東京坂道散歩<神楽坂あたりの坂> [東京の坂道]
東京坂道散歩
<神楽坂あたりの坂>
神楽坂とその周辺は、神田川と外堀に挟まれた東側の丘陵地域
入り込んだ細い道の多くも坂道だが、その全てを回り切る事ができない
そこで、あらかじめ調べた中で、好みの坂道を選び歩いてみた
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外堀通り
市ヶ谷亀岡八幡宮の坂道散歩を終え、外堀を通り神楽坂に向かう
ここの桜が好きで、毎年のように観にきている
<上・中・下 三つの楽しみ方ができます>
(上)桜の木を見上げ (中)目前の桜を観賞し (下)掘に下がる桜を眺める
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神楽坂辺りの坂道
<神楽坂通り>
坂の由来は、穴八幡、赤城神社、若宮八幡など神社に関係した諸説がある
神楽坂は早稲田通りの一部、この坂の周辺をピックアップして歩いた
<逢 坂>
この地に赴任した小野武蔵守が美しい娘と恋仲になり、都に帰り没したが
娘の夢によって再び逢ったという、伝説に因み名づけられた
掘兼の井
しかしロマンチックな逢坂に、痛ましい史跡が残っていた
詳しくは史跡の説明文をご覧ください、昔も、いじめ、虐待があったようです
<庾(ゆ)嶺坂>
江戸初期、この辺りには美しい梅園が有り、将軍秀忠が中国江西省の名所
大ゆ嶺に因み命名した伝えられている、別名若宮坂とも呼ばれている
ゆ嶺坂の坂上から撮った写真です、かなり嶮しい坂ですね
<神楽坂 若宮八幡宮>
源頼朝が奥州藤原泰衡の征伐に発向する際、この地で戦勝祈願を行い
奥州平定後、鎌倉の若宮八幡宮(鶴岡八幡宮の若宮社)を勧請し分社した
<地 蔵 坂>
坂の上にあった光照寺に、近江の三井寺に移された子安地蔵があった
それに因み、地蔵坂と呼ばれるようになったというが、今は残っていない
江戸幕府「新暦調御用所(天文屋敷)跡」の、樹齢250年の大イチョウ
神楽坂一帯は、先の大戦で焼け野原になったが、大イチョウは焼け残り
被災した人たちが自邸に戻る時の目印になった、と記されていた
<名無し坂>
明治以降の開発で造られたのか坂の名は無いが、いい坂道でした
<袖 摺 坂>
袖を摺り合わせるほど狭い坂道であったので、この名が付いたようだ
(先日の「ブラタモリ」で、ゴミ坂と合わせて紹介していた)
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神楽坂の路地
神楽坂一帯には、細く曲がりくねった路地が多く、中でも花街の風情が漂う
黒塀の小路を訪ね歩く人が多い、また敷き石の紋様も見応えがある
日が暮れると芸者さんと、すれ違う事があるのでしょうが
本多横町、かくれんぼう横町、みちくさ横町
そして、芸者新道や、神楽小路など、路地を連想する名が多い
<天ぷら喜楽>
本多横町にあったこの店で遅めの昼食、美味しい天麩羅でした
暖簾を下ろしかけていたが、ご主人の好意で店内に入れていただいた
次回は、「黄門様の梅まつり」・小石川後楽園を紹介します
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東京坂道散歩<市ヶ谷の坂道> [東京の坂道]
東京坂道散歩
<市ヶ谷の坂道>
今回はJR市ヶ谷駅から歩きはじめ、亀岡八幡宮、神楽坂の坂道に
そして小石川後楽園に立ち寄り、水道橋駅までの、ふた駅散歩
小春日和の一日、 JR総武線と外堀に沿った街中の散歩を楽しんだ
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市ヶ谷 外堀
<市ヶ谷見付橋>
JR市ヶ谷駅を出ると、靖国通りと外堀通りをつなぐ市ヶ谷見付の橋がある
目指す亀岡八幡宮は、外堀を渡った直ぐ先です
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亀岡八幡宮
<八幡宮参道>
外堀通りに面したビルの谷間を入ると、目前に亀岡八幡宮の石段がある
この辺りは、亀岡八幡宮の門前町で地名も市谷八幡町です
<市ヶ谷八幡宮 男坂>
(左):階段の下から・・・階段の途中に見えるのは 「茶の木稲荷神社」
(右):階段の上から・・・かなり急な石段です、先には外堀通りが見える
<茶の木稲荷神社>
江戸初期の外堀工事で亀岡八幡宮が選座する以前から、この地にあった
鎌倉時代の豪族市谷氏所領の鎮守、田の神を祀る稲荷神
<金刀比羅宮>
讃岐の金乃比羅宮の分霊を祀っている
この辺りは水路を利用した物資の陸揚げ地、航海の無事を祈り奉祭
<出世稲荷神社>
夢に現れた伏見稲荷神のお告げにより、毎日熱心にお参りした侍が
とんとん拍子に出世し大名になったと言う、その大名の名は?
