗室生寺派の大本山
室生山の山麓から中腹にかけて堂塔が建つ山岳寺院である
室生川に架かる朱塗りの反り橋を渡ると、室生寺の境内に入る
<表 門>
厳しく女人を禁制してきた高野山に対し女性の参詣を許したことから
「女人高野」との別名で呼ばれ親しまれてきた
<仁 王 門>
この門は昭和40年の再建、朱塗りの色も鮮やかである
<鎧 坂>
幅の広い急な石段の上には金堂の屋根が見える
石段の両側には石楠花が咲き美しいと聞くが、その時期に訪れた事がない
<国宝 金堂>
建物の前方は斜面に張り出した高床式の懸造り、平安初期の建立
鎌倉末期に大修理を行い、礼拝部分は寛文12年(1672)に建て替えている
<金堂 特別公開>
本尊釈迦如来立像(国宝)、十一面観音立像(国宝)、薬師如来立像(重文)
文殊菩薩立像(重文)、地蔵菩薩立像(重文)、十二神将(重文)を拝観
<境内のポスターを撮影>
薬師如来像の左手に薬壷がない、聞くと堂内の梁に薬壷が描かれていた
<国宝 本堂(灌頂堂)>
真言寺院の中心であるところから灌頂堂と言う、延慶元年(1308)の建立
内陣中央の厨子に如意輪観音坐像(重文)を安置している
<国宝 五重塔>
屋外の五重塔では最も小さく高さ約16m、法隆寺五重塔に次ぐ古塔である
奥深い樹林に包まれ風情がある、石段下から見上げると大きく美しい
台風(平成10年)で杉が倒れ大被害を受けたが2年後に修復
損壊の前の五重塔は鬱蒼とした木立に囲まれ、今よりも風情があった
<奥 の 院>
木立の中の石段(約400段)を上ると弘法大師を祀る御影堂があるが
疲れも溜まり、往復するには時間が厳しいため断念した
境内の石仏群
<観光バスが待つ駐車場へ>
室生寺に来る途中、車窓から大野寺の磨崖仏が見れると期待していたが
観光バスは新道を走り見ることができず・・残念であった
--------------------------------------------------------------------------------------
クラブツーリズム専用特急
近鉄名張駅から名古屋駅まで、2両編成の専用特急に乗車(62名)
同社は、近鉄グループの一員である
--------------------------------------------------------------------------------------
奈良大和路の旅(全9回の記事)、ご覧頂き有難うございました
次回から、京都旅行記を紹介します
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
奈良大和路の旅(8)<長谷寺> [奈良大和路]
奈良大和路の旅(8)
<長 谷 寺>
長谷寺は、全国に末寺を3000寺以上かかえる、真言宗智山派の総本山
高浜虚子が、「花咲かば堂塔埋れつくすべし」と詠んだ花の寺でもある
しかし、この日は花に埋れるにはまだ早い3月17日、妻のツアー目的は
本尊「十一面観音菩薩立像」の拝観、観音さまの慈悲に包まれると言う
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
本尊・特別拝観
<真言宗豊山派 総本山>
平安の昔、紫式部が「仏の中のみ仏」と賞賛したという長谷寺の観音さま
火災により焼失したが、現在の本尊は室町時代の天文7年(1538)建立
右手に錫状、左手に水瓶を持つ「長谷寺式十一面観音」とよばれている
<西国観音霊場第八番>
ご詠歌・・・『いくたびも 参る心ははつせ寺 山もちかいも 深き谷川』
<仁 王 門>
平安時代一条天皇の御世に建立されたが、現在の門は明治18年に再建
帰る前の撮影で人の姿が少ない、仁王門を入ると登廊が続く
<登 廊>
石段は399段、段差が低く上に行くほど高い設計で年長者には登りやすい
4月下旬には石段の途中で牡丹を観賞することができる
<石段の道>
歓喜院(左)、梅心院(右)の間を通る坂道、桜の時期は撮影ポイントです
<再び登廊>
途中で振り返り撮影・・・この場所は私が好きなアングルです
<国宝 本堂(大悲閣)>
徳川三大将軍家光の寄進により、慶安3年(1650)に建立した
本堂の前面に懸造りの舞台がつく大きな建造物である
<五重塔・遠景>
大悲閣の舞台より五重搭を望む、撮影ポイントです
(左):この日に撮った写真 ⇒ (右):3年前に撮った写真
<本堂拝殿>
本尊十一面観音菩薩立像(重要文化財)を安置
日本最大級の木造仏像(高さ約10m)で、拝殿から観音像の上半身を拝観
<本尊・特別拝観>
この日は特別拝観中、本尊の足元まで入り手を触れ拝観ができる
妻はいつも観音像の姿に癒され、足をさすりお参りをしている
サンシュウが咲く坂を急ぎ足で下る僧侶
<本堂眺望>
本坊前から大悲閣(本堂)を眺める、この場所も絶景ポイントです
ツアー仲間の夫婦を案内すると喜んでいたが、最も美しいのは桜の時期 ↓↓
3年前の在庫写真です
この記事をアップするころは、このような眺めになっているでしょう
