東京坂道散歩(65)<御苑の八重桜> [東京の坂道]
東京坂道散歩(65)
<御苑の八重桜>
四ツ谷駅から歩き始め、迎賓館・赤坂御用地、四谷寺町の上り下りを繰り返し
疲れも溜まったが、散歩の締めは新宿御苑の八重桜(サトザクラ)鑑賞です
大木戸門に着くと、係員が大声で4時半が閉苑だと言う、残り時間は約30分
午後5時閉苑と思っていた私の誤り、御苑の見どころを大急ぎで周回した
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<撮影日:4月15日>
<八重桜(サトザクラ)>
新宿御苑は桜の名所、約1,100本(65種)のサクラが競い合うように次々に咲く
そのフィナーレーを豪華に飾るのは、約300本(20種)の八重桜です
フクロクジュ(福禄寿)
フクロクジュをアップ撮影
下の池の八重桜
下の池の北側一帯は八重桜が多い、紅色の桜は関山です
時間が少なく、撮影したのは代表的な八重桜4種類のみでした
イチヨウ(一葉)
カンザン(関山)
フゲンゾウ(普賢象)
桜を愛でる人たち
桜の下で寛ぐ二人
ツツジ山
咲き始めたツツジ(見頃は5月連休ごろ)、中の池の対岸から撮影
中の池と新緑
蛍の光が聞こえる(日本庭園)
閉苑を告げる「蛍の光」が流れるなか、外国人二人が微動もせず日光浴です
新緑(モミジ)と八重桜(寒山)
日本庭園の池
新緑の柳を囲むように紅白の八重桜、池の畔のコラボが良い
芽吹いた柳の緑と太鼓橋
モミジの花をアップ撮影
ハンカチノキ
珍しいので友人2人を案内したが咲き始め、日が陰りうまく撮影できず
夕日を受けるドコモタワー
新宿門外の友人たち
パネルを見ながら何を語っているのか、技術者の2人は私と見る目が違います
時間は17時50分(閉苑20分過ぎ)、園内を約50分歩いていた
天ぷら「つな八本店」
早い時間(午後5時)のため予約しなかったがほぼ満席、隣は中国人のグループ
会食を終えると、欧米系の外国人が、席の空くのを店の内外で待っていた
まずは・生ビールで乾杯
揚げたての天ぷら、刺身、一品料理が運ばれてくるが、話が弾み写真を撮らず
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次回の、行先は何処がよいか、誰が案内するのか?・・相談した結果!
昭和記念公園(秋のイチョウ)が良いと望まれ、また私が担当する事になった
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東京坂道散歩(64)<四谷の寺社巡り> [東京の坂道]
東京坂道散歩(64)
<四谷怪談と於岩稲荷>
午後1時半から歩き始めて約1時間半、この日の目的は四谷の寺町と新宿御苑です
東京の坂道を歩くと、坂名の由来や寺社など、江戸を再認識することが多いが
東海道四谷怪談で知られる於岩稲荷(二社)も、今回の散歩の大きな目的でした
お岩さんは夫を支えた貞淑な妻、歩くことで知り得る真実、だから散歩は面白い
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<撮影日:4月15日>
<四谷の寺社>
須賀神社 鳥居
須賀神社は江戸初期より四谷の地に鎮守する、四谷十八カ町の総鎮守
ご祭礼は四谷の「天王祭り」といわれ、江戸五大祭りの一つであったと言う
須賀神社 社殿
主祭神、須佐之男命(須賀大神)、稲荷大神の二柱を祀る
末社大黒天社
三十六歌仙絵(前方は天白稲荷社)
天保7年(1836)に、大岡雲峰の絵と千種有功の書で構成された三十六歌仙絵がる
昭和20年3月に戦災を受けたが、金庫に保存していたので難を逃れた
小野小町
須賀神社 男坂
戒 行 寺
寺号:妙典山戒行寺 宗派:日蓮宗 身延山久遠寺の末寺
池波正太郎の「鬼平犯科帳」で知られる長谷川平蔵の菩提寺で、供養碑がある
長谷川平蔵 供養碑
戒行寺坂
坂の上に戒行寺があることに因み、この名が付けられた
昔、坂の途中に豆腐屋があり旨い油揚げを作っていたので、油揚坂とも呼ばれた
<二つの於岩稲荷社>
