ベトナム旅行記(終章)<車窓風景&ハノイの夜> [ベトナム旅行]
ベトナム旅行記(終章)
<車窓風景&ハノイの夜>
13回に分けて紹介してきたベトナム旅行記も、この記事で終章です
ホーチミン・フエ・ハノイを巡ったが、それは長い国土の点と線を見聞きしたのみ
懸念をしていた、食事、トイレ事情、対日感情なども、まったく問題が無く
昭和30年代の日本と同じような、活力に満ちた好印象の国で有った
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車窓風景
<火力発電所>
途中で別の火力発電所も見たが、その燃料は何れも石炭火力、現地ガイドは
福島原発の事故をよく承知し、経済成長するためには原子力が必要と断言
ベトナムは、ロシア・日本の両国と原子力発電所の導入契約をしている
<鉄道の線路>
ハノイとハロンを結ぶ街道で、何度も見かけた鉄道線路
街道に並行して敷かれているが安全には程遠い、線路の前は商店街です
道路も片側1車線の狭い道、ハノイ、ハロン間のインフラ整備が必要
<労働者の看板とホーチミン>
ホーチミンは、生涯妻子を持たず「国民はすべて私の子ども」と言ったという
そして、国民からは「ホーおじさんと」呼ばれ、今も親しまれている
社会主義の国に多い独裁者でなかったのが信頼要因、隣の国とは違うようだ
<バス停か?>
ここはハノイの郊外、ハロンとの中間辺り
街の建物を見ると、資産が豊かな人たちの住宅が集まっている
<ハノイの住宅事情>
土地価格が異常に高く 1㎡:20万、高い所では100万以上もするという
そのため間口(床面積も)を狭くし、3階から5階建の住宅が建てられている
この写真の住宅は、すべて違う人の住宅です(左の2軒も同様)
<タイル張りの道>
ギネスブックに登録されたタイルの道、延長距離は4kmも続くそうだ
タイルは、前の記事で紹介した陶器の村バッチャンで製作している
この写真をみても、住宅の幅が狭い事が分かる
<結婚観と子供>
前の記事でも紹介したが、30歳代未満の人口が60%を占める若い国
結婚適齢期は、男子(27歳)、女子(25歳)まで、殆どの人は結婚し
結婚をしない、したくない、という若者はいない、そして子供も欲しいと言う
<キャノンの工場・写真なし>
キャノンのプリンター工場(社員数1万人以上)が有った、社員は常時募集中
ベトナムに進出している日系企業の総数は1600社以上(中小企業が多い)
今後も進出が続くであろうが、インフレの加速がどのように影響を及ぼすか
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世界遺産タンロン
<端 門>
タンロン遺跡は、2010年にベトナムで6番目に世界遺産に登録された遺跡
端門は第一城壁に設けられた正門、楼閣の上に登る
この遺跡に到着した時間は日没前
見学時間も少なく、世界遺産に登録されたという実感が湧いてこない
<敬 天 殿>
11世紀から19世紀にかけて栄えたベトナム王朝が置かれた城郭
タンロンとは昇龍の意、龍の手すりの階段を登ると皇帝の宮殿が有る
<ベトナムの盆栽>
日本の盆栽と同じように見える、旅行中に各地で盆栽を多く見かけた
(左):カジュマル (右):五葉松?
ハノイの名所を車窓から
ホーチミン廟、セントジョセフ教会、旧オペラハウス、ホアンキエム湖など
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盛り上がった・ディナー
<ハノイのレストラン>
ベトナム北部料理(揚げ春巻き、チャーカーなど)のディナータイム
フランス人のグループと同室になり、民族楽器の演奏と合唱で盛り上がった
<演奏した曲は>
『北国の春・ドレミの歌・荒城の月・ベサメムーチョ・上を向いて歩こう・・』などなど
日本人とフランス人、お互いの国の歌になると、どちらも負けずに大合唱
「ケ・セラ・セラ」では、両方のグループが揃って合唱をした (⇓)
http://www.youtube.com/watch?v=aImZEjetK5w
<フランスの人たち>
ツアー仲間に、バリトン歌手のような、声が大きく歌の上手な人がいた
フランスの人たちも、その男性に注目し振り向いている
<可愛いアイドル>
ツアー仲間の注目は、この可愛いベトナム女性
皆さんの、カメラがこの子に集まっていた
<レストラン>
この2階がディナー会場、建物の幅はやはり狭い
この日の深夜便(0時30分発)でハノイ空港を出発、帰国の途についた
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ベトナム旅行記、長くなりましたがご覧頂き有り難うございました
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ベトナム旅行記(12)<世界遺産ハイロン湾②> [ベトナム旅行]
ベトナム旅行記(12)
<世界遺産 ハロン湾(2)>
ハロンとは龍が降り立った場所の意、伝説ではこの地に龍の親子が降り立ち
敵を蹴散らしたとき、口から吐いた宝玉が岩となって海面に突き刺さったという
面積が1,530k㎡の広大なハロン湾、今回は最短の3時間コースの観光だが
6時間コース、9時間コース、そして船内で宿泊するコースも有ると言う