ツアー旅行の拝観は忙しいが、時間いっぱい境内を散策した
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
追加・・昭和記念公園のチューチップ
渓流広場のチューリップが例年より1週間ほど早く見ごろを迎えました
見ごろは後2週間ほど続くと思われます (撮影:4月9日)
これから見に行かれる方のために、この写真をアップしました
-----------------------------------------------------------------------------------------
次回は、奈良大和路の旅(終章)<室生寺>を紹介します
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
奈良大和路の旅(7)<吉野蔵王堂&明日香> [奈良大和路]
奈良大和路の旅(7)
<吉野山&明日香>
奈良旅行も最終日、今回のツアーは人気が高く総勢62名をバス2台に分乗
前日の唐招提寺と夕食は別行動で知らなかったが、女性が転倒し腕を骨折
思わぬアクシデントで、同行の2人と共に東京へ引き返し28名に減少した
この日も見所が多く、朝7時45分にホテルを出発し金峯山蔵王堂に向かった
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
金峯山寺(蔵王堂)
<参 道>
吉野山から大峯山に至る金峯山は、万葉の昔より聖地として知られるところ
白鳳年間(7世紀末)に修験道の開祖役行者が修行し蔵王権現を感得し
その姿を桜の木に刻み堂を建て祀ったのが蔵王堂、金峯山寺の草創という
<国宝 仁王門>
本堂は南を正面に、仁王門は北を正面にし互いに背を向け建っている
これは吉野と熊野に通う巡礼者のために配慮したためという
<仁王像>
見上げるように大きい仁王像(重文)、その高さは5.1mもある
<国宝 蔵王堂>
三体の金剛蔵王権現を本尊とする、修験本宗の総本山
東大寺大仏殿に次ぐ木造大建築で、現在の建物は天正19年(1591)の再建
金剛蔵王権現(座高7m)は、四百数十年にわたり鎮座する日本最大の秘仏
逆立ちする頭髪、口の両端から刃のな牙、悪魔を払う憤怒の形相をしている
仁王門の横から見た吉野の山
<参 道>
朝10時ごろで早いためか参詣者の姿は少ない
<ティータイム>
吉水神社に行く時間はあったが、往復するには30分が必要
前日歩いた(約3万歩)の疲れも残り、私は珈琲、妻は葛きりを頂き休息する
<黒 門>
この門を通りバスが待つ駐車場へ、前方を歩くのはツアー仲間です
<吉野の山>
金峯山寺を開いた「役行者」が、桜の木に蔵王権現を刻んだことから
桜は神木となり、そして信者からの献木により日本一の桜の名所になった
-------------------------------------------------------------------------------------
3年前の在庫写真(2点)
吉野の桜は約3万本と数えられているが、ほとんどは山桜(シロヤマザクラ)
下千本、中千本、上千本、そして奥千本へ、約ひと月かけて咲き継いで行く
<歴史の舞台になった・吉水神社>
①天武天皇(壬申の乱の挙兵) ②源義経(静御前との別れの地)
③後醍醐天皇(南朝行宮と崩御) ④豊臣秀吉(吉野の花見)
『吉野山 峯の白雪踏み分けて 入りにし人の跡ぞ悲しき』 静御前
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
明 日 香
<石舞台古墳>
飛鳥歴史公園にある日本最大の方墳、岩の総重量は約3200トン
天井石は77トンもあり、当時の優れた土木・運搬技術の高さが伺える
横穴式石室が露呈する独特の形状をし、天井石の上が広く平らで
舞台のように見える形状から、古くから「石舞台」呼ばれていたという
被葬者は明らかではないが、7世紀初頭の権力者で大化の改新で滅ぼされた
蘇我入鹿の祖父でもある蘇我馬子の墓ではないかといわれている
石舞台古墳をつくったと考えられる説明パネルです
--------------------------------------------------------------------------------------
車窓写真を(2点)
<天武天皇・持統天皇陵を・・車窓から>
<橘寺を・・車窓から>
聖徳太子誕生の地に建つ橘寺、桜が美しい寺でした
---------------------------------------------------------------------------------------
次回は、奈良大和路の旅<長谷寺>を紹介します
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
奈良大和路の旅(6)<江戸の町並み今井町> [奈良大和路]