<八幡宮本殿>
八幡宮の由緒では、太田道灌が江戸城西方の守護神として鶴岡八幡宮の
分霊を勧請し、鶴岡に対して亀岡八幡宮と称したと記されている
<動物の石灯籠>
「ブラタモリ」で紹介していたが、江戸時代には大いに賑わった神社
今は 「ペットのお守り祈願所」として知られ、一緒に初詣ができるそうだ
<女 坂>
男坂の西側にある、男坂より緩やかな女坂
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八幡宮周辺の坂道
<左 内 坂>
江戸初期、この辺りを開発した島田左内の名に因み左内坂と呼ばれている
この坂を下ると外堀通り、市ヶ谷駅は目前です
<中 根坂 >
坂の西側(右)に旗本中根家があったので、中根坂と呼ばれている
この辺りは大日本印刷社の企業町、中根坂に向かい合って安藤坂がある
<二つの坂>
(左): ねずみ坂 ・・・鼠が通るほど細く狭い坂であったようだ
(右): うなぎ坂・・・鰻の寝床のように曲がりくねっていた坂
<芥坂(ごみさか)>
名の由来は不明、階段の奥は大日本印刷社の敷地を通り抜ける歩道橋
<浄瑠璃坂>
市ヶ谷の高台から、一挙に外堀通りの方向に下る坂道
昔、この坂で「あやつり浄瑠璃」の小屋興行をしていたなど、諸説がある
この坂は、江戸時代の三大仇討の一つ 「浄瑠璃坂の仇討」として有名
あとの二つは、「荒木又衛門の伊賀越え」、「赤穂浪士の吉良邸討ち入り」
浄瑠璃坂の仇討跡
宇都宮奥平藩の重臣同士の諍いに端を発した仇討、41名が討ち入ったと言う
約30年後、大石内蔵助ら赤穂浪士の吉良邸討ち入りは、この仇討が参考になったとの説もある
内蔵助の祖母は奥平藩重臣の家系、揃いの火消し装束など共通する所が多いそうだ
次回は、神楽坂周辺の記事を紹介します
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東京坂道散歩<赤坂見附~半蔵門②> [東京の坂道]
東京坂道散歩
<赤坂見附~半蔵門 ②>
今回の坂道散歩の後半は、国の立法府が集まる永田町から平河町を通り
麹町、半蔵門へと向かうコース、その途中で見聞きした事を記事にした
国の礎を確固たるものにし、国民の生命財産を守る 事が第一義
景気回復、財政再建、外交強化、安全保障など、やるべき課題は多い!
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<山 王 坂>
撮影場所の背後は、山王日枝神社、日比谷高校
三べ坂と交差する坂下から、前方の山王坂を国会議事堂の方向に向かう
山王坂の中間、議員会館の工事現場から国会議事堂が見える
坂の下に見える、樹木が茂る場所が山王日枝神社です
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<国会議事堂>
誇張した選挙公約とマスコミの誘導報道に乗せられ選んだ国会議員
数合わせの議員を選んだ国民の側にも責任がある
山王坂の上で撮影、議事堂と議員会館とは地下道でつながっている
<議員会館>
手前から、衆議院議員会館1号棟、2号棟、参議員議員会館棟
前記事と比べて下さい、この位置から見ると巨大建造物の印象がかなり違う
<総理官邸>
麻生元首相は、鳩山前首相に「日本の針路を誤らないで欲しい」と伝えた
しかし民主党政権の2代の総理大臣は、針路を誤り続け国を危うくしている
市民運動家として批判に長けていても、国を経営する資質が備わっていない
「仮免」「疎い」 総理が舵とりをする民主党政権に、大いに不安を感じている
<報道関係者>
総理官邸を出て議事堂に向かう、若い報道関係者
政権に擦り寄らず事実をしっかり報道しろと伝えたが、果たしてどうか?
<官邸前の坂道①>
総理官邸と内閣官房庁舎の間を、外堀通り、虎ノ門方面に下る坂道
<官邸前の坂道②>
総理官邸の門前から溜池方面に下る坂道、写真(3枚前)のゲートの先
厳重な警戒体制を敷き一般車両は通行止め (歩道のみ通行可)
<抗議活動>
頑張れ日本実行委員会の街頭宣伝に出会う、受け取った資料によると
大手マスコミ各社の20%以上の株式を中国資本が保有、NHKを含めて
中国共産党の組織が浸透し中国への批判や不利な報道をしないと言う
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<名無し坂①>
議員会館の前を過ぎ、平河町方面に向けて下る坂道
坂の下には、物々しい警備をしている民主党本部があった
<富士見坂>
内堀通り(三宅坂)から、赤坂見附、青山通り方面に抜ける坂道
<曲線のビル>
首都高速のカーブにあわせ、ビルの形状も曲線を描いている
調べると、首都高速道路の平河町庁舎・・・なるほど納得です
<平河天満宮>
菅原道真を主祭神として祀る神社
太田道灌が江戸城内に勧進したが、徳川家康が入城後この地に移された
<太田稲荷神社>
太田道灌が、息女の病気平癒で建てた元宮は聖橋の近くに有った
前々回の「神田駿河台坂道散歩①」で紹介
<名無し坂②>
この坂を上がると、新宿通りで半蔵門は直ぐ近く
今回の坂道散歩はここで終了です、近くで所用を済ませ帰路についた
ご覧いただき、有り難うございました
次回から、冬の北海道旅行記を紹介します!!
