比叡山延暦寺(4)<山麓・坂本の寺社> [京阪神の旅]
比叡山延暦寺(4)
<山麓・坂本の寺社>
比叡山の三塔巡りを終えた後、延暦寺と日吉大社の門前町として栄えた坂本へ
日吉大社参道の両側には、延暦寺の里坊寺院が並び尋ねて見たかった地域
しかし下山後に遅い昼食を済ませると、新幹線の発車まで残りは2時間強
時間が許す範囲で巡ったが、もう一度時間を掛けてゆっくりと訪れたい所である
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<撮影:11月8日>
日吉大社
<大 鳥 居>
日吉大社は、全国に3800余りの日吉神社、日枝神社、山王神社の総本宮
比叡山及び境内の八王子山をご神体とする神社で、伝教大師最澄が延暦寺を
建立してからは延暦寺の守護神として栄え、大きな影響力を持っていた
<山王鳥居>
元亀2年(1571年)の織田信長の叡山焼討ちにより日吉大社の社殿は
すべて消失したが、信長の没後に豊臣秀吉の尽力により再建した
山王鳥居は、神仏習合を表す独特の形をし合掌鳥居と呼ばれている
<西本宮楼門>
入母屋造り、檜皮葺きの格式のある楼門である
天正14年(1586年)の建造で、国の重要文化財に指定されている
<西本宮本殿>
天正14年(1586年)の建造で日吉造りという独特の形をしている
日吉造りは、屋根の庇が前面と両側面の三面だけで背面には庇がない
大己貴神を祭神とし、国宝に指定されている
<東本宮楼門>
西本宮の楼門と同じ造りだが、全体は少し小さいようだ
建造は、天正14年(1586年)、国の重要文化財に指定されている
<東本宮拝殿>
本宮は拝殿の背後にあるが、檜皮葺き屋根が老朽化し葺き替え工事中
大山咋神を祭神とし、国宝に指定されている
工事現場が見学できる階段が用意されていた
(左):屋根の傷みを写真表示 (右):檜皮葺の見本を展示
日吉神社は紅葉の名所だが、訪れた日は11月8日
ようやくモミジが色づき始めたところ、撮った写真はこの2点のみでした
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滋賀院門跡
<勅 使 門>
比叡山の東麓、坂本には高齢の僧侶が住まう里坊が90ヶ寺も有った
その中でも、滋賀院は江戸末期まで天台座主となった皇族代々の居所であり
後水尾上皇から滋賀院の名を下賜され高い格式を誇っていた、本尊は薬師如来
<滋賀院正面>
元和元年(1615年)、天海大僧正が後陽成上皇より京都法勝寺を下賜され
この地に建立したが明治11年に焼失、現在の建物は比叡山無動寺から移築
今は、坂本の地に54ヶ寺の里坊が残っているそうだ
<庭 園>
宸殿の廊下から、小堀遠州の作と伝えられている池泉観賞式庭園を撮影
<不滅の法灯>
延暦寺根本中堂にあった、先の法灯(三体の一つ)を滋賀院に移したもの
菜種油を満たした受け皿に灯心を浸し灯している、お願いし中の灯を撮影
油を断つと1200年の法灯は消滅、「油断」の語源はここから生まれた
<石垣と白壁>
坂本の町には、穴太(あのう)積みの石垣が多く残っている
中でも滋賀院は高い石垣と白壁に囲まれて堂々とした美しさである
<石垣の町・坂本>
穴太衆は、江戸城・姫路城・名古屋城など現存する城の80%を築城
ここ坂本は石垣の町、国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されている
穴太衆が積んだ里坊の町を、もう一度見て回りたい
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旧竹林院庭園
<庭園入口>
旧竹林院は元里坊の一つ、境内には3,300㎡の回遊式庭園があり
里坊庭園の中で最大で、今は国指定名勝庭園として一般に公開されている
園内では、紅葉の見ごろに合わせてライトアップの準備をしていた
<書院から見た庭園>
園内には大宮川の清流を取り入れ、八王子山を借景にし築山も配されている
天正年間に建てられた茶室、四阿は、大津市の指定文化財になっている
高齢者に対する配慮でしょうか、椅子が用意されていた
庭園内を散策、主屋の奥に八王子山が見える(右)
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比叡山延暦寺の三塔巡りはこの記事が終章です
次回は、京都ひとり旅<晩秋の嵯峨野>を紹介します
