三陸海岸を訪ねる(5)<陸前高田市> [みちのくの旅]
三陸海岸を訪ねる(5)
<陸前高田市>
東日本大震災で被害の大きかった陸前高田、中でも貴重な遺産であった
7万本の松原は根こそぎ倒された、その松を京都五山の送り火にとの願いは
心無い市民グループの猛反対で中止、絆と言う言葉に大きな虚しさを覚えた
東北の復興はようやく緒に就いたばかり、一日も早い復興達成を願いたい
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
陸前高田を巡る
大船渡から陸前高田のガイドさんにバトンタッチ
同じ大震災を受けた被災地同士を結ぶ絆、阪神大震災の被災地・神戸で
復興への願いの象徴になってきた、「希望の灯り」から分灯を受けたガス灯が
陸前高田市の町を見渡せる高台「気仙大工左官伝承館」設置されていた
犠牲者(1600人)、行方不明(200人)、消防団員も51名亡くなっている
震災後、消防団に20分ルールができ、20分後は避難を優先すると言う
残されたマンション
赤い線の位置まで津波が到達、5階と1階~4階の窓を見比べてください
大津波は、気仙川の上流に向かって8kmも遡上したという
道の駅高田松原
解体をしていない建物を見ると、再建されるように思える
品種、品揃えも充実した物産館で観光協会もこの中に有ったそうだ
津波の高さは、3階建てのビルの更に上(約20mほど?)
ビルの所有者が解体をせず保存するという、バスの車窓撮影で画像が悪い
三陸鉄道の線路跡
BRT(バス高速輸送システム)の車道になっている
見渡す限りこの眺め
かつては、住宅、商店、ビルなどが建ち並んでいたと言う
大船渡市役所が有った場所
ガイドさんの説明では、市役所の職員は逃げ遅れ多くの人が亡くなったが
近くのスーパーでは全員が安全な場所に避難し無事、明暗を分けた
コンクリートを破砕し鉄材と分類している
分類された鉄くずの山
大震災追悼施設・・合掌
全員がバス車内で黙とう、世話をする人の姿が見える
『鎮魂花』・・でしょうか
被災地の跡には延々とシロツメクサ(白詰草)が群生
犠牲に遭われた多くの人たちを慰める鎮魂花(鎮魂歌)のように思えた
黄色の花は種を撒いたのであろうか
陸前高田物産センター
車の車体に搭載された物産館、被災地の復興を願わずにはおられない
妻は早速買い物、後ろに綺麗なトイレも併設されていた
買ったのはまたも海産物
一本松クッキーを買い自宅に帰り頂いた
奇跡の一本松
陸前高田のシンボルは、日本百景にも数えられる白砂青松の高田松原
樹齢300年を超える松が約7万本もあったが、ことごとく流された
かろうじて残った一本松も、地盤沈下で根元に海水が浸入し枯渇した
工事中で近寄れず気仙川の対岸から見る
ガイドさんは一本松の復元費用に1.5億円、仮設住宅なら2100戸建つと言う
ここには一本松を復興のシンボルにした広い公園に生まれ変わるそうだ
気仙沼中学校(気仙川の川沿い)
校舎は損壊し他の場所に移転、ここも復興公園に組み入れられる
震災当日、約200名の生徒は写真左手の山に逃れ全員無事で有った
この中学校のサッカーボールがアメリカ西海岸で発見されたと言う
陸前高田の語り部(ガイド)さん
最後に私たち全員に握手を求め、また来てくださいと声をかけていた
瓦礫処理がほぼ終わり、これからが復興の本番
住宅高台移転、跡地買収、護岸工事、地元企業再建、企業誘致、雇用確保など
解決すべき問題が山積しハードルは高いが、早期の復興を心から願う
-----------------------------------------------------------------------------------
次回は、三陸海岸を巡る(5)<気仙沼~南三陸>を紹介します
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
見上げるような高さまで達する津波の威力は今更ながらに怖さを覚えます。
by orange (2013-07-03 15:18)
津浪の跡、信じられない高さですね。
by Silvermac (2013-07-03 15:24)
こんにちは。
これからが復興の本番ですか、頑張ってほしいです !!