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東京坂道散歩<赤坂見附~半蔵門①> [東京の坂道]
東京坂道散歩
<赤坂見附~半蔵門 ①>
今回の坂道散歩は、昨年1月18日に歩いたコースを、もう一度歩いてみよう
そして、その時に見た巨大な建造物の完成度を確かめたい、と
赤坂見附を出発地とし半蔵門を目指して、ほぼ同じコースを辿って見た
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<赤坂見附>
東京メトロの駅がある「ベルビー赤坂ビル」、赤坂東急ホテルから撮影
今回の坂道散歩は、ここから赤坂見附駅からスタートです
<赤坂プリンスホテル>
部屋の灯りで、大きなクリスマスつーリーを表現していた高層ホテル
外資系ホテルに押され3月で閉館、取り壊すと聞いている、寂しい限りだ
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<新 坂>
赤坂東急ホテルから二筋南の道を左に回ると、この登り坂がある
坂の上は、日比谷高校(右) メキシコ大使館(左)
この坂は別名遅刻坂とも呼ばれ、急いで登る学生に由来するようだ
左側の石垣の中が、かつて東大合格数№1の日比谷高校
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<三 べ 坂>
岡部筑前守、阿部摂津守、渡辺丹後守の屋敷があり、この名がついた
(三べ・・部、辺) 江戸時代の人たちも、洒落とユーモアが有ったようだ
この坂を下ると、山王坂の坂下に出る
三べ坂の下から、上の方向を見る
<北海道事務所>
ロシアに翻弄され何もできない政府、四島返還の看板が実に侘びしい
<坂の下の住宅>
巨大なコンクリートの建造物が、小さな住宅に覆いかぶさってくる
<山 王 坂>
(左):山王日枝神社 (右):日比谷高校
<山王男坂>
山王鳥居、男坂の上には、神門が見える
<巨大建造物>
解りましたでしょうか、新しく完成した国会議員会館です
議員会館正面から見ると、12階建ビルが3棟並んでいるだけに見えるが
裏側から見ると巨大要塞のような建造物、建物全体を入れて写せない
地上12階、塔屋2階、地下4階~5階 全長約300m、(間に国会議事堂)
日比谷高校グランドと議員会館との間には、谷底のような「三べ坂」がある
校門で、先生らしき人に断りを入れて入校した
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昨年1月、散歩中に議員会館の建設現場に遭遇し驚きをもって書いた
その時の記事を紹介します
<私の・・・ひとり言>
大きな贅沢・新議員会館の建設
新議員会館の建設は知っていたが、これほど巨大建造物とは知らず驚いた、前政権時に着工
されたものだが、当時野党で有った民主党や社民党からも反対の声を聞いた覚えがない!!
議員会館の建て替えは理解していたが、旧議員会館と比較をすると何と3倍の大きさになる
このような議員会館が必要で有ったのか? この御殿の建設に使われた税金は??
高級マンションンのような事務所を造り、国会議員全員に、タダで提供するのだろうか!!
民主党政権になって、八ツ場ダムなど多くのダム建設を矢継ぎ早に中止、パフォーマンスばかり
目立つた事業仕訳など得意な手法により計画を見直すか、利用方法の再検討などの選択肢は
無かったのだろうか?、この建設で使われた費用(税金)を、明らかにして貰いたいものだ!!
長引く不況で給与所得が減り、毎日苦しい家計のやり繰りに追われている国民の生活!!
働く人たちは雇用不安に怯え、職を失った人は再就職の道が閉ざされている、有権者から集めた
一票を議員の贅沢に使われたのでは国民はたまらない・・政治は、国民に何をしてあげられるか?
鳩山政権の友愛とは、一体何を指して言っている言葉なのか?
政権が代わっても、相変わらず「政治とカネ」の問題は後を絶たない、自分たちの不利益には
目をつぶって見過ごすが、政党助成金なる名目の多額の助成金を国庫から受け取っている!
国会議員は衆参両院で710人(共産党を除く)、政党交付金は合計319億4100万円と言う
単純計算をすると、議員一人当たり4500万円の交付金が税金から支給されることになる!
