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三陸海岸を訪ねる(6)<気仙沼~南三陸> [みちのくの旅]

三陸海岸を訪ねる(6)

<気仙沼~南三陸~松島>

当初、被災地に訪れることに迷いを感じ、また記事を綴ることにも躊躇したが

被災地の語り部さんなど、現地の人たちは声を揃え 『また来てください』という

被災地のことを忘れないでとの願いが伝わってくる、私たちは見聞きしたことを

何かの形で情報発信することが、復興への石杖の一つになると強く感じた

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気仙沼湾岩井崎 

ツアー会社の工程には 『復興のシンボル「昇り龍」を見物』 と記載

予備知識もなく、案内されたところは気仙沼湾の岩井崎

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昇り龍の正体

津波で折れた松の木に、枝が重なり龍の形になっている

ガイドさんは子供だましと言われそうだと心配していたが、皆さんは素直に納得

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 潮吹き岩

しばらく待つとこの写真が撮れた、ツアー仲間は知らずに引き返した

昇り龍と潮吹き岩、私は弁慶さんの記事を思い出した

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破壊された民宿

ここには海水浴場として賑わったところ、再開の動きが有ると言う

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水難事故遭難者慰霊塔

ガイドさんは、津波で倒れた墓石を積み重ねていると言っていた(白丸)

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無残な線路

気仙沼から南三陸へ、バスの車窓に見える景色は倒壊した鉄道線路 

JR気仙沼駅から陸前横山駅までの18駅(約50km)は今も不通

BRT(バス高速輸送システム)が運行しているそうだ

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高架線路が倒壊、解体工事をしているので有ろうか

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高架線路の形状から判断すると駅舎が有ったように見える

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迷った末にアップした写真です

防災無線で 『逃げてください』と、最後まで呼び続けた南三陸町の女性職員は

骨組みだけが残ったこの建物に勤務、無線を聞き救われた多くの人々には

永遠にその声が聞こえる事であろう、女性の手には婚約指輪が残っていたと言う

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南三陸・ホテル観洋

陸中海岸最大級の規模を誇る、五つ星の宿

志津川湾の入口に位置する、この大きなホテルは津波の被害を免れた

電気、水道がままならぬなか最大600名の被災者を半年間受け入れた

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津波は、奥に見える南三陸町に押し寄せ壊滅的な被害を与えたが

無事に残ったリゾートホテル、その明暗に言葉がない

観洋では「語り部ツアー」を実施し、宿泊客を被災地に案内しているそうだ

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私たちが宿泊した日、別の団体はコンパニオンを呼び宴会

観洋は地元の海産物などを宿泊客に提供、雇用にも貢献しているであろうが

犠牲になった多くの人を思うと気分は複雑、コンパニオンも地域の雇用か?

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ホタテの養殖であろうか早朝から働く人がいた

震災の翌日は、何事もなかったように美しい朝日が水平線から昇ったと言う

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女性従業員が見送る手には・・『またおこしくださいませ』の文字

被災地を忘れずに、何度も足を運ぶ訪ねることがお手伝いになると感じた

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松島海岸へ

水門も役割を果たせなかった巨大津波

他にも車窓から撮った写真は有るが割愛します

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石巻赤十字病院 (三陸自動車道から撮影)

災害拠点病院として、多くの救急患者が運び込まれロビーや廊下は超満員

震災2日後には、1日1251人の急患が運び込まれたと言う

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松島海岸の福浦島

岩手県の面積は四国4県に匹敵、三陸海岸の距離は長い

盛岡から松島海岸まで約300kmを走行し松島に着く

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三陸海岸の被災地の現状を6回綴ってきたが

3・11の大震災の被災地域は、宮城県南部、福島県、茨城県へ延々と続く

改めて津波の脅威と被災地域の広さを実感した三陸海岸の旅であった

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次回は、三陸海岸を訪ねる(7)<松島海岸~塩釜>を紹介します

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三陸海岸を訪ねる(5)<陸前高田市> [みちのくの旅]

三陸海岸を訪ねる(5)

<陸前高田市>

 東日本大震災で被害の大きかった陸前高田、中でも貴重な遺産であった

7万本の松原は根こそぎ倒された、その松を京都五山の送り火にとの願いは

心無い市民グループの猛反対で中止、絆と言う言葉に大きな虚しさを覚えた

東北の復興はようやく緒に就いたばかり、一日も早い復興達成を願いたい

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陸前高田を巡る

 大船渡から陸前高田のガイドさんにバトンタッチ

同じ大震災を受けた被災地同士を結ぶ絆、阪神大震災の被災地・神戸で

復興への願いの象徴になってきた、「希望の灯り」から分灯を受けたガス灯が

陸前高田市の町を見渡せる高台「気仙大工左官伝承館」設置されていた

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犠牲者(1600人)、行方不明(200人)、消防団員も51名亡くなっている

震災後、消防団に20分ルールができ、20分後は避難を優先すると言う

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残されたマンション

赤い線の位置まで津波が到達、5階と1階~4階の窓を見比べてください

大津波は、気仙川の上流に向かって8kmも遡上したという

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道の駅高田松原

解体をしていない建物を見ると、再建されるように思える

品種、品揃えも充実した物産館で観光協会もこの中に有ったそうだ

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津波の高さは、3階建てのビルの更に上(約20mほど?)

