孫とソラマチへ(1)<すみだ水族館> [東京下町散歩]
孫とソラマチへ(1)
<すみだ水族館>
子供の成長は早く孫は小学1年生、娘婿の会社が夏休みになる前の8月12日
私たち夫婦と遠出をする事にしたが、選んだ行先は子供が喜ぶ「すみだ水族館」
初めて聞く人には、東京スカイツリーのソラマチに有ると言えばよく分かる
春休みに多摩動物園へ行って以来久しぶりに、孫とジジババ3人の一日道中です
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東京ソラマチへ
<吾妻橋にて>
玉川上水駅で8時40分に待ち合わせ、高田馬場、上野駅で西武新宿線、山手線
そして地下鉄銀座線を乗り継ぎ浅草駅へ、子供連れには遠いルートでした
東京スカイツリーを孫に見せるため吾妻橋へ、こうして見ると大きくなった
水上バスの浅草乗船場から、卑弥呼号がお台場に向けて出航
<東京スカイツリー>
建設中の東京スカイツリーは何度も撮影に行ったが、2012年5月に開業してから
立ち寄ったのは今回が初めて北十間川も見違えるようになった、矢印は孫です
すみだ水族館
<チケット売り場>
朝10時半に着いたがチケット売り場はご覧のような行列
最悪入場制限があると思っていたが先ずまず、妻は15分並んで購入した
<水族館入口>
世界三大恐竜博物館の一つ、福井県立恐竜博物館と初コラボレーション開催
恐竜水族館を売りにし、夏休みの子供たちを集める企画であろうか
<淡水魚の水槽>
水草の中を泳ぎ回る小魚、青々とした美しい水槽でした
<熱帯魚の水槽>
動きが早く、中々うまく撮れません
<エンゼルフイッシュ>
魚の名は?
<クラゲのエリア>
フラッシュをたかないはずが誤って発光、失礼しました
<アマクサクラゲ>
優美に泳ぐアマクサクラゲ、長い足がもつれないのが不思議です
<ブルージェリーフイッシュ>
色とりどりのピンポン玉のようなクラゲ、孫は卵が有ると言う
<クラゲの引っ越し>
生まれて1日から8日の赤ちゃんクラゲを飼育、綺麗な水槽に引っ越しです
<ダイオウゾウムシ>
孫はこの水槽を見ると大声でダイオウゾウムシだっ!、よく知っている
<オウムガイ>
ダイオウゾウムシと共に生きた化石と言われている
<ハナミノカサゴ>
背びれのトゲに毒をもっている、美しい魚にも毒が有る?
<チンアナゴ>
何とも珍妙な絵になる魚です、大きな水槽に入れられ人気者です
同じピンアナゴですが、少し色違いです
<大型水槽にて>
小笠原の海を再現させた水深6mの大型水槽
孫は(右から2人目)熱心に魚を撮影していたが、すべてボツ!、右端は妻です
幼い子供の後ろ姿、座る姿が可愛い
すみだ水族館の写真は次に続きます
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次回は、孫とソラマチへ(2)<ソラマチ~浅草>を紹介します
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東京下町散歩(64)<入谷朝顔市> [東京下町散歩]
東京下町散歩(64)
<入谷朝顔市>
入谷の朝市は、江戸時代から続く下町の夏の風物詩、入谷鬼子母神を中心に
言問通りの約200mに120軒の朝顔業者と100軒の露店が軒を連ねる
JR鶯谷駅からは約3分で近いが、かっぱ橋道具街を経由して朝顔市会場へ
国立市の大学通りでも朝顔市を行うが、今回は下町風情を楽しみに遠出をした
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言問通り
<入谷あさがおロード>
かっぱ橋道具街から言問通りへ、朝顔市の会場までは200m以上も有るが
この辺りは通称あさがおロード、朝顔を手にさげ自宅に帰る人たち数人とすれ違う
<朝顔まつりポスター>
朝顔市は7月6.7.8日(3日間)、曜日に関わらず毎年同じ日に開催している
<朝顔市に到着>
昭和通に架かる歩道橋から撮影、言問通りを歩行者天国にしている
中央分離帯を挟み、北側は縁日の露店、南側の鬼子母神側が朝顔市です
朝顔市スナップ