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ハロン湾クルーズ(2)
<水墨画の世界>
幻想的な、水墨画を思わせる眺めで実に美しい
建造物の世界遺産が多いベトナムでは、珍しい自然遺産、見応えが有る
湾内を行き交うクルーズ船
水上生活者の住居が左に見える
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水上生活者の筏
<筏に接岸>
ハロン湾観光の一つの目玉は、水上生活者の筏
住人らしい男性が待ち構えていた、手を置いているのは下船のときの踏み台
<生簀の鮮魚>
(左):イカ(イカの種類は??) (右):鯛のような魚(海鮮料理に出てきた)
<住居の前で>
熱心に、衣類のような物をつくろっている年配の女性
近くでは、喧騒をよそに飼い犬が昼寝
<混みあう生簀の前>
4枚上の写真と同じ場所で撮影、他のクルーズ船も到着し大混雑
白い矢印は友人、何かを買っているようですが種明かしは後の写真で
<果物売りのボート>
呼び込んでいたので、またモンキーバナナを買う
2ドルと言っていたが、ベトナムでは値切るのがルール、1ドルになった
<船の間の景観>
二つの船の奥にまた船、ハロン湾らしいお気に入りの画像です
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船上でランチ
<料理は海鮮料理>
添乗員さんが決めた席で、出船前に記念撮影した写真です
ハロン湾のクルーズを終えた後は、この席でランチを楽しみながら帰港
<ワインで乾杯>
ベトナム製のワインだが味はOK・・何本注文したのか??
<料理の種類>
デザートを含め他にも料理が有ったが、写真を撮ったのは次の4品のみ
(左):ボイルした海老 (右):魚の名は??(中華料理風)
(左):カニの甲羅の中に魚のすり身 (右):魚の天麩羅(さつま揚げのようだ)
<極めつけは・・イカの刺身>
水上生活者の生簀で友人が買ったのは・・活きのいいイカ!!
刺身にして貰ったが旨い!、醤油もワサビが用意されていたのには驚いた
後で仲間と交わした会話
歯を磨くにもミネラルウオーターを使っていたのに、何で洗ったのだろうか?
ベトナム旅行で最も心配していたのは、食事とトイレ事情
しかし料理は合格点、トイレは水洗で中国のように覗かれる事はない
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バチャン村
バチャンはベトナムを代表する陶器バチャン焼を生産する村
村内には陶器市場やギャラリーが後を連ね、店頭には日本語の案内も有った
コーヒーカップを買う予定でいたが、望みの品(配色?)が見つけられず
バチャン焼きの作業所
ハノイへ戻る途中に立ち寄ったが時間不足でした
現地ガイドの話では、東京浅草で販売しているのを見たそうだ
陶器に関心が有る方は、個人で時間を掛け見て回ると良いでしょう
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次回は、ベトナム旅行記(最終章)を紹介します
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ベトナム旅行記(11)<世界遺産 ハロン湾①> [ベトナム旅行]
ベトナム旅行記(11)
<世界遺産 ハロン湾(1)>
広大な湾内に大小2000ほどの奇岩が浮かぶ、山水画を思わせる景勝地
石灰岩の大地が氷河期に沈降し、長い歳月に海水や風雨に浸食され出来たもの
ハノイから約180km、観光バスは休憩を入れて4時間近くも掛かったが
インフラ整備が進むと共に、この広大な世界遺産を訪れる人は増加するであろう
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ハロン湾クルーズ
<スターシティ・スォイモホテル>
ベトナム旅行、最終日の朝は雲が垂れこめ、気温も低く15℃ほど
暑さに慣れ始めた身体には少し肌寒く、用意した長袖シャツ、ジャケットを着る
真夏の南部(ホーチミン)、中部(ホイアン・フエ)から、一挙に秋の季節です
<乗船桟橋>
何十隻の船が有るのか、湾内に多くのクルーズ船がひしめき合っている
現地ガイドに案内され、乗船する船に向かう
<乗船客を待つクルーズ船>
乗船するのは奥に見える黒い船、添乗員、ガイドを入れ33名の貸し切りです
操舵室(高くなった場所)は後ろに有り、観光客の視界を優先している
<私は・・・何処でしょうか?>
客室の上の展望スペースに上がり、揃って記念撮影
皆さんの服装で気温を想像して下さい、日本の10月末頃でしょうか
<混雑する湾内>
世界遺産に登録されたハロン湾は、各国からの観光客が年々増加し
今では年間200万人以上の人が訪れる、人気の高い観光スポットである
<水上生活者>
オレンジ色の屋根は、漁業で生計している水上生活者の住居
クルーズ船が次々に近寄って行く、我々のツアーは別の住居(次の記事で紹介)
<海の桂林?>
友人たちは、桂林のようだと言っていたが、私は桂林を知らない
しかし、霞んだ島を見ると山水画を思わせる
<闘 鶏 岩>
ハロン湾のシンボルの岩・・オンドリ岩、メンドリ岩とも言われている、