ビルの所有者が解体をせず保存するという、バスの車窓撮影で画像が悪い

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三陸鉄道の線路跡

BRT(バス高速輸送システム)の車道になっている

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見渡す限りこの眺め

かつては、住宅、商店、ビルなどが建ち並んでいたと言う

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大船渡市役所が有った場所

ガイドさんの説明では、市役所の職員は逃げ遅れ多くの人が亡くなったが

近くのスーパーでは全員が安全な場所に避難し無事、明暗を分けた

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コンクリートを破砕し鉄材と分類している

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分類された鉄くずの山

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大震災追悼施設・・合掌

全員がバス車内で黙とう、世話をする人の姿が見える

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『鎮魂花』・・でしょうか

被災地の跡には延々とシロツメクサ(白詰草)が群生

犠牲に遭われた多くの人たちを慰める鎮魂花(鎮魂歌)のように思えた

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黄色の花は種を撒いたのであろうか

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陸前高田物産センター

車の車体に搭載された物産館、被災地の復興を願わずにはおられない

妻は早速買い物、後ろに綺麗なトイレも併設されていた

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買ったのはまたも海産物

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一本松クッキーを買い自宅に帰り頂いた

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奇跡の一本松

陸前高田のシンボルは、日本百景にも数えられる白砂青松の高田松原

樹齢300年を超える松が約7万本もあったが、ことごとく流された

かろうじて残った一本松も、地盤沈下で根元に海水が浸入し枯渇した

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工事中で近寄れず気仙川の対岸から見る 

ガイドさんは一本松の復元費用に1.5億円、仮設住宅なら2100戸建つと言う

ここには一本松を復興のシンボルにした広い公園に生まれ変わるそうだ

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気仙沼中学校(気仙川の川沿い)

校舎は損壊し他の場所に移転、ここも復興公園に組み入れられる

震災当日、約200名の生徒は写真左手の山に逃れ全員無事で有った

この中学校のサッカーボールがアメリカ西海岸で発見されたと言う

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陸前高田の語り部(ガイド)さん

最後に私たち全員に握手を求め、また来てくださいと声をかけていた

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瓦礫処理がほぼ終わり、これからが復興の本番 

住宅高台移転、跡地買収、護岸工事、地元企業再建、企業誘致、雇用確保など

解決すべき問題が山積しハードルは高いが、早期の復興を心から願う

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次回は、三陸海岸を巡る(5)<気仙沼~南三陸>を紹介します

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三陸海岸を訪ねる(4)<山田町~大船渡> [みちのくの旅]

三陸海岸を訪ねる(4)

<山田町~大船渡>

東日本大震災の被災地は、興味本位や物見遊山では決して行けない場所

かと言って目を背ける事は許されない、この記事では陸中山田町と大船渡市を

続いて陸前高田、気仙沼、南三陸など被害の大きい地域の記事を綴ります

瓦礫処理は進み、目を覆いたくなる惨状は回復、これからが復興本番であろう

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陸中山田町

山田町は三陸海岸のほぼ中央、海の十和田湖とも称され波は穏やかで

自然環境に恵まれたところ、湾内では牡蠣、ホタテの養殖が行われている

しかし、このような豊かで美しい山田湾にも大津波が容赦なく襲った

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山田湾とオランダ島

破壊された護岸、その奥に見えるのはオランダ島、1643年に

オランダ船「ブレスケンス号」が食糧と水を求め碇を下ろしたのが名の由来

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基礎のみが残された建物跡

破壊された建物はすべて解体撤去され、瓦礫の処理も済ませているようだ

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左の川を中心にして津波が駆け上がったのであろうか

前方に見えるのはJR山田線、被災地は広い

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途中、道の駅「ふれあいパーク山田」に立ち寄り

ここでも買い物と休憩タイム

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このようなシャツを売っていたが、妻が買ったのは海産物でした

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再び走り始めたバスの車窓に、突如現れたくず鉄の山

隣の席の男性は、あっと驚き口に手を当てていた

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骨組みのみが残された建物、再建するときに使用可能か?

