牡鹿半島を支援する会<春わかめ収穫ボランティア> [みちのくの旅]
牡鹿半島を支援する会
<春わかめ収穫ボランティア>
東日本大震災が発生した翌年から始めた、牡鹿半島を支援するボランティア活動
毎年2回(3月と4月)実施していたが、今年が最後と知り忙しい中参加した
そして、支援する会が寄贈した植樹を確認するため女川町卸売市場にも立ち寄った
2回分の記事を1回にまとめたので写真が多くなりましたが、ご容赦ください
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<<期日:3月21日~23日>
<牡鹿半島小渕浜>
三陸の春わかめの収穫ボランティア、小渕浜には40数軒のわかめ養殖業者が有り
毎日、朝の4時ごろから海に出て2~3mに成長したわかめを収穫している
小渕浜漁港
前日は一日中強い風と雨、そして前々日も雨、この日は久しぶりの収穫で
朝7時半ごろ港に着いたときには、浜全体が活況に満ちていた
浜で最初の作業
元茎から切り取ったワカメの葉は、雨に降られると品質が落ちるため
その場で、ボイラーで沸かした湯の槽にワカメを流すように入れ湯通しをする
芽株(めかぶ)の荷揚げ
芽株の受け入れ(作業場)
芽株は花のようなもの、放出した胞子を種糸に付着させワカメを養殖する
芽株の作業
フォークのような冶具で、元茎から芽株を切り離す作業を担当
コンビを組んだ(会が行先を割り当てる)女性の手元を撮影させて貰った
私の作業
会の人が撮影した写真をスキャンニング、右はコンビの女性です
参加した24名は2~3名に分かれ、割り当てられた養殖業者で作業を行う
わかめの塩もみ(2016)
わかめを布袋に入れ、ミキサーで撹拌しながら塩もみをする
(2016)は2年前のボランティア、今回は写真が少ないので転用しました
茎わかめを解す(2016)
塩もみをしたワカメは絡み合っているので一株ずつ根気よく解す
茎わかめを切り取る)(2016)
わかめの葉体に茎を少し残した状態で切り取る、同時にワカメの先端も切る
茎わかめ(2016)
塩蔵わかめ
塩蔵わかめとは、ワカメを一年中楽しめるよう、旬の時期のワカメを湯通しし
塩もみをして保存する方法、乾燥ワカメと違い生に近い食感を味わえる
塩蔵ワカメを土産に頂き民宿へ
1業1日目は荒天のため塩蔵ワカメの箱詰め、2日目は芽株の切り取り作業でした
生わかめ
生わかめの「しゃぶしゃぶ」は実に旨い
茎わかめと一緒に10kgほど自宅に送っていただき、老人会の知人にも配分した
民宿めぐろからの眺め
前方の黒い建物は、前回(2016年)宿泊した民宿なごみ荘です
1泊目の夕食前
2泊目は地元の漁業長など有志4名を招待して一緒に会食
料理が美味しい民宿でした(私は乾杯を担当・後列の右端)
民宿の前(帰る日)
高台に完成した民家(車窓撮影)
サクラの苗木を贈る計画が有るが、牡鹿半島には鹿が多く樹皮を食べると言う
<女川町復興と被害>
港からJR女川駅(正面の三角屋根の建物)に続くプロムナード
土産物を買いに立ち寄ったが、その時の写真は省略します
倒壊した交番
保存するのでしょうか、整地中のエリアに残されていた
女川町地域医療センタ
高台に建つ病院を車窓撮影、記事は続きます
病院の駐車場
女川町を襲った津波は14.8m、しかし病院の1階天井付近まで津波が有り
避難して来た多くの人も、車と共に津波にのまれ亡くなったと言う
市街地より高い高台
この病院を襲った津波の高さは20m以上だったと聞く
商店、飲食店が軒を並べ賑わった町
女川中学校卒業生の碑
大震災で亡くなった人と行方不明者は女川町人口の8.4%、 839名でした
女川町卸売市場
復興した卸売市場の4階から撮影、昼食は美味しい弁当でした
サンマの水揚げはトップクラス、宮城サーモンの名で銀鮭を養殖しGI登録を受けている
女川魚市場 東日本大震災復興記念植樹
東京都立川市、牡鹿半島を支援する会(平成30年3月吉日)
椿の木を植樹
長い記事(写真31枚)になりましたが、ご覧いただき有難うございました
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