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比叡山延暦寺(3)<諸堂ひとり巡り・根本中堂> [京阪神の旅]
比叡山延暦寺(3)
<諸堂ひとり巡り・根本中堂>
延暦寺を尋ねる人は、根本中堂のある東塔だけを参拝することが多いという
比叡山は伝道大師最澄が開山し1200年の歴史を残す日本仏教の聖地の一つ
横川、西堂の諸堂を巡ってきたが、ここ東塔で延暦寺の巡拝を終える
朝9時から三塔を巡りを始めて4時間を経過、山麓の坂本に向け下山をした
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<撮影:11月8日>
東塔をめぐる
<文 殊 楼>
文殊楼は延暦寺の山門にあたる建物、根本中堂を見下ろす所に建っている
現在の建物は寛永19年(1642)の再建、楼上には文殊菩薩を安置
この門を通り、前方の急な階段を下りると正面に根本中堂がある
<根本中堂(国宝)>
延暦寺の総本山、延暦7年(788)に伝教大師最澄が一条止観院をここに創建
自ら刻んだ薬師如来像を安置し、比叡山寺と号したのが始まりという
織田信長の焼き討ちで消失したが、寛永19年に3代将軍家光の命で再建された
二つの写真(上と下)は、文殊楼から下りる階段の途中で撮影
<根本中堂拝観>
内陣は低く造られ、参拝する目の高さの厨子内に本尊薬師如来(秘仏)を安置
その前に1200年間灯り続けている、三体の吊り燈籠「不滅の法灯」があった
叡山焼き討ちで一時途絶えたが、山寺(立石寺)に分灯していた法灯を移した
<南側の坂道から撮影>
根本中堂の写真は、この角度から撮影したものが多い
<根本中堂の上の広場>
大黒堂、一隅会館がある広場、紅葉を入れて撮影
比叡山の紅葉は早く、11月8日で見ごろでした
木の下に吹き寄せられた落ち葉
鐘楼の横を通り大講堂へ
<大講堂(重文)>
昭和31年に旧堂消失後、昭和39年に山麓坂本の讃仏堂を移築したもの
本尊は大日如来、両脇侍に十一面観世音菩薩、弥勒菩薩の三尊を祀っている
堂内に入り参拝、延暦寺で研修した各宗派の宗祖の木像が置かれていた
<一隅を照らす>
一隅(いちぐう)を照らす、これ則(すなわ)ち国の宝なり・・伝教大師最澄
この国の政治、世相、書きたいことは多いがここでは控えたい
大講堂から戒壇堂へ上る境内の道
<戒 壇 堂>
内陣中央に釈迦如来、両脇侍に文殊菩薩と弥勒菩薩の三尊を祀る
天台宗の僧侶が受戒する重要な塔、延宝6年(1678年)に再建されたもの
<阿弥陀堂>
昭和12年(1937年)、比叡山開創1150年を記念して建立された
壇信徒の先祖を回向する道場、本尊は丈六の阿弥陀如来坐像を安置している
<水 琴窟 >
阿弥陀堂前の庭には、美しい音色を奏でる水琴窟が設けられていた
<法華総持院東塔>
全国6箇所に建てた宝塔の中心、叡山焼き討ち後再建されなかったが
昭和55年、400年ぶりにその姿が甦った、高さ30mの重層多宝塔
左:法華総持院東塔 右:阿弥陀堂
<琵琶湖展望>
午後1時発のケーブルカーに乗車するため急いで延暦寺駅へ
下山途中に見えた琵琶湖、麓の町は雄琴温泉辺りであろうか
<ケーブル比叡山駅>
1927年の開業以来の建物で、坂本駅と共に国の重要文化財に登録されている
この日は30分間隔で運行されていたが、土日は15分間隔に増発
<登山電車>
日本のケーブルカーでは、路線距離が最も長い2km、運行時間は約11分
標高差は484m、車内から琵琶湖の景色が展望できる
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次回は、比叡山延暦寺(4)<山麓・坂本の寺社>を紹介します
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比叡山延暦寺(2)<諸堂ひとり巡り・西塔> [京阪神の旅]
比叡山延暦寺(2)
<諸堂ひとり巡り・西塔>
延暦寺は、延暦7年(789年)に伝教大師最澄が根本中堂の位置に
薬師堂、文殊堂、経堂を建て一条止観院と名づけたのが始まりとされている
ここ西塔は、根本中堂がある東塔から北へ約1kmほどの場所にあり
第2世天台座主寂光大師円澄が開いた、深い木立に囲まれ静寂の地域です
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<撮影:11月8日>
西塔・諸堂参詣