<脇道の朝顔業者>
朝顔市に着いた時間は午後1時過ぎ、当然のことだが花は萎れている
鉢に付いている写真と売る手さんの言葉で朝顔を選ぶ、協定で1鉢2,000円です
<大きな朝顔業者>
朝顔の棚は5段、若者が上から下ろしていた(白い矢印)、他にも3段の店がある
<朝顔の種類>
大輪4種が主流で花弁の色が混ざっている、青色や紫色が1色の朝顔は見かけない
団十郎の名が付いた朝顔がったが不詳、 この写真の右端は客が持つ団扇です
<外国人カメラマン>
外国人女性が狙っているは売り子の若い女の子、中々タイミングが合いません
<買いました>
ブログ用にと頼み、鉢を手に持ちポーズを決めてもらった、可愛い女性です
オーソドックスな鉢とは違い、紫と赤の矢印の朝顔です
<美人の売り子さん>
健康的で美しい女性、私が選ぶミス入谷朝顔市です、ブログアップご了解ください
<いなせな女性>
この女性も美人、長い法被の背中に注目し頼んで後ろ姿を・・次の写真です↓↓
法被の背中には・・大きく朝顔市
<浴衣姿の若い女性>
さすがに下町、浴衣を着た女性も多く朝顔市らしい風情を感じる
<入谷鬼子母神>
お参りの行列は何んと100m以上・・・【おそれ入谷の鬼子母神】です、この場から拝礼!
<朝市の様子>
人が途切れるのを待って撮ったがこの程度、奥にスカイツリーが見える
露店で買った飲食物、中央分離帯は若い人たちのスペース、一列に座り食べていた
買った・・朝顔!
<小ぶりの朝顔です>
中央は「桔梗ついたて」、両側は「つばめ朝顔とりかご作り」
右は500円玉ぐらいの大きさです、つるが延びるので吊り下げて楽しみます
桔梗ついたてをアップ
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昨夜、北海道から帰宅しました、旅行中のご訪問ありがとうございました
幸い好天気に恵まれ満足度100%の夏の旅、シラネアオイさんにも再会しました
今夕は現役時代の仲間とOB会、雑用も有り旅行写真の整理が遅れそうです
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東京下舞散歩(63)<かっぱ橋商店街> [東京下町散歩]
東京下町散歩(63)
<かっぱ橋商店街>
江戸時代から続く下町の夏の風物詩「入谷の朝顔市」を見に行くことにしたが
自宅から入谷までは約1時間半、折角の機会だから遠回りをしてでもと
上野と浅草の中間にある、かっぱ橋道具街を散策をすることにした
スタートは東京メトロ稲荷町駅、地下鉄を上がるとそこは仏壇通りでした
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通称・仏壇通り
<浅草通り (前方隅田川)>
南側(右)には仏壇、仏具、神棚、神輿等を扱う店舗が軒を連ねるが、北側(左)には店はない
店舗を北向きにすることで、直射日光が当たり商品が傷むのを避けている
店舗も現代風な・仏壇ギャラリー
この辺りは、明暦の大火(1657)の後に多くの寺院が集められた寺町でもある
仏壇、仏具店が約50軒並ぶ
寺町で有ったこの地に、仏壇、仏具の職人が多く集まり仏壇通りが出来たという
このような店も
(左):祭り道具店 (右):神棚、神具店
かっぱ橋道具街
<食器・調理器等の専門商店街>
上野と浅草の間にある南北800mの商店街、大正初期に新堀川の両岸に古道具を商う
人たちが集まり店を出したのが始り、関東大震災の後は川を暗渠にし都電が走っていた
道具街入口の建物の上には、大きな外国人コックの顔、ニイミ洋食器店です
田窯・・・茶碗、湯のみなど和食器店
かまた刃研社・・・包丁の研磨・名入れなど
荒物など雑貨を扱う店
東京美研・・・料理、寿司、ケーキなどのサンプル
提灯、看板、メニューなど装飾店
<かっぱ河太郎像と由緒>