お岩稲荷を訪ねて驚くは、道をはさんで斜向かいに於岩稲荷社が二か所ある どちらが本元なのか戸惑うが共通しているのは、お岩さんは貞淑で優しい女性 歌舞伎の東海道四谷怪談はのちの人の創作だと知ると、その見方が違ってきた
(1)於岩稲荷 陽運寺
寺号:長照山陽運寺 宗派:日蓮宗 扁額名は於岩霊堂
説明パネルは田宮稲荷神社(後述)と変わらないが、お岩夫婦にあやかり縁結びの寺 として信仰を集めていると言う、悪縁を切り、良縁を結ぶ於岩稲荷を祀る陽運寺 「厄除け」「縁結び」「芸道上達」などご利益が多いと記載している
朱塗りの本堂
田村稲荷神社と陽運寺、いずれが正当かは不詳だが田村稲荷神社が中央区新川に
移転した明治中期ころに、お岩さまを祀ったと推察をしている
手水舎の花水木
お岩さま縁の井戸
(2)於岩稲荷田宮神社(東京都指定旧跡)
田村稲荷神社は於岩稲荷とも呼ばれ、田宮又左衛門の娘お岩が信仰し養子伊右衛門とともに家勢を再興したことから「お岩さんの稲荷」として次第に人々の信仰を集めた、戯曲東海道四谷怪談は二百年後の創作、お岩夫婦は怪談話とは異なり夫婦円満であった・・パネルより
田宮神社の社殿
闇坂(くらやみさか)
坂の左右の松厳寺と永心寺の樹木が繁り、薄暗い坂であったため名がついた
東京には、ほかにも闇坂があるが漢字名は暗闇坂になっている
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次回は、東京坂道散歩<新宿御苑>を紹介します
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東京坂道散歩(63)<四谷の坂を歩く> [東京の坂道]
東京坂道散歩(63)
<四谷の坂を歩く>
毎年、春と秋の2回続けている友人との散歩、昨年の春は浦和の友人が案内役で
武蔵国一之宮の氷川神社と盆栽の里へ、そして秋は逗子の友人が担当し横須賀の
軍港巡りと彦島を案内してくれた、今年は私の番ですが、今まで10回以上も
東京の見所散歩をしいると行先に困る、そこで四谷の寺町と新宿御苑を選択した
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<撮影日:4月15日>
<四ツ谷駅~赤坂御用地>
集合時間より30分以上も早く四ツ谷駅に到着し、麹町口のコーヒーショップで
しばらく過ごしたが、店内から見えた赤い花に誘われ撮影をした
ハナミズキ(花水木)
麹町口のロータリー
ハナミズキに上智大学の建物を入れて撮影した
新宿通り(麹町大通り)
四谷見付橋の西側から半蔵門方向を撮影、何時も撮影する好きなポイントです
迎賓館(赤坂離宮)
外国の要人をもてなす迎賓館、衛視に聞くと4日後の4月19日から前庭を一般公開し
また申し込み順で本館内も見学できると言う、知らずに散歩日を選び残念でした
学習院初等科
前を歩く友人二人
大手重電会社の技師長、技術部長など歴任された技術屋さん、現役引退後も
ゴルフ、家庭菜園などを続け余裕綽々、長いお付き合いをしている
鮫河橋坂
坂の下辺りから、学習院初等科の方向を振り返る
赤坂御用地 鮫河門
赤坂御用地の鮫河門は、鮫河坂と安鎮坂(写真前方)の坂下、江戸期には
この一帯に水が湧く沼があり、鮫河が御用地内を通り赤坂溜池へ流れていたと言う
鮫河橋跡の碑
JR中央・総武線、首都高速新宿線の高架下を通り抜けると四谷の寺町です
<四谷の寺町>
麹町、番町の一帯には大名、旗本屋敷が多いためなのか?、四ツ谷駅から
東京メトロの四谷3丁目駅の南側には寺院が15以上も集中している
専称山安養院 西念寺
徳川家康の譜代家臣である服部半蔵正成が開基した寺院、宗派は浄土宗
服部半蔵の墓
服部半蔵は、伊賀同心200人、与力30騎からなる伊賀衆を率いた組頭
忍びの達人であると共に甲冑を着て指揮をした武士、半蔵門は服部半蔵に由来する
非業の死を遂げた、家康の嫡男信康が切腹の際、介錯を任せられたが果たせず
世の無常を感じ、また信康の冥福を祈るために仏門に入ったという
外塀の花(名は?)