<参道入口>
横川(前記事)から南へ約4km、歩くには遠い距離ここまでタクシーを利用
西塔の中心の釈迦堂に参拝し、東塔まで歩いて巡ることにした
参道を下ると、拝観受付所の人が清掃中
三塔共通の諸堂巡拝権を見せて通過、時間は10時20分でした
<にない堂(重文)>
左は常行三昧を修する常行堂(本尊は阿弥陀如来)、右は法華三昧を修する
法華堂(本尊は普賢菩薩)、何れも修行の堂で内部は非公開
弁慶が、両堂の渡り廊下に肩をいれ担いだとの伝説から担い堂と呼ばれている
延暦寺のパンフレットなどには、この角度から撮った写真が使われている
担い堂の先の階段を下りると前方に堂が見えてくる
<釈迦堂(重文)>
西塔の本堂にあたる転法輪堂、本尊の釈迦如来に因み釈迦堂と呼ばれている
現在の釈迦堂は、文禄4年(1596年)に園城寺(三井寺)の弥勒堂を
豊臣秀吉の命で移築したもの、延暦寺に現存する建物の中で最古という
堂内に入り参拝
すべての柱間は入口になり、外陣の廊下から出入りができる
この写真の位置より一段低い(1m以上)内陣では、僧が経を上げていた
<我が志を述べよ・伝教大師遺訓>
『我がために仏を作ることなかれ、我がために経を写すなかれ、我が志を述べよ』
私のために経を上げるより、私の志を多くの人に伝えて欲しい・・でしょうか
<東塔に向け歩く>
掃き清められた参道を歩き、浄土院を経て東塔に向かう
<浄 土 院>
宗祖最澄の廟があり、山内で最も神聖な場所とされている
慈覚大師が最澄上人の遺骸を安置、今は12年籠山の僧が奉仕している
東塔地域と西塔地域の境目に位置するが、所属は東塔地域になるという
浄土院を振り返り撮影
浄土院門前の石垣、金色の苔であろうか珍しい
<石段の」坂道>
浄土院の門前から東塔を結ぶ石段の道、観光バスや自家用車を利用し
三塔巡りをする人たちは、浄土院や木立に覆われた石段を歩くことがない
坂の上に近づくと段差が高く、また不規則で歩きにくい
年配のご夫妻が一段一段を慎重に下ってきた
また一人下りてくるが、すれ違う人の姿は少ない
坂の上にようやく到着(約12分を所要)、体力の衰えをあらためて認識する
若者が写真を撮り合っていたが、撮り終えると上まで引き返してきた
<観光バスの列>
時間は11時30分、根本中堂がある東塔の大型車駐車場に行くようだ
ここまで来ると東塔まではあと少し、気持ちを前向きに歩き続ける
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次回は、比叡山延暦寺(3)<諸堂めぐり・東塔>を紹介します
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比叡山延暦寺(1)<諸堂ひとり巡り・横川> [京阪神の旅]
比叡山延暦寺(1)
<諸堂ひとり巡り・横川>
天台宗の総本山延暦寺は、比叡山全体を境内としその敷地は限りなく広い
ひと口に延暦寺と言えば、根本中堂を中心にした東塔を指しているようだが
山内は、東塔(とうどう)、西塔(さいとう)、横川(よかわ)の三つに分かれている
この三塔を一度に巡る計画を立て、大阪のホテルを朝7時過ぎに出発した
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<撮影:11月8日>
比叡山へ
<奥比叡ドライブウエイ>
前日は中学時代の同窓会で大阪梅田へ、友人から度々誘いを受け参加をした
集まった友は後期高齢者の男女38名、2次会にも参加し遅くまで歓談と痛飲
JR比叡山坂本駅8時40分着、前夜の余韻が残る体を励まし比叡山に向かった
<琵琶湖展望>
琵琶湖の展望所でタクシーから下り、景色を眺めたがご覧の通りです
琵琶湖大橋は、肉眼では見えたが霞が掛っていた
<ドライブウエイの紅葉>
京都発4時ごろの新幹線で帰京の予定、延暦寺を巡る許容は約6時間
最も効率よく三塔を巡るため、私が考えたプランは横川からでした
横川中堂参詣
<参道入口>
横川は、第3世天台座主慈覚大師円仁が開いた横川中堂を中心にした地域
三塔共通の諸堂巡拝券(550円)を受け取り参拝に向かう
大阪のホテルから2時間で到着(9時10分)、聞くと私が最初の参詣者でした
<参道の坂道>
ここは、恵信僧都、道元禅師、親鸞聖人、日蓮上人が修行をした地
延暦寺の三塔には、各開祖の誕生、出家、修行、往生をパネルで説明しているが
これは浄土真宗開祖親鸞聖人、道元禅師(曹洞宗)、日蓮上人(日蓮宗)もあった