形や駐車場の場所から、コンビニエンスストアであったと思われる

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鉄の街「釜石」を通過

かつて新日鉄釜石製鉄所の城下町であった釜石市、高炉、転炉を停止

今は新日鉄住金と名を変え線材を製造、蒸気を上げ稼動中の工場が有った

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大船渡市

高台の食堂で昼食、1階はスーパー、土産物売り場

大船渡市の人口は約4万人、自然が豊かで風光明媚な街である

ここから、現地ガイドさんがバスに乗車し大船渡の被災地を案内

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前方は大船渡漁港、盛んに再建工事が行われているように見える

坂の下の大船渡小学校は高台で全員無事、休んでいた児童が大津波に遭った

また心配し車で迎えに来た家族は、渋滞に巻き込まれ車ごと流されたと言う

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破損した護岸には小型漁船が数艘

大きな船(奥)が碇を下ろし出港する船も有る、活況を取り戻しつつ有るようだ

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流され跡形がない 「JR大船渡駅」

BRT(バス高速輸送システム)が運行され、その停留所になっている

元の駅前では、到着するバスを待っているのかタクシーが待機

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営業再開した大船渡プラザホテル

NHK大河ドラマ「竜馬伝」は、大船渡で「多度津の海」のシーンを撮影

福山雅治さんが通っていた食堂の夫妻は避難し無事であった

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 サン・アンドレス公園

1611年、スペインの使節として来日したセバスチャン・ビスアイが伊達政宗の

許可を得て聖アンドレスの祭日に大船渡港へ入港した事を記念した公園

倒壊した記念オブジェの説明を受ける、中央で身体を傾けているのは妻です 

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子午線を模した記念オブジェと石碑

リング状のオブジェが海側に倒壊、津波は引き潮の方が破壊力が強いと言う

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被災した跡地にハマナスが咲いていた

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アカツメクサ(白詰草)、シロツメクサ(赤詰草)

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鎮魂愛の鐘

大船渡ロータリークラブが国内外の協力を経て設置した鐘

大地震が発生した午後2時46分になると、自動的に鐘が鳴ると言う

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19点のうち11点が車窓で撮っ写真です

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次回は、三陸海岸を訪ねる(5)<陸前高田市>を紹介します

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三陸海岸を訪ねる(3)<浄土ヶ浜> [みちのくの旅]

三陸海岸を訪ねる(3)

<浄土ヶ浜>

旅の2日目は、大船渡・越前高田、気仙沼、南三陸など被災地を巡り一路南下

その途中、陸中海岸国立公園の代表的な景勝地である浄土ヶ浜の観光へ

朝9時30分発の遊覧船に乗船する予定で岩泉町のホテルを出発したが

この日も濃霧で中止になる可能性も有ったが、現地に着く幸い運航していた

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陸中海岸 

浄土ヶ浜遊覧船

陸中海岸の景勝地、国の天然記念物を観賞しながら約40分のクルージング

大津波が押し寄せたとき、船長たちは命がけでこの船を守ったと言う

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乗客(20名)が下船と同時に大地震が発生、船長たちは船外で休息していたが

大津波情報を受け再びこの船を沖に向けた、その時湾内は渦を巻いていたという

船長たち3人は警報解除まで沖で延々と待機、ウミネコのエサで空腹を凌いだ

乗客はバスで高台に逃れ全員無事、この地域は「震度4」であったと言う

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 陸中海岸の景観

島の名は聞き忘れたが、海霧で霞んだ眺めは墨絵のようで美しい

晴れた日を望んでいたが、やせ我慢ではないがこのような景色も良い

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ローソク岩、高さは40mもある

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ウミネコが集う岩

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倒壊した護岸が続く

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テトラポット、破損した防波堤の応急処置と思われる

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船を追うウミネコ

船員がウミネコのエサを売りに来たので購入し、エサを与える

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セーラー服の女性船員さん

航行中、見どころの説明や震災当日の船の避難を語っていた

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浄土ヶ浜

霧のため見通しが悪いが、鋭く尖った白い岩肌、そして島を覆う松の木

陸中海岸国立公園に代表的な景観と呼ぶに相応しい眺めである

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人がいる場所にウミネコが集まってくる

島巡りの小型ボートはここから発着するようだ

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ボート乗り場から奥浄土ヶ浜へ

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浄土ヶ浜の景観

浄土ヶ浜の地名は天和年間(1681~1684)宮古山常安寺七世の霊鏡竜湖が

「さながら極楽浄土のごとし」と感嘆しした事から名付けられたと言われている

大津波は島を乗り越え白浜を襲ったが、この景観は無事に残った

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浄土ヶ浜レストハウスの津波浸水ライン

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津波の高さは赤い丸の位置です

レストハウスは建設途中に津波に遭ったが、震災後に完成した

妻はレストハウス内で買い物、テラスで写真を撮ればよかったが気がつかず

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津波で流されなかった「宮沢賢治の碑」

「うるわしの 海のビロード昆布らは 寂光のはまに 敷かれひかりぬ」

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バスの車窓から山藤を何度も見かけたが

ここでも藤が花を咲かせていた、津波はこれより高い位置で有った

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 元勤務先のOBと札幌へ旅行中です、皆様のブログには帰り次第訪問いたします