長くなりますので、この先の文書は削除します
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<追 加>
旧館対比・・延べ床面積は3倍 議員室は2.5倍(100㎡)、保育施設やアスレチックジムも有る
建設費用・・総額1800億円(衆議院1174億、参議院600億) 付帯工事はまだ続く
内部公開・・議員会館の内部は報道各社に公開をしたが、一般報道は規制をしていると聞いた
披露式典・・衆議院の開会式を、横路議長など少数の議員と職員だけでひそやかに行われた
<国民の生活が第一>
議員は多額の報酬を受け特権が与えらていれる、 国民より 「議員の生活が第一!」
政治は良い商売だと、思われても仕方がないようだ!!
<議員は選挙が第一>
選挙のためのマニフェスト、財源なきバラマキ(4K)政策
(1K)こども手当 (2K)高速道路無料化 (3K)高校無償化 (4K)戸別(農家)所得補償制度
税収を上回る新規国債の発行で帳尻を合わせている、企業、個人ならとっくに倒産・破産
何とも、いたたまれない思いです!!
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次回は、議員会館、議事堂辺りから半蔵門にかけての坂道を紹介します
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東京坂道散歩<神田駿河台2> [東京の坂道]
東京坂道散歩
<神田駿河台 ②>
今回の散歩の後半は、駿河台から水道橋にかけての坂道です
江戸初期に設けられた、神田上水の懸樋があった場所にも行き合わせ
前記事の神田川掘削ともあわせ、歴史を振り返る坂道散歩になった
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坂道散歩(Part2)
<ニコライ堂>
外国に対し誇れる日本人の一人
リトアニア領事代理としてナチスドイツの迫害を逃れ亡命するユダヤ難民に
ビザを発行し6000人の命を救った、杉原千畝氏はこの教会の教徒
<池 田 坂>
元禄時代に池田市之丞の屋敷が有ったので、この名が付いたようだ
<甲 賀 坂>
甲賀組の者が多く住み、町名も甲賀町であったのが名の由来
<吉 郎 坂>
明治大学の二つの記念館に挟まれた狭い坂道、坂の名の由来は不明
坂を登った正面には、山の上ホテルの本館がある
坂下の植え込みにあった石の道標、見落とすほど小さい
<靖国通り>
神田神保町の本屋街は、靖国通りの左側一帯に多く並んでいる
靖国通りに下る、文坂、富士見坂も歩いたが坂道として不満足でした
<山の上ホテル>
神田駿河台の高台に建つクラシックホテル、文人の宿としても有名
ホテル内の 「てんぷら山の上」で、遅めのランチをとる
<名無し坂>
文坂、富士見坂よりも、、この名無し坂の方が坂道らしくて良い
(左):正面は山の上ホテル別館、右が本館 (右):ホテル裏側の坂道
<錦 華 坂>
坂下にある錦華小学校が名の由来になった、新しい坂道
明治大学、山の上ホテルの裏側を南北に通る、坂道らしい道でした
<男 坂>
一般的には、男坂、女坂は神社、寺院の参道を言う
この坂は駿河台から猿若町に下る、大正13年に造られた通行の道
<女 坂>
男坂と同じ時に造られた、男坂が一直線であるのに対し
女坂は、途中でなか休みができる場所が2か所ある事に由来する
<神田カソリック教会>
男坂、女坂を巡っている時に見つけた風格のある教会
<さいかち坂>
駿河台から、JRの線路に沿って水道橋方面に下る坂道
眺めもよく見どころも有る坂、今回の散歩で筆頭に挙げられる坂道です
坂の名は、サイカチの木が多く植えられていた事に由来する
サイカチは、落葉高木で枝にとげが多く、花も実も豆に似ているそうだ
<神田上水 懸樋跡>
文章を要約すると
江戸時代この辺りには江戸の上水のひとつ神田上水が通り、神田川を越えるために
懸樋があった。神田上水の水源は、井の頭池、善福寺池、妙正寺池の水を集め
文京区の関口辺りに堰を設け、上水を分水し余水は神田川に流していた
上水は小石川後楽園を通り神田川を越え、江戸市内の広範囲に送られていた
上の記事で、堰があった文京区関口辺りとは、椿山荘付近の神田川
向かい側のビルにあった、懸樋の小さな現物見本と、サイカチの実
<小 栗 坂>
江戸時代小栗某の屋敷が有ったと記されているが、名の由来は不明
幕末の幕府勘定奉行、小栗上野介とは違うようだ
<水 道 橋>
神田川の上を通す懸樋のプレートが水道橋に掛けられていた
水道橋の名は、神田上水の懸樋に由来している
<東京ドーム>
東京ドームホテルで小休止し、水道橋駅から帰路についた
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今日から3日間、北海道(札幌、美瑛、小樽)へ雪を見に行っています
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東京坂道散歩<神田駿河台1> [東京の坂道]
東京坂道散歩
<神田駿河台①>
本郷台地の南端にあたる、神田駿河台周辺は坂の多い街
今までも歩いているが、坂道を巡る目的ではなく所用で通り過ぎただけ
今回は、お茶の水から水道橋駅まで登りくだりを繰り返しながらの坂道散歩
少し肌寒いが、快晴、無風の土曜日、歩くには恵まれた日和でした
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神田明神
神田駿河台の坂道散歩の前に、先ずは神田明神に参拝です
