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春うらら・隅田川<水上バス乗船記> [東京下町散歩]

春うらら・隅田川

<水上バス乗船記>

旧浜離宮庭園で、菜の花など早春の花を観賞したあとは水上バスに乗船し

隅田川に架かる橋や風景を眺めながら浅草吾妻橋へ、幸い好天気に恵まれ

私は船上のデッキに陣取り撮影、妻は子供連れの家族と船旅を楽しんでいた

写真が多く長い記事になりましたが、最後までご覧ください

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隅田川クルーズ

<旧浜離宮出港>

汐留地区の高層ビル群を後にして出港、この川は築地川、前方に浜離宮の入口がある

浜離宮から日の出桟橋を経由して浅草吾妻橋へ約40分間のクルーズです

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<隅田川の河口>

前方には勝鬨橋、隅田川の両岸には高層ビル、マンションが建ち並ぶ

隅田川を上ると目的の浅草ですが、水上バスは一旦逆方向の東京湾に向かう

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<日の出桟橋へ>

レインボーブリッジの手前で右に舵を取り、水上バスのターミナル日の出桟橋へ

浅草に向かう大勢の乗客が乗船し隅田川へ、外国人の家族も多い

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<竹芝桟橋>

伊豆諸島に向かう桟橋だが停泊する船はない、日の出桟橋に向かう水上バスと交差

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<築地市場>

東京に11ヶ所ある中央卸売市場、ここでは水産物、青果を扱っている

前方は勝鬨橋、橋の西側(左)には築地場外商店街があり観光客で賑わっている

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<勝鬨橋>

現存する数少ない可動橋(跳開橋)だが、今は跳開することはない

可動部の柱には当時の信号機が残っている、清洲橋と共に重要文化財に指定されている

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<佃大橋>

前方の平橋は佃大橋、白い鉄塔は中央大橋、右手一帯は月島です

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<聖路加タワー>

地上42階(2200m)のオフィス、ホテルが入った高層ビル、病院棟は背後にある

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<大川端リバーシティ21>

隅田川に出来た最初の高層マンション群、エネルギー源はガスコージェネレーション

江戸時代には長谷川平蔵(鬼平)の提案で造った石川島人足寄場が有った

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<中央大橋>

隅田川に架かる橋では2番目に新しい、レインボーブリッジと同じ日の平成5年の竣工

隅田川はセーヌ川と友好河川提携を結び、設計はフランス人です

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<永代橋>

関東大震災の復興事業第一号として、大正14年(1926)に再架橋

この辺りは川幅が広く、石川島、佃島、月島を挟み隅田川は二つに分かれ東京湾に注ぐ

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<清洲橋>

隅田川の貴婦人と呼ばれている美しい橋、関東大震災の復興事業として竣工

世界で最も美しい橋というドイツケルンの吊り橋がモデル、第二次世界大戦で破壊された

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<萬年橋>

小名木川に架かる橋、左に芭蕉記念公園が有る、北斎、広重の絵でも知られている

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<新大橋>

昭和52年に架け替えられた新しい橋、旧橋は愛知県の明治村に保存されている

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<JR総武線 両国鉄橋>

一つ先の橋は両国橋、江戸初期まで武蔵国と下総国の境であり両国の名が付いた

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<柳 橋>

神田川に架かる最後の橋、明治、大正時代は料亭が軒を連ねる花街があった

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<蔵前橋>

江戸時代、幕府の直轄地から入る年貢を納める「浅草御米蔵」が有ったのが名の由来

橋全体を、稲の籾殻を連想させる黄色に塗装されている

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<厩 橋>

この橋も、関東大震災の復興事業として昭和4年に架橋された

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松本零士さんがデザインをした「ヒミコ号」とすれ違う

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<駒形橋>

関東大震災までは、この場所に「駒場の渡し」が有ったが、震災復興事業として

昭和2年に初めて架橋されたた、橋の名は西詰(左)にある「駒形堂」に由来する

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<吾妻橋>

大洪水で流出したあと架橋、関東大震災で焼け落ちたが昭和6年に架け替えられた

橋の西詰にある水上バス発着所で下船、次の乗船客が長い列で待っていた

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<水上バスの発着所より>

左から墨田区役所、東京スカイツリー、アサヒビール本社、水上バスが出発して行った

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<春のうららの隅田川>

外国人の家族連れが河畔でのんびり

春のうららの隅田川~♪ ♪  今は外国人も隅田川を楽しむ時代です

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隅田川のクルージング、昨年9月以来ですが何度乗っても楽しめます

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次回は、浅草ぶらり散歩<仲見世~浅草寺>を紹介します

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東京旧街道を歩く<東海道品川宿> [東京下町散歩]

東京旧街道を歩く

<東海道品川宿(2)>

品川駅から出発した東海道品川宿の散歩、後半は荏原神社から品川寺へ

そして京浜急行青物横丁駅がゴールの予定で有ったが、着いた時間は4時前

まだ歩き足りないと言い出したので、振り出しの品川駅まで戻ったが途中で日没

ゴルフや菜園で鍛えている二人、悠々自適とは言え私より体力は勝っている

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品川宿散歩後半

<品川橋>

目黒川に架かる品川橋、この橋を境にして南北の品川に分かれる

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<荏原神社>

参道の朱塗りの「鎮守橋」を渡った正面は荏原神社

目黒川の流れを変える前の鎮守橋は神社の境内、その場所に橋が架けられている

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高龗神(水神)を主祭神として祀る神社

源氏、上杉家、徳川家など武家の信仰を受け、品川の総鎮守府として宗敬された

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観光ボランティアが荏原神社を案内していた

東海七福神の恵比寿尊を祀る

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<品川宿の松>

東海道品川宿のシンボルとして、29番目の宿場があった浜松から送られた黒松

他にも、袋井宿、三島宿などから寄贈された街道松がある

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風雨に耐え旅人を見守った当時の松並木を偲ばせると記るされていた