古来合羽橋は商売と深い縁で結ばれていた、約200年前の文化年間、商人として財を成した合羽屋喜八は、このあたりの水はけが悪く僅かな雨で度重なる洪水に人々が難儀をしていることを見かね、資財を投げ出し治水のための掘割工事を始めた。ところが工事は困難を極めなかなか捗らない、その様を見ていた隅田川の河童達が喜八の侠気に感じ、夜な夜な現れては人知れず工事を進め、さしもの難工事もついに完成した、そしてその河童を見た人は運が開け商売が繁盛したという。 合羽が河童に変身でしょうか?・・このあたりは合羽を作る職人が多く住んでいたという
かっぱ橋本通り
<かっぱ橋本通り商店街>
かっぱ橋道具街のほぼ中央にある、かっぱ橋本通り
かっぱ橋の由来になった合羽橋は、新掘川のここの場所に架かっていたのであろう
七夕祭り
神社の祭りと思ったが七夕祭り、この日は7月6日(日曜日)でした
子供たちは玩具に夢中
祭りの盛り上げる阿波踊り
踊りは・・小金井さくら連、子供踊り、女踊り、男踊り、お囃子が続く
女踊りは華やかで美しい
商店街の刃物店
妻はキッチンハサミが安いと購入、肌襦袢を縫うといい別の店では晒を一反買っていた
矢先稲荷神社
徳川三代将軍家光が、この地に三十三間堂を建立したのが始り
弓の鍛錬のため「通し矢」が行われ、先人に勝れば堂に掲額できたという
本殿 (祭神:倉稲魂命)
三十三間堂は深川に移されたが、その後も武士、町民から深い信仰を集めたという
七福神の福禄寿を祭っている、2011年1月の浅草七福神めぐりの時に立ち寄っている
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次回は、東京下町夏の風物詩<入谷朝顔市>を紹介します
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東京下町散歩(62)<上野公園を歩く> [東京下町散歩]
東京下町散歩(62)
<上野公園を歩く>
JR田端駅から歩き始めて約4時間、日ぐらしの里の寺社や谷中霊園
そして谷中の町を散策していると時間が過ぎるのは早い、太陽も西に傾き
疲れた足を励まし終着のゴール上野へ、芸大前・上野公園を通り抜けて
不忍池から会食場所へと向かった、この日の総歩数は19,700歩でした
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<上野公園>
東京芸術大学
谷中霊園から芸大の前を通り抜けて上野公園へ
ライオン像
上野公園に入るとこのライオンが鎮座、公園の南側を睨み据えているようだ
公園の大噴水
リニューアルをしたので有ろうか、大きくなったように思われる
正面の奥に見える建物は国立博物館です
STERBUCKS COFFEE
上野公園の一等地に新しく開店、アメリカ・シアトルが発祥の店です
さつきフェスティバル
約20mほどの盆栽棚が4列、出展されたさつちの盆栽数は不詳ですが
いづれも見事な作品ばかり、手前が最優秀賞を受けた作品です
最優秀賞の盆栽
夕日を横から受けた盆栽、影とのコントラストを狙った
<不忍池>
弁天堂
上野公園を通りぬけ着いた時間は午後5時50分、拝観終了が早すぎる
外国人観光客の姿も見たがガッカリした事であろう、夏場は6時まで延長すべきでしょう
不忍池の風景、柳を入れて撮影した
駅伝歴史の碑
遷都50周年を記念して、京都三条大橋から上野不忍池まで日本最初の駅伝競走
大正6年4月27日~29日の3日間・「東海道駅伝徒歩競争」
不忍池の畔を上野駅方向に向かう、友人二人
<友と会食>
先ずは・・ 生ビールで乾杯
午後2時20分から歩きはじめ約4時間、疲れと喉の渇きは生ビールが最高
飲んで!、食べて!、話が弾んだ2時間半、久しぶりの会食でした
この店は刺身がお勧め
(左):アジの刺身 (右):カニの野菜サラダ
(左):串揚げ (右):焼き鳥・・鶏が苦手な私はスルー
マグロの中トロ、赤身の握り寿司を食べたがこれがまた旨い・・写真を撮り忘れる
おぼろ豆腐(岩塩で食べる)・・ここは豆腐が美味しい店です
がんこ上野店・・でした
70歳を過ぎても元気な二人、また歩くかと問うと秋に行こうと一致したが
逗子、浦和の在住で三浦半島、川越などの案も出たが、日帰りには遠く中々まとまらない
挙句の果てに、また私に下駄を預けられた・・・次回も長老の私がガイドさんです!