<お茶ノ水駅>
お茶ノ水駅の聖橋口からスタートです
<聖橋から神田川>
「ぶらタモリ」でも紹介していたが、神田川は江戸初期の天下普請で
仙台伊達藩が約40年の歳月をかけ、本郷台地を開削しこの川を通した
<神田明神・随神門>
大黒天、恵比寿神、平将門を主祭伸をして祀る神社
江戸総鎮守として、日本三大祭りの一つ神田祭りが行われる
<神 殿>
現役時代は毎年、事業繁栄、業績向上を願い正月に参拝していた
今年も鳳凰殿(左)で、例年通り「勝守」を求めた
<大黒尊像>
茅の輪をくぐり大黒様に参拝、背後の駐車場上には庭園ができていた
<境内の向こうに>
東京スカイツリーが見える、境内はビル4階ほどの高さで見通しが良い
<明神甘酒>
何時もなら屋外での立ち飲みだが、空いていたので店内で甘酒タイム
<神 田 川>
東京メトロ、JR総武線の鉄橋、ブログによく使われる撮影ポイントです
神田川は、両国橋近くで隅田川に合流する
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神田駿河台の坂道
<淡 路 坂>
JR中央線、総武線に沿って下る、この淡路坂が坂道散歩の出発点
日立本社ビルがあった場所は工事中、現役時代にはよく通った顧客です
お茶ノ水駅に向かう、JR中央線の下り電車
<太田姫神社>
淡路坂の標柱のすぐ横に、このような社札が椋の木にかけられている
太田道灌が息女の病気平癒で建てた神社、今は神田川工事で本宮跡のみ
<幽 霊 坂>
もとは紅梅坂、樹木が鬱蒼としていたので幽霊坂と呼ばれるようになった
駅員3さんが紹介していたが、背後に日立本社ビルがなく明るい
右側が、元日立本社ビルがあった場所 、白の矢印が上の標柱です
<ニコライ堂>
正式名称は、東京復活大聖堂教会、国の重要文化財の指定を受けている
幽霊坂を登ると、本郷通りの向こうにニコライ堂が見えて来る
昨年の龍馬伝にも登場した山本琢磨は、ニコライ堂ゆかりの人物
<紅 梅 坂>
この辺りは紅梅町であったのでこの名がついた、左側はニコライ堂
関東大震災後に本郷通りができ、分断されたが元は幽霊坂と続いていた
<雁 木 坂>
昔は急な坂、木材を雁木(階段状、はしご状)に組んだ道に由来する
加齢黄斑変成症を患い日大病院に通院、有名教授の治療を受けていた
次回は、神田駿河台坂道散歩(Part2)を紹介します
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東京坂道散歩<恵比寿~代官山>&<ごあいさつ> [東京の坂道]
東京の坂道散歩
<恵比寿~代官山>
JR山手線の恵比寿駅から目黒駅の一帯は山の手、目黒川に向けて下る急坂が多い
今回は、この中でも最も坂道らしい景観を持つ別所坂を下り目黒川を散策
そして旧山手通りから代官山周辺の坂道を上り下りする、変化にとんだ散歩になった
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(歩いたのは・11月7日です)
<JR恵比寿駅>
駅前には「えびす像」が置かれ、待ち合わせ場所になっている
駅から、中山坂を通り別所坂に向かう道筋には、庚申塔などの遺構が多く残されている
(左):庚申塔・・左に祐天寺道 右に不動尊道と刻まれ、道しるべになっている
(右):馬頭観世音・・疫病の退散を願い建てられたもの
<別 所 坂>
目黒川に向けて一挙に下る、S字カーブを描く美しい坂道です
坂の勾配、坂の曲線、周囲の佇まい・・・いずれも一級の坂道と言える美しさです
(左):別所坂の途中から坂上を見る(新富士遺跡、庚申塔は坂上にある)
(右):別所坂の途中にあった石段の坂(この石段を見ると坂の高低差が分かる)
(左):新富士遺構・・富士信仰の対象となった小富士が作られていた跡地
(右):庚申塔・・江戸初期に庚申講を信仰する人たちが建てたもの
<目黒川船入跡>
昔は水量が豊富で船着き場になっていたそうだ、その跡地に資料館が建てられていた
現在では、地下に洪水調整プールが造られている、資料館の見学はまた後日
<イタリアンレストラン>
目黒川の桜並木にあったレストランで軽めの昼食 (左は私、右が妻)
<上 村 坂>
日露戦争の第二艦隊司令長官 上村彦之丞の住居が近くにあった事に由来する
<目 切 坂>
森の中を抜ける坂「別名・暗闇坂」、この先は工事中で良い写真が撮れずじまい
(左):地蔵(道しるべ)・・右は祐天寺道 左には大山道と刻まれている
(右):元富士遺構・・別所坂上の新富士遺構より古いようだ
<猿 楽 塚>
古墳時代末期の円墳が二つあり、その古墳の間の道は旧鎌倉街道であったそうだ
<素敵なレストラン>
旧山手通りに有ったレストラン、有名店のようだが名は不明です
<西郷山公園>
富士山信仰の小富士が造られたように、この一帯は昔から富士山を眺める名所
西郷従道(隆盛の弟)の住居跡が有った場所・・・左は薩摩桜島の溶岩
<マレーシア大使館>
外壁のデザインは何を表しているのか、ユニークで美しい形状をしている
外壁から中を覗くと・・・(左):建物の壁も同じ形状 (右):壁に写る影も同様でした
<二つの坂>
(左):横断歩道の先が「南平坂」、手前が「かめやま坂」、中間はV字の谷
(右):石段と両側の石組の坂が美しい、代官山のショッピング街に近い坂
<東急 代官山駅>
JR恵比寿駅からスタートした坂道散歩も、ここ代官山駅が終着点
疲れを構内のコーヒー店で癒し帰路に就いた
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ごあいさつ