観音坂(西念寺は坂の上の右)
坂を下って来る友人たち、坂の下は鮫河筋です
松雲山西応寺(浄土真宗大谷派)
幕末から明治にかけて最後の剣客と呼ばれた「榊原健吉」の墓所がある
榊原健吉は、幕府講武所の教授、遊撃隊の頭取を務めた、明治維新後は新政府から
再三招かれたが断り剣術の再興に努めた、亡くなるまで髷を切らなかった人物
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次回は、東京坂道散歩(64)<四谷の寺社巡り>を紹介します
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東京坂道散歩(63)<赤坂見附~半蔵門> [東京の坂道]
東京坂道散歩(63)
<赤坂見附~半蔵門>
武蔵野台地の東の端に位置する、四谷、麹町、皇居一帯は高台にあるが
赤坂見附から虎の門、一番町、皇居前広場はなど舌状に伸びた台地を囲む低地である
この日は、台地の南側を上り下りしながら、四谷、赤坂見附、桜田濠、麹町へ
約3kmの坂道散歩でしたが、ランチタイムを入れ2時間以上も費やしていた
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<撮影日:10月14日>
<富士見坂>
青山通りと外堀通りが交差する赤坂見附の交叉点から、三宅坂方向に上る富士見坂
東京には富士見坂が多いが、今は名が残るのみで富士が見える坂は少ない
赤坂見附跡
江戸城の城門の見張り番(36見附)、四谷、市谷、大手門、坂下門もその一つです
富士見坂の議長公邸
富士見坂の傾斜を、衆議院議長、参議院議長公邸の門を入れて撮影した
国会議事堂
曲線状のビル
高速道路のカーブに合わせ建設したビル、首都高速平河町庁舎と分かれば納得です
イチョウ並木
赤坂見附から三宅坂まで続くイチョウの街路樹、まだ緑葉は多いが ⇓⇓
落ちたギンナンが多い
富士見坂を振り返る
赤坂見附方向を望遠撮影、左は千代田区永田町、右は平河町です
青山通りの起点
青山通り(国道246号)の起点は皇居桜田濠、江戸時代は大山参詣の道です
最高裁判所前の公園
公園の名は不明、立ち寄る人が少ないのか手入れが悪く雑草が多い
<三宅坂~半蔵門>
三宅坂 坂下
S字を描いた緩やかな下り坂、歩道の街路樹とのコラボレーションが美しい
桜田濠の景観と共に、私が選ぶ一級の坂道だと自認している
三宅坂 坂上
内堀通りを歩き皇居半蔵門へ、左側に最高裁判所、国立劇場がある
ユリノキの黄葉
黄葉が始まったユリノキ、皇居周辺にはユリノキが多い
歩道に咲く白い花
環境に強いのか歩道の道路側に多く植栽されている、匂いも強い ⇓⇓
皇居一周ランニング
ランニング姿が絵になる女性、上の写真(白い花)は歩道右の低木を撮影した
ユリノキの並木
半蔵門から桜田門まで続くユリノキ、初夏にチューリックに似た花が咲く
皇居桜田濠
二重橋、大手門、伏見櫓など、皇居の内堀には重厚な石垣が多いが
緑の斜面に点在する黒松、広々とした桜田濠の景観は美しい、前方は警視庁庁舎です
新宿通り「風の道」
この日の坂道散歩、目的の診療所はは新宿通りの左手にある
前方は、皇居、丸の内の高層ビル、隅田川から新宿御苑に続く風の道でもある
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次回は、昭和記念公園<深まる秋色>を紹介します
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東京坂道散歩(62)<四谷~赤坂見附> [東京の坂道]
東京坂道散歩(62)
<四谷~赤坂見附>
毎月一度、定期便のように通っている麹町の診療所、その行き帰りに周辺の
坂道散歩をしているが、今年はその余裕がなく直行・直帰を繰り返していた
この日は、坂道散歩には申し分のない好天気、何度も歩き馴染みのコースだが
四谷駅~紀尾井坂~赤坂見附~三宅坂~麹町を、急がず時間をかけて歩いた