樹齢約80年の見事な黒松です

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<品川宿と店舗>

前方を歩く二人は友人たちです、ゴールの青物横丁駅は近い

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畳松岡 右書き

入口を開け放した土間では作業中、座敷との仕切りは障子、昔の店構えです

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居酒屋えいちゃん

元は鮮魚と仕出し店であろうか、屋号「魚長」の両側に・・左:鮮魚、右:御仕出し料理

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星野金物店 この店も右書き

建築当時はモダンな建物であったであろう、右の八百屋は上はアパート

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<品川寺(ほんせんじ)>

正式寺号は海照山普門院品川寺 真言宗醍醐寺派の別格本山

開基は弘法大師、太田道灌の建立、左は江戸六地蔵の一番、地蔵菩薩像

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鐘楼(重要美術品)と本堂

本堂には、本尊の水月観音菩薩と聖観音菩薩の2躯を祀る

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<旧東海道看板>

旧東海道はまだ続くが品川宿はこの辺りまででしょう

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旧東海道品川宿を振り返る、左に行くと青物横丁駅がある

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<京浜急行青物横丁駅>

今回の散歩はこの駅がゴールであったが、まだ歩きたいと言い出したので

今度は第一京浜を歩き品川駅へUターン、その前に駅前の喫茶店でティータイムをとる

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<願行寺>

正式寺号は即成山光明院願行寺 浄土宗の寺院  本尊は阿弥陀三尊

しばられ地蔵は、南蔵院(葛飾区)、林泉寺(文京区)にも有る

品川に戻る途中だが第一京浜から近いので友人を誘う

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地蔵尊は縄で縛られ身代りとなって功徳を人々に分け与えると信じられている

願掛けをする人は首を一つ持ち帰り叶えば首を二つ返すそうだが、少し不気味である

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<お疲れさま・・乾杯>

歩いた後のビールは旨い、品川駅東側の日本料理店で疲れを癒し話が弾む

三人の散歩、来年も続けるかと問うと勿論一緒に歩きたいという

次回のコースも私に一任、おんぶに抱っこで申し訳ないと、また下駄を預けられた

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来年度の政府予算案が決定したが・・・

朝日新聞と読売新聞の論説は極端に違う、朝日新聞は相変わらずの安倍バッシング

仲井知事は普天間飛行場の辺野古移設を承認する方向と聞く、各社の評価を注視したい

読者の私たちは、マスコミ報道に惑わせられない識見を持たねばならない

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次回は、雨にも負けず<師走の坂道散歩>を紹介します

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東京旧街道を歩く<東海道品川宿> [東京下町散歩]

東京旧街道を歩く

<東海道品川宿(1)>

毎年続けている友人たちとの東京散歩、互いの日が合わず一年ぶりに再開

大手重電会社の技術職として重責を果たした友人二人、私にはクライアントだが

互いに古希を過ぎても不思議な縁でつながり、数十年も交際を続けている

ゴルフ、家庭菜園など悠々自適の生活で健康、今回は東海道品川宿を散歩した

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品川宿散歩前半

<JR品川駅 中央改札>

友人たちとの待ち合わせは、中央改札前で午後2時に集合

定刻5分前に再会し、この場所から旧東海道品川宿の散歩をスタートする

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<第一京浜>

品川駅から京浜急行の高架に沿って八ツ山橋へ、右は御殿山です

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<京浜急行トラス橋>

八ツ山橋の西詰から通過する電車を撮影、橋の欄干には旧東海道と表記されている

二つの鉄橋の下には、東海道線、山手線、東海道新幹線などが通っている

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<八ツ山橋>

八ツ橋は、新橋と横浜間に開通した鉄道に架かる日本最初の跨線橋

その時の親柱をこの場所に保存、新八ツ山橋は左方向(横浜方向)に架かっている

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<京浜急行踏切>

旧東海道を通る京浜急行、通過する電車が多く踏切の開く時間は短い

この踏切を渡ると、東海道品川宿に入る

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踏切の直ぐ先は北品川駅、JR・京浜急行の品川駅より南側にあるが駅名は北品川

