鎌倉五山巡拝(4)<第5位 浄妙寺> [神奈川の旅]
鎌倉五山巡拝(4)
<第五位 浄妙寺>
午前11時過ぎに北鎌倉駅から五山巡拝に出発し、その間に休憩したのは3回のみ
私は、友人と待ち合わせをする前に、東慶寺に行っているので余計に歩いている
残っているのは浄妙寺のみだが、時間は午後3時を過ぎ、歩くと約2kmも有るので
若宮大路から路線バスの助けを借りたが、思いがけないサプライズも有った
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<若宮大路>
前方は源頼朝が創建した鶴岡八幡宮、奥に朱塗りの鳥居が見える 若宮大路の桜は植え替えられ樹高が低い、ここから路線バスで浄妙寺に向かった
10月11日の鎌倉をひと月以上遅れて公開、今ごろは秋色に変わっているでしょう
<稲荷山浄妙寺>
臨済宗建長寺派 本尊:釈迦如来坐像
文治4年(1188)に極楽寺と言う密教寺院として創建されたが、その後 浄妙寺と名を改め禅宗になった、鎌倉五山第五位として最盛期には 23もの塔頭を有する大寺院で有ったと言うが、今はその面影がない
本 堂
山門から背が低い茶の木の参道を歩くと、正面に優美で美しい本堂が建つ 寄棟造り銅葺きの堂々とした建造物は、宝暦6年(1756)の再建です
本堂から参道
本 堂
外国人の女性が一人で拝観していたが、外国人の人気は竹の寺「報国寺」 バス停が同じで間違える人が多く、この日も1組の男女が慌てて引き返して行った
茶堂「喜泉庵」
高齢の男3人が茶席に入るのは珍しいが、少し時間に余裕が有るので休息タイム 7年ほど前にも浄妙寺を訪ねているが、その日は 石窯ガーデンテラス(後述)でのランチの後で、喜泉庵は通り抜けでした
枯山水庭園
室内から庭園
書院造りの茶席から庭園を撮影、落ち葉一つない静寂感が良い
縁先の手水鉢
懸け樋(かけい)から落ちる静水を眺めながら抹茶を頂いた
茶室の窓
丸窓と開けた障子から見える内庭は、落ち着いた感じがする
抹茶を一服
干菓子を食べ終えてから気が付き、抹茶を撮影した
茶室の外から
椅子席は、足の悪い高齢者、正座に不慣れな外国人向きでしょうか
サプライズ
浄妙寺の墓地を抜けると、こんな所にどうしてと思う「石窯ガーデンテラス」が有る 浄妙寺の境内に建つ、洋館造りのレストランで、ランチを食べたことが有るが
もう一つのサプライズは、初めて知った鎌倉の語源になった鎌足稲荷神社です
<鎌倉の地名の由来>
鎌足稲荷神社
逗子の友人が用意した、鎌倉案内書の浄妙寺欄には、藤原鎌足が子孫繁栄を願って背後の 稲荷山に霊鎌を埋めたことが「鎌倉」という地名の語源になったことでも有名だ、と記載
有名とは言え初めて知った鎌倉の語源、俄かに信じられないが、鎌足稲荷神社を訪ねた
狭い石段
疲れた身体を励ましながら、急な石段を登ると・・
鎌足稲荷神社
僅か50坪ほどの境内に、ポツンと小さな神社が建っていた
説明の全文を紹介
藤原鎌足公は乳児の時、稲荷大神さまから鎌を授けられ、以来、常にお護りとして身に着け、大神さまの加護を得られました。文化元年(645)中大兄皇子(後の天智天皇)らと協力のもと蘇我入鹿を討って大願を成就された鎌足公は、翌大化2年(646)東国に向かわれ、相模国由井の里に宿泊されました。その夜「あなたに鎌を授けて守護してきたが、今や入鹿討伐という宿願をなし遂げたから、授けた鎌を我が地に奉納しなさい」との神告があり、お告げのままに鎌を埋納し、祠を営んでお祀りしたのが、当神社の始まりです。鎌倉の地名は「鎌足公が鎌を埋納した」ことによるとされています。
金沢街道へ
鎌足神社を後にバス停へ、ここから近い報国寺へ行きたかったが時間が遅く断念 前方を歩いているのは友人二人、ゴルフなどで鍛えているので足の運びは軽い
この日、私が歩いた歩数は 23,000歩を越えていた(自宅から)
大船の居酒屋
着いたのは計画通りの午後5時過ぎ、先ずは生ビールで乾杯 近づく衆議院選挙や国際問題、そして昔の話に花が咲き7時前に解散をした
次回の散歩(来年の5月)
次は私の当番、知っているようで知らない東京の中心を歩きたいと要望が有り 神田~日本橋~八重洲~京橋~銀座~新橋を、歩くことを提案したが
貨幣博物館、重要文化財の高島屋、日本橋・銀座の記念碑など見どころは多い
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