岩に近寄るクルーズ船は順番まち、ルールが有るようです
<近づき撮影>
現地ガイドさんは、接吻岩の方が相応しいと言っていたが納得です
湾内には、動物の形に似たゾウ島、犬島、ゴリラ岩なども有るそうだ
<果物を売るボート>
巧みにクルーズ船に近づき果物を販売、ツアー仲間の誰かが買っている
売り終えると、早々と次のクルーズ船に向かい去って行った
<ダウゴー島に上陸>
ハロン湾の島は石灰岩で出来ているため鍾乳洞が多い
その中でも、ダウゴー島は最もポピュラーな鍾乳洞、下船して見物です
下船と再乗船する場所が違うため、乗船したクルーズ船が離れて行く
<ティエンクン洞>
鍾乳洞の中は、ブルー、グリーン、ピンクなどの照明でライトアップ
美しいと言う人もいるが、私には少し派手過ぎるように思えた
日本の鍾乳洞で見かける、立錐状のつららは少ないようだ
<再びクルーズ船へ>
鍾乳洞を出ると、湾には多くのクルーズ船が待機している
下船した場所は写真の左側、洞内を見ながらここまで歩いてきた
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ショッピング
<ベトナム土産の店>
観光地の何処へ行ってもドルが使え、また日本円OKの土産物店も多い
このためベトナムの通貨(ドン)には両替せず、滞在中はドルと円を使っていた
(ハロン湾からハノイに戻る途中の土産物店・・買物を済ませた皆さん)
<私が買った土産>
(左):きな粉を小さく固めた菓子・・・日本の味とまったく同じで美味しい
(右):蓮の花のお茶・・・花弁より花芯の方が高級(右はコーヒーだが買わず)
他には、妻にシルクのショール(ツアー仲間の女性たちの折り紙つきでした)
<刺繍した物入れ>
妻と娘に、フエの空港内で時間待ちの間に小物入れを購入
空港では、日本年が使用で来たので他の土産も一緒に買い求めた
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次回は、世界遺産ハロン湾(2)を紹介します
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ベトナム旅行(10)<グエン朝王宮&フエ攻防戦> [ベトナム旅行]
ベトナム旅行記(10)
<グエン朝王宮&フエ攻防戦>
中部の都市フエは、ベトナム最後のグエン王朝が都を置いた街
王宮、寺院、皇帝廟など、歴史的な建造物群が世界遺産に登録されている
また、ベトナム戦争のフエ攻防戦(1968年)によって大きな被害を受けたが
今は修復工事も進み、古都としての風格と歴史のある街に戻っている
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古都フエの紹介には、ベトナム戦争(テト攻勢)を切り離す事ができないため
文章が長くなりましたが、ご容赦ください
街 路 樹
<フォーン川の河畔>
ベトナムの街路樹は根元に白いペンキが塗っている、その理由は?・・・
街路灯が少なく夜間は暗いため、バイクなど運転者に対し注意を喚起している
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グエン朝王宮
<フラッグタワー(旗塔)>
ベトナム戦争と王宮
ベトナム戦争中、旧正月(テト)や祝祭日期間は暗黙の休戦になっていたが
解放戦線側は、1968年1月29日に主要地に奇襲攻撃(テト攻勢)を開始した
古都フエも、その時の攻防戦で王宮の建造物の80%が被害を受けたという
<旗塔の大砲>
テト攻勢とフエ事件
解放戦線側は占領したフエにおいて、政府関係者を路上裁判で次々に処刑
その中には、警察官、学生、キリスト教神父、外国人医師、市民なども含まれ
事前に処刑者名簿を用意し射殺、犠牲者は2000人以上になったと言う
<王宮門(午門>
住民の盾と犠牲
解放戦線軍は、フエの人口密集地の住民を盾としてして戦ったが
アメリカ軍、南ベトナム軍の攻撃に巻き込まれ、多くの住民が犠牲になった
結果的には、アメリカ軍、南ベトナム軍の反撃で収まったが払った犠牲は大きい
<内堀と石垣>
ベトナム戦争の悲劇
爆撃、枯葉作戦、ソンミ村虐殺、テロ事件など、犠牲になるのは何時も一般住民
同じ民族同士、勝った負けたは論外、このような悲劇は繰り返してはならない
(解放戦線とは、南ベトナム解放民族戦線「通称ベトコン」です)
<王宮門の上にて>
韓国軍の参戦 (フエ攻防戦以外で)
韓国軍部隊により、住民9,000人以上(一説では30万人以上)が虐殺され
女性に対し強姦殺害、家屋放火、また混血児を多数誕生(数千人)させたと言う
旅行記を書くに当り知り得た智識だがこの程度で控えたい・・(ベトナム戦争で検索)
<王宮門から太和殿>
破壊された宮殿
正面奥の太和殿(宮殿)は、1968年のフエ攻防戦で完全に破壊されたが
ベトナム戦争中の1970年に、早くも再建されている
<太 和 殿>
1805年に、中国の紫禁城を模して造られたグエン朝の宮殿
皇帝が座る金箔の椅子が置かれ、皇帝即位式や賓客の歓迎式が行われた
平城京大極殿と比較するとかなり小さい、宮殿の内部は撮影禁止
<太和殿の花壇>
上から・・・「オウバイ、サルビア、キク、ベコニア、インパチェンス、コリウス」
日本では、咲く時期が違う花が・・・まさに百花繚乱!