奈良大和路の旅(6)
<江戸の町並み今井町>
飛鳥、白鳳期の文化遺産が数多く残る橿原市、その一角に江戸時代へ
タイムスリップしたような今井町がある、ツアー行先は唐招提寺を残すのみだが
何度も拝観している古寺、妻に私の考えを伝えると今井町に行きたいという
そこでツアーから離脱し、薬師寺(前記事)から電車で目的地に向かった
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
今井町を歩く
戦国時代に、一向宗(浄土真宗)の寺内町として造られた環濠集落
江戸時代には豪商が軒を連ねる、南大和最大の商都として栄えたという
東西600m、南北310m内に、江戸の伝統を受け継ぐ500棟の町家が残り
国の重要文化財9件、県指定文化財3件、市指定文化財が5件もある
<飛鳥川に架かる蘇武橋>
近鉄八木西口駅から歩いて5分、飛鳥川を渡ると今井町です
町並み全体は「重要伝統的建造物群保存地区」の指定を受けている
<今井町東側>
今井町の特徴は、外部からの侵略を防ぐため堀を巡らせた環濠集落である
織田信長の一向宗攻めは明智光秀の仲介で事なきを得たという
<称 念 寺>
今井町の中核となった寺院で、寺内町を支える町政全般の拠点であった
17世紀初頭ころに建造された本堂は改修工事中で拝観できず
明治天皇が畝傍御陵行幸のときに行在所とした碑(左)が立っている
<山 尾 家>
八大将軍吉宗の時代、巡検使の本陣となり、桂小五郎も(木戸孝允)も投宿
幕末には町年寄をつとめた大商家、当時の庭も残っているという、重要文化財
<旧上田家(丸田家)>
旧は上田家で「壷八」の屋号をもち、肥料商などの商いをしていた
江戸時代末期の屋敷構えを残す貴重な建物、重要文化財
<大川珈琲屋>
珈琲店ではなく「珈琲屋」が気に入った、私は珈琲、妻は紅茶で小休止
<町 並 み>
この町は時代劇の撮影に使われることが有るそうだ
<上 田 家>
今西家と共に惣年寄を勤めた家柄、江戸初期には酒造業も営んでおり
有力商家と共に「今井札」を発行するほど経済力を持っていた、重要文化財
<旧米谷家>
「米忠」の屋号をもち広く肥料や金物を扱っていた商家、重要文化財
建物と内庭を拝見したが、土間、煙り返しなど農家風の民家になっている
<町 並 み>
この通りには、小さな町家が多く並んでいる
<河 合 家>
江戸初期に上品寺村から移住し、古くから「上品寺屋」の屋号で酒造業を営む
現在も造り酒屋、正面の格子と太い柱にも豪商の片鱗が伺えるという
清酒「しぼりたて」を購入し家族にも発送、いいお酒でした
この店は女性用の小物を扱っていたようだが?
今井町の「床屋」さん
自宅前で野菜を商う店、妻は安いと言っていた
<豊 田 家>
江戸時代には、大名に金を貸すほど栄えた材木商、重要文化財
木材商らしく、2階正面の壁に「丸に木の字の紋」をつけた豪壮な外観です
<今 西 家>
惣年寄の筆頭で、領主、代官の町方支配の一翼を担い自治権が委ねられていた
慶安3年(1650)の建築で今井町で最古、全国の町家でも極めて古いという
<今西家と掘割り>
破風を設けた城郭の概外観をもつ建物、慶安3年(1650)の建築
この区域では、埋め立てられた掘割りを復元している
---------------------------------------------------------------------------------------
次回は、
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
奈良大和路の旅(5)<薬師寺> [奈良大和路]
奈良大和路の旅(5)
<薬 師 寺>
天武天皇が皇后(後の持統天皇)の病気平癒を祈願し薬師寺の建立を発願
飛鳥の藤原京に造営されたが、平城遷都に伴ないこの地に移された
その伽藍はわが国随一の荘美を誇ったというが、度重なる兵火や災害により
東塔を除くすべて焼失した、高田好胤管主の発願と説法努力により復活した
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
法相宗大本山 薬師寺
<南 門>
駐車場から近い南門を入ると、正面には中門と回廊がある
右手の勧進所で僧侶の法話を聞き、般若心経の写経と書籍を購入
<薬師寺伽藍>
甦った白鳳伽藍は、ユネスコの世界遺産に登録されている
左から、大行動、金堂、西塔です
左から、西塔、東塔(工事中)、回廊です
<金 堂>
薬師寺の本尊、国宝「銅造の薬師如来坐像、脇侍日光・月光菩薩立像」を安置
白鳳~奈良期(7~8世紀)の作品の中で最高傑作の一つと言われている
像高は、薬師如来(約2.5m)、日光・月光菩薩(約3.2m) 写真は次です
<国宝 薬師三尊像(白鳳時代)>
平城遷都1300年を記念し、2008年に東京国立博物館で行われた国宝薬師寺展
1時間半も並び、光背を外した日光菩薩、月光菩薩、そして聖観音菩薩を拝観
金銅仏の律動的で美しい姿に感動をしたのを、今も鮮明に覚えている