品川宿を基準にすると北側に位置するためであろう、因みにJR品川駅は港区にある

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<観光案内所>

中を覗くと食事処、店の名は「あぶりや蓮」、夜には「居残り蓮」になる飲み屋さん

土日、休日の昼間のみ店先を借りて観光案内所にしているそうだ

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<問答河岸跡>

京から戻った徳川3代将軍家光が東海寺に入るとき、出迎えた沢庵和尚と問答を交わした

       その問答は  将軍家光・・『海近くして東(遠)海寺とはこれ如何に』 

                 沢庵和尚・・『大軍を率いても将(小)軍と言うが如し』

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<土蔵相模跡>

高杉晋作、伊藤博文など長州藩士が御殿山に建設中の英国公使館焼討ちを密議した旅籠

外壁が土蔵のようななまこ壁であったので土蔵相模と呼ばれた「旅籠相模屋跡」

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<品海公園>

公園の隅には、街道の松を中心に品川宿の説明板と石柱が立っている

石柱の文字は 「品川宿 日本橋より二里、川崎宿へ二里半」

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<品川宿の説明板>

「東海道五十三次」といわれる江戸から京都間の五十三の宿の中で、品川宿は諸街道の最初の 宿場町である。 旅人は品川宿を経由し西を目指し、また家路についた事から「東海道の玄関口」 として栄え宿内の家屋は1600軒、人口7000人規模で賑わっていた。 今でも品川宿周辺は、 江戸時代と同じ道幅を保ち、かつての宿場町として、活気が息づいている。

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<品川宿の商店街>

12月7日(土)午後2時半過ぎの商店街は人の姿が少ない

この東海道品川宿を、旅人や藩士、大名行列が通ったころは賑わったであろう

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<一 心 寺>

正式寺号は豊盛山延命院一心寺、真言宗智山派、成田山新勝寺の末寺

本尊は不動明王、江戸33観音霊場30番札所である、東海七福神の寿老人を祀る

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<養 願 寺>

正式寺号は明鏡養願寺、天台宗の寺院、本尊は阿弥陀三尊像、不動三尊像

虚空蔵菩薩を祀る寺として知られている、東海七福神の布袋尊も祀る

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<正徳寺の煉瓦塀>

養願寺を左にある脇道の煉瓦塀、この地域には寺院が驚くほど多い

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<品川神社>

源頼朝が海上交通の安全と祈願成就の守護神として文治3年(1187)に天比理乃咩命を

勧請して建立、創建時は品川大明神と称していたが、後に品川神社と改めた

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参道の石段を登る友人二人

石段の中間から富士塚に向かう鳥居が建っている

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鳥居の石柱に龍が巻きついていた

海上交通の安全を祈願する神社、龍の彫刻はそのことが由来と思われる

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本殿に参拝、日枝神社、神田明神、富岡八幡宮などと共に東京十社に数えられ

そして荏原神社(次回)を「南の天王社」、品川神社は「北の天王社」を称されている

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<富 士 塚>

江戸時代に、富士信仰の人たちが富士山を遥拝する場所として富士塚を築山

江戸の各所に造られていた貴重な文化財だが、品川神社の富士塚は明治初期の完成

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鳥居(上の写真)は五合目、この場所は七合目、白い石柱に合番が記されている

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富士塚の頂上から展望、京浜急行の高架線路の奥に品川宿の町並みが続く

当時は品川の海が見えたであろう、右隅の森は荏原神社(次回)です

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次回は、東京旧街道を歩く<東海道品川宿(2)>を紹介します

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猛暑日も賑わう<仲見世~浅草寺> [東京下町散歩]

猛暑日も賑わう

<仲見世~浅草寺>

この日は関東大震災から90年目の9月1日、母や祖父母は赤坂で被災し

家族全員が新潟、福井を経て大阪に疎開した、浅草に着き向かった先は浅草寺

観音様に手を合わせお参りしたが、その途中でウオッチングしたのは賑わう浅草

暑い日(36度)にも負けず、国内外の観光客が訪れ元気な浅草に驚いた

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先ずは・・雷門へ

<吾妻橋で記念撮影>

若い女子たちが男性に頼み記念撮影、次の人が待ち構えていた

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雷門に向かう途中、吾妻橋の方向を撮影

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人力車はが並ぶ浅草通り

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車夫の若者が呼び込んでいるが、暑い日で乗る人がいない

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人が絶えない雷門の前、カメラを構えていると次々に人が前に立つ

ようやく撮れたのがこの写真、正面の人たちに失礼しました

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仲見世通り 

仲見世を通り浅草寺の本堂へ

夏雲が湧き上がり、見るからに暑さを感じる仲見世通りです

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仲見世通りは外国人が興味を持つ商品が多い

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この女性たちは小物の店、写真がブレています

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この女性たちは熱心に唐傘を見ていた

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伝法院通りと交差する四つ角、人通りが絶えない

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石川五右衛門の像と記念撮影、台湾の人たちのようでした

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こちらは日本人のカップル、ブログ使用はOKでポーズも決めてもらった

暑い中での2度の撮り直し・・有難うございました

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中年女性が二人、まさかカツラではないと思うが、髪飾りに興味か?

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外国人の男性二人は、土産物屋には見向きもせず早足で行く

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金龍山浅草寺 

宝蔵門(山門)の前で記念撮影をする外国人の家族

カメラの位置は宝蔵門から外れているようだ

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家族(上の写真)が撮っているのは・・このアングルでした

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この女性は、浴衣姿の二人を熱心に追いかけていた

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宝蔵門の下では外国人が人だかり、別々のグループのようでした

皆さんが・・カメラを向けているのは~

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撮影していたのは、浴衣姿の若い女性グループ

外国人女性(男性も)が次々と入れ替わり記念撮影、国際貢献を果たしている

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上の写真で、カメラを構えていた女性(左)も中央に入りハイポーズ

外国人には、浴衣姿の若い女性は人気があるようだ

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宝蔵門の本堂側でも外国人の家族

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浅草寺本堂へ参拝に向かう

宝蔵門から大香炉を経て本堂へ、観音堂とも呼ばれている

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おみくじを結ぶ外国人、苦手なのか中々結べない

おみくじは日本語のみと思うが、その意が味分かったのであろうか?