花には最も良い時期のようだが、この花壇を見ると季節感が分からなくなる
<太和殿から王宮門>
ベトナム戦争終結
1975年4月30日、人民解放軍の戦車が旧サイゴンの大統領官邸に突入し
約20年続いたベトナム戦争は事実上終結した(米軍参戦は8年間)
<太和殿の後方>
延寿宮「家族の住まい」、閲是堂「宮廷舞踏が行われた劇場」
右廡・左廡「高級官吏(文官・武官)の詰所」などの建物や展示室が有る
(修復作業なのか?、片隅では瓦礫の撤去が行われていた)
<煉瓦塀の王宮通路を走るバイク>
フォーン川の上流域に点在する皇帝廟群も世界遺産に登録されているが
今回のツアーでは見学は入っていなかった
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クオック・ホック
<伝統の有る高等学校>
グエン朝時代は、皇室や高級官僚など特権階級の子息の学校
その後は、近代ベトナム史に名を残すホーチミンなど要人が学んだ高等学校
男子校であったが、今は男女共学になっている、女子高生が自転車で帰宅
<名も知らない・・美しい花>
クオック・ホックと道を挟んだ反対側は、フォーン川に沿った公園地
樹高4mほどの木に咲いていた美しい花を撮影、その名は??
(右):ズームアップするとこのような花です
この記事では、ベトナム戦争での住民の被害にスポットを当てて書いた
古都フエで見たのは、表通りのような観光名所、それだけで判断はできないが
街は活気に満ち、フエ攻防戦で受けた悲惨な状況を感じる事はなかった
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次回は、世界遺産ハロン湾(1)を紹介します
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ベトナム旅行記(9)<古都フエの古寺> [ベトナム旅行]
ベトナム旅行記(9)
<古都フエの古寺>
ベトナムの宗教は仏教徒が90%、このため国民は穏やかで粘り強いと言う
日本に対する国民感情も良好で、中国や韓国のような反日感情は無い
むしろ、中国人、韓国人に対する感情は、決して良いとは言えないようだ
古都フエは、京都、奈良を思われる歴史の街、まずは古寺を紹介します
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ホテルの朝
<センチュリー・リバーサイド・ホテル>
ガイドの説明では四つ星ホテル、日本の国旗も掲揚していた
古都フエは、フォーン川に開けた風光明媚な土地、都を置いたのは頷ける
<フォーン川の眺め①>
ホテルのテラスから撮影、美しい景色が望めるロケーションにある
<フォン川の眺め②>
ホテルの対岸は旧市街、正面には前日に行ったドンバ市場がある
朝8時ごろには、観光船が運行を始めていた
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ティエンムー寺
<七層八角形の塔>
1601年の創建、この地に天女が舞い降り事から天女の寺と呼ばれている
高さ21mの七層八角形の塔は、フエを代表する建造物で街のシンボル
塔の名は、トウニャン(慈仁)といい「幸福と天の恵み」を意味しているそうだ
<ティエンムー寺の門>
中央通路の上の扁額には、「霊姥寺」と記されている
日本の寺では、山門に当たる建物のようだ
十二神将であろうか?
<ティエンムー寺の本堂>
日本の寺院と比較すると、本堂の伽藍はその規模がかなり小さい
建材は木材を使っているが、日本のように年輪が詰まった強い巨木が育たず
その為に、太い柱や梁を用いた大伽藍の建立が難しいように思われる
<本堂入口>
本堂の扁額は「霊鷲高峰」と記されている、欧米の観光客が15人ほど
ガラスケースに布袋尊、弥勒菩薩の化身として崇められている
日本の寺院の、山号に当たるのが「霊鷲高峰」、寺名は「霊姥寺」であろうか?