<境内の紅葉>
竜ヶ池ともみじ、奥に横川中堂が見える
<横川中堂>
現在の堂は、落雷で消失した後の再建で鉄筋コンクリート造り
横川の中心に当たる堂塔、堂内に入り参拝をする
御前立仏・聖観音菩薩
新西国三十三箇所観音菩薩霊場第18番札所、堂入口に安置されていた
横川中堂を下から撮影
舞台造りで全体的に見て船が浮かんでいる姿に見えるのが特徴という
杉の木立の奥に横川中堂が見える
<根本妙法塔>
慈覚大師円仁が、法華経を写経し収めたのが始まりという
大正時代に再建された多宝塔
<鐘 楼>
横川中堂から坂道を上がった正面に鐘楼、右に行くと恵心堂がある
<恵 心 院>
浄土宗、浄土真宗の元になる浄土教の基礎を築いた恵心僧都の旧跡
阿弥陀如来を祀る念仏三昧の道場、往生要集なども著わしたという
光源氏は横川僧都により剃髪など、横川が度々登場した事が刻まれていた
<比叡山もみじ祭>
横川付近のドライブウエイや駐車場には紅葉樹が多く、もみじ祭を開催中
駐車場前では、土産物店がオープンし妻のみやげに栗大福を買う
比叡山ドライブウエイで見た大看板
次の西塔までは4kmの距離、タクシーで移動をした
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次回は、比叡延暦寺(2)<諸堂めぐり・西塔>を紹介します
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大阪ひとり旅③<大阪駅前 下町風情> [京阪神の旅]
大阪ひとり旅(3)
<大阪駅前 下町風情>
中之島、御堂筋、道頓堀、法善寺、お初天神に行く予定が悪天候で中止
天気が良い日の「ひとり旅」は行動範囲も広いが、雨が降ると途端にダウン
そこで大阪駅周辺をウオッチングした、コテコテの大阪風景を紹介します
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阪急百貨店
今年11月末に、増設工事を終えグランドオープンする阪急百貨店
伊勢丹三越の大阪駅進出で、大丸などと共にデパート戦争が激化するが
阪急は沿線の顧客を持つ高級イメージのデパート、勝算どうであろうか
大阪駅前のビル
阪神百貨店(左)、第一生命ビル(中央)の両側は丸ビル&ヒルトンホテル
そして、伊勢丹三越、大丸百貨店、阪急百貨店などは、大阪駅周辺の表の顔
しかし、その一方で地下街に下りると大阪の下町風情を感じる場所がある
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阪神電車 梅田駅
この階段を下りると阪神電車の改札口、矢印の意味は次の写真
阪神タイガースの写真は、和田監督、関本選手、藤川投手、鳥谷選手
不甲斐ない成績にストレスが溜まる人が多い、わが家も全員タイガースフアン
何故!・・エスカレータの写真を撮ったか?
戦前(70年以上前)、この場所(階段の両側)にエスカレータがあった
関西、関東の私鉄各線にはエスカレータがない時代、私の記憶にも残っている
戦時中に鉄材供出で撤去されたが、何時の頃からか?再び設置された
阪神百貨店・デパ地下
寿司、ラーメン、焼きそば、お好み焼き、たこ焼き、カレー店、牛丼など
お祭の出店のような、食欲を誘う多彩な店が並んでいる
大阪駅周辺のデパートは、庶民派の阪神百貨店のデパ地下に敵わない
ご覧のように・・すべての店が立ち食いです
現役時代、東京の顧客を昼食に案内したが、珍しさに大いに喜んでいた
ダブルのスーツ姿で紛れ込んでも、違和感を感じない不思議な場所です
若いお嬢さんも・・立ち食いです
大阪へ出張や旅行で行く方には、費用も!時間も!節約できお勧めです
一番人気は何と言っても・・いか焼きの店
何時行っても長い行列ができ、買うのを諦めたことも有る
大阪駅 地下街
60年以上も、この場所で営業を続けている大阪名物「串カツ」の店
JRから阪神電車に向かう途中にあり、若いころに時々立ち寄った懐かしい店
串カツにつけるソースは1回浸け、串の数で清算していたが今はどうか?
新梅田食堂街(JRガード下)
阪急神戸線、宝塚線は、東京で言えば山の手で高級住宅街も多い
そんな、阪急電車と阪急百貨店に挟まれたJRガード下に40店ほどの店がある
キャッチフレーズは 「行きは良い酔い、帰りは近い」 昼間から飲める店が有る
東京でいえば有楽町、新橋辺りのガード下であろうか?