次回は、明治神宮<御苑の花菖蒲>を紹介します

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三陸海岸を訪ねる(2)<北山崎~岩泉> [みちのくの旅]

三陸海岸を訪ねる(2)

<北山崎~岩泉町>

ツアー旅行は天気のを選べないのが欠点、例え雨が降っても催行される

2年前の「伊勢志摩~南紀熊野~高野山旅行」は直前の集中豪雨で中止になった

今回は1週間前の予報は好天気であったが、出発2日前に急変し晴れた日は無し

3日間共に雲に覆われ撮った写真は暗いが、観光目的ではないので了とした

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北山崎園地

陸中海岸国立公園(1955年5月国立公園に指定)

断崖絶壁が続く東日本の国立公園では唯一の本格的な海岸公園である

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ここは「やませ」と言われる強風や濃霧が海上に発生しやすいところ

雲のような霧が断崖の麓の海面を覆うときが有ると言う

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 展望台から見た景観

この日も濃霧が発生し、眼下の断崖絶壁を望むことができない

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墨絵のような景色を一つ

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諦めてガイドさんと共に土産物売り場へ

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レストハウスにて

大震災の前後の島越駅(女性が持つ写真)の説明を受ける

メルヘンチックな駅舎と高架橋駅は、大津波に破壊され跡形もない

今回のツアーは旅行代金に、三陸鉄道島越駅の義捐金が含まれている

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支援記念証

宮沢賢治の童話から名付けられた「カルボナード島越駅」

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そして、海岸の石を頂いた

島越駅は北山崎の最寄り駅、駅から100m先は海水浴場がある

北山崎巡りの観光船はここから発着していた

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よぐ来てけだごどう!!・・どっから来たべえ? 

北山崎に訪れた人たちが残していった・・シールです

神奈川、東京、埼玉、千葉は貼る場所がなくなり下に別枠を設けていた

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土産物売り場では妻が買い物

妻は行く先々でその土地の名産を購入、買い物が自分の務めてと思っていた

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 岩泉町のホテルへ

北山崎の展望台より海岸線に下りるとこの景色

美しい眺めですが、よく見ると護岸工事(白丸)をしていた

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破壊された堤防

堤防の内側は雑草が茂る原っぱに見えるが、震災前は何があったのか?

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海辺のホテル「羅賀荘」 営業を再開している

ガイドさんの説明では、ホテルの3階まで津波が来たそうだ

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ドキッ!!・・三陸鉄道の車両?

一瞬そのように思ったが、水門の上に車両のモニュメント

周囲には津波の爪痕が残っているが、上流の田野畑駅は被害は少ない

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ホテル龍泉洞愛山(2日目の朝)

地底湖で知られる龍泉洞がある岩泉町、ホテルから龍泉洞は近いが

今回のツアーには入っていない、従業員のサービスに好印象を受けた

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 次回は、三陸海岸を訪ねる(3)<景勝地 浄土ヶ浜>を紹介します

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三陸海岸を訪ねる(1)<三陸鉄道 久慈~普代> [みちのくの旅]

三陸海岸を訪ねる(1)