<須弥壇の仏像>
帽子を脱ぎ手を合わせて 、神妙に仏像に拝した
時おり鐘を打つ僧侶に、本堂内の撮影をゼスチャーで示すとOK
現地ガイドに仏像名を聞くと「現在・過去・未来」、三世諸仏のことらしい
<お参りをする人たち>
(左):そろってお参り (右):そろって記念撮影
七層八角形の塔で写真を撮っていた人たちが、衣服を整えたようです
<1700年代の僧侶の墓>
17世紀初頭の僧侶の墓、詳しいことを聞き忘れた
ベトナムの国花は・・・「蓮の花」です
<寺で見た花>
(左):桃の鉢植え (左):サツキのような花
桃の花をズームアップ
<焼身自殺をした僧の自動車>
ゴ・ディン・ジェム大統領の仏教弾圧に抗議し僧侶がガソリンをかぶり焼身自殺
この車は、その時に僧侶がこの寺からサイゴン(現ホーチミン)まで乗車した
焼身自殺の報道写真を、ショックを受け見たのを覚えている
大統領夫人はバーベキューと表現、仏教徒の国民が離反するのは当然です
<インタビュー>
日本語を学習している女子学生から、インタビューを受けるツアー仲間
現役時代に勤めた会社も、ダナン工業大学の優秀な学生を採用している
<寺の石垣>
石造りの門と石垣の塀からも、この寺の由緒が感じられる
日本の寺院であれば、瓦を積んだ白い土塀が続く道でしょうか
<果物を売るおばさん>
観光客が集まる場所には、このよう人たちが店を出している
<紅葉した樹木>
この時期は1年で最も気温が低い時期、木の葉が色づき落ちていた
中部の都市フエの、2月の平均気温は、26℃(最高)、20℃(最低)ほど
降雨量も少なく、日本人にとっては最も凌ぎやすい季節のようです
(左):パパイヤ (右):葉を落とした木
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次回は、グエン朝王宮&フエ攻防戦を紹介します
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ベトナム旅行(8)<古都フエ 旧市街> [ベトナム旅行]
ベトナム旅行(8)
<古都フエ 旧市街>
ホイアンから休憩を含め3時間半のドライブ、午後5時半に古都フエに到着
ここはベトナム最後の王朝が都を置いた街、建造物群が世界遺産になっている
ベトナム戦争では、北ベトナム軍のテト攻勢で市街戦もあった(後の記事で)
ホテルに入る前に、ベトナムの市場を見学し、そして夕食は宮廷料理です
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フエ 新市街~旧市街
<自宅に帰る人たち>
ベトナムの人口は8,900万人だが、年齢層は30代までが60%を占めている
また、10年ごとに1,000万単位で増加し、若年層は日本より1,000万人も多い
フエの人口は35万人、静かな街だと聞いたが、朝夕の通勤ラッシュは混雑する
(この交差点には信号が無いので、観光バスとバイクが接触しそうだ)
<フォン川>
フースアン橋を渡る人たち(信号待ち)、こうして見ると確かに若者が多い
<白いアオザイ>
白いアオザイは女子学生、国が高校の制服に指定しているそうだ
<夕 日>
車窓からフォン川に沈む夕日を、夕日モードにして撮影
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ドンバ市場
<市場の入口付近>
現地ガイドに案内されて、迷路のような市場の中を1階~2階へと巡る
食料品、雑貨、衣料などが山積みにされ、観光客に人気が有ると言うが
買物をする時間もなく、ただ通り過ぎるだけでは店の人には迷惑千万
市場の入口で果物を売る女性
(左):靴などの履物の店 (右):帽子などの店(商品をPR)
(左):女性の衣類を扱う店 (右):スルメなど乾物の店(匂いも同じ)
<バイクの路駐>
ドンバ市場の隣りは、2階建の大型スーパーマーケット(日本と同じ)
自宅へ帰る途中に立ち寄るのか、路駐のバイクで溢れていた
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宮廷料理
<レストラン入口>
冒頭にも書いたが、グエン王朝の都があった街で、宮廷料理はこの街の名物
伝統のある建造物を使用した宮廷料理レストランで夕食です
<王朝時代の衣裳>
色とりどりの宮廷衣裳に身を包み、先ずは記念撮影
その後、厳かに宮廷料理をいただく筈でしたが、部屋の中は蒸し暑く
皆さんは、写真を撮ると、たちまち脱ぎ捨て楽な格好になり食事をした
<宮廷音楽>
古典音楽の演奏を聞きながら宮廷料理を楽しむ
皆さんが脱いだ衣裳は、この写真の左隅に積み上げている
ツアー仲間の中から皇帝・皇后を選び、中央の一段高い場所で食事
誕生日を迎えた夫妻がその役に選ばれたが、その写真はなし
<料 理>
かつての皇帝たちの晩餐を再現した宮廷料理だというが?