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大香炉で日本人の真似をする外国人の夫婦

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本堂にカメラを向ける美しい女性

宝蔵門の下で浴衣姿の女性を撮っていたが、好奇心が旺盛です

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その好奇心、漢字に興味があるのか、この看板と記念撮影です

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本堂の拝殿にくると外国人の後ろ姿が10人ほど

最前列まで進み・・・参拝をした

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2020年のオリンピック・パラリンピックの開催地が東京に決定した

世界の人々が注目するイベント、子供たちや若者に夢と希望を与えるであろう

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次回は、東京デズニーランド<初めての体験>を紹介します

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隅田川クルーズ<浜離宮~浅草> [東京下町散歩]

隅田川クルーズ

<浜離宮~浅草>

浜離宮から芝離宮へ、潮入りの二つの庭園をハシゴする予定でいたが

この日は暑さがぶり返し気温は36度、芝離宮は敢え無く断念し行先を変更

浜離宮内に水上バスの発着所が有るのを利用して、浅草までのクルージング

隅田川の散歩記事は数回アップしているが、今回は船内から橋を観察した

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水上バス乗船記 

<竹芝桟橋>

浜離宮を出港した水上バスは、日の出桟橋を経て浅草まで約40分のクルーズ

竹芝桟橋に停泊している船は、東京湾クルーズ船ヴァンティアン

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<日の出桟橋へ>

レインボーブリッジの手前を右に回り、日の出桟橋に向かう

前方は松本零士さんがデザインした「ヒミコ号」、お台場を経由し日の出桟橋へ

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<日の出桟橋~隅田川へ> 

日の出桟橋では多数の乗客が下船したが、国内外のツアー客でたちまち満員

モーターバイク?が、飛沫を上げ高速で駆け抜けて行った

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<築地市場>

東京に11ヵ所ある東京中央卸売市場の一つ、水産物、青果などを扱っている

前方は勝鬨橋、西側(左)には築地場外商店街が有り観光客が多い

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<勝鬨橋>

現存する数少ない可動橋(跳開橋)であるが、今は跳開していない

奥に見える高層ビルは、聖路加タワー(42階220m)です

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<中央大橋>

平成5年に完成した隅田川では2番目に新しい橋(レインボーブリッジと同日)

隅田川はセーヌ川と友好河川提携を実施、フランスのデザイナーが設計をした

A13.09.01-31 水上バス27.jpg

<大川端リバーシティ21>

隅田川に出現した高層マンション群、エネルギー源はガスコージェネレーション

江戸時代は長谷川平蔵(鬼平)の提案で造った人足寄場が有った

A13.09.01-31 水上バス30.jpg

<永代橋>

関東大震災の復興事業の第一号として、大正15年(1926)に再架橋された橋

ドイツ・ライン川に架かるルーデンドルフ鉄道橋をモデルにしたと言う

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<清洲橋>

関東大震災の復興事業として竣工した橋、隅田川の貴婦人を呼ばれている

当時、世界で最も美しいと呼ばれたドイツ・ケルン市の吊り橋がモデルにしたが

その橋は第二次世界大戦で破壊され現存していない、勝鬨橋と共に重要文化財

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<隅田川大橋>

隅田川大橋の上は首都高速9号深川線、橋の右側には箱崎JTCがある

水上バスの右側はリバーサイド読売ビル、後方には水天宮がある

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<新大橋>

昭和52年に架け替えた新しい橋、旧橋は愛知県の明治村に保存されている

深川は松尾芭蕉ゆかりの地、芭蕉記念館、芭蕉稲荷神社などが有る

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船内から振り返って新大橋を撮影

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<両国JTC>

隅田川の上で、首都高速6号向島線(左)と7号小松川線に分岐する

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<両国橋>

隅田川は武蔵国と下総国の境を流れ、二つの国を結ぶ橋が名の由来

現在も橋の上で靖国通り、京葉道路に分かれている、両国国技館は橋から近い

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<JR総武線鉄橋>

千葉と東京(御茶ノ水)を結ぶ総武線、タイミングよく電車が通過した

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<蔵前橋>

江戸時代、幕府の直轄地から入る年貢を納める「浅草御米蔵」が有ったのが

蔵前橋の名の由来 、橋全体が稲の籾殻を連想させる黄色に塗装されている

A13.09.01-31 水上バス57.jpg

<厩 橋>

この橋も、関東大震災の復興事業として昭和4年に竣工した

A13.09.01-31 水上バス60.jpg

<駒形橋>

関東大震災まではこの場所に「駒場の渡し」が有ったが、震災復興事業として

昭和2年(9999)に初めて架橋された、橋の名は西詰にある「駒形堂」に由来

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<吾妻橋>

江戸時代、隅田川に架橋された五つの橋の中で最後の橋

現在の橋は昭和6年(1931)に架け替えられた、水上バスの浅草発着所は近い

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吾妻橋の下から駒形橋、屋形船が横切って行く

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<浅草発着所>

浜離宮から楽しんだ隅田川クルージング、さすがに川面の風は心地よかった

発着所には、日の出桟橋に向かう次の乗船客が列を作っていた

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<東京スカイツリー>

東京スカイツリーをここから撮影したは、昨年5月の開業以前のこと

(左):墨田区役所  (右):アサヒビール本社

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佃大橋(勝鬨橋と中央大橋)の写真を撮り忘れています

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次回は、猛暑日も賑わう<浅草ウオッチング>を紹介します

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二つの顔を持つ街<北品川と運河を歩く> [東京下町散歩]