<三陸鉄道 久慈~普代>

 以前から一度行きたいと願いながら実現できなかった三陸海岸の景勝地

2011年3月11日、想像を絶する大津波により壊滅的な被害を受けたこの地を

観光目的で巡る事にはためらいが有り、旅行の計画を中断していたが

大震災後2年3ヶ月を経過、今の姿を目に納めたくなりツアー旅行に参加した

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盛岡駅~久慈駅 

はやて103号(東京駅7時56分発)に乗車し、盛岡駅着は11時4分

盛岡駅西口で迎えの観光バスに乗車し2泊3日の旅をスタート

ハンキングバスケットに寄せ植えした花が歓迎、市内各所にも有った

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国道4号線をひたすら北上

車窓から見た岩手山(2038m)は少し雪が残っていた

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国道281号線を西へ

目的の久慈駅に近づくと新緑が美しい、北東北は若葉の季節である

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三陸鉄道北リアス線

盛岡駅から久慈駅まで約110km、3時間40分で久慈駅に到着

途中、酒蔵見学や買い物などを挟んだとは言え長い距離であった

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久慈駅は、NHK朝ドラ「あまちゃん」のロケ地

ドラマでは駅名が「北三陸駅」の設定になっているそうだ

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久慈は琥珀の名産地

土産物店を覗く時間もなく電車が待つホームへ

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久慈駅の愛称は「琥珀王国久慈駅」だと言う

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記念乗車証明書

赤い線の駅間は未開通、右端の久慈から6駅目の普代駅まで乗車です

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陸中海岸に近づくと防波堤が破壊された箇所があった

架設電柱が並び侘しい眺めである

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左右の架設建物の中では瓦礫処理か?、堤防は補修中(白)のようだ

左には「がんばっぴゃー野田」と、この地の方言で大きく表記

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最後尾の車両から見た線路

線路は土盛りをしコンクリートで補強、右奥の白い建物は上の写真と同じです

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堀内駅に約6分サービス停車、あまちゃんのロケ地になったと言う

下は普代村漁協の水産物さばき所、普代村漁港は壊滅的な被害を受けたが

右手の小さな半島が津波の勢いを弱めたのか、ここは被害が少ないようだ

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普代駅に到着、久慈駅からの路線距離は26km、所要時間45分でした 

愛称は「はまゆり咲く普代」、これからが花の時期と思うが

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駅前は広く駅舎も立派

三陸鉄道に乗車中、観光バスは普代駅まで回送し待機していた

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駅の待合室に貼りだされた普代村漁港の写真

ゆっくり見ている時間がなく、バス発車直前に急いで撮影する

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「普代村の奇跡」と称えられている

約3000人の村民は1人の犠牲者もなく、船を見に行った1人のみが行方不明

明治、昭和の大津波で多くの人々が犠牲になった事が活かされている

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戦後(昭和45年、59年)に、当時の村長が過去の大津波(15m)を教訓に

15,5mの防潮堤と水門を建造、外側にあった水産加工場などは壊滅したが

住宅地域は防潮堤と水門が津波を押し返し浸水程度で有ったと言う

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バスは北山崎へ、途中通過した普代漁港には小型漁船を係留

護岸は修復工事をしていたが、この景観はホッとする眺めである

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私の夏風邪に対し多くの皆様からお見舞いを頂き有難うございました

気管が弱い体質で咳と痰に悩まされましたが、お陰さまで回復に向かっています

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次回は、三陸海岸を訪ねる(2)<北山崎>を紹介します

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がんばろう福島 応援紀行⑤<会津鶴ケ城&農産物直売所> [みちのくの旅]

がんばろう福島 応援紀行(5)

<会津鶴ケ城&農産物直売所>

今回の、裏磐梯、会津旅行のもう一つの目的は、福島県の農産物購入

風評被害にあえぐこの地域に、僅かばかりでも支援になればと願い

会津地方で収穫した新米など農産物を求めJA直売所へ

その前に少し寄り道をし、赤瓦に葺き替えを終えた鶴ケ城を見に行った

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会津鉄道

<車両の歓迎文>

 カラフルな車両のボディーには、元気な会津をアッピール

この後、タクシーを利用して鶴ケ城へ、そして会津物産の買物へ

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<あいづっこ宣言>

会津魂が感じられる看板、途中駅のホームにかけられていた

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<車窓の景観>

電車は、眺めが良い大内川の鉄橋上でサービス停車

(左):上流側 (右):下流側  車内の蛍光灯が写りこんでいる

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<芦ノ牧温泉駅>

「猫の駅長」がいる駅と聞き、車内から探したがこの日は休みのようだ

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会津鶴ケ城

 <帯郭から天守閣>

多くの戦国大名が治めた鶴ケ城、戊辰戦争後の明治7年に取り壊されたが

昭和40年に、幕末の姿で有った5層の天守閣を復元

そして、今年3月に赤瓦に葺き替えを終え、元の鶴ケ城に生まれ変わった

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<本丸から天守閣>

ドライバーさんの説明では、黒瓦を使用していたが寒さでしみて割れるため

寒さに強い赤瓦を変えていた、今回の葺き替えで往時の姿に再現された

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天守閣内は博物館になっているが、今回は時間不足で見学せず