(左):人参で作った鳥、揚げ春巻きかな? (右):孔雀の羽根の部分が料理
(左):日本の竹輪のような物(魚のすり身) (右):エビと何だったか?
(左):ベトナム風のチャーハン (右):中華風の料理のようだが、何かは?
あとはデザート、料理はすべて美味しく平らげた
食事前に料理の説明があったが、見事に忘れてしまいました
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フエのホテル
<センチュリー・リバーサイドホテル>
この日は、部屋で遅くまでウイスキーを飲みながら歓談
ベトナム3泊目の夜ですが、仲間の皆さんは腹も悪くする事もなく元気でした
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次回は、古都フエの古寺を紹介します
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ベトナム旅行記(7)<車窓風景~古都フエ> [ベトナム旅行]
ベトナム旅行記(7)
<車窓風景~古都フエ>
南北統一後、社会主義体制下で新しい国づくりを10年間続けたが失速
1986年「社会主義体制の見直し」「市場経済導入」など、ドイモイ政策を導入し
国家方針を大転換した、ドイモイとはベトナムでドイ(変化)、モイ(新)という意
マルクスレーニン主義の弊害から脱却し、市場経済へと大きく舵を取り直した
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ミーソン聖域~ホイアン
<田園風景>
計画経済から市場経済、労働に見合う賃金、私有財産認可などの導入で
国民の勤労意欲は増しているが、一方経済成長に伴う負の問題として
土地価格は高騰し、そして毎年10%を越えるインフレを誘いている
とは言え、ベトナムは農業国、日本より国土は小さく90%程で有るが
山岳面積がが大きい日本と比較すると耕作面積は広いのではないだろうか
米の作付は2毛作だと聞いたが、日本米に似た粘りのある米で旨い
<沿道の住宅>
ベトナムには珍しい門構えのある住宅、豊かな家庭のようです
黄色い花の木はロウバイ、日本の木と比べると大きい
この住宅にもロウバイが咲いていた
<市場でしょうか>
低い屋根の商店が数多く軒を並べている
2月のベトナムは乾季、雨季になると市場の前は泥濘(ぬかるみ)になりそうだ
<小学校のようです>
ベトナムは、5・4・3制、小中学校の就学率は90%を越えているが
山岳地帯に住む少数民族の就学率は低く、小学校の授業料を免除している
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再び・ホイアンに
<ランチタイム>
ホイアンに戻り昼食、東京から来たツアーもここでは一緒に食事
食事はベトナム中部の郷土料理、その味はまずまずでした
<レストランの前>
2階から見ると、早くも「絵葉書」と「果物」の売り手さんの姿が
車の男子両足は、膝から下が無い
道路を渡りレストランを撮影
同じツアーの仲間が絵葉書を買っていた、私が買ったのはモンキーバナナ
レストランの隣りには洋装店
ベトナムではこのような店が多い、結婚式のドレスを売っている店も有る
大きな荷物(板状)を積んだ2人乗りのバイク、ベトナムではよく見かける
後ろの人はどこで体を支えているのか、交通違反ではないようだ
大人の3人乗りは交通違反だが、大人2人+子供1人の3人乗りはOK
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ホイアン~古都フエ
<民芸品&飲食店で小休止>
ここにも、菊とキンカンの鉢植えが置かれていた
この店は、内海に面し風光明媚なロケーション
ベトナムに来て、このような美しい景色を見たのは初めて
<峠を越えて>
内海を後に峠道を越え一路フェエへドライブ、美しい景色がしばらく続いた
峠を越えると湿地帯が続く
ホイアンと古都フエを結ぶ鉄道、本数は少ないが列車とよく行き合う
<交通違反のハプニング>
重量物を積み喘ぎながら峠を越えるトラックを追い抜くと・・・検問に!
制限速度40kmに対し、僅か10kmのオーバーで約5000円相当の罰金です
これはドライバーの月給の約半分、日本との賃金格差(技術職)を20倍とすると
20万以上の罰金になる、 有志全員が別れ際にチップを渡すと涙ぐんでいた
<道路沿いの住宅>
貧しい住宅のようだが、それでも各家にはバイクがあるようです
<マーケット>
古都フエに近ずいて来たためであろうか
5枚目の写真のマーケットと比べると、規模も大きい少し綺麗か?