次回、散歩するコースの腹案は有るが・・・それは何れまた!
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次回は、老いのこだわり<ユリノキの花>を紹介します
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東京下町散歩(61)<谷中霊園~上野へ> [東京下町散歩]
東京下町散歩(61)
<谷中霊園~上野へ>
今回は、昨年1月7日に歩いた谷中七福神巡りのリベンジで勝手を知ったコース
友人二人を案内するのに不便はないが、しかし歩くたびに新しい発見もある
養福寺、諏方神社(前の記事)も初めて訪ねたが、友人に案内された
岡倉天心記念公園もその一つ、谷根千にはまだ知らない所が有るようだ
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<天王寺>
寺号:護国山尊重院天王寺 宗派:天台宗別格寺院 本尊:阿弥陀如来
鎌倉後期、日蓮上人に帰依した土豪関長耀が草創、長耀山感応寺と号していたが
元禄11年(1698)に幕府の命で改宗、天保4年(1833)に現在の寺号に改めた
釈迦牟尼仏
元禄3年(190)に鋳造された、青銅製の釈迦牟尼仏
大仏座上に両手で合掌し座している、象の高さは約3mです
タイサンボク(泰山木)と釈迦牟尼仏
江戸時代、天王寺は幕府公認の富突(富くじ)が興行され
目黒不動、湯島天神と共に「江戸三富」として大いに賑わったそうだ
釈迦牟尼仏を撮る若い外国人女性(望遠撮影)、一人歩きの女性をよく見かける
<谷中霊園>
霊園の桜並木
敷地の大半は天王寺の寺領であったが、東京府が引き継ぎ明治7年に墓地を開設
明治22年に東京市に移管され、昭和10年に谷中霊園と改め現在に至っている
向かい側から歩いて来るのは全員外国人(約20人)、どこへ行くのであろうか?
天王寺の五重塔跡
寛永21年(1644)に建立されたが、明暦3年(1657)の振袖大火で焼失
寛政3年(1791)に再建し、明治41年に東京市に寄贈され残っていたが
昭和32年の放火(心中事件)で焼失、関東で一番高い塔(高さ34.2m)で有った
五重塔の写真パネル
関東大震災、東京大空襲でも難を逃れたが、迷惑至極な心中です
(左):在りし日の塔 (中央):火猛に包まれた塔 (右):焼け落ちた塔
霊園の一軒家
霊園の中央にぽつんと建つ駐在所、家族の住居になっているようだ
日暮里駅へ通じる道で夜間も人の往来があるのであろう、一人歩きは不気味でしょう
日暮里駅へ近道を行く女性たち
こんな掲示板があった
谷中は捨て猫が多い、猫ボランティアの女性に出会ったが10人以上もいるそうだ
招き猫の谷中堂
霊園から全生庵に向かう途中にこんな店、ここは猫が売り物です
観音寺築地塀
瓦と土を重ね合わせて造った風情のある瓦塀、長さは約33m
谷中を代表する建造物、景観形成に貢献したとして台東区が「まちかど賞」に指定
臨済宗全生庵
山岡鉄舟が明治維新で国事に殉じた人々の菩提を弔うために建立した寺院
幽霊画50幅が所蔵されているが、公開は8月1ヶ月のみで観賞できず
平井住職との縁で、安倍首相が度々座禅を組みに訪れている
岡倉天心記念公園
東京美術学校(現東京藝術大学)を設立した岡倉天心の旧居跡に造った小さな公園
友人に誘われ初めて訪れたが、茨城県の五浦六角堂に模しトイレを含め六角形が多い
六角堂の中を覗くと岡倉天心の像が置かれていた
谷中ぎんざ、よみせ通り、寺院墓地に囲まれた谷中の中央に、この公園があった
谷中霊園を後にして上野公園へ
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次回は、東京下町散歩(62)<上野公園を歩く>を紹介します
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東京下町散歩(60)<寺の町・谷中> [東京下町散歩]
東京下町散歩(60)
<寺の町・谷中を歩く>
日ぐらしの里から、寺院の屋根の下に町があると言われる谷中の町へ
明暦3年(1657)の振袖大火の後に各地から移転してきた寺院が多く集まり
寺の数は約70もあると言う、今回は寺と共存する町を少しウオッチング
谷中は何度訪れても下町の雰囲気と活気を感じる町、歩き疲れを癒した