以上の写真は、夜ではなく午後4時ごろの撮影です
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こんな店が
仲間たちと歓談した、南方駅の近くで見つけた店
店の名が・・何と「あほや」、ぺちゃ焼とは新しい食べ物であろうか?
大阪人は 「あほや」は日常語、東京とは違いバカと言われると不愉快になる
地方の方言が消えても、大阪弁と京都弁は、おそらく無くならないであろう
大阪弁を嫌う人は多いと聞くが、乱暴な言葉のなかにも人情味がある
往年の女優、浪花千栄子さんが語る大阪弁は上品で美しい言葉で有った
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東京で生まれ育った知人は、家族連れで何度も通い大阪風情を楽しんでいる
大阪ひとり旅はこれで終わりです、次回は「東京坂道散歩」を紹介します
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大阪ひとり旅②<阪急電車で往く> [京阪神の旅]
大阪ひとり旅(2)
<阪急電車で往く>
旅の2日目は阪急沿線に住む2人の友人と再会、そして叔母の自宅への訪問
梅田駅をスタートし、神戸線、今津北線、宝塚線の電車を乗り継いで
最後は振り出しの梅田駅に戻る、阪急電車でぐるっと一周する線路の旅
沿線には、夙川に妻の姉が、そして神戸には私の姉が住むため利用度が多い
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<阪急梅田駅>
阪急電鉄の拠点、京都線、宝塚線、神戸線のターミナルになっている
東京の私鉄にはない、6編成の車両が同時発着できる駅(ホームは9番まで)
3番線ホームから撮影、5か所ホームに電車が入線しているのが見える
<神戸線8番ホーム>
神戸新開地行き特急電車に乗車、僅か15分で西宮北口駅に着く
阪急電車の車両はアズキ色、落ち着いたこの色に好感を覚える
隣りのホームに到着した電車から乗客が降りて来る
古希を過ぎようやく抵抗を感じず座れるシルバーシートも、今は若者の指定席
<電車の車内>
関西の私鉄は、レール幅が広軌道を採用したため車内もゆったりしている
JRの在来線は約30cm狭い狭軌道、新幹線は広軌道になっている
<淀川の鉄橋>
この写真で分かるように、京都線、宝塚線、神戸線の3路線の鉄橋が架かり
運が良ければ、6編成の車両を同時に見ることができる
<西宮北口駅 構内>
この場所で現役時代の同僚に、そして小学校時代からの親友と待ち合わせ
先ずは現役時代の後輩役員と喫茶店で懇談、兵庫県のシニアカレッジに入学し
3ツのサークル(本人の弁はクラブ活動)に入り、毎日忙しく活動をしている
<阪急西宮ガーデン>
その後、幼いころからの親友に加え神戸から出てきた姉を交え3人で食事
ここは阪急百貨店を中心にした、大きなショッピングモール
以前は、阪急ブレーブスのホームグランド西宮球場があった跡地です
<西宮北口 今津北線>
姉と2人で、宝塚市内に住む叔母を訪ねて清荒神駅へ
この今津北線は、映画「阪急電車・15分の奇跡」の舞台になった路線
西宮北口駅と宝塚駅間を結び、六甲山東麓の落ち着いた住宅街を走っている
<武庫川の鉄橋を渡る>
前方は宝塚市の中心、右の建物は宝塚大劇場です
映画「阪急電車」の公式サイト ⇒・・http://hankyudensha-movie.com/
<宝塚駅 改札>
阪急東宝グループの創始者・小林一三氏が手がけた宝塚歌劇団の拠点駅
六甲山系の東に広がる風光明媚な街、武庫川が流れ温泉も湧き出る
<JR宝塚駅>
武庫川、宝塚大劇場方向に散歩をしたかったが、強い雨が降り出し中止
叔母、姉を伴い城崎温泉に行った時に利用したが、改装され綺麗になっていた
<宝塚駅ホーム>
(左)西宮北口行き (右)梅田行き
梅田行きの電車に乗ると、目的の清荒神駅まではひと駅
<阪急清荒神駅>
叔母の自宅には従妹も待機しており、姉を交えて昔話が弾んだ
90歳になる叔母(義理)は私を見て大喜び、物事は忘れ勝ちだが元気であった
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阪神電鉄は、村上ファンドの株式取得による対応として阪急電鉄の傘下入り
今は、阪急阪神ホールディングとして経営統合されている
次回は、大阪ひとり旅(2)「大阪駅前 下町風情」を紹介します
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大阪ひとり旅①<友人たちと再会> [京阪神の旅]
大阪ひとり旅(1)
<友人たちと再会>
今回の旅は、観光ではなく懐かしい友人たちとの再会が目的
新大阪駅に到着すると、現役時代の友人の出迎えを受け予定したレストランへ
そして、夕刻からは学生時代の仲間たちと中華料理店で円卓を囲み歓談
昔の友は本当にいいものだと、改めて実感した最良の一日になった
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JR大阪駅