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次回は、古都フエの旧市街を紹介します
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ベトナム旅行記(6)<世界遺産ミーソン遺跡> [ベトナム旅行]
ベトナム旅行記(6)
<世界遺産・ミーソン遺跡>
ミーソン遺跡は、トゥボン川流域のジャングルに囲まれたチャンパ王国の聖域
ヒンズー教の神であるシバ神を祭るもので、7世紀にチャム族によって造られた
遺跡はレンガ造りで、セメントや漆喰などの接着剤を使った形跡が無く
当時の技術力の高さを物語っていると言うが、今のチャム族は少数民族
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ミーソン遺跡へ
<ミーソン遺跡展示館>
写真を撮り忘れたが、日本の国際協力機構の協力により完成した展示館
大型バスはここまで、200mほど歩いて電気自動車の乗り場へ
そして、電気自動車に分乗し奥の駐車場へ
私が乗った自動車は小型、カーレースのように追い抜いて行った
<600mほど歩いて遺跡群へ>
ガイドの説明では、ここは山に囲まれた盆地、遺跡は樹木に埋もれていたが
20世紀初頭、フランス人が金銀の発掘調査で分け入り遺跡を発見したと言う
<個人説明のガイド>
東屋のような建物のなかで、ミーソン遺跡の説明を聞く夫妻
アメリカ人であろうか、英語でのやりとりが聞こえてきた
<遺跡をめぐる>
このような遺跡群が、AからEグループに分かれてるが
見る事ができたのは、B・C・Dのグループと、Aグループの一部のみ
<日本人観光客>
欧米系、中国系の観光客が訪れていたが、中でも日本人観光客が最も多い
写真の人たちは、我々とは別の日本人グループです
<ヒンズー教の女神像>
レンガを組み合わせて建造した壁面に、後で女神像を彫った
別の遺跡グループから戻る途中の石橋
現地ガイドは、アンコールワットと、アユタヤ(タイ)の遺跡群の建造にも
チャム族が関与していると言っていた、調べて見たがよく分からない?
<ベトナム戦争の爪跡>
この遺跡群に潜むベトコンに対し、アメリカ空軍が爆撃を加え多くの遺跡を破壊
現在は、トヨタ財団、アメリカの財団などによって保護助成されている
この写真の窪み(手前)は、爆弾の投下によっできたクレータだと聞いた
爆弾の直撃を受け天井が破壊された遺跡、光が入るように修復している
右の写真は、その時の爆弾のようです
<欧米系の女性>
どの国であっても若い女性たちは賑やかで明るい、写真を撮るのに夢中
ベトナム戦争を知らない世代、時代が変わったのが実感できるシーンです
二つの遺跡の入口を挟んで、互いに写真を撮り合っていた
<記念撮影>
友人たちと一緒に記念撮影、皆さんは暑さに少しバテ気味です
私も記念に1枚
添乗員さんとツーショット、明るく元気な女性でした
<遺跡展示館前の大看板>
旧正月(テト)を祝う看板のようです、今年は1月23日(月末まで連休)
この日は、2月6日(月)、看板には「ロウバイとモモの花」が描かれている
ミンーソン遺跡ではないが、他で撮った「ロウバイとモモの花」
ロウバイは日本で見る花と少し違うようです、現地のガイドさんに聞くと
桃は寒い北部に多いと言うが、何故暑い南部~中部にロウバイと聞くと答なし
ガイドの説明では、ベトナムに5ツの国があり、チャム族もその一つであったが
キン族(ベト族)が争いで勢力を延ばし今では人口の90%を占めている
チャム族を含め53の少数民族が有るが、山岳地帯を中心に生活をしている
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次回は、ホイアン~古都フエまでの車窓風景を紹介します
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ベトナム旅行記(5)<ホイアンの夜祭り> [ベトナム旅行]
ベトナム旅行記(5)
<ホイアンの夜祭り>
毎月満月の夜に行われる伝統的な行事、街はランタンの灯りに照らされ
情緒に満ちた夜景を演出し美しい、今回のツアーはこの日に合わせた企画で
かつて日本人が住み暮らした、南の国の夜を楽しむことができた
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リゾートホテル
<リバービーチ・リゾート>
トウポン川に面したロケーションのよいリゾートホテル
サービスも、施設も、そして部屋も良い、合格点が出せるホテルでした
ホテルの夕景
ホイアンの旧市街は川下、対岸に何が有るのか大きな音声が聞こえて来る
このバスに乗り約15分で、再びホイアンの旧市街に向かう
マッサージに行っていた7人(友人も3人)を、旧市街の近くで拾いレストランへ
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ホイアンの夜
<ベトナム風フランス料理>
川筋の道に面した、ランタン祭りの中心地のレストランでディナータイム
料理もフランスパンも美味しくいただいた
右はスズキのような魚料理、食べかけて慌てて撮影