二つの顔を持つ街

<北品川と運河を歩く>

3月18日に、新宿副都心の高層ビルと下町風景のコラボ写真をアップした

この日は前回のリベンジ、品川駅前の高層ビル群と古い町のコラボを求めて

北品川から運河の町を目指したが、私が望むコラボ風景には出会えなかった

しかし古い町と新しい町が隣り合い共存する、二つの品川に接する事ができた

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(撮影:4月15日)

品川駅から北品川へ

<自由通路 中央改札前>

品川駅から、第一京浜国道を南へ歩き・・北品川へ向かう

このように書くと、品川駅の南側が北品川?、と疑問に思うであろうが

品川駅の住所は港区高輪3丁目、因みに目黒駅は品川区にある

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<京浜急行のトラス橋>

八ツ山橋の西詰から通過する電車を撮影、前方は品川駅前の高層ビル

二つの橋の下には、東海道線、山手線、新幹線などが通っている

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旧東海道を渡る京浜急行、八ツ山橋の東詰で撮影

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<八ツ山橋 親柱>

八ツ山橋は、新橋・横浜間に開通した鉄道に架かる、日本最初の跨線橋

その後、架け換えが行われ、元の八ツ山橋の親柱がこの写真

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旧東海道(左)と京浜急行の線路(北品川駅が前方に見える)

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<問答河岸跡(旧東海道)>

三代将軍家光が東海寺に入るとき、出迎えた沢庵和尚と問答を交わした場所

      その問答とは  将軍家光・・『海近くして東(遠)海寺とはこれ如何に』

         沢庵和尚・・『大軍を率いても将(小)軍と言うが如し』

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 <コラボ風景>

問答河岸跡から東に下ると住宅街、 江戸時代この辺りは海であった

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木造住宅と高層ビル(遠くて写りが悪い)

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公園から見た高層ビル群

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<屋形船「船清」>

提灯と旗幟に誘われて立ち寄る、家族全員で屋形船に乗りたくなり

係りの人からパンフレットを受け取り説明を聞く

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屋形船の舟溜まり

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<高浜運河>

戦後、埋め立て造成した新しい街と運河・・この景色を見て

地井武男さんが、「ちい散歩」でこの辺りを歩いていたのを思い出した

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<楽 水 橋>

屋形船などが通行するため太鼓橋になっている、車両の通行も可

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<天王洲アイル>

高浜運河から見た天王洲アイル、ここから北品川に戻ることにした

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<品川浦の舟溜まり>

古い時代の漁師町の面影を残す舟溜まり、北品川から撮影

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上と写真と同じ、北品川橋から反対側の舟溜まりを撮影

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<旧東海道>

品川浦から少し西へ歩くと旧東海道、少し街道を散策し帰路に付く

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<品川宿跡>

京浜急行新馬場駅に向かう、旧東海道品川宿は友人たちと歩く予定である

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<京浜急行車窓風景>

先頭車両から旧東海道の踏切を撮影

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<郵便車型ポスト>

国鉄時代の荷物兼郵便車「クモユニ」をイメージし湘南電車の色に合わせたポスト

山手線、品鶴線(貨物線であったが今は横須賀線が通過)の起点駅

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<説明パネル> 

ブログ記事のため何時も説明版を撮影するが、私の姿が映りこんでいた

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この記事は、4月15日に歩いたときの在庫写真で綴りました

次回の記事(下記)を公開することになり、その前に割り込むことにした

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次回は、屋形船でゆく<隅田川~台場>を紹介します

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東京下町散歩(4)<両国広小路・本所松阪> [東京下町散歩]

東京下町散歩(4)

<両国広小路・本所松阪>

日本橋から歩き始めた今回の下町散歩、両国橋を渡ればゴールは近い

今では、両国駅・両国国技館がある隅田川の東側が両国町になっているが

両国広小路が盛り場として栄えた江戸期は、中央区側が両国の中心で有った

ここでは両国橋の西から東へと、江戸の歴史を辿り歩いた記事を紹介します

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両国橋・広小路 

<両 国 橋>

江戸初期、隅田川に架かる橋は、江戸の守りのため千住大橋のみで有った

市街地の大半を焼失した明暦の大火(1657)で、逃げ場を失った多くの人々が

この辺りで焼死、事態を重く見た幕府は万治2年(1659)に両国橋を架橋した

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<橋名の由来>

当時の隅田川は武蔵国と下総国の境界、二つの国を結ぶ橋で両国橋と呼ばれた

江戸の町は、橋と共に本所、深川を開き市街地を東に拡大していった

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<両国広小路>

明暦の大火の教訓で、延焼防止のため橋の西側一帯を火除け地(空き地)とし

上野広小路、浅草広小路(雷門辺り)と共に、江戸三大広小路として発展したが

今では中央区に両国の名はなく、この旧跡碑と郵便局がその名を残すのみ

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<両国広小路の賑わい>

この写真は、東京江戸博物館のHPから拝借をした

両国広小路に、歌舞伎小屋、見世物小屋、水茶屋、屋台など

隅田川(大川)には、屋形船、猪牙船を浮かべ、往時の賑わいを再現している

両国橋西詰の広小路は、軽業(かるわざ)や歌舞伎を見せる見世物小屋、髪結床(かみゆいどこ)、水茶屋(みずぢゃや)などが立ち並び、寿司、天ぷら、うなぎなどの屋台や大道芸人も多く集まる盛り場でした。夏の間は隅田川の川風を楽しむ夕涼みや花火見物に興じる屋形船、屋根船、猪牙船などで賑わいました。この30分の1の模型は、天保(てんぽう)の改革の取締りの記録をもとにして、改革前の盛り場の姿を1500体の人形を配置して当時の風景を再現しています。

