令和4年初詣<田無神社> [東京を歩く]
令和4年初詣(2)
<田無神社>
鎌倉時代初期の天応年間(1288年~1293年)の創建と伝わっている
当初は田無北部の谷戸の宮山に鎮座し、尉殿大権現と呼ばれ龍神を主祭神としていた
江戸時代初期、徳川家康が青梅街道を開いた際、谷戸の住人がこの地に移り住み
田無は街道の宿場町になり、尉殿大権現の本宮を宮山から田無に遷された
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<撮影日:1月8日>
田無神社一之鳥居
明治5年(1872年)、熊野神社、八幡神社を合祀し田無神社に改め、同時に
主祭神に大国主命、須佐之男命、そして猿田彦命、日本武尊命などを合祀した
拝殿に並ぶ参拝者
参拝者は少くないだろうと思い、この日を選んだが土曜日のため人出が多い
二之鳥居
東日本大震災の被害を受け倒壊したが、その後再建された
花手水
コロナ禍のため手水は花の水盤になっていた、中央に白い龍が有る
田無神社拝殿
約15分ほど並び本殿に参拝、続いて境内社、五龍神を巡る
拝殿の彫刻
江戸時代の彫刻師「嶋村俊表」の作品と言う
破魔矢の授与
窓口が手狭のためなのか、破魔矢は境内で選び授与所に持参し購入する
境内社 稲荷神社
煩大人神社(左)、塩竃神社(右)
煩大人神社・わずらいうし神社と読むようだが珍しい、除災の神様
恵比寿神、大黒神
田無神社五龍神
田無北部の谷戸に龍神(尉殿大権現)を祀ったのが始まり、谷戸とは丘陵の裾から
清水が湧き出る場所、水の少ないこの地に龍神を祀ったのは頷ける
田無神社拝殿、境内社などに参拝した後、五龍神を巡る、金龍伸は本殿に鎮座
赤龍神
白龍神
黒龍神
青龍神
撫 龍
龍の頭と玉を手の平で撫で願い事をする
撫でた場所の色が黒くなっている
花手水
大横綱大鵬の碑
碑の前に奉納した土俵が設けられていたが、写真を撮らず
新青梅街道
田無神社は、新青梅街道と旧青梅街道が分岐する交通の要所です
次回は、立川の愉快なキャラクターを紹介します
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