今年一年、お陰さまで好きな旅を続け、そして元気に歩くことができました 来年も、そうありたいと願い、この記事で締めさせて頂きます お付き合いを頂き有り難うございました
来年が皆さまにとって良い年で有りますように 乾杯!!
<昭和記念公園・・グラスを積み重ねたツリーと噴水です>
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東京坂道散歩(目黒駅周辺の坂巡り) [東京の坂道]
東京坂道散歩
<目黒駅周辺の坂巡り>
この日、歩いた道は江戸の町民たちが目黒不動尊へ参詣する時の参道
目黒駅を出発しぐるっとひと回りをして、また元の目黒駅に戻るコース設定であるが
その途中に立ち寄った行人坂の大円寺は、今回の坂道散歩の収穫であった
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(歩いたのは・11月2日です)
<行 人 坂>
目黒駅から雅叙園方向に下る急な坂道、坂の名は行者が多く住んでいた事に由来する 江戸時代には、目黒不動尊に参る人の参道として賑わっていとたいう
目黒駅辺りは山地、目黒川は山の下にあたるため坂道としての勾配が大きい
行人坂を坂下から撮影、右は大円寺
<富士見茶屋>
江戸時代、目黒不動尊に参詣する人たちが。ここで休息をとり富士を眺めたと言う
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<大 円 寺>
湯殿山修験道の行者大海が、寛永年間に創建したと伝えらる天台宗の寺院 本尊は釈迦如来立像、大黒天も祀られており山の手七福神のひとつになっている
振袖火事、車町火事と並んで江戸三大火事のひとつである明和9年(1772年)の 行人坂火事は、この大円寺が火元といわれている
<釈 迦 堂>
本尊の釈迦如来立像(重要文化財)が安置されている
胎内には絹などで造られた五臓が納められ、生身の釈迦像とも言われている
<石像五百羅漢>
行人坂火事の犠牲者追悼のために作られたとされる羅漢像
八百屋お七の恋人吉三ゆかりの寺、吉三は出家して西運を名乗り修行をした
(左):とろけ地蔵(漁師が海から引き上げたもので、悩み事をとろけさせてくれるそうだ)
(右):薬師如来座像(金箔を患部に貼ると良いという、若い女性が熱心に貼っていた)
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<悲劇の権之助坂>
江戸時代、行人坂を通行する人たちの難儀を見かね、名主権之助が造った坂道
しかし、権之助は江戸幕府の法に触れ死刑に処せられたそうだ
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<目 黒 川>
(左):太鼓橋(行人坂下)から見た目黒新橋方向の眺め
(右):目黒新橋(目黒通り)から見た太鼓橋方向の眺め
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<五百羅漢寺>
松雲元慶禅師が10年の歳月をかけて彫られた、505体の羅漢像がある
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<成 就 院>
本尊は薬師如来像、三匹の蛸が蓮華台を支えていると聞いたが、拝観は開帳日のみ
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<目黒不動尊>
大同3年(808年)に慈覚大師円仁が比叡山に赴く途中、不動明王を安置し開創 天台宗の古刹、寺名は瀧泉寺 徳川将軍家の帰依を受け大いに栄えたという
(仁王門をくぐると、正面に男坂、右側に女坂がある)
<本 堂>
江戸五色不動のひとつ、境内には阿弥陀堂、観音堂、勢至堂など中小の伽藍が多い
男坂を上がった前方に不動明王を祀る大本堂がある
(左):独鈷の滝と水掛け不動 (右):銅製薬師如来座像(1683年)
江戸時代、参詣する人が絶えない寺院であったと聞くが、活況感が感じられない 目黒不動尊の参道に並ぶ商店街も寂れた感じがした
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<三 折 坂>
目黒不動尊の西側にある坂道、折れ曲がった坂道が名の由来になっている
この日の目当ては目黒不動尊でしたが、他にも由緒のある寺を拝観する事が来た 歩くことは良いですね・・・思いがけない事に出会います
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二人だけの忘年会
立川シネマシティで映画を見たあと、馴染みの店で妻と二人の忘年会 今年の締めはやはり寿司、美味しくいただきました
美人の女将さんが満面の笑みで迎えてくれます
うっかり料理の写真を撮り忘れ、カウンター席の撮影です
思い返すと、今年はパリとニュージーランドでも寿司を頂きました
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次回は、恵比寿駅から代官山駅にかけての坂道を紹介します
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東京の名所散歩<皇居一周コース> [東京の坂道]
東京の名所散歩
<皇居一周コース>
季節は初冬12月6日の午後、二人の友人と久しぶりの散歩です
前回は東京江戸博物館を見学し、浅草周辺から東京スカイツリーを見物したが
今回は北の丸公園、皇居東御苑を歩こうと、東京駅で待ち合わせ・・出発をしたが!!