<両国橋西詰の親柱>

両国橋は水害や火災で度々修復、明治37年(1904)に鉄橋に架け換えたが

関東大震災後の明治7年(1932)に、この橋に大改修し現在に至っている

この親柱は、江戸期の「両国の花火」をモチーフにした物であろうか?

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<橋の上から撮影>

橋の中央から、左は「靖国通り」、右は「京葉道路」、今も二つに分かれている

この写真は両国橋の中央で撮影、前方の橋はJR総武線の鉄橋です

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この橋を渡ると墨田区、昭和」22年以降は中央区側から両国の名が消え

同時に、墨田区の東両国は両国町に改称をした

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回 向 院 

両国橋を渡り、京葉道路を東に歩くと近い

回向院は、明暦の大火で亡くなった10万余の人々の霊を慰めるために

四代将軍家綱の命で、念仏を行じる御堂を建てたのが始まりとされる

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<力 塚>

明治24年に旧両国国技館が出来るまで、回向院で春秋二回の定場所を開催

この力塚は、昭和11年に相撲協会が歴代相撲年寄を慰労するため建立

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<ねずみ小僧次郎吉の墓>

時代劇で義賊として活躍した「ねずみ小僧」、長く捕まらなかった運にあやかろうと

墓石を削りお守りに持つ習慣が当時から盛んで、今も受験生が合格祈願にくる

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<塩 地 蔵>

回向院と庶民信仰の関わりを称する像として、この地蔵菩薩があるという

願い事が成就すると塩を供えたことから、塩地蔵と呼ばれ親しまれた

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吉良上野介屋敷跡

<道路標識>

本所松坂町は忠臣蔵で知られた江戸期の町名

現在では、この辺りは墨田区両国1丁目~3丁目に住居表示が変わっている

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<本所松坂町公園・吉良邸跡>

元禄時代この一帯に「吉良上野介の屋敷」が有り、敷地は2550坪もあった

昭和9年に地元有志らが旧邸内の「首洗い井戸」を中心に土地(約30坪)を購入

寄贈を受けた東京市が、翌昭和10年に公園として開いたのが始まりという

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「吉良上野介の像」 と 「みしるし(首)洗いの池」

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(左):犠牲になった吉良家家臣20名の俗名、小林平八郎、清水一学の名もあった

 (右):碑の銘は「赤穂義士遺跡吉良邸跡」と記されている

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松坂稲荷社・・討たれた吉良上野介を偲び建てられたそうだ

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<吉良邸向かいの菓子店>

「吉良まんじゅう」 と 「おに平団子」・・・お土産に購入する

池波正太郎の小説、鬼平こと「火付盗賊改方 長谷川平蔵」の屋敷は近い

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勝海舟生誕地 

<両国公園・男谷屋敷跡>

勝海舟は、父小吉の実家であるここ男谷精一郎邸で誕生した

直新影流の男谷精一郎は剣神と呼ばれ、島田虎之助、榊原鍵吉ら剣豪を輩出

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<海舟の説明パネル>

勝小吉、麟太郎(海舟)親子は、この先の旗本岡野孫一郎の屋敷内に居住

麟太郎の妻は孫一郎の養女、妹順子は佐久間象山の妻になった

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JR両国駅 

 日本橋から歩き始めて約4時間、ゴールの両国駅にたどり着いた

隣の両国国技館は初場所13日目、日本人優勝力士が出ず関心はない

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この日の歩数は19,523歩でした(自宅まで)

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次回は、東京坂道散歩<のぞき坂・目白不動>を紹介します

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東京下町散歩(3)<浜町~薬研堀~~柳橋> [東京下町散歩]

東京下町散歩(3)

<浜町~薬研堀~柳橋>

この日の下町散歩、そのゴールはJR両国駅だが、歩いた町の大半は

町名に日本橋を冠称している、これは昭和22年に京橋区と日本橋区が合併し

 中央区が誕生したとき新町名に日本橋を冠したもの、地域特定ができ分かり易い

この記事では、日本橋人形町、日本橋浜町、そして東日本橋を紹介します

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昭和記念公園の記事を割り込みましたが、元の下町散歩に戻しました