途中で料理の写真を撮るのを中止し、食べる事に専念した
夜祭りの街を歩く
<川を飾るランタン>
左の橋には龍をかたどった白いランタンの列、下の赤いランタンは蓮の花
川の対岸から歓声が聞こえてくるが時間不足で行く事ができなかった
現地ガイドさんに案内され旧市街の主なコースを一周
この写真を撮っていると、皆さんとはぐれたが慣れているので心配せず
店を飾るランタン(1)
店を飾るランタン(2)
<ロウソクの灯り>
トゥポン川の川筋では、この灯りを売る人たちが並んでいた
幼い子供がいたので、ここで一つ購入(1ドルでした)
同じツアーの女性にプレゼント、しばらく持ち歩き川に流したそうだ
分かり難いが、ホイアンの女性が道の中央で、歩いている人たちに販売
<日本橋のライトアップ>
この橋は夜祭りのビューポイント、川岸(右)には人波が続き大混雑でした
撮影した木の橋の上も混雑、手ぶれを抑えるのに精一杯
<ホテルに戻って>
友人たちと11時頃までビールを飲みながら歓談
爽やかな川風(25℃ほど?)に吹かれながら、快適な夜を過ごす事ができた
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翌朝のホテル
<ホテルのガーデン>
一夜明けた川岸には濃い霧が立ち込め辺りを覆っていた
この霧も太陽が昇るにつれて薄くなり、やがて消えていったようだ
対岸の椰子の木がシルエットになり美しい
前夜過ごしたテーブルも、そして椅子も川霧で濡れていた
レストランでの朝食を終え
アオザイ姿の若い女性スタッフと6人の爺さんたちが記念撮影
ホテルの前の通りには、このような店が並んでいた
前夜のビールはこの近くで購入(1缶1ドル)、足りずにホテルで追加
ホーチミンのホテルもそうだが、ここホイアンのホテルも一歩外に出ると
貧しい生活の匂いがする住宅や商店が並び、ホテルと大きな落差を感じた
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次回は、世界遺産ミーソン遺跡を紹介します
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ベトナム旅行記(4)<世界遺産の街・ホイアン(2)> [ベトナム旅行]
ベトナム旅行記(4)
<世界遺産の街・ホイアン(2)>
海のシルクロードと呼ばれる海上交易路の中継地として栄えたホイアン
16~17世紀には、朱印船に乗った日本の貿易商たちもこの地を訪れ
最盛期には1000人以上もの日本人が住んでいたといわれているが
江戸幕府の鎖国政策により衰退し、その後は華僑が中国文化を持ち込んだ
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ホイアン旧市街
<チャンフー通り>
前記事の日本橋(来遠橋)から東に続く、旧市街の中心通り
現地ガイドの説明では、日本橋から約300mほど日本人街が続いていた言う
気温は30℃を越えかなり暑い、ツアーの皆さんは日陰を選んで歩いて行く
提灯は夜祭り用のランタン、その記事は次回にアップします
<海のシルクロード博物館>
伝統的な2階建の民家を博物館に改装した建物、2階の人たちは日本人観光客
発掘された陶磁器、沈没船から引き揚げた遺物などを展示している
日本人街や御朱印船を描いた絵巻の写真が有った
2階からチャンフー通りを見ると、苔むした古い瓦屋根の家が並んでいる
<門前に並ぶ菊の花>
ベトナムでは旧正月を菊の花で飾るのか、各地で多く見受けられた
(左):菊の花の鉢植え (右):鉢植えの金柑(キンカン)
(左):菊の花を少しアップ (右):ブーゲンビリア(あまり見かけない)
<福健会館>
福建省出身の華僑たちが造った集会場
ベトナムには、鉢植えの盆栽が多いが、ここではアップした写真を撮らず
赤や黄色の色彩を施した建物
内部の最奥には祭壇画設けられお参りをする人たちもいた
福建会館の前の通りは賑わいが増してきた
シクロ、バイク、自転車・・・そして人、人、ひと
<フンフンの家>
貿易商人の家として200年前に建てられた木造住宅
ベトナムと中国様式の家だが、屋根は日本の建築様式を取り入れている
フンフンの家の2階から
椅子に腰を掛け座っている人は、下の写真のお婆さんです
<笛を売るお婆さん>
笛はホイアンの民芸品、買わなかったのでモデル料として1ドル進呈した
<床屋さん>
通りに面した床屋さんでは子供が散髪中、父親が後ろで見守っていた
日本人街の記録
名古屋の情妙寺に文禄時代(1593~1596)、京都で貿易を営んできた茶屋家が寄進した
絵巻が残り、これには茶屋新六が御朱印船の船長となり、長崎からホイアンに渡航した時の様子や
数百人規模の日本人街が描かれているという。現在はホイアンの街並み保存に日本が協力し
文化交流を深める「日本祭り」が毎夏にもようされているそうだ、情妙寺の絵巻は是非見たい
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次回は、ホイアンの夜祭りを紹介します
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