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<鉄門(くろがね門)>

帯郭から本丸に通じる門で、正式名は表門

柱、扉はすべて鉄で覆われているので、この名が付いた

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<旧表門跡>

旧表門は残っていないが石垣が見事、前方に見えるのは帯郭

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<本丸庭園>

右奥に、千家ゆかりの茶室「麟閣」があったが、ここも時間不足

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<帯郭の桜>

本丸への敵の侵入を防ぐために設けられた帯郭

日本の桜百選に選ばれている、諦めていた桜の紅葉を見ることができた

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<歴代城主の家紋>

地勢的にも重要な位置にあった会津鶴ケ城

伊達家、蒲生家、上杉家など、有力な戦国大名の居城になっていた

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農産物直売「まんま~じゃ」 

<農産物の購入>

会津若松のHPを調べたが、農産物の直売所が分からない

観光センターに問い合わせをし、紹介されたのが 「まんま~じゃ」

ここはJA会津の直売所、タクシーに待って貰い買物をした

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<店内スナップ>

 農家から持ち込まれた、とれたての野菜や果物が所狭しと並んでいた

妻は持ち運べる限度量の野菜を購入、私も運搬人としてひと役果たした

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<今摺り米>

お目当ては福島産の新米の購入、コシヒカリ、ササニシキの2種類を選んだ

玄米を精米機でつき宅急便で自宅に発送手配、妻は安いと言っていた

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<みしらず柿>

会津は身不知柿の産地、積み上げて販売をしていたので一箱購入

渋柿のため焼酎で渋抜きをしている、開封日は右の箱に書かれた11月3日

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開封すると、会津若松市長の挨拶文が入っていた

毎年、皇室にも献上している程の上質な柿、毎朝美味しく戴いている

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宮古市の「がれき受け入れ」について

東京都が岩手県宮古市のがれき受け入れを決めたに対し、驚くほど多くの苦情が寄せられているという

地図で調べると、福島第1原発は東京都と宮古市のほぼ中間に位置し、むしろ東京の方が近い

海から吹く風は内陸の山に遮られ左方向の回り、そして関東、東京方面に流れる事も多いと聞いた

十分な安全検査をした上でも、尚このような苦情が集中するのは一体どうした事であろうか?

大震災で被災した東北3県を一括(ひとくくり)にして、汚染地域と考えているように思えてならない

東北の人たち、そして宮古市の人たちの、やり場のない心情を思い心を痛めている人も多いであろう

がんばろう日本!、がんばろう東北!、がんばろう福島!、日本人は強い絆で結ばれている事を信じたい!

政権政党の無為無策、マスメディアの報道姿勢について、注文はあるがここでは差し控えたい

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次回は、奥多摩「御岳渓谷散策記」を紹介します

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がんばろう福島 応援紀行④<茅葺きの湯野上温泉駅> [みちのくの旅]

がんばろう福島 応援紀行(4)

<湯野上温泉駅>

 茅葺き屋根の駅舎で知られた会津鉄道の駅は、テレビの旅番組でも紹介され

 観光客も多く立ち寄るようになったが、湯野上温泉はあまり知られていない

数年前、大内宿、 塔のへつりに行った時、駅前の宿で日帰り入浴をしたが

その時の泉質の良さが忘れられず、今回の旅ではこの温泉に宿をとった

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朝の湯野上温泉

 <渓谷に建つ旅館>

大内川の渓谷に建つ、12室だけの離れ風の温泉宿「藤龍館」

源泉掛け流しの温泉は肌に優しい、全室の内風呂も掛け流しになっていた

渓谷に面した露天風呂は岩で仕切られているが、女性には少し勇気がいる

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前日、裏磐梯から着いたのは、夕暮れ迫る午後5時で景色は見えず

翌朝部屋から外を見ると、朝霧が流れ移り変わる景色が美しい

花鳥華やかな風月の宿「藤龍館」 HPは ⇒ http://touryukan.com/

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 朝霧も晴れた朝9時、車での送りを辞退し景色を眺めながら駅まで散歩

フロントの若い女性に見送られ、湯野上温泉駅へ、そして大内宿に向かった

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山間の旅館とは思えないほど、従業員の応対とサービスが良い旅館でした

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旅館から・・ぶらり散歩 

<湯野上橋から上流>

大内川の渓谷、紅葉した遠方の山、秋らしい美しい眺めでした

渓谷の奥に見える石柱、妻はお地蔵様が並んでいる姿に見えると言う

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(左):上の写真をズームアップすると地蔵尊に似て見える(左側の矢印)

(右):説明板には「夫婦岩」、見事に裂けたように見えるが(右の矢印)

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<会津鉄道の線路>

線路の奥には、湯野上温泉駅の駅舎とホームが見える

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湯野上温泉駅

  <茅葺き屋根の駅>

国鉄民営化後、第3セクターの新会社「会津鉄道」になった昭和62年12月

日本で唯一の茅葺き屋根の駅舎として建設された

今では観光客に人気の高い駅舎として、撮影に訪れる人が多い

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<駅舎と車両>

駅の改札を通り抜けると、会津若松に向かう車両が停車していた

線路内の踏切を渡り、向かい側のホームに移動する

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電車が通過する線路に下り、駅舎と発車した車両を一緒に撮影