甘酒横丁

人形町通りから明治座方面に向かう約250mの下町の散歩道

明治の初めに、横丁入口に尾張屋と言う甘酒屋があったのが名の由来という

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<鯛焼本舗・柳屋>

買う予定でいたが、店内に客が並び30分待ちと聞き諦めた

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<甘酒を1杯>

店の前の椅子に座り甘酒を頂く、店番は赤ちゃんを背負ったお母さんでした

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<再挑戦せんべい>

顔を見れば一目瞭然、国会議事堂のお土産になっているようです

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日本橋浜町

<弁慶の像>

 神田川と隅田川を結んでいた掘割は埋めたてられ、浜町緑道になっている

この辺りは江戸歌舞伎発祥の地、江戸三座の中村座、市村座がった

浜町緑道には、歌舞伎十八番の武蔵坊弁慶・勧進帳の像が立っていた

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<明 治 座>

高層ビルに生まれ代わり、以前に見たイメージとまったく異なっている

上演は韓国ミュージカル、芝居の劇場の大変身にガッカリした

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明治座の後ろは隅田川

上流に見える赤い橋は両国橋、その先はJR総武線のアーチ橋です

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薬研堀不動院 

<不動院通り>

 この赤い旗幟を見て、また浜町方向に引き返し薬研堀不動院へ立ち寄った

この辺りは日本橋薬研堀町であったが、今の町名は東日本橋・・何とも味気がない

薬研堀は埋め立て面影はないが、不動院や商店街などにその名を残すのみ

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<薬研堀不動院>

本尊は、真言宗中興の祖「興教大師」が43歳の厄年に刻んだ不動明王

豊臣秀吉勢が攻撃したとき、根来寺の大印僧都が葛篭に納めた不動尊を背負い

はるばる東国まで下り、この地に堂を建立したという・・・何とも話が大きい

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明治25年(1892)から、川崎大師の東京別院になっている

目黒、目白と並び江戸三大不動として、江戸名所図会などに紹介されたという

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薬研堀は医者や薬屋が集まった町、順天堂の発祥の地もこの不動院です

また薬研堀は「七味唐辛子」発祥に地としても知られているそうです

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柳 橋 

薬研堀の不動院通りから、一つ筋違いの道に入るとこの標識があった

この日は1月25日、柳の葉は残し青々としている、柳橋は靖国通りの先にある

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<柳 橋>

柳橋は、神田川に架かる最後の橋、50mほど下流で隅田川に合流する

元禄11年(1698)に初架橋、明治20年に鉄橋に変えたが関東大震災で焼失

この橋は戦災復興事業として昭和4年に再建、永代橋のデザインを取り入れた

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<柳橋と花柳界>

柳橋の一帯は、江戸、明治、昭和初期にかけて花街として栄えた町

80数軒の料亭が軒を連ねたが、平成11年に最後の料亭が営業を停止した

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<簪(かんざし)>

柳橋の芸者は、遊女と違い「芸」で立つことを誇りとしプライドも高かったという

正岡子規は 『春の夜や 女見返る 柳橋』 の句を詠んでいる

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<舟 遊 び>

料亭から、旦那衆が芸者衆を乗せ隅田川で舟遊びをしていたが

今は、この屋形船でグループや家族が隅田川の景色と料理を楽しんでいる

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<小 松 屋>

柳橋の北詰にある、昔の風情が残る江戸前の佃煮店

花柳界が盛んなころは、柳橋の料亭がお土産として使っていたという

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この店での買い物は2度目、土産を2点購入した

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次回は、東京下町散歩(4)<両国広小路・本所松阪>を紹介します

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東京下町散歩(2)<人形町・水天宮> [東京下町散歩]

東京下町散歩(2)

<人形町・水天宮>

 人形町は江戸の中心日本橋にある、歴史と伝統を今に残す粋な下町です

江戸歌舞伎三座の中村座、市村座、そして人形芝居、浄瑠璃、花街も有った

町名が人形町になったのは関東大震災後、区画整理が完了した昭和8年のこと

人形師、人形遣いが多く住み、羽子板、雛人形など市が立ったのが由来のようだ

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 人形町からくり櫓 

<町火消し櫓>

 人形町通りに来ると、先ず目を付くのは二つの「からくり櫓」

新しいシンボルとして2009年に設置、何れの櫓も30分ごとにショーを披露する

人形町は、江戸町火消し(いろは48組)の「は組」の管轄であったそうだ

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<江戸落語櫓>

この櫓は、趣向をこらした人形が現れ落語を披露すると聞くが見ていない

「町火消し」と「江戸落語」、からくり人形の櫓はこの町に相応しい

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 大観音寺

 <ビルの片隅の寺> 

人形町の交差点から水天宮に向かっていると、通りの先に寺の旗幟が見えた

ビルの片隅に寄り添うように建つ、この観音堂に興味を持ち立ち寄った

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<本 堂>

本尊は、鉄首観音(鉄造聖観音菩薩像)

鎌倉新清水寺(今は浄光明寺)の本尊、寺の火災で行方不明になっていたが

元禄期に、鎌倉十井の一つ「鉄の井」で発見、明治の廃仏毀釈の難を逃れ

船で深川に運ばれ、この地に祠を建て祀ったのが観音寺の始まりとされる

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<境内の堂>

(左):馬頭観音像   (右):韋駄天尊

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願い地蔵尊

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(左):ビルに並ぶ旗幟  (右):「鉄の井」に因みこの井戸を残したのか