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<富士見坂>
消えた富士山
修性院(前記事)の門前から谷中ぎんざへ向かう通りと、諏訪台通りの間を結ぶ坂道
東京に20ヶ所ほどある富士見坂の中で、夕日が美しいと知られていた坂である
敷き詰めた石も富士山の形をあしらっている
この辺りからダイヤモンド富士を眺められたと聞くが
地域の人たちの反対にも関わらず、マンションが建設され遂に見えなくなった
(左):昨年1月7日に撮影 (右):今回5月28日の撮影(白で描いた辺りです)
オブジェ状の表示(左)や説明パネルは今も残されており、侘しい思いがする
<諏方神社>
日ぐらしの里の神社
元久2年(1202)、豊島左衛門尉経泰が信州諏訪神社から勧請して創建
江戸時代には、日暮里(新堀村)、谷中町の総鎮守として宗敬を集めたという
祭神は建御名方命(大国主命の子)
「諏訪」とせず「諏方」としているのは古来の表記、信州諏訪神社も元は諏方であったと言う
諏方神社の東側は西日暮里駅、山手線、京浜東北線の発着が見える
江戸時代は家並みや隅田川を一望できる景勝地であったであろう
<宝珠山延命院>
徳川4代将軍家綱の乳母三沢局が、家綱出生の祭に安産を祈願し開基
甲州身延山の七面大明神を勧請、慶安元年(1648)に別当寺として延命院を開創した
山門の銃弾痕
幕末の上野戦争で敗走した彰義隊士を延命院がかくまい
新政府軍の攻撃を受けた銃弾痕が、今も山門に幾つも残っている
<谷中ぎんざ>
東西200mほどの通りに約60店が軒を連ねる谷中ぎんざ
谷根千(谷中・根津・千駄木)で知られる地域の観光スポットになっている
夕焼けだんだんを下りる・・友人二人
この辺りは猫の多い場所、猫を撮りに来るカメラマンもいるそうだ
お惣菜店「すずき」
行儀が悪いがメンチカツを立ち食い(写真を撮り忘れる)、もう1店「いちふじ」がある
かき氷の店
通りの両側に若い人たちが長い列、何の店かと聞くと「かき氷店」
待つのは苦手で並ぶ気にはなれないが、平日の午後4時に若者の列・・仕事は?
<よみせ通り商店街>
昔は露天が軒を並べ夜まで営業していたので、夜店通りと呼ばれるようになったと言う
今は車の通行が増え露天を廃止、通りの中間に延命地蔵尊が祀られている
やなか珈琲店
この日は30度に近い暑い一日、歩き疲れと渇いた喉を癒すため休息
普段はホットコーヒーだが、この日は友人と一緒にアイスコーヒーを注文した
珈琲店の隣は八百屋さんでした
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次回は、東京下町散歩(61)<谷中霊園~上野へ>を紹介します
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東京下町散歩(59)<田端駅~谷中へ> [東京下町散歩]
東京下町散歩(59)
<田端駅~寺町谷中へ>
昨年12月7日、旧東海道品川宿を歩いてから約半年振りに友人たちと散歩
今回は、田端駅から西日暮里・日暮里・鶯谷、そして上野駅までの4駅
目的は寺社巡りと寺町谷中の散策などで、歩く距離は約6kmの予定だが
毎日1万歩、ゴルフ、家庭菜園などで鍛えている友人二人は共に健脚でした
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JR田端駅
三人のスケジュールを調整し、選んだ日は5月28日(水)
午後2時30分に待ち合わせをし、上野駅の近くで午後6時ごろに会食の予定
現役時代に知り合った、大手電機会社で技師長、技術部長を務めた友人二人です
田端駅から国道458線を南に約400mほど歩くと東覚寺に着く
このあたりは道灌山から続く丘陵地帯、丘を削り切り通しにしたようだ
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東覚寺・赤札不動
<山 門>
寺号:白龍山寿命院東覚寺 宗派:真言宗豊山派 本尊:不動明王
延徳3年(1491年)、源雅和尚が神田筋違に創建、慶長年間に当地に移転した
<本 堂>
本堂の裏手には、武蔵野台地の斜面を利用した池泉回遊式庭園がある
その庭園を見れると思っていたが、開放は七福神など特定の期間のみのようです
子育・水子地蔵菩薩、犬猫の墓(左)