田舎の駅だからこそ、許される撮影ポイントです

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駅舎の奥に見える赤茶けた木は染井吉野

この桜が咲くころには、多くのカメラマンが撮影に来るそうだ

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この写真を撮った後、予約していたシャトルバスで大内宿に向かった

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以下の記事は、前記事で紹介した大内宿から戻った後の写真です

<囲炉裏のある駅舎>

お茶をご自由にどうぞ!  大内宿で求めた「とちもち」で軽めの軽食

囲炉裏の煙の助けもあったのか、窓から射し込む日光が鮮やかに見えた

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囲炉裏の火を絶やさないように、女性の駅員さんが火の番をしていた

茅葺き屋根の虫除けになっているそうだ

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(左):ホームの駅名板  (右):掛け流しの温泉(駅舎の内外に2か所)

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<会津若松へ>

女性の駅員さんに見送られ、次の目的の会津若松へ

乗車券発売、甘酒販売、改札業務、火の番などを担当、お世話になりました

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会津若松に向かう、カラフルな車両

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渓谷に架かる鉄橋を渡り会津若松へ

シャトルバスの車窓から撮影、後ろの窓が写っています

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この記事の最初に紹介した温泉旅館「藤龍館」、お客さんの送迎に山を越え

東北新幹線の新白河駅まで約1時間も掛けて送り迎えしてくれる

会津へ、雪の大内宿へ、そして湯野上温泉に、もう一度旅をしたくなった

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次回は、がんばろう福島応援紀行(終章)、会津若松を紹介します

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がんばろう福島 応援紀行③<会津 大内宿> [みちのくの旅]

がんばろう福島 応援紀行(3)

<会津・大内宿>

大内宿は江戸時代の面影を今に残す山間の集落、百数十年前もの昔に

タイムスリップした錯覚さえする、日本の原風景が残された宿場町

今では会津の観光スポット、昨年は100万人を越える観光客が訪れたが

福島第1原発の事故の影響を受けた今年は、果たしてどうであったろうか

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会津西街道

会津若松と日光今市を結ぶ、会津藩から隣の藩に通じる五街道のひとつ

会津藩初代藩主「保科正之」などが参勤交代の時に大内宿を利用

豊臣秀吉、伊達正宗、直江兼続など多くの歴史上の人物も往来したという

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大内宿の景観

街道の両側に並ぶ、茅葺き屋根の宿、土産物屋、蕎麦屋

この通りは南北に約450m続き、約45軒の家が軒を連ねている

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以前は、アスファルト舗装をしていた時期も有ったそうだが

今は、昔のように踏み固められた砂利道に復元させ景観を保っている

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何時の時代に造られたのか、火の見櫓があった

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路傍の両側には用水路が流れ風情を添えている

町並みの特徴は、独立した寄せ棟平屋造りで茅葺き屋根になっている

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 大内宿町並み保存館

戊辰戦争の戦禍で焼失した跡地に復元された大内宿本陣跡

会津藩藩主の参勤交代では、総人数が600人にもなり賑わったそうだ

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(左):囲炉裏の煙を抜く小屋根、火事除けなのか「水」の字が見える

(右):本陣裏の屋根には草木が茂っていた!、ここでは協力して葺きかえるそうだ

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浄土宗寺院 「正法寺」

大内宿を見降ろす高台に建つ正法寺

この石段を登った子安観音堂前からの眺めは、大内宿随一の展望スポット

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(左):正法寺   (右):子安観音堂

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大内宿の代表的な景観

大内宿の全景、国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されている

朝の10時半、観光客の姿は増えてきたが、以前来た時よりも少なく思える

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 宿場の裏通り

上の写真を見て気が付くのは、電柱、電線がなく景観を守られている

裏通りに回ると、民宿(左)が並び、電柱が設けられていた

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大内宿の名物・・ねぎそば

ねぎを箸がわりにして、蕎麦と一緒に食べるそうだ

旅館で朝食をとってから間もない、私は用水で冷やしたラムネで喉を潤した

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軒先を飾る土産物

大内宿の各家では、長男が後を継ぎ家族構成が守られていると聞いた

そのため、お嫁さんなのか、店番は若い女性が多いように見受けられた

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雪が深いこの地方、冬季の開店状態を聞いて見ると

若い人が頑張っている店は営業するそうだが、それでも全体の1/3という

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用水路にて

 (左):大人しい犬、度々名を聞かれるので「私の名前は・きら」と書いてあった

(右):長い柄杓で用水路の水を蒔くおじさん

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お婆ちゃんの日向ぼっこ

ここ大内宿だからこそ、見れる絵になる眺めですね

モンペ姿に麦わら帽子、履物は今風の靴・・・話の内容は?? 