神戸方面へ向かう下り線ホームから、構内の景観を撮影
次の記事で紹介するが、矢印は時空の広場、ホームの屋根は硝子張りです
大阪ステーションシティー
<時空(とき)の広場>
学生時代の仲間と会う前に、時空の広場などを散策
大阪駅の南(大丸百貨店)、北(伊勢丹三越・LUCUA)を結ぶ巨大な空間です
金時計、銀時計と共に大阪駅の新しい待ち合わせ場所になる
風の広場に向かう途中、エスカレータから時空の広場を撮影
JR連絡広場から上の階を撮影、左にファッションビル「LUCUA」が見える
<大阪駅ホームの天井>
私の関心は、大屋根ができた後のホーム天井の構造 (雨の吹き降り対策)
中央(手前)から・・・天井なし(白)、ガラス天井(橙)、屋根付き(黒)になっていた
<大阪駅北口の都市開発>
JR貨物操車場跡には、複数の超高層ビルが建ち新しい街ができると聞いた
中央のビルは、空中庭園が有る梅田スカイビル(地上40階、173m)
<カリヨン広場>
広く便利になった阪急電車の連絡通路、この広場を通り阪急梅田駅に向かう
毎正時には、鐘楼時計「カリヨン」が音楽を奏でるそうだ
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仲間と再会
<阪急電車 梅田駅>
広々とした阪急電鉄のターミナル駅、次回の記事でも紹介します
<淀川の鉄橋を渡る阪急電車>
梅田駅から京都行きの電車に乗り、学生時代の仲間が待つ場所へ
<阪急京都線南方駅>
着いた所は、新大阪駅に近く地下鉄御堂筋線の駅もある南方駅
<上海料理店「真水無水」>
私の予定に合わせて、10人の友が集まり 「私を囲む会」をしてくれた
会費を払う積りが招待者、11人がひとつの円卓を囲み歓談
昔話や近況談で過ごした2時間半、仲間の有り難さを実感したひと時であった
⇓ 大阪到着後の最初の訪問先です
もう一つの再会
現役時代、昔風に言えば共に西と東の大番頭として経営に切磋琢磨した友人
新大阪駅で迎えを受け、脱サラをした彼の部下の店を訪ね約2時間の歓談
意見が衝突する事もあったが、それは昔のこと今は懐かしい友人です
皆さんに手土産
何が良いか悩んだ末に、丸善で見つけた 「小さなボールペン」
ペンを引っ張ると、矢印のように中が伸びボールペンの芯が出てくる
何処にでも収納できるコンパクトサイズ、皆さんに喜んで貰えた
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次回は、大阪ひとり旅(2)「阪急電車で往く」を紹介します
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だんじりの町 岸和田(2)<紀州街道&だんじり会館> [京阪神の旅]
だんじりの町 岸和田(2)
<紀州街道&だんじり会館>
前記事の蛸地蔵、二色浜などの続きになるが、岸和田は「だんじり祭」の街
幼いころ、祖父に連れられ「だんじり(山車)」を引いたのを僅かに覚えている
大人たちに交じり掛け声をかけながら歩いていたようだが、70年近くも昔のこと
歩いた場所も、掛け声も分からないが、何故か楽しかったのを思い出す
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(撮影日:2月3日)
だんじり会館
<だんじり会館の全景>
会館の後ろに岸和田城の天守閣、旧紀州街道はこの道の左にある
<イベント広場>
提灯を掛けた実物の「だんじり」横の大型マルチビジョンで
「だんじり祭り」の迫力ある映像を流していたので見物をした
<沼町旧だんじり(明治34年製作)>
他にも文化・文政年間に製作した「だんじり」が有ったが写真はボツ
<各町のはっぴ>
この町で育った子供たちは、だんじり祭りに引き込まれる事でしょう
<体験コーナー>
親子連れが、だんじりの屋根に登り、お囃子の鳴り物で楽しんでいた
この家族に煽てられ私もだんじりの上へ、畳敷きの屋根は滑り易くやや危険
左の写真だけ見ると危ないようだが、右の写真を見ると納得ですね
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紀州街道
<歴史を感じる旧街道>
紀州街道は、大阪の高麗橋を起点として和歌山城下まで続く脇街道
岸和田城の城下町を通る古い街並みは、戦火を受けず今も残っている
<紀州街道は「だんじり」が通る道>
上の写真もそうだが、高いだんじりを遮る電線などの障害物が無い
<紀州街道一里塚>
紀州街道本町一里塚跡には弁財天が祭られていた
右の倉庫は、本町のだんじり(山車)の格納庫であろうか
脇道を見ても歴史を感じる
<浄土宗光明寺>
紀州街道の脇道を入るとこの寺院が有り参拝をする、開基は不明
岸和田城の伝馬口門と西大手門を固める軍事的な役割を負っていた
街道を旅する人や荷物を運ぶ馬の交代場所(駅)であったと伝えられている
境内に一歩入ると・・巨大なシュロ?の木
岸和田は海に近い温暖な地、南方のこの木も大きく成長したのであろうか
ここはカンカン場と言われる、だんじりが勢いをつけて走る場所?