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昭和記念公園の記事の途中ですが、東京坂道散歩を2回割り込みます
<撮影日:10月14日>
<紀尾井坂>
この日の坂道散歩は四谷見附橋からスタート、先ずは私が好むポイントで撮影
ゴール地点は新宿通りを直進した、約1.3km先の半蔵門近くですが
少し遠回りをして紀尾井町、平河町、隼町を経て麹町まで、約3kmの散歩です
四ツ谷駅ホーム
四谷見附橋から駅のホームを屋根を見ると、ソーーラーパネルが並んでいるが
苔が生えこれでは発電効率が悪い、寿命も半減し10年程度でしょうか
上智大学 西側の道
四谷見附橋を渡りを紀尾井坂へ、その意味は不明だがソフィア通りと呼ぶ
尾張徳川家屋敷跡
紀尾井坂 坂上
紀州徳川家、尾張徳川家、彦根藩井伊家の屋敷を通ることから、紀尾井坂の名が付いた
(左)上智大学一帯は尾張徳川家、(右)ホテルニューオータニには井伊家が有った
急坂で車(矢印)が見えなくなる、前方の茶系の建物は参議院議員宿舎です
紀尾井坂 坂下
黄色の円内はギンナン(銀杏)、木は青葉だが実の落ちるのが早い
根元のギンナン
靴の底にギンナンの匂いが付いたが、気にせず散歩を続ける
町名も・・紀尾井町です
<清水谷>
紀尾井町通りから清水谷を通り、外堀に架かる弁慶橋へ
坂の左側一帯は紀伊徳川家、右側に彦根藩井伊家の屋敷があった
清水谷公園
ハナミズキの紅葉、背後の建物はニューオータニ・ガーデンコートです
清水谷公園の井戸跡
内務卿大久保公哀悼碑
明治11年(1878)、紀尾井坂で暗殺された大久保利光の哀悼碑
「紀尾井坂の変」と称されている、西郷隆盛と共に私利私欲のな人物でした
清水谷公園の坂道
プリンス通りに登る無名の石段坂、かなり急坂です
紀伊徳川家屋敷跡
工事現場に塀で遮られているが、次の高層ビルを建造中です ⇓⇓
東京ガーデンテラス
赤坂プリンスホテル(通称赤プリ)を解体した跡地に建造、赤プリの方が景観が良い
在りし日の「赤プリ」 (高さ140m)
弁慶橋
江戸城外堀跡に架かる風情のある橋、朱色の欄干も色が褪せてきた
外堀で太公望
何が釣れるのか若いカップル、藻が発生し釣りあげても付いてくるでしょう
赤坂見附交叉点
左:内堀通り(新橋方向) 右:青山通り(渋谷方向)が交差する地点
富士見坂
赤坂見附から三宅坂に続く坂道(国道246号線)・・次回に続きます
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次回は、東京坂道散歩(63)<赤坂見附~半蔵門>を紹介します
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オフ会 カメラ散歩<宮垣アニメの丘陵(2)> [東京の坂道]
オフ会 カメラ散歩
<宮崎アニメの丘陵(2)>
宮崎駿のアニメ「耳をすませば」に使われた多摩丘陵を越える小さな旅
この日の気温は10度ほどだが、好天気に恵まれ歩いていると寒さを感じない
聖蹟桜ヶ丘駅前を午後2時半にスタートしたが、ソネブロの皆さんはカメラマン
写真を撮りながら歩くと時間が掛かる、多摩センターへの途中で日が暮れた
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<多摩センターへ>
山神社(やまじんじゃ)
日本総鎮守の大山祇神社(今治市大三島)の末社、御祭神は大山積神
大山積神は、伊弉諾、伊弉冉の長子で天照大神の兄になる
11月中旬「しまなみ海道旅行」の時に参拝しが、その記事はまだUPしていない
山神社 社殿
皆さんが撮っているのは、社殿正面の彫刻です
祭礼の時は神輿と大太鼓が、聖蹟桜ヶ丘の駅前通りに繰り出すようだ
社殿の彫刻「龍」
社殿の彫刻「獅子」
龍、獅子ともに目の輝きが鋭い
可愛い・ごまちゃん
ごまちゃんは境内の落ち葉でお遊び、自分の孫のように可愛い
声をかけると目線があった
パパは抱っこで多摩丘陵越え、その若さが羨ましい
鎮守の森のように見える、隣接する寿徳寺は別当寺であろうか?