by yakko (2013-07-03 16:12)
ニュースで映像を見た時の衝撃を思い出しました。。。
陸前高田の語り部さんの背中の「未来へ語り継ぐ」の文字、
本当に地元の方だけじゃなく皆にとって大切なことだと思います。
by ニッキー (2013-07-03 17:28)
あれから何年?と考えてしまいますが、現地ではいまだに進行形なんですよね。
我が家ではこの津波の前年の夏、この沿線を車で走り抜けていましたので、少しは臨場感があります。
by suzuran6 (2013-07-03 17:54)
こんばんは^^
京都五山の送り火に待つの木を使うのに反対という話を聞いた時は、わたくしもかなり違和感を覚えました。また、蛾暦を受け入れるのにも反対という人々。『絆』という言葉だけが独り歩きしているようで、ちょっと不愉快でしたね。
津波の爪あとがまだまだありますね~いっ時も早く復興されることを願います。
by mimimomo (2013-07-03 18:21)
瓦礫処理も未だに片付いていないんですね、わが犬も可成瓦礫処理に協力したんですが反対している県や市もありますものね、我が県ではいつこのような被害にあうか分かりませんからね、あいみたがいと言うことですよ。
by 馬爺 (2013-07-03 21:35)
なにもなくなってしまったところに白い花が咲きつめている様は・・・何とも言葉がないですね。奇跡の1本松は再現されて完成なったといっていましたが、いらしたときは工事中だったんですね。
by yuzuhane (2013-07-03 23:07)
こちらもまだまだ復興には程遠いようですね。
鉄くずを見ると絶句してしまいましたが
一日でも早い復興を祈るばかりです。
by 美美 (2013-07-03 23:24)
津波被害が受けやすい三陸では住宅の高台移転は必要でしょう。
この惨状をみると、海岸部にはもう住居はたてるべきでないと思います。
人の命には代えられません。
by Jetstream777 (2013-07-04 00:03)
こんばんは。
本当に根こそぎ津波に流されてしまったのですね。
驚くばかりで絶句です。津波の恐ろしさを改めて感じた次第です。
まだまだ復興には時間がかかりそうですね。大変なことです。
by kuwachan (2013-07-04 00:09)
やはり現地に行かないとわからないことが多いですね。
by takenoko (2013-07-04 05:10)
胸が痛みます!悲しい出来事です!皆さんの明るい笑い声が聞こえる日を…1日も早い復興を願うばかりです。
by 沈丁花 (2013-07-04 06:12)
冒頭の京都の件の時はかなり頭に来ました。
心ある方々のご厚意に甘えて松の木を京都に送ったのに
「ばい菌(放射能を)を持ち込むな。何故自分のところで処理しない?
」と大騒ぎになって、
寡黙な東北人、じっと我慢しましたが・・・
「何も、こちらから無理やりお願いしたわけでもないのに(~~;」
「どうぞ、余計なことしないでほっといて」と
地元では、ものすごい衝撃が走ったと思います。
あの時は、もう一生「京都旅行しない」と思ったほどでした。
今は落ち着きましたけど^^
丁度、奇跡の一本松の復元記念のニュースがTVで放映されていますね。復興のシンボルとして一日でも早く復興が達成されることをお祈りしているところです。
by 弁慶 (2013-07-04 06:48)
オランダは、なるほどそういうことだったんですね。
大変失礼しました。
それにしても想像を絶する津波の高さですね。
by 駅員3 (2013-07-04 07:30)
おはようございます。
当時会社で揺れ体験しましたが・・・やはり現地へ赴かないと。
思い新たにしました・・・。
by YUTAじい (2013-07-04 08:03)
被害の大きさがデカ過ぎで、どこから手を付けて良いのか計画も立たないのでしょうね。
早く復興が進むと良いですね。
by せつこ (2013-07-04 11:19)
想像を絶する痕跡
人間って無力なんですねぇ
by さる1号 (2013-07-04 20:19)
三陸鉄道の列車を納車時にあの界隈にはあちこち行きましたが、
震災後はまだ行ってないので、1度は行って見たいです。
by 旅爺さん (2013-07-04 20:23)
徐々に元に戻りつつある風景にホッとします。
地震の恐怖も少しずつでも消えていって欲しい
ものです。
by ため息の午後 (2013-07-04 20:40)
架空の北三陸鉄道しか存じませんが・・ そう遠くない復興は確実だと思います!
by OJJ (2013-07-04 21:11)
コメントを頂いた皆様へ
こんばんは
今回の、三陸海岸の被災地を巡る旅、行く前は躊躇しましたが
被災地の皆さんと接すると、揃ってよく来てくださったという
恐れて折られることは、時間と共に被災地を忘れられることでした
私の記事が、少しでも被災地の復興に役立つことを願っています
皆さんから頂戴したコメントを嬉しく受け止めさせて頂きます
有難うございました
by koh925 (2013-07-07 20:01)