<不動堂(護摩堂)・仁王像(金剛力士像)>
寛永18年(1641)、東覚寺の僧宗海が流行していた疫病を鎮めるため造立した
身体の悪い部分に赤い紙を貼り祈願すると、ご利益があると信じられている
赤紙に覆われ仁王象の姿が分からない、祈願が適うと草鞋を供えると言う
六地像菩薩
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田畑八幡宮
赤紙仁王像は、明治の神仏分離令が発令されるまで八幡宮の参道入口に有った
祭神は品陀和気命(応神天皇)、田端村の鎮守として崇拝された、 塀の左は東覚寺です
<本 殿>
八幡宮の伝承では、文治5年(1189)源頼朝が奥州征伐から凱旋の帰路
鶴岡八幡宮より勧請し創建されたと伝えられている、別当寺は東覚寺です
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日ぐらしの里
この辺りは、江戸時代中期より「日ぐらしの里」と呼ばれ庶民に親しまれた地域
青雲寺、修性院は花見寺とも言われていた、日暮里は「日ぐらしの里」から生まれた名である
<青雲禅寺>
寺号:浄居山青雲寺 集は:臨済宗妙心寺派 開創:智光禅師
入間郡にあった浄居寺を、宝暦年間に下総佐倉藩主・堀田正亮がこの地に再興した
本 堂
本堂の屋根は入母屋造り二層式、風格を感じる建造物である
正面の両側には大きな枝垂桜、満開の時期は花見寺に相応しい眺めであろう
<修性院>
寺名:運啓山修性院純光寺 宗派:日蓮宗 境内の枝垂桜は見事だと言う
天正元年(1573)、豊島郡田中村(現練馬区)に創建、寛文3年(1663)に当地に移転
本堂に寄木造り漆喰塗りの大きな布袋尊を安置、七福神めぐりのときに拝観した
土塀には布袋尊の童画タイルを幾つも張ってある、年齢320歳、重量220kg
<養福寺>
寺号:補陀落山観音院養福寺 宗派:真言宗豊山派
山門を入ると朱塗りの仁王門がある、写真を撮ったが掲載を省略しました
本 堂
日ぐらしの里(日暮里)と呼ばれていたこの一帯、江戸時代の文人たちが多く訪れ
境内には、文人の句碑や碑・墓が有るという、本堂はコンクリート製です
境内で見たトケイソウ
養福寺の卒塔婆と高層マンション
二つの高層マンションは、日暮里駅東側のステーションタワーです
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次回は、東京下町散歩<寺の町・谷中>を紹介します
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都電荒川線<沿線のバラ巡り> [東京下町散歩]
都電荒川線
<沿線のバラ巡り>
10年以上前、三ノ輪橋から荒川線で巣鴨とげ抜き地蔵へ行った事がある
その時に車窓から見たバラを思いだし妻が行きたいと言ういだした、そこで
旧古河庭園のバラ観賞を兼ね、久しぶりに都電荒川線の乗車体験と
バラを見ながら「ふた駅散歩」を楽しんだが、手入れが行き届き満足できた
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王子駅~三ノ輪橋駅
<王子駅にて>
左側は三ノ輪橋行き(この電車に乗る)、右は早稲田行きの電車とホーム
終着駅まで乗車しバラが美しい場所をチェック、そして帰りに歩くコースを決めた
<車窓風景>
北区栄町あたり・・北区の沿線にはバラがない、植栽しているのは荒川区です
荒川7丁目あたり・・前方の右上に東京スカイツリーが写っていた
荒川1丁目あたり
荒川7丁目あたり
<車内の路線図>
矢印の通り、荒川遊園地駅から梶原駅までの二駅を歩くことにした
<三ノ輪橋駅>
乗車した電車を到着ホームで撮影、出発ホームとは場所が違います
<三ノ輪橋出発ホーム>
絵を描く女性(ホームの端までバラが続く)、のどかな眺めです
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三ノ輪橋商店街
前回は、東京メトロ三ノ輪橋から都電に乗り継ぐ途中に商店街を少し歩いたが
古く寂れた商店街だと記憶していた、アーケードがある立派な通りでした
夕餉の買物にはまだ早い時間帯(午後1時半)のためか人通りは少ない
商店街から入る横道
<こんな・ポスターが>
立入禁止は理解できるが 「就寝禁止」と「座らないで下さい」・・その意味は??