この場所もアニメでは、雫と聖司の二人が自転車を押しながら歩いた
「寺方大屋敷」の標識
山神社の前・・標識を読むと
「寿徳寺、山神社、観音堂のある谷戸の奥には大屋敷という地名が残り、中世初期の土豪屋敷があったと 伝えられる、この付近は昔の多摩の景観をよく残している」・・と記載 谷戸とは、浸食により削られた谷合のこと、湧水が流れ出し水田がつくられ民家が集まった
道端の地蔵尊
山神社から少し坂を下った場所、谷戸はこの坂の下に有ったと思われる
庚申搭
住宅街を通り愛宕団地へ
住宅の奥に給水塔、この先に「あたご一息坂」がある
愛宕団地給水塔
夕日を受けた給水塔、この場所もアニメに登場するという
おまけ、鉄塔の碍子が輝いて見えたので撮影
あたご一息坂
愛宕団地から先に進むと、この坂があった
アニメの主人公「雫」が住んでいたのは愛宕団地がモデル、この坂も登場する
坂の下から
先頭は若いカップル、アニメの坂を辿っていたが駅員3さんの誘いで同行した
あたご一息坂の標識
この坂の高低差は32m(駅員3さんの資料を参考にさせて頂いた)
富士山の夕景
多摩丘陵のウオーキング、その締めに富士の夕景を見ることができた
京王バスのバス停
12月中旬は日暮れが早い、愛宕東公園の前からバスに乗車し多摩センターへ
イタリアン忘年会の La・pale(二つ前の記事)へと向かう
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次回は、年末恒例の家族会<ボーリング&忘年会>を紹介します
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オフ会 カメラ散歩<宮崎アニメの丘陵(1)> [東京の坂道]
オフ会 カメラ散歩
<宮崎アニメの丘陵(1)>
宮崎駿監督のアニメ「耳をすませば」は、東京多摩市の聖蹟桜ヶ丘駅周辺と
そして多摩丘陵の「いろは坂」「愛宕一息坂」などが作品の舞台になっている
駅員3さんとyouziさん共催の「クリスマ会と忘年会」はウオーキングも兼ねている
坂道散歩は私のブログテーマの一つ、アニメは見ていないが参加させて貰った
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駅員3さんが、以前アップした記事のコピーを用意し皆さんに配布
アニメの場面はここだろうと解説、途中から見知らぬ若いカップルも加わった
<多摩センターへ>
大栗川(おおぐりがわ)
聖蹟桜ヶ丘駅から400mほど歩くと大栗川に架かる霞ヶ関橋へ着く
前方に見える小高い丘は多摩丘陵です、多摩センターに向かって丘を越えて行く
霞ヶ関橋を渡り、いろは坂へ
アニメの主人公「雫」は、駅から猫を追いかけこの坂を駆け上がったという
いろは坂の標識
坂の途中に桜公園がある、公園からは聖蹟桜ヶ丘駅の方向が一望できる
いろは坂
日光のいろは坂を彷彿させるヘアピンカーブが続く
桜公園もアニメに登場し、いろは坂は一躍有名になったそうだ
いろは坂の中間をつなぐ階段
3ヶ所のなかで一番上にある階段、一挙に上がり坂の上へ
坂の上より
いろは坂の高低差は55m(駅員3のブログを参考にさせて頂いた)
アニメでは、ここから見る眺めも描かれていると説明を受けた
坂の上の住宅
住宅地の柿とススキ
関戸城址天主台
鎌倉に攻め上る新田義貞軍は、小手指原、分倍河原に続いて、関戸河原でも合戦
駅員3さんの記事では、新田義貞がここに陣を敷いたと記されている
金毘羅宮
海上交通の守り神として信仰されている金毘羅宮、多摩川に関係するのであろうか
上流の昭島市では100億年前のクジラの化石が発見されているが古すぎる