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行幸通り
<東京駅中央口>
天皇の行幸、信任状棒定式に向かう外国大使の送迎馬車が通行する専用道 東京駅の改装に合わせ、歩道兼馬車道とした新しい景観の馬車道に生まれ変わった
東京駅から、皇居前の和田倉門まで続く全長約200m、幅約74mの道路 両側には4列のイチョウ並木を配した美しい道、東京駅駅舎の完成が待たれる
<行幸通りは・・風の道>
東京湾から隅田川を通り八重洲通りへと流れる海風を皇居まで通す風の道 大丸のビルで遮断されていたが、ビルを二つのタワーに分け横に移し風の道を通した
八重洲通りから、皇居や新宿御苑などの緑地からの放射冷却の効果も合わせて ヒートアイランド現象を改善する事ができるという
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北の丸公園
徳川御三郷の田安徳川家、清水徳川家の上屋敷が有った場所 明治以降、旧近衛連隊が使用していたが、その跡地を森林公園として整備した
<田 安 門>
桜の名所、「千鳥が淵」「牛が淵」を横目に田安門へ、門内から見た靖国通りの方向 この日の散歩は、ここ九段坂の田安門からスタートです
(左):丸く組み上げられた石垣の上の大イチョウ (右):森林の中のせせらぎ
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皇居一周
北桔橋門から皇居東御苑に入る予定が大誤算、この日の東御苑は休苑日 何ともお粗末な計画、急遽相談をして皇居一周をすることに変更
警備の警察官に聞くと皇居一周は約5km、機嫌を直して歩き始めた
<旧近衛師団司令部庁舎>
現在は、東京国立近代美術館「工芸館」として使用、重要文化財に指定されてる
<イギリス大使館>
大英帝国の風格が感じられる、一等地に建つ大使館です
<お濠の桜>
かろうじて散り残っていた桜の葉が、逆光を浴びて美しい
<お濠の景観>
皇居の内堀が一番美しい場所、半蔵門の近くで撮影
<友人たち>
仕事の付き合いで仲良くなった、大手電機会社に勤めていた技術系の部長さん
(左):お濠端を歩く友人 (右):国会議事堂をバックに撮影
<憲政記念館の紅葉>
国会議事堂の前にある南北二つの庭園、その中の憲政記念館でコーヒータイム
<法 務 省>
死刑廃止論者、国会軽視発言の大臣、菅首相は資格、資質のない人物を選んでいる
<夕暮れの桜田門>
大老・井伊直弼が水戸浪士たちに暗殺された・・「桜田門外の変」の場所
<二 重 橋>
正面に見える橋が二重橋と思われているが、実際は奥の橋が二重橋です
<皇居前の夕焼け>
皇居外苑の広場から振り返ると夕焼けが見えた、左の建物は警視庁
<宵の丸の内>
馬場先濠と丸の内のビル群、照明が点灯し始めた眺めが美しい
<再び・行幸通り>
九段下から歩き始めた、ほぼ皇居一周の散歩、振り出しの丸の内に戻ってきた 辺りはすっかり夜の景色に変わっている・・・疲れを癒すには丁度いい時間
<ほろ酔い横町>
東京駅構内の八重洲側にある「ほろ酔い横町」で、先ずは乾杯
私のチョンボで散歩コースを変更したが、今回の散歩も良かったねぇ~が結論 昔話に花が咲き、次はどこうに行こうかと相談、来春の楽しみです!!
この日の、歩数計の計測は19300歩でした!!