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宿場の外にて

帰りのシャトルバスを待つ間に撮った街道の風景、のどかな山里です

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レトロなシャトルバス

シャトルバス「猿遊号」が、湯野上温泉駅と大内宿の間を1日に5往復

公共の乗り物を利用する私には有り難い、右は車窓から撮った景色です

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秋は一年で最も賑わう観光シーズン、例年の状態には戻っていないというが

長い歴史を歩んできた大内宿、何事にも負けない力強さで頑張って欲しい

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次回は、がんばろう福島応援紀行「湯野上温泉駅」を紹介します

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がんばろう福島 応援紀行②<裏磐梯の湖沼群> [みちのくの旅]

 がんばろう福島 応援紀行(2)

  <裏磐梯の湖沼群>

明治21年(1888)の水蒸気爆発により小磐梯が崩壊し切り立った崖に

岩肌が露出した爆裂火口が出現、その時の大規模な山体の崩壊によって

多くの川がせき止められ、桧原湖や五色沼などの湖沼群が誕生した

ドライバーさんの説明では、裏磐梯には湖沼が300ヵ所もあるそうだ

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レンゲ沼

目指す先は、事前にチェックしておいた中津川渓谷などの紅葉名所

先ずは道路沿いにあるレンゲ沼から、後ろの森を通り抜け中瀬沼に向かった

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湿地帯の木道を抜け、そして森の中の遊歩道を10分ほど歩くと中瀬沼

所々に「熊出没注意」の看板、ドライバーさんは通学路でも目撃したそうだ

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遊歩道で見た・・・紅葉樹と黄葉樹

A11.10.27-31  中瀬沼21 bb.jpg   A11.10.27-31  中瀬沼22 bb.jpg

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中 瀬 沼

 展望台から、雄大な磐梯山と中瀬沼を一望できる景勝地

紅葉シーズンはカメラマンの撮影スポットだが、樹木は葉を落としていた

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落葉は、五色沼より標高が高く、また台風15号の影響が有ったのか?

少し幻想的で神秘的な佇まいの中瀬沼、もう一度見に来たくなる沼でした

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曲 沢 沼

周囲を山に囲まれた静かな湖沼、シーズンになると沼に写る紅葉を撮りに

多くのカメラマンが押し寄せる撮影スポット、この日も数人が来ていた

A11.10.27-41  曲沢沼11.jpg

湖岸の樹木は、かなり葉を落とし稜線の木には隙間が見えるが

しかし写真で見る以上に、この目で見た景色は素晴らしく綺麗であった

A11.10.27-41  曲沢沼01.jpg

湖面には多くの水草が茂っていたが、その名は分からない

葉の形はヒツジクサより細長く小さいように思えた

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小野川湖

磐梯吾妻レークラインを走り、次の目的地の中津川渓谷に向かう

途中、裏磐梯で3番目に大きい小野川湖の景勝ポイントで車を止め撮影

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撮影場所を変え紅葉樹を入れて撮影

同じ場所でも、アングルを少し変えるだけで小野川湖の印象が異なる

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三湖パラダイス

レークラインを更に上って行くと、変わった名の「三湖パラダイス」がある

ここは、眼下に小野川湖、遠くに桧原湖が眺められる展望ポイント

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三湖パラダイスの直ぐ横は磐梯吾妻レークライン

レークラインは、磐梯山と湖が織りなす景色の美しいパノラマロードです

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三湖パラダイスの展望ポイントから道路を渡ると

眼下に、裏磐梯で2番目に大きい「秋元湖」が見える

A11.10.27-71  秋元湖01.jpg

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中津川渓谷

この渓谷は、観光客やカメラマンが集まる裏磐梯随一の紅葉の名所

レークラインから眺め、そして渓谷に下り遊歩道から眺めても美しいという

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しかし、紅葉の最盛期が過ぎ、見降ろすと橋の影が渓谷を横切っていた

時間は西日が傾く午後3時、会津若松に向かう電車の時間も気になる

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レークラインから道を変え、磐越西線の猪苗代駅へと急いだ

この写真は、タクシーの後部座席から少し望遠をきかせて撮影です

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福島県出身の登山家田部井淳子さんが、被災者の人たちと立山、西吾妻に

登山をされた、このTV番組を見て勇気づけられた人も多かったであろう

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次回は、がんばろう福島応援紀行「大内宿散策記」を紹介します

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