金毘羅宮の社
お参りしている坊やは、浪速食い倒れツアーで会った「ごまちゃん」です
おみくじ自動販売機
アニメ「耳をすませば」では、雫がボーイフレンドから愛を告白された場所
おみくじの自動販売機は縁かつぎであろうか?・・女性の方が引くと大吉でした
丘の上から続く住宅街
丘の上のロータリー
昭和40年代に京王電鉄が開発した住宅街、地図を見ると放射状に広がっている
このロータリー、アニメでは地球屋という喫茶店が有る
丘の上から下の道へ
頑張って歩く「ごまちゃん」
この先は・・次回の記事に続きます!
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次回は、オフ会 カメラ散歩<宮崎アニメの丘陵(2)>を紹介します
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リッチなオフ会<スイーツ&イタリアン> [東京の坂道]
リッチなオフ会
<スイーツ&イタリアン>
ソネブロ仲間の駅員3さんと、youziさん共催のオフ会、駅員3さんの記事には
「美味しいスイーツで祝うクリスマス」&「美味しいイタリアンの忘年会」
そして、宮崎アニメ「耳をすませば」の舞台になった多摩丘陵を訪れる小さな旅
私のブログテーマの一つは坂道散歩です、この名文句に誘われオフ会に参加した
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<聖蹟桜ヶ丘>
駅西口前のオブジェ
宮崎駿のアニメ「耳をすませば」、このパネルの近くで集合です
参加メンバーは10名、初対面の方は2名でした
メンバーが集まっていると
何事か?と、近寄ってくる人がいる、左の白系のズボンの女性など
<スイーツXmas会>
ル・ププラン( le poupelin )
youziさんお薦めのケーキ屋さん、皆さんは各々お気に入りのケーキを購入
(左)お菓子の靴下 (右)この日の誕生日ケーキは16名(人気の高さが分かる)
クリスマスケーキを注文した人がいた(子連れで参加した方です)
ドウダンツツジの紅葉・・ル・ププランの隣から撮影
聖蹟桜ヶ丘オーパ
駅前に建つひと際目立つビルを、柿の枝を入れて撮影したが
クリスマス会の会場は円形の場所、集合時間前に撮った写真が役に立った
多摩市民ホール
聖蹟桜ヶ丘駅前の市民ホール、食べ物の持ち込みはOK
広々とした環境にホールや喫茶室も有る、多摩市のサービスは良い
おじゃやべり、読書、飲食、休息などをする人たち、眺めも良い
オフ会のメンバーは、左の席に陣取った
皆さんが買ったケーキ
数えてみると10人で14個もある、コーヒーを注文しケーキを頂いた
私はロールケーキ(半分は女性に進呈)
yuozeさんから近江牛のコロッケを差し入れして貰ったが、ビールが欲しい
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<宮崎アニメ・ウオーク>
「耳をすませば」案内マップ
聖蹟桜ヶ丘から多摩センターまで、約7kmの多摩丘陵ウオーキングです
その記事は、次回、次々回の2回に分けてアップします
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<イタリアン忘年会>
ラ・パーラ( La pala )
店のチラシには、世界で206番目に認定された「真のナポリピッツア協会」の認定店
私は和食党ですがたまにはイタリアンも良い、場所は多摩センターです
わが家の女性群を案内すれば喜びそうな店、来年の宿題です
先ずは・乾杯!