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<追加です>
クリスマスのこと
昨日、孫たちがケーキを持って遊びやってきた、その時に撮った写真をUPします
誕生日に覚えた、Happy birthday to you,を、何度も、なんども、歌わされた 9月25日で満3才、可愛いさかりです・・・じいちゃん似かな!
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次回は、旅先で出会った「憂国のデモ」と「火渡り祭り」を紹介します
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東京坂道散歩(お茶ノ水~湯島.3)湯島天神と周辺の坂 [東京の坂道]
東京坂道散歩
<お茶ノ水~湯島.3>
湯島天神と周辺の坂
お茶ノ水駅から、途中3か所の神社に参拝し上野広小路まで歩いた坂道散歩
あらためて、東京には坂が多いなぁ~と実感した散歩になった
ここから近い本郷方面にも坂道が多い・・・次はそこにするか、と思いを巡らせた
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(撮影 2010.3.1)
湯島天神
<本殿と梅>
正式名は湯島天満宮・・・亀戸天神、谷保天満宮と並ぶ、江戸三大天神のひとつ
東風吹かばにほいをこせよ梅花 主なしとて春を忘るな (菅原道真)
<参道から本殿>
神田明神からは一本道(清水坂)、大鳥居を一歩入ると本堂へと参道が続く
受験シーズンも終わり、境内は少しのんびり感が漂っていた
<開運絵馬>
合格祈願の絵馬・・・境内のあちこちが、このように絵馬の洪水です
さすがは湯島天神、この時ばかりは神妙に手を合わせる学生がこんなにも多い
お礼参りもして下さい・・・境内に案内板がありました!!
<湯島の白梅>
湯島に来ると、この歌を思い出す、同年代の人が口ずさんでいた!!
顔を見合わせ・・・お互いに歳だねとニッコリ!!
一番と二番の歌詞(泉鏡花の婦系図)
湯島通れば思いだす お蔦主税の心意気 知るや白梅玉垣に 残る二人の影法師
忘れられようか筒井筒 岸の柳の縁結び 堅い契りを義理ゆえに 水に流すも江戸育ち
<心城院>
大聖歓喜天は、菅原道真の信仰が 篤く、湯島聖天として親しまれてきた
御本尊は・・・大聖歓喜天(絶対秘仏) & 十一面観世音菩薩(東京三十三観音札所)
<天神男坂>
正式名は天神石坂・・・湯島天神へ参拝する38段の坂
この坂は後に、本郷から上野広小路に抜ける通り道でも有ったそうだ!!
<天神女坂>
男坂の右にある緩やかな石段、坂の上で男坂と一緒になる
神社には男坂と女坂が有るが、昔から女性には優しかったようです!!
<夫婦坂>
別名、新坂とも言われているので比較的新しい坂でしょう 途中の門は登竜門
この坂の下は、湯島の切り通しです
<切通坂>
ここは春日通り、砂利道を路面電車を通すために、緩やかで広い道に改めたそうだ
(湯島の白梅・・三番の歌詞)
青い瓦斯灯境内を 出れば本郷切通し あかぬ別れの中空に 鐘は墨絵の上野山
<ナイショの話>
湯島天神の境内では、「猿まわし」が行われていた
太郎倶楽部の芸人さんでしょうか、二人?とも好感が持てました!!
お猿さんも、美人には弱いようで・・・ご主人さまの言うことを聞き立派な演技でした
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上野辺り
<不忍池>
池の中道を通り抜け、弁天堂に参拝した
外人の二人連れも参拝・・・本当に弁天さんは「ヤキモチを焼く」のだろうか?
左:弁天堂と琵琶 右:駅伝発祥の地の看板
<水 鳥>
不忍池には沢山の水鳥がいたが、その中であまり見かけた事がない鳥を見つけた
調べてみると・・・「キンクロハジロ」と言うそうです
池の周辺を歩いていると、かすかに潮の香りが・・・昔は入江だった影響だろうか?
<上野広小路>
午後2時から歩き始めた坂道散歩も5時前の時間、ネオンもチラつき始めた
お酒が恋しい時間です・・・と言うことで、次の店に上がり込んだ
<がんこ上野店>
先ずはビールで乾杯・・・後は一人2合の燗酒です
大阪から始まった「がんこ寿司」が本家・・・今では全国にチェーン店を展開している
京都の⇒「高瀬川二条苑」の、生ゆばコースはお薦めです!!
この料理にデザートが付いて「3880円」・・・お手頃の値段です!!
豆乳に、苦汁を入れて作る豆腐料理も並んでいます(左の写真)
<アメ横>
ほろ酔い気分で、アメ横を通り抜け御徒町駅から帰路についた
友人とは、また坂道散歩をしようと・・・東京駅の構内で機嫌良く別れた!!
神田明神から始まった、今回の坂道散歩はこれで終了です!!
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(おわり)