<商店街の漬物屋>
漬物屋さんで切り花も販売・・翌日が母の日のためでしょうか?
<和菓子の店>
大正7年創業の貼り紙が面白い、妻はヨモギのかしわ餅を購入、平塚亭より安いと言う
近くのパン屋と共にテレビ番組で紹介された、机の上にその記事があった
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三ノ輪橋~大塚駅
<再び三ノ輪橋駅>
帰りは山手線に乗換える大塚駅へ、途中の荒川遊園地駅から二駅を散歩する
この駅は「関東の駅百選認定駅」に登録されている
<荒川遊園地~荒川車庫~梶原へ>
線路の両側はバラ花壇、見ごろを迎えたバラが美しい
線路の向こうを撮影
<レトロな電車>
撮り鉄が数人、ポイントで電車を待っていたが、私たちは立ち止まらず歩き続けた
<都電沿線のバラ>
荒川線の沿線には、四季咲きのバラを13,000株以上も植栽されている
バラの植栽は北区の区境から三ノ輪橋駅まで、荒川区が行っている
都電荒川車庫
新型車両は宣伝カーです
<スギナでしょうか?>
梶原駅に近づくと東京都北区、ここまで来るとバラはない
<乗車賃は均一料金>
現金とICカードは料金が4異なる、妻はシルバーパスを貰っているので都電も無料です
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次回は、昭和記念公園<花の丘のポピー>を紹介します
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東京ぶらり散歩<浅見光彦が住む街> [東京下町散歩]
東京ぶらり散歩
<浅見光彦が住む街>
旧古河庭園と都電荒川線沿線のバラを見るのが、この日の目的であったが
推理小説「浅見光彦シリーズ」に登場する平塚亭が途中にあり立ち寄った
小説やテレビ映画の影響は大きく、町興しに利用している商店街も有り驚いた
作家の内田康夫さんは、学生時代にこの街「北区西ヶ原」に住んでいたという
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霜降銀座商店街
JR駒込駅から旧古河庭園に向かう途中、この商店街を見つけた妻は早速寄り道
スーパーM、デパ地下で買物をすることが多く、懐かしい思いがするようだ
僅か250mほどの商店街、途中から引き返したが、この通りならではの町興しが有った
商店街の幅は狭く約3mほど、近くに大型マーケットがないのであろうか
野菜、鮮魚、翔肉など生活食材の店もあり、妻の値札を見て安い!
商店街の中ほどに・・『名探偵 浅見光彦の住む町 金魚亭』
この辺りは北区西ヶ原、浅見光彦は実在の人物として町興しに貢献している
破風屋根を持つこの建物は、商店街の集会所兼休憩所
一年ほど前までは瀧乃寿司であったようだ、黒の矢印のポスターは・・・↓↓
小説「浅見光彦シリーズ」の主人公光彦は、兄・陽一郎(警察庁刑事局長)家の居候
軽井沢のセンセイ(内田康夫氏)が、浅見家の住所を北区西ヶ原にしている
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旧古河庭園
次は霜降銀座商店街から、浅見光彦シリーズにゆかりの平塚亭へ
その途中に旧古河庭園がある、バラフェスティバルは前回の記事の通りです
作品名は「情熱(日本)」、おまけに1点アップしました
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平塚亭つるおか
旧古河庭園の前から本郷通りを西へ約200m、前方の高い木立は平塚神社です
大福が好きな妻を案内したが、ここは浅見光彦シリーズの撮影地の一つ
本郷通りを先へ向かうと、桜で知られた飛鳥山、そしてJR王子駅がある
<平塚亭入口>
決して恵まれた場所ではないが、浅見光彦効果であろうか来客が多い
平塚亭の店内
買ったのは団子と豆大福、店内で昼食代わりに少し頂く
平塚神社の境内側に平塚亭の暖簾が掛っているが、ここから入れるかは不明
テレビ映画「浅見光彦シリーズ」では、赤い毛氈を敷いた床机で食べるシーンが有る