写っている皆さんは全員女性です、女性向きの店です
並んだ料理
これらの料理を自分の皿に取り分けて頂く、撮った写真は一部です
薪釜ピッツア
ピッツアとピザは同じものらしい、食べるのは今回で3度目です
パスタ(スクリューのように螺旋状)
スパゲッティもパスタの一種だと知ったのは10年ほど前です
イシモチト&アサリ
オーブン焼きと聞いたような?・・美味しく頂いた
イルミネーション
忘年会を終え多摩センターのメイン通りへ寄り道
イルミネーションを見ながら奥へ、3年前に孫と見に来て以来です
多摩モノレール一本で乗り換えなしに帰宅、この日の予定を終えた
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次回は、オフ会 カメラ散歩<宮崎アニメの丘陵>を紹介します
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東京坂道散歩(61)<四谷怪談と於岩稲荷> [東京の坂道]
東京坂道散歩(61)
<四谷怪談と於岩稲荷>
朝11時前から歩き始めて1時間半、この日の散歩も四谷の総鎮守府須賀神社と
東海道四谷怪談で知られる於岩稲荷の拝観で目的を終える、東京の坂を歩くと
坂名の由来や寺社などで江戸を再認識することは多いが、四谷怪談に登場する
お岩さんは夫を支えた貞淑な妻、歩くことで知り得る真実、だから散歩は面白い
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「散歩日:10月3日」・・在庫記事の蔵出です!
<須賀神社>
男坂から展望
道の奥に見える登り坂は、前記事で紹介した東福院坂(天王坂)です
神社の境内に、もう一つ女坂らしい石段が有ったが撮影せず
須賀神社鳥居
須賀神社は江戸初期より四谷の地に鎮守する、四谷十八ヵ町の総鎮守
御祭礼は、四谷の「天王祭り」といわれ江戸五大祭りの一つであったという
須賀神社社殿
主祭神、須佐之男命(須賀大神)、稲荷大神の二柱を祀る
末社大黒天社
天白稲荷社
須賀神社は、元は稲荷神社であった
三十六歌仙絵
天保7年(1836)に、大岡雲峰の絵と千種有功の書で構成された三十六歌仙絵がる
昭和20年3月に戦災を受けたが、金庫に保存されていて難を逃れた
闇坂(くらやみさか)
坂の左右の松厳寺と永心寺の樹木が繁り、薄暗い坂であったため名がついた
東京には、ほかにも闇坂があるが漢字名は暗闇坂になっている
今は暗闇とは言えないほど明るい坂道です
<二つの於岩稲荷社>
お岩稲荷を訪ねて驚いたのは、道をはさんで斜向かいに於岩稲荷社が二か所あった
どちらが本元なのか戸惑うが共通しているのは、お岩さんは貞淑で優しい女性
歌舞伎の東海道四谷怪談はのちの人の創作だと知ると、その見方が違ってきた
(1)於岩稲荷田宮神社(東京都指定旧跡)
田村稲荷神社は於岩稲荷とも呼ばれ、田宮又左衛門の娘お岩が信仰し養子伊右衛門とともに家勢を再興したことから「お岩さんの稲荷」として次第に人々の信仰を集めた、戯曲東海道四谷怪談は二百年後の創作、お岩夫婦は怪談話とは異なり夫婦円満であった・・パネルより
稲荷社は明治12年の火災で焼失し中央区新川に移転したが、その後も田宮家の住居として管理されており、昭和27年に四谷の旧地にも神社を再興し現在に至っている
田宮稲荷神社から於岩稲荷霊堂
若い女性がテレビ報道のインタビュー、縁切り、縁結びのことらしい
(2)於岩稲荷陽運寺
寺号:長照山陽運寺 宗派:日蓮宗 扁額名は於岩霊堂
パネル文の本筋は田宮稲荷神社と変わらないが、お岩夫婦にあやかり「縁結び」の寺として信仰を集めていると言う、悪縁を切り、良縁を結ぶ於岩稲荷を祀る陽運寺、 「厄除け」「縁結び」「芸道上達」などご利益が多いと記載している
お岩ゆかりの井戸(右端)
朱塗りの本堂
田村稲荷神社と陽運寺、いずれが正当かは不詳だが田村稲荷神社が中央区新川に