(左):月光菩薩立像、 (右):日光菩薩立像
中央の薬師如来坐像に身体を寄せるようにしている、写真が悪いがご容赦を
<西 塔>
昭和56年(1981)に復興された新しい塔、鮮やかな色である
六重塔に見えるが、修理中の東塔と共に三重の塔です
<東塔工事>
薬師寺に現存する最古の建造物、2018年12月まで解体修理を行っている
東寺、興福寺、醍醐寺の五重塔に次ぎ4番目の高さ(34m)である
<仏 舎 利>
解体修理中に、芯柱の最上部から仏舎利が発見された
東塔の中で公開をしているが、行列ができ拝観するには15分もかかる
<大 講 堂>
弥勒菩薩三尊像、仏足石などを拝観
東院堂において、銅造聖観音立像を拝観したが写真は撮っていない
<輿 楽 門>
薬師寺の北門にあたる門、玄奘三蔵院伽藍が北側にあるが拝観せず
私たち二人はツアーから離れて別行動、その記事は次回です
-----------------------------------------------------------------------
在庫写真
左から、東塔(修理工事の前)、中門&回廊、金堂です
薬師寺の撮影スポット、工事が本格化する前に大池から撮影
左から金堂、西塔、東塔、そして工事建造物、背後は若草山と春日山(右)
4月3日~5日は京都旅行をしています
---------------------------------------------------------------------------------------
次回は、奈良大和路の旅<江戸の町並み・今井町>を紹介します
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
奈良大和路の旅(4)<法隆寺> [奈良大和路]
奈良大和路の旅(4)
<法隆寺>
志半ばで崩御した用明天皇の志を継ぎ、推古天皇と聖徳太子が創建
天智天皇の時代に火災に遭ったとされるが、戦火や天災を受けることなく
8世紀初頭の、世界最古の木造建造物、仏教美術品が2300点以上も残る
これら国宝の歴史遺産群は、日本で初めて世界文化遺産の指定を受けた
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
西院伽藍
<南大門(室町時代)>
法隆寺の総門、火災による焼失のあと永享10年(1438)に再建
<参 道>
南大門を額縁に見立て、参道及び西院伽藍を撮影
<西院伽藍正面>
ここから見る眺めは飛鳥時代の姿を現在に残す景観であろうか
<中門及び回廊(飛鳥時代)>
入母屋造りの重厚な二重門、門の中央には柱が立っている
中門の左右には、日本最古の塑像金剛力士像(8世紀初)が置かれている
<世界文化遺産の碑>
「日本最初の世界文化遺産 法隆寺」 平山郁夫書と記されている
<大講堂(平安時代)>
延長3年(925)に焼失後、正暦元年(990)に再建された入母屋造の本堂
堂内には、同時期の本尊薬師三尊像と四天王像を安置している
<金堂(飛鳥時代)>
釈迦三尊像、阿弥陀如来坐像、薬師如来坐像、四天王像などの仏像を安置
釈迦如来像は飛鳥大仏と同様に面長、聞くと奈良時代以降は今の顔立ちという
<五重塔(飛鳥時代)>
日本最古の五重塔、塔の高さは約32m、錫と銅製の相輪は11mもある
釈迦入滅を表す涅槃像(塑像群)を拝観した
<五重塔 隅鬼(邪気)>
諸寺院の五重塔を拝観するといつも邪気を探すが、この塔にはあった
中門の前から東院伽藍に向かう参道
大宝蔵院百済観音堂 拝観
百済観音、夢違観音、玉虫厨子など、国宝仏像及び美術品を多数展示
八頭身で優美な姿の百済観音像に魅了される
-----------------------------------------------------------------------------------------
東院伽藍&中宮寺
<東院伽藍への参道>
<夢殿(奈良時代)>
聖徳太子の威徳を偲んで建てられた、東伽藍中心の八角円堂
太子の等身の救世観音像(飛鳥時代)が安置されているが拝観できない
<中宮寺表門>
聖徳太子の母、穴穂部間人皇后ゆかりの尼寺、受付を通り本堂へ
境内の大きな木の刈り込みに方に驚き、樹木名を聞いたがメモを紛失した
<中宮寺本堂>
かすかに首をかしげ微笑を浮かべる「弥勒菩薩半跏像(国宝)」を拝観
<法起寺(車窓から撮影)>
法隆寺地域の仏教建造物の一部として世界遺産に登録されている
奥に見える塔は、日本最古の三重塔として知られている
この地域には、三重塔を有する古刹法輪寺もある
-----------------------------------------------------------------------------------------
次回は、奈良大和路の旅<薬師寺>を紹介します
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・