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平塚神社
源氏の棟梁「八幡太郎義家」が奥州征伐の凱旋の途中この地を訪れ、世話を受けた
領主の豊島太郎近義に鎧一領を下賜、近義は拝領した鎧を清浄な地に埋め塚を築き
自分の鎮守としたのが平塚神社の起源という、塚は高さが無いため平塚と呼ばれた
<境内の参道>
境内は南北に長く有料駐車場になっていた、町神輿の格納庫が左に並ぶ
<鳥居&本殿>
祭神は、八幡太郎源義家、賀茂次郎源義綱(次弟)、新羅三郎源義光(三弟)の三体
新羅三郎義光は、武田氏、佐竹氏、小笠原氏の先祖という
<神社拝殿・参拝>
平塚神社の紋章は日の丸をあしらった扇
源平合戦の「扇の的」に由来するのか調べたが分からない
<拝殿前の狛犬>
「右」:阿形(あぎょう) 「左」:吽形(うんぎょう)・・千尋の谷に落ちたわが子を待つ獅子
<JR上中里駅へ>
切り通しのこの坂の名は蝉坂、飛鳥の小道とも呼んでいる
上中里駅は背後に有りここからは近い、右が平塚神社です
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次回は、都電荒川線<沿線のバラ巡り>を紹介します
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浅草ぶらり散歩<仲見世~浅草寺> [東京下町散歩]
浅草ぶらり散歩
<仲見世~浅草寺>
旧浜離宮庭園から隅田川を水上バスで約40分、着いた所は吾妻橋の発着所
折角の機会だからと浅草寺に向かったが、浅草は何度も訪れた観光名所
最近は外国人観光客が増え、仲見世通りを歩くのに躊躇いを感じていたが
想定を超える混雑でその半数は外国人、都会生活に慣れてはいても疲れる
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浅草寺へ
吾妻橋から雷門通りの南側を歩き雷門へ
この場所から見る東京スカイツリーは私好みの撮影ポイントです
金龍山浅草寺
昭和35年に松下幸之助氏の寄進により復興再建さえた浅草寺の総門
雷門を護るのは、雷神(左)、風神(右)です
観光客の姿が絶えることがない雷門、スクランブル交差点を渡りながら撮影をした
初めて気がついたが、大提灯の下には龍の彫刻があった
<五重塔・宝蔵門>
浅草寺に訪れると何時もカメラを向ける撮影ポイントです
<本 堂>
推古天皇36年(628・飛鳥時代)、隅田川で漁をしていた兄弟の網にかかった聖観音
本尊、聖観音菩薩(秘仏) お前立ち本尊:聖観音菩薩(慈覚大師円仁作)
宗旨:聖観音宗(総本山) 開山:勝海上人(観音堂建立) 中興開基:慈覚大師円仁
本堂外陣で参拝、外国人がガイドから説明を受けていた
参拝を終えて
仲見世通り
驚くほど増えた外国人観光客、欧米系の人は一目で見分けが付くが
難しいのは近隣国、顔を見つめ、服装を見て、言葉に耳を傾けていると分かってくるが
見た目でウオッチングしたので撮った写真は青い目の人たちが多い
外国人女性の好みであろうか・・小物の土産店
下駄を見る夫婦・・珍しい履物であろう
芋菓子の舟和で買物をするグループ・・どんな味か感想を聞きたい
母と女の子は・・子供と一緒に土産を探していた
和服の女性二人・・日本人ではありません(言葉が違った)
外国人男性は・・日本女性と思って記念撮影?(お互い言葉が通じていない)
一人カメラ旅の女性・・もう一人いたが写真が撮れず
微笑ましい高齢の二人・・二天門(重要文化財)の先が集合場所あろうか
浅草神社
主祭神は三社、土師中和(浅草寺の開創)、檜前浜成・武成(観音を網で掬った兄弟)
三社祭りは浅草神社の例大祭、社殿(拝殿・本殿)は重要文化財である
拝殿にて参拝 奉納幕の紋章は
左 : 三つ葉葵(東照権現・徳川家康を合祀) 右 : 三社権現(三つの網の紋様)
境内で見た花
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次回は、花の寺「常泉寺」<オフ会撮影>を紹介します
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