移転した明治中期ころに、お岩さまを祀ったと推察をしている
円通寺坂
新宿通りから四谷二丁目と三丁目の境界を南に円通寺前に下る坂
新宿寄りに、細い女夫坂があったが撮影せず
新宿通り
四ツ谷駅から、迎賓館、赤坂御用地、そして四谷の寺町を巡り歩いたが
この日の坂道散歩は新宿通りに出たところで終了、前方は四谷、麹町方向です
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次回は、初冬の公園巡り<昭和記念公園>を紹介します
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東京坂道散歩(60)<四谷の坂巡り> [東京の坂道]
東京坂道散歩(60)
<四谷の坂巡り>
鮫河橋跡から高速道とJR線路の高架下を通ると、その一帯は四谷の寺町地域
武蔵野台地の東に位置し、新宿通りは麹町・四谷台地の尾根道である
その南側の低地を縫うように坂があり、途中には多くの寺院が点在している
四谷は大江戸の御府内、今回の坂道散歩では江戸時代の歴史を少し再発見した
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「散歩日:10月3日」・・在庫記事の蔵出です!
<寺町を歩く>
首都高速新宿線
鮫河橋跡がある公園の北側は、首都高速道とJR中央線の高架橋がある
この日は雲一つない晴天の散歩日和、左方向が新宿です
出 羽 坂
明治維新後、この坂上に旧松江藩主であった松平伯爵の屋敷が移転してきので
こう呼ばれるようになった、左側はJR中央線、総武線の線路です
JR中央線
振り返るとJR中央線の電車が通過、出羽坂はJR高架線の右側です
この道の両側は登り坂、川筋で有ったのであろう、鮫河橋は高架の向こう側です
鉄 砲 坂
江戸時代このあたりに鉄砲組屋敷があり、鉄砲訓練場や鉄砲鍛冶場などが
有ったため、鉄砲坂と呼ばれるようになったと言う
鉄砲坂の坂下(元川筋の道)
工事現場の奥に寺院(宗福寺?)と墓地が見える、このあたりは寺が多い
戒行寺坂
坂の上に戒行寺があることに因み、この名が付けられた
昔、坂の途中に豆腐屋があり旨い油揚げを作っていたので、油揚坂とも呼ばれた
戒行坂の坂上
戒 行 寺
寺号:妙典山戒行寺 宗派:日蓮宗 身延山久遠寺の末寺
池波正太郎の「鬼平犯科帳」で知られる長谷川平蔵の菩提寺、供養塔がある
西 応 寺
寺号:松雲山西応寺 宗派:浄土真宗大谷派
幕末から明治にかけて最後の剣客と呼ばれた「榊原健吉」の墓所が有る
榊原健吉は、幕府講武所の教授、遊撃隊頭取を務めた、維新後明治政府に
再三招かれたが断り剣術の再興に努めた、亡くなるまで髷を切らなかった人物
観 音 坂
西念寺と真成院の間を南北に通る坂、真成院の潮踏観音に因むと言う
江戸期以前の四谷周辺は潮踏の里と呼ばれ、潮(海水)の干満の影響を受けていた
観音坂の坂上から(急坂です)
西 念 寺
寺号:専称山安養院西念寺 宗派:浄土宗
徳川家康の譜代家臣である服部正成(半蔵)が開基した寺院として知られてる
服部半蔵の墓
服部半蔵は、伊賀同心200人、与力30騎からなる伊賀衆を率いた組頭
本人は忍者ではなく甲冑を着て指揮をした武士、槍の半蔵として知られていたと言う
家康の嫡男で非業の最期を遂げた、徳川信康の供養塔がある
半蔵の墓の前の石仏
東福院坂(天王坂)
坂の途中にある、阿祥山東福院に因んでこのように呼ばれた
別名の天王坂は明治以前の須賀神社(次回)が牛頭天王社と称していたのが由来
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次回は、東京坂道散歩<四谷怪談と於岩稲荷>を紹介します
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