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観蔵院高見観音
<岸和田観音>
毎年、節分の日に行われる「岸和田観音節分大祭」
岸和田駅に向かう途中、この寺の前を通りかかり早速寄り道
<高見観世音菩薩に参拝>
境内は「柊(ひいらぎ)の魔除け」を求める人たちで賑わっていた
(左):柊の魔除け・・自宅の玄関に取りつける(女性に願って撮影)
(右):大きな賽銭箱・・今宮戎神社の十日戎でも同様の物を見た
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南海電車岸和田駅
<駅前商店街>
この商店街も、だんじりが通り抜けるためアーケードまで遮るものがない
だんじり会館では、右のゲートの下を走り抜ける山車の映像があった
<NHK朝ドラ「カーネーション」>
意外にカーネーションの看板を見かける事がなく、気が付いたのはこの二つ
(左):コシノ・フアミリーの看板 (右):岸和田駅のポスター(ヒロイン糸子)
<岸和田駅>
この駅で南海電車に乗車し、友人たちとの待ち合わせの関西空港駅へ
岸和田散策は約3時間、喫茶店で小休止したのがやっと、時間不足でした
コシノファミリー「ゆかりの地マップ」を貰ったが、すべてを見ると1日はかかる
小原洋裁店があった通りには、時間が足りず行けずに終わった
そして、この記事を出し遅れている間にもドラマは進み最終回になった
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次回は、春が来た~PartⅡ「昭和記念公園」を紹介します
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だんじりの町 岸和田(1)<関西空港~岸和田城> [京阪神の旅]
だんじりの町 岸和田(1)
<関西空港~岸和田城>
大阪泉南の二色浜は祖父母が暮らし、幼心に僅かに記憶の片隅に残る町
昭和16~17年、幼稚園の頃の記憶を頼りに、蛸地蔵駅から岸和田駅まで
ベトナム旅行の前日、友人たちと再会するまでの時間を利用し散策をした
(一月半以上前、出し遅れの記事が2回続きますが、どうぞご覧ください)
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(撮影日:2月3日)
関西空港~岸和田
<関西国際空港駅>
南海空港線に乗車し岸和田駅に向かう、前方はJR空港線のりば
<関空特急ラピート>
ラピートとはドイツ語で「速い」という意、難波駅と関空を最短で結ぶ空港特急
泉佐野駅で各駅停車に乗り換え、岸和田城に近い蛸地蔵駅で下車した
<南海電鉄・二色浜駅>
二色浜の祖父母宅の近くで、石垣に住むベンケイカニを獲ったのを記憶している
金属バケツに入れ枕元に置いて寝るので、一晩中ガサガサと煩かったそうだ
<南海電鉄・蛸地蔵駅>
祖父に連れられ利用した駅、駅舎は当時のままのモダンな建物(大正14年建)
駅舎天窓には蛸地蔵のステンドグラス、岸和田は戦災に遭わず残ったようだ
<蛸地蔵商店街>
この商店街も歩いたであろうが、祖父と行った所は風呂屋(銭湯)です
出会ったお年寄りに聞くと、昔は風呂屋が「何軒も有ったでぇ~」と言っていた
<三の丸神社>
京都の伏見稲荷を勧請、岸和田城の三の丸に創建されたのが名の起こり
岸和田だんじり祭りは、三の丸神社の稲荷祭りが発祥だという
<五 風 荘>
寺田財閥が旧岸和田城内の新御茶屋跡などに昭和4年から10年の歳月をかけ
造営した回遊式日本庭園、2400坪の敷地に趣のある茶亭が建っている
蛸地蔵商店街から岸和田城に向かう途中にあったので寄り道をした
現在は、大阪のチェーン店「がんこ」が料理屋として経営している
NHK朝ドラ「カーネーション」で、友人(奈津)の料理屋はここで撮影をした
大阪で生まれ育った妻は、大阪を舞台にした朝ドラを欠かせず見ているが
このドラマの 「言葉の悪さと品のなさ」に閉口し、時々チャンネルを変えていた
主役が交代した後半は少し良くなり、今は続けて見ているようだ
NHKの報道姿勢に疑問を感じているが、朝8時代と昼どきの番組も品がない