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水 天 宮

<この地への遷座> 

文政元年(1818)、久留米藩主有馬頼徳が総本宮の分霊を藩邸内に勧請

明治5年に、有馬家が青山から移動した事により、当地に遷座した

総本宮(福岡県久留米市)は、およそ700年前に創建された神社である

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<江戸期の参拝>

藩邸内にあったため、庶民は門外から賽銭を投げ参拝したという

毎年5日の縁日には、当主の計らいで邸内が開放され参拝を許された

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<祭神と由緒>

主祭神・・天御中主大神、安徳天皇、建礼門院、二位の尼

 壇ノ浦の戦いで敗れ、源氏の目を逃れて久留米付近に落ち延びた平家の女官が

一門と共に入水した、安徳天皇、建礼門院、二位の尼の霊を祀ったのが始まり

建礼門院は京都大原の寂光院に隠棲、亡くなられたと思ったのであろうか

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<安産祈願> 

江戸期、参拝した妊婦が鈴乃緒(鈴を鳴らす晒しの細紐)を、お下がりに頂き

腹帯として安産を祈願したところ、非常に安産で有ったのが人づてに広がった

この日も、お宮参りや子供連れの若い夫婦が参拝に来ていた

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<獅子の狛犬>

(左):阿形(鞠を抑えている)  (右):吽形(子連れ)

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<陸前高田市のご神木>

東日本大震災の津波で、今泉天満宮の拝殿、鳥居、周辺の家が流されたが

唯一樹齢800年の杉の木が残り、地域の復興のシンボルになっている

陸前高田の一本松は有名だが、この神木は知らなかった、お札1枚寄付をする

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(左):人形焼の店で土産を購入  (右):以前この店で小休止をした

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人形町通りに咲いていた山茶花

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次回は、東京下町散歩(3)<浜町~薬研堀~柳橋>を紹介します

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東京下町散歩(1)<日本橋~人形町> [東京下町散歩]

日本橋~人形町 

<東京下町散歩(1)>

花の少ない時期は行く所も限られる、今回は日本橋から両国への下町散歩

歩いたコースは、明治が偲べる「室町・小舟町・堀留町・人形町・蛎殻町・浜町」など

また、ここは江戸期から町人文化が栄えた町でもある、ただ歩くだけではなく

途中の稲荷神社などをチェックポイントにし、日本橋から散歩をスタートした

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日 本 橋

<日本橋の道路元標> 

日本橋は全国の道路網の始点、石造二重アーチ橋は19代目にあたる

将来のため高速道路の地下埋設の実現を望む、右は「日本橋親柱の獅子」

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<道路元標のレプリカ>

正式な道路元標は、橋の中央路面に埋め込まれている

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<日本橋里程標>

(左):西日本方面   (右):東日本方>面

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<日本橋中央柱の麒麟>

首都高速道の柱は、双六かるたの日本画と東京オリンピックの宣伝ロゴ

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<道路元標地点碑>

(左):地点碑のレプリカ  (右):日本橋中央の地点碑(奥は中央柱の麒麟)

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日本橋室町

<日本橋から室町へ> 

この日の東京下町散歩は、ここ日本橋からスタートです

左は三越日本橋店、その先は三井本館、右側の高層ビルはコレド室町

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日本橋に来ると、いつもこの店でご飯に掛ける鰹節を買っている

戦後の貧しい生活、鰹節だけの弁当(ネコベン)で学校に通ったのを思い出す

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日本橋室町には老舗の店舗が多い、私のルーツの一つは日本橋

母は室町に生まれ、祖父の事業失敗で関東大震災後に赤坂から大阪に移った

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堀留町~人形町の神社

<椙森(すぎのもり)神社>

社伝によれば、平将門の乱を鎮めるため藤原秀郷が戦勝祈願したと伝えられ

室町中期、太田道灌が雨乞い祈願のため伏見稲荷大社の神を勧請したという

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江戸時代には、三森(烏森神社、柳森神社、椙森神社)の一つに数えられ

江戸庶民の信仰を集め「富くじ興行」が行われていた、左に富塚がある

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祭神は、五社稲荷大神、恵比寿大神

現在は、日本橋七福神の恵比寿神としても信仰を集めている

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<出世稲荷神社>

  こんな所にありました 

出世稲荷の名に惹かれ、歩き回って探し当てたのはアパートの前の旗のぼり

江戸初期、初代団十郎が日参したことから出世稲荷の名が付いたという

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アパートの奥まで行くと、建物に囲まれるように稲荷社が建っていた

本殿には、出世稲荷神社と共に岩代稲荷神社も合祀している

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由緒書きを探すとこんな場所に有った、町内有志が世話をしている

江戸初期、北条家浪人庄司甚右衛などが伏見稲荷大社から勧請したという

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<三光稲荷神社>

稲荷神社は農業・商業・屋敷の神、境内社・合祀を入れると全国に3万2千社

企業や個人が祀る屋敷神、路地などの小祠を加えると、膨大な数になるという

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三光稲荷の近くには、中村座、市村座、更に人形浄瑠璃の小屋があり

それを背景にして、江戸落語には三光参道、三光神社が紹介されていたという

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中村座に出演していた、大阪歌舞伎の関三十郎が伏見稲荷大社から勧請

古くから、芸妓、娘、子供などの参詣が多かったそうだ

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<橘稲荷神社>

この稲荷社を探していると、大きなビルの一隅にあった

元は将軍家御典医の屋敷神、その後は町の人々により守り継れてきた

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日本橋一帯は商業の町、商売繁盛の神として信仰され稲荷社が多い

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江戸の町に多いものを・・「伊勢屋、稲荷に、犬の糞」と呼ばれていたという

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次回は、東京下町散歩(2)<人形町・水天宮>を紹介します

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