「奈津の石」・・奈津役の栗山千秋さんが腰を掛けたた石だと書かれていた
岸和田城の天守閣から見た五風荘の全景
高い煙突は煉瓦工場跡、岸和田煉瓦は明治以降の建造物に使われたという
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岸和田城
<大 手 門>
楠正成一族の和田高家がこの地に岸和田古城を築いたのが始まり
その後、周囲に堀をめぐらした本丸、二の丸、二の曲輪、三の曲輪などを配した
大規模な平城の城郭となったが、五層の天守閣は1827年の落雷により焼失
<天 守 閣>
現在の三層の天守は昭和29年に再建され、さらに昭和44年には本丸跡に
城門(多聞櫓)と二層の隅櫓、城壁を造営し、往時の威容の一部が甦った
<八陣の庭>
諸葛孔明の八陣法をテーマにして庭園師「重森三玲氏」が設計した庭園
天守閣の再建計画が無い時点の、昭和28年に造られた
岸和田城略歴 ①天正12年、岸和田城主の中村一氏が雑賀・根来衆と合戦
②天正13年、岸和田城を拠点にし秀吉は雑賀・根来衆を討つ
③慶長3年、 新城主の小出秀政(秀吉の叔父)が天守閣築城する
④江戸期は、 松平氏2代、岡部氏13代が明治維新まで続く
<蛸地蔵縁起>
秀吉軍が小牧・長久手への出陣の留守を狙い、根来・雑賀衆の連合軍3万が
岸和田城を攻め落城寸前であったが、この時に大蛸に乗った一人の法師と
数千の蛸がどこからともなく現れ、敵兵をなぎ倒し城の危機を救ったと言う
<蛸地蔵天性寺>
戦いの数日後、城の堀から矢傷・弾傷を無数に負った地蔵が発見され
文禄年間(1592年)に、天性寺の地蔵堂に収められたと言う
参拝に訪れたが、本堂は修復工事中で山門の下からの拝観になった
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次回は、岸和田を歩く(2)「旧紀州街道&だんじり会館を紹介します」
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生まれ変わった大阪駅 [京阪神の旅]
生まれ変わった大阪駅
JR西日本の拠点、大阪駅は狭く暗いイメージを持っていたが
北口の開発に伴い様相が一変、超近代的な駅舎へと変貌を遂げていた
ドーム球場のように空に向かって広がる構造空間には驚いた
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昨年の秋(11月27日)、奈良大和路旅行のあと大阪に立ち寄り一泊
姉と会食を済ませた後、好奇心を持って見て回った時の画像です
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時空の広場と言うのでしょうか、まさに天井の空間です
上層階に向かうフロアー
吹き抜けの空間、上層階の曲線がいいですね
改札階から見降ろすと、ホームの屋根は撤去されていた
雪だるまの像、家族連れが記念撮影
怒った顔のように見える時計
翌11月27日の昼、新大阪駅に向かう時に撮った画像です
この日の朝、足の小指を骨折し、急遽午後の予定をキャンセルし帰宅した
JR西日本の京都駅は、難攻不落な巨大城壁のようで印象が悪いが
大阪駅は関西経済圏の中心地、このようなデザインも悪くない
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大阪駅周辺のデパートについて
大阪駅の北口に進出した三越伊勢丹、改装工事を終えた南口の大丸百貨店
そして老舗の阪急百貨店は売り場面積を拡大工事中で、大阪駅周辺の商業環境は様相を一変している
しかし阪神百貨店には庶民性が残っており、現役時代に東京のお客さんを阪神地下の屋台のような店に案内
お互いが背広姿で、昼食に「イカ焼き」や「うどん」などを立ち食いし、大いに喜ばれた事がある
急激な売り場面積の拡大、そしてファッション化、高級化へと競合が続く大阪駅周辺のデパート戦争だが
阪神百貨店の地下屋台街のような庶民性は、東京にはない大阪の持ち味、しっかり